« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

2013年1月24日 (木)

気象衛星画像に写る白い着物の女性3

Josei

◆災いが急増した貞観年間
黄泉の国に封印(=抑圧)され、本来の姿を歪められた日本の地母神イザナミ。彼女もまた、抑圧された日本の個性を象徴する日本のアニマの1人である。
彼女を黄泉の国(=無意識領域)から地上に表面化させないように夫イザナギが設置した地上と黄泉の通り道を塞ぐ大岩をはさんで、この夫婦はこんなヤバい会話をした。
イザナミ「お前の国の人間を1日1000人殺してやる!」
イザナギ「それなら、私は1日1500の産屋を建てよう・・・」

1日1000人が殺される・・・普通に大惨事である。抑圧された個性は時に歪んだ形で表面化し、制御不能に暴走して様々な現象や症状を引き起こす。地下世界(無意識のシンボル)抑圧されたことにより、歪んだ形で破壊的に暴走する地母神の力・・・それが災害なのだろうか? 歪められた力が暴走する(災害が発生する)頻回数が多ければ、それはまさに「あまたの災い」という名を冠したアマテラスの荒魂が暴れているともいえるだろう。

大和朝廷が日本の個性を抑圧しながら東へと版図を広げていった東征時代にも、災害が突然増えた時期があった。それが859年~877年の貞観年間。坂上田村麻呂がアテルイを倒して東北の蝦夷鎮圧に成功し、日本の個性の一つである東北(蝦夷)が抑圧されるようになってから60年経った頃である。
wikiから当時の災害記録を抜粋してみよう。

貞観3年(861年)4月7日、直方隕石が落下。落下の目撃がある世界最古の隕石。
貞観6年(864年)、富士山噴火(貞観大噴火)。
貞観10年(868年)7月8日、播磨国で地震。日本三代実録によれば官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記述。前年から引き続き、毎月のように地震があったことも見受けられる。
貞観11年(869年)、貞観地震とそれに伴う貞観津波が発生。貞観の韓寇。
貞観13年(871年)、鳥海山噴火。
貞観16年(874年)、開聞岳噴火。

東日本と西日本の境界エリアに立つ富士山(かぐや姫の置き土産が煙を出してる山)は、アテルイが京都で処刑された802年にも噴火したが、貞観大噴火は特にすさまじかった。つくづく東日本の個性と縁深い山のようだ。
そして何といっても貞観地震。これ、ほぼ3.11と同レベルの巨大地震である。当時の記録によると、津波による死者は1000人。偶然にもイザナミの1000人殺し宣言と同じ数だが、当時の日本は人口が少ないので1000人も犠牲者が出れば現代人の感覚でいうと万単位で死者が出たようなもの。さすがに都の人々もショックを受けたのか、慰霊祭が執り行われた。
貞観年間は災いを司るアマテラスの神経症側面、八十禍津日神・大禍津日神が大いに荒ぶった時代と言えるだろう。
これらの現象は、蝦夷を滅ぼしたことで日本の個性(日本のアニマ、吾妻)が抑圧された結果、貞観期にそれが歪んだ形で表面化し制御不能に暴走した(心理的に例えると神経症状が出た)のではないかと妄想した。

◆祇園祭の起源で妄想
貞観期に起きた「暴走(災い)」は地震や噴火だけではない。疫病も流行した。貞観地震の同年、朝廷は疫病を鎮めるために牛頭天王を祀る呪術を行った。一説によればその呪術や貞観地震犠牲者慰霊祭などが原型となって祇園祭が生まれたという。
祇園祭の基礎にある祇園信仰はスサノオと牛頭天王(仏教的な陰陽道の神)を信仰するので、貞観期に発生した「抑圧された個性の歪んだ表面化」を受けて祇園祭という呪術が生まれたのかもしれない(妄想)。
抑圧された個性が解放されれば歪みも解消されるもの。歪んだ形で表面化してしまうのは、抑圧されているからだ。個性を抑圧から解放すれば歪んだ表面化は発生しない=神経症状は消える。
日本の個性が解放される暗示が出ているこの時期に、歪んだ表面化による影響から都を守る呪術の一種として作られた(?)祇園祭が呪術破綻していくのは理にかなっているのかもしれない(妄想)。
神経症状が消えれば、症状を抑える鎮静剤(=祇園祭の呪術機能)は必要なくなる。祇園祭は「人々の不安を鎮め日本の神経症症状を抑える呪術」から「皆が喜ぶ楽しく美しいお祭り」になるのかもしれない。
なお、祇園祭とも縁深い近畿の古代結界は日本人が問題解決能力を抑圧したことで生じる歪んだ表面化を抑えてた印象。現代の忠臣蔵ともいえる大津イジメ事件の大衆心理暴走はまさに『歪んだ表面化』だ。
(個人的に、日本人特有の泣き寝入り体質・隠蔽体質は問題解決能力を抑圧した証だろうと思う)

