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2013年1月 5日 (土)

寒中お見舞い申し上げます

snow寒中お見舞い申し上げます。世界は滅ぶことなく無事に2013年を迎えることが出来ました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今までの暖冬モードとはうって変わって寒い日が続いています。世間ではノロウイルスなども流行しています。くれぐれもご自愛ください。皆様の健康運をお祈り申し上げます。


・・・以下、他人には全く何の役にも立たない個人的な覚え書き。

近況
最近は、何故か不思議といつものようには妄想が沸かず静かな日々。12月22日以降、マヤ予言ネタで色々と空想を楽しんでいた子供時代の何気ない記憶がふっと蘇ることが頻発している。その記憶から、子供時代は当時の自分が思ってる以上に充実した日々だったことに気付けたのはうれしかった。今までは子供時代にあまり良いイメージが無かったのだが、振り返ると結構色んないい体験もしてきたんだな。空想に内なる願望を投影して「夢を見る」という経験自体がとても楽しく意義深くて、私にしか分からない独特のいい体験の一つだった。

子供の頃既にそうとは知らずに自分のセルフの気配(謎めいているが独特の雰囲気があり、時々独特のいい体験をさせてくれて、はかり知れないほど豊かで広大な個性を持っているらしい?)を無意識に感じ取っていたこともなんとなく分かった。
また、「常識」が人生や運勢を創ってくれるのではなく、無意識に潜む自分自身のセルフが個性豊かな独特の人生と運勢を作ってくれること。セルフが創ってくれるその魅力的な「独特の運勢と人生の波」に乗ると、「独特のいい体験」がどんどん発展していけて最高の気分になれるから早く本格的に乗りたいこと。にも関わらず、常識的発想やコンプレックスに縛られていることが、セルフの用意してくれている「波」へ本格的に乗る際の妨げになっていること。・・・それらを無意識下では既に知っていたことにも気がついた(じゃないと予言の空想にその願望が達成されたイメージを投影できない)。
ずっと前から「知ってた」のに、空想という形でシグナルは受け取っていたのに、顕在意識で自覚するのに何年かかった; まあ願望にはじわじわ近づいてたけど。
予言に象徴的に投影した無意識の願望を解き明かす作業は時間がかかったけどやったかいがあった。

足の怪我が意味するもの?
静かに過ごしている最近。唯一変わったことといえば、12月から左足の薬指を負傷したこと。ある日、ちょっとした不注意で足を自宅のゴミ箱に思い切り打ちつけてしばらく息が出来なかった。 
ろくに歩けないほど痛むのと予想以上の内出血にただの打撲じゃないなと直感し、翌日ヒョコヒョコ足を引きずりつつ接骨院へ行くと薬指の骨にヒビが入ってたorz

というわけで、今年の新年は初詣にも行かず、コタツ(最近使いだした)からもほとんど出ないままワインと好物で己を慰めて過ごしたw 
現在は腫れも退いて痛みも弱まってきたが、まだ長く歩けないのは残念だ(散歩が最近の趣味)。魔性の温かさで人を一箇所に縛り付け固定するコタツの魔力は恐ろしいw 

・・・この怪我が何を意味しているのか、身の上に起きた現象の象徴解釈を試みた。
まず、「足」は行動力や行動基盤。「左」は伝統的に無意識を象徴する方角。左足で「無意識の行動パターン」。今まではなんともなかったそれが、怪我で一時的に正常な機能を失った。
多分、「行動パターンが無意識レベルから変化する」という意味だと思う。今までやってきた行動パターンをやめて、新たな行動パターンが始まる。行動パターンが生まれ変わる。死と再生のシナリオ。それが「左足の怪我と回復」か。
左足を打ちつけたのがゴミ箱なのは、「捨てるべき不要なものがある」という意味か。今までの行動パターンを形成していたものの中に、不要な常識やコンプレックス(捨て去る力を自分が既に持っている)があるのだろう。
怪我の前と完治後では、人生の歩き方が変わっていくのかもしれない。無意識から生まれてくる「歩き方」にセルフの謎めいた独特の個性が反映されるのだろう。