◆アマテラスとスサノオは神経症?
再び古事記に注目。アマテラスには粗暴な性格のスサノオという弟がいる。アマテラスと同様、禊の時に誕生した。彼は「母のイザナミに会いに黄泉へ行きたい」と大泣きしたことがある。その泣き方が尋常ではなく、古事記によれば「海川の水は干上がり、山の草木は枯れ、世の中に災いが満ちた」という。スサノオのこれも神経症状の一種だったのかもしれない。
大泣き話の次は、有名な岩戸隠れの話が続く。母を求めて泣いていたスサノオが今度は常軌を逸した破壊行為に走り、うんざりしたアマテラスが岩の洞窟に引きこもる話だ。引きこもった時も災いが多発したという。どうも荒魂化したらしい。
スサノオの粗暴な性格と情緒不安定・行為障害は現代ならどう解釈されるだろう? 私には母性不足に見える。母性とは、生命を慈しみ発育を促す機能。例え母親がいなくても、母親代わりの人間がいたり適切な発育環境に恵まれる等で間接的にでも母性に触れることが出来ていれば、スサノオも少しは違ってたかもしれない? スサノオだけじゃなく、アマテラスも違ってたと思う。けれど、彼らには母性が抑圧されて供給されなかった。日本を象徴する神にとって、日本の地母神が抑圧されることは、母性(母性愛)の供給路が封印されたことを意味する。あの時地上と黄泉の通り道を塞いだ大岩。あれが母性の供給路を封印してる。

母性不在の環境で育ち神経症を抱える二人の姉弟。弟は情緒不安定で粗暴。姉は引きこもり。現代日本の家庭でも、どこかにありそうなシチュエーションだ。
その民族の神話はその民族の集合無意識にある精神世界を象徴的に表現するものだといわれている。外来宗教に侵略されて本来の神話自体が記憶から失われてしまったケースも多いが、日本にはまだ神話の記憶が残っている。人々は神話世界(=民族の精神世界)の事情を無意識に反映した歴史を作ることが多い。人の思考・行動パターンにその人の無意識が反映されるのと同じだ。
世界最古のベストセラー長編恋愛小説『源氏物語』もまた、無意識下では母性型アニマを求める主人公の女性遍歴を描いた一種の神話なのかもしれない(光源氏と竹取物語の帝、キャラが少しかぶる?)。とすれば、日本人が源氏物語を好んできた理由がなんとなく分かる(妄想)。

どの民族にも言えることだが、自分達の神話が残っているのなら、そこに記憶された葛藤や病理を解き明かし癒すことが出来れば、その民族は精神世界の深いレベルから癒され発達し、歴史の作り方が大きく進歩・発展できるだろう。人も民族も、何年経とうが成長できる本能を持っている。
侵略者と被侵略者

◆まとめ
ある日気象衛星画像に写った「巨大な白い着物の女性」は、イザナミであり東日本の化身(吾妻)であり雪女(かぐや姫)であり弟橘姫であり、つまり「日本のアニマ」だとしたら。
ある意味非常にスケールの大きな存在なので、心霊写真風に写りこむときは気象衛星のカメラじゃないと全身が入りきらないのも無理は無いw スピリチュアルとハイテク。相性悪いかと思ったらそうでもなく、実に見事にコラボしていると思うw
大自然が作り出した偶然の造形は、プロの芸術家にも劣らないほど我々のイマジネーションをかき立ててくれる。

2013年1月19日 (土)

気象衛星画像に写る白い着物の女性2

Josei

◆封印されて歪んだ個性達と荒魂
そもそも私が上の衛星画像を見て「抑圧された日本の個性を象徴する日本のアニマだ」と思ったのは、「顔を隠されている=個性を封印・抑圧されている」と連想したことがきっかけ。
無意識領域に抑圧された個性は時に歪んだ形で表面化し、制御不能に暴走して様々な現象や症状を引き起こす。いわば解消すべき「歪み」。 抑圧された個性の種類によってその「歪んだ形で表面化」は様々に現象化し、様々に表現される。例えば、「災い」とか、「悪魔」「鬼」とか、「神経症」など・・・
で、封印(=抑圧)した個性が「神」かそれに匹敵する力を持っていた場合に結果発生するものを「祟り」とか「神の怒り」言うことも。有名どころは菅原道真や平将門。

また、神道では神々の荒ぶる側面、災いや祟りを成す側面を「荒魂(あらみたま)」と呼んだ。
日本のトーテムである太陽。その神格化した姿であるアマテラスにも、そんな荒魂がある。その名を瀬織津姫。別名を八十禍津日神 または大禍津日神という。名前の意味は「多くの災い/大きな災い」。
この荒魂というのは恐らく、「抑圧され歪んだ形で表面化した個性」の象徴ではないかと妄想した。当然ながら、日本にもそのような部分が沢山ある。それら「荒魂」は様々な形で表現され、また現象化してきたと思う。そのいくつかは今までにも書いてきた。これからだって現象化するだろう。
(震災以前は現象化しないように呪術的な抑えが効いていたが、今はその抑えが取れた印象がある)

◆地母神の封印と八十禍津日神
東征によって抑圧されていった日本各地の個性のほかにもう一つ抑圧された日本の個性があるかもしれない。
それはどこの国にも存在していた「地母神」。
古事記に出てくる日本の地母神イザナミもまた、抑圧されてしまった日本の地母神の一つである。古事記によると、彼女は夫イザナギとの間に火の神を生んだ時の火傷で死に、地下の黄泉の国(冥界)に住むことになった。そのとき以来、彼女は本来の姿を歪められてゾンビの様な姿になってしまった。黄泉の国へ面会しにきた夫イザナギがその姿を見て嫌悪と恐れを露わにしたとき、彼女は怒り狂うゾンビ鬼女になってしまった。イザナギは一目散に逃げ、歪んだ姿のおぞましい彼女が地上に「表面化」しないように、地上と黄泉の通り道を大岩で塞いだ。こうして日本の地母神である彼女は、黄泉の国という名の無意識領域に一層厳重に封印(抑圧)された。
その後イザナギが黄泉の穢れを清めるためにを行った時に生まれた神々の一部がアマテラス(=日本のトーテムである太陽の擬神化キャラ)とその荒魂である八十禍津日神である。いわば、日本のトーテムを司り皇室神道最高神のアマテラスは、己の国の地母神が抑圧された状態で(むしろそれが原因で)生まれたのだ。心理的に例えると、生まれた頃から心理的抑圧(神経症の原因)を抱えていたようなもの。神経症の症状が出ると、アマテラスは荒魂化するようだ。
古事記が編纂された時代、日本は既に個性の抑圧が始まっていた。その頃には地母神信仰が根付いていた頃よりも男性性の強い社会になっていたのだろう。
男性的世界と地母神の再会3を参照)

◆地母神に仕えるウサギ?
ここで、件の衛星画像に出てくる「お供のウサギ」を思い出してみる。ウサギは、地母神と同じく多産と豊穣のシンボルにもなっている動物だ(月にいるウサギが餅をついてるのもそういう背景ある?)。福島県には早春に吾妻連邦の残雪がウサギのような形になって苗代に種をまく時期が来たことを告げる「吾妻の雪ウサギ」という現象がある。「我が妻の雪ウサギ」ってところか。豊穣を意図して種まきの時期を伝える地母神。ウサギはさしずめその使者って感じか。
個人的には、封印された日本のアニマ(吾妻=わが妻)のお供がウサギなのは、すごくしっくりするのだ(妄想)。