【オマケ】
マヤ予言にUFOや宇宙人に関する願望を投影した人へ:
そのUFOや宇宙人、もしかすると自分自身のセルフを象徴しているかもしれません。 あくまで可能性の話、もしかするとの話ですが。
その願望の中ではUFOや宇宙人がどんな展開をもたらすシナリオになってるかがカギ。
(例:宇宙人と楽しく交流したらいつの間にか引っ込み思案が治っていた、など)

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コメント

明けましておめでとうございます。

>常識的発想やコンプレックスに縛られていることが、セルフの用意してくれている「波」へ本格的に乗る際の妨げになっていること。
これ、私にも当てはまるなーって思いました。私の場合、コンプレックスを刺激されると刺激した本人というより思わぬ所で毒を吐くと言う自覚が。
胎児の世界という本に書かれている事の一部抜粋によると、生命が波の間に間に食物を待つ受身の姿勢から一転して、獲物に立ち向かう前向きの姿勢へと変貌するに当たって特別にあつらえた感覚は、宇宙との交流を妨げる一つの元凶ともなりうる。体壁系を象徴する人間の大脳皮質が、自然に対する人間の“自閉症”をもたらしたのも、結局はこの現れであろう。
↑これって、AYAさんの言う弱肉強食で、それによる動物系=体壁系の不当な緊張が、植物系=内臓系の十全な働きを抑圧すると体壁を貫いて宇宙(人為的な流行りの波ではなく、より広大な波動)と直接交流できなくなる。この不当な緊張(現代で保険会社が儲かっているのもその一つだと思う)を解除しなければならない訳ですが、その治癒力にセルフが関わっている気がします。でも、個人で精神力を高め(深め)自己を知って顕在意識にまでセルフと繋がると今までその代理をしてきた権力(宗教とか、政治家とか色々)は都合が悪そうですけど。

足のお怪我は大丈夫ですか?
そう言えば、年末にうちの窓の下の方にヒビが入ったのをAYAさんの足のヒビから思い出しました。(内側からなのでドロボーじゃないと思う)
窓ガラスにヒビかー、って自分なりに思う所はあったのですが、象徴解釈って興味深いですね。
そう言えば、今年は巳年で、巳(シ)は物事がいったん終結し、また新たに出発するという意を含んでいるといいますね。
私的には笏=コツ=骨に通じる事柄は「笏がユダを離れる事はない、シロが訪れるまで」、と言った文を思い出しましたが。(数字にすると358=16)

初詣は、うちは(というより私だけ)殆ど行ったことないんですけど、今年は何か行こうかなーって思ってるんですよねー。願い事とかした事ないんですけど。お守りとかも買わないし。

>サボテンさん
あけましておめでとうございます。
お気遣いありがとうございます。足は徐々に回復しています。

自我の始まりは体壁系の進化・発達に端を発します。自我が芽生えた頃には体壁系の不当な緊張が発生し、心は徐々に全体性を失っていったのかもしれません(妄想)。
自我が発達し火を使えるようになると、弱肉強食の構造も発達していきました。体壁系の緊張を知的・文明的に表現していくことで歴史が作られたような部分もありそう。
体壁系とセルフをつなげる(体壁系とセルフを共鳴させる)ことを上達しさせていけば、セルフが用意してくれた「波」に乗ることが出来るのかもしれません。それは何も特別な修行・苦行を必要とするものではなく、わたし達の命の中にそういう本能があって、それを常識(体壁系緊張の一因)やコンプレックスといった「雑音」で抑圧しているだけなのでしょう。
常識に縛られた状態やコンプレックスを解決していければ、自ずと抑圧要素も減っていく気がします。

今年はヘビ年ですが、ヘビは脱皮を繰り返すので終わりと始まり(死と再生)のシンボルとされてきました。今のご時世には意味深です。
今年は個人的にもそのシンボルに沿う年にしたいと思っています。

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