次回、千年前に「抑圧された日本の個性が歪んだ形で表面化・暴走」したような事例について妄想する。

2013年1月15日 (火)

気象衛星画像に写る白い着物の女性 1

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です

今回は記事の題名が心霊写真みたいだが、下の画像をご覧頂くとその意味が分かると思う。

【画像】今日の気象衛星写真がやばすぎると話題に

Josei

画像は2012年の10月29日に撮影されたもの。なるほど。確かにそれっぽい形に見えるw

◆気象衛星画像からの妄想
東日本の、とりわけ被災地に寄り添うように立つ白い着物の女性。顔は、隠されている。足元にはウサギがお供しているようだ。
この女性、私には「日本のアニマ」に見える。日本のアニマについては以前も少し書いた(「あづま」の由来を参照)。
(アニマ:恋愛感情を持った相手に投影されやすい理想の女性像。そのイメージは無意識領域に抑圧された個性や可能性を象徴することも)
日本では昔、月の世界にはウサギが住んでいると言われてきた。月は伝統的に無意識の象徴。無意識領域に抑圧された日本のアニマのお供がウサギなのはさもありなん。
日本の個性は東征の時代から明治に至るまで、西から東へ向かって抑圧されていった。だから抑圧された日本の個性を象徴する日本のアニマの呼び名は東(ないし東日本)の古語である「あづま」という。古語で「我が妻(吾妻)」という意味でもある。
日本列島が衛星画像の女性(?)に最も近い部分は「鬼」のモデルとなったまつろわぬ民、蝦夷のいた地域だ。

◆「かぐや姫」も日本のアニマ?
日本のアニマを象徴している物語はいくつかあると思う。弟橘姫の話は以前ご紹介したので、今度は「かぐや姫」が出てくる竹取物語を挙げて妄想してみよう。
月は伝統的に無意識の象徴なので、月から来た美しいかぐや姫はまさにアニマの投影対象にぴったり。やたらとモテるのも無理は無い。そして何ということか。「ひのもとの国の帝」まで彼女に本気の恋をしてしまったのだ!
かぐや姫に本気の恋をした帝は、どうしてもかぐや姫を自分の妃にしたかった。だから月からの迎えを退けるべく軍事力まで使ったのである。
しかし、欲しいものは何でも手に入る立場にいるあの帝ですら、彼女を手に入れることは出来なかった。彼女と結ばれること叶わずかぐや姫は置き土産を残して手の届かない月の世界(=無意識領域)へと帰ってしまった。
多分、月の世界で家来や女官や餅をつくウサギ達と一緒に暮らしたのだろう。

かぐや姫にフられてしまった帝(多分、この時初めて女性にフられるという経験をした)は嘆き悲しみ、「かぐや姫に二度と会えないのなら、不死の薬などいらない」と彼女の置き土産である「不死の薬」を富士山で燃やしてしまうように命じた。その薬を燃やして以来、富士の雪は解けることがなくなり、薬を燃やした煙は今でも富士山から上っていると竹取物語には書かれている(実際、昔の富士山は火山活動が今よりも活発だった)。

「いかなる者も、無意識にいるアニマを力ずくで所有することは出来ない」
それが、「竹取物語」作者からのメッセージかもしれない。
ひのもとの象徴にして日本最大の権力者「帝」すら、意のままにアニマを所有することは出来ない。既にかぐや姫が書かれた時代には日本のアニマ「あづま」を力ずくで所有するべく東征が進んでいたから、なおのこと意味深だ。

◆かぐや姫と雪女?
上の画像、「雪女に見える」と言う人もいる。実を言うと、雪女は月の世界から来たという言い伝えも東北に残っている(山形県小国地方)。その言い伝えによると、雪女は雪の降る月夜にだけ現れるそうだ。かぐや姫、雪女にコスプレして時々下界の様子を見に来てたんじゃないかな。で、ごく稀に気象衛星のカメラに写り込んじゃったりする。足元にウサギ連れてる雪女ならその確率は高そうw 擬人化された日本のアニマがこっそり東日本(=日本のアニマ・吾妻)を訪問する・・・不思議だ。
件の画像を見て「どうりで月が恐ろしいほど綺麗だとオモタ」と書き込んでいる人もいる。あの画像には、何か無意識をざわつかせるものがあるような気がする。

次回、妄想はさらに続く。

2013年1月 9日 (水)

自我境界が未発達な国民性3

「自分だけたたかれ、つらい」 自殺生徒、顧問あての手紙に記載 桜宮高2自殺
生徒38人が体罰目撃…でも学校側は「知らない」
顧問、別の部員21人にも体罰か 大阪の高2自殺
体罰アンケート放置、生徒聴取もなし 大阪・高校生自殺
大阪・高校生自殺 バレー部でも体罰「改善に努めなかった」
部活がらみの体罰、教職員110人処分

この事件、顧問の先生が最初から生徒を自殺に追いやる目的で体罰したとか、傷害(ないし障害)を負わせることが目的だったとか言うつもりは無い。 狙った結果ではないならなおのこと、このような結果は「明らかにやり方を間違えた(=過失)」といえる。再発防止するなら全体的に今までのやり方・考え方を根本から改めることは不可避だ。 「実績・名声さえ上がればいくら生徒を傷つけても問題視しない風潮(生徒の安全と健康より学校としての名声・実績優先)」では親御さんが安心して子供を託すことが出来ない(だから親の目をごまかすために隠蔽?)。
また、「解決よりも隠蔽が優先」という体質は、隠蔽がバレた時の破壊力が半端じゃないことはそろそろ隠蔽体質に染まった人々も理解していいと思う。ニュースタイトルの「体罰」を「いじめ」に置き換えてみよう。どこかの事件ととそっくりだ。
震災以来、隠蔽を積み重ねた末にひどいバレ方をした所がどんどん出てきている。 これはまだ、氷山の一角かも。

◆未発達な自我境界?
顧問の先生に計画的な悪意は無いとしても、体罰の目的・動機が「思い通りの成果・実績が出なくてムシャクシャしたから」とか、「生徒達が自分の要求する能力を持っていない(そこまで上達してない・個人差)ことにムシャクシャした」といった「自分に当然従うべき人間が思い通りに従わなかった(=思い通りの成果を出さなかった)」という一方的な恨みを抱き、それを晴らすための暴力であった可能性は、残念ながらかなり高い。
(余談:発達障害の生徒が『要求する能力を出さない』『ミスが多い』という理由で何度も暴行されたり、同じ理由により連帯責任で全員が罰されることを繰り返した挙句仲間内から孤立し鬱病などの二次障害を負って自殺することもある)

仮にもしそうだった場合、その体罰の動機は「指導」じゃなくて「恨み」だ。
顧問が部員の人格や個人差を認めず部員を自分の延長(自分の一部)にした挙げ句、自分に当然従うべき人間が思い通りに従わなかった(=思い通りの成果を出さなかった)恨みを晴らすための暴力に走るといった心理は、親が子供を所有物扱いして子供が思い通りに動かない(動けない)と態度が豹変するパターンにも通じる気がする。
個人的な経験を言わせてもらうと、いわゆる熱血先生・熱心な先生と呼ばれる人々の中にも無意識に「所有物扱い(自己同一化)」を前提とした自己中心的な情熱を燃やしてしまっているケースは多い。中には生徒の自己実現と自分の自己実現を混同しているケースも存在する印象。 最悪の場合、もし自分の自己実現を一方的に投影・同一視した生徒達が自分の望む成果を出さなければ、その生徒達は「自分の自己実現を損なう者」になってしまい、恨みの対象になる。すると感情的になる。暴行へのハードルが下がりやすくもなる。
日本では当事者も周囲も「所有物扱い」と「熱血教育」の区別がついていないことが多い。自我境界が未発達な国民性だからだだろうか。

◆子供達の発達と自己実現
子供達は、「ただ単に勝ちたいから」という理由でスポーツや部活動を好むわけじゃない。単に勝負事が好きなだけなら必ずしもスポーツや部活である必要は無い。その活動を用いて意義深い体験をし、その刺激によって心身の発達と自己実現が得られるから、その喜びが好きでスポーツや部活が好きなのだ。その体験は彼らが自らの未来を作る尊い糧になる。
言うまでも無く、子供達は自分の自己実現のために意欲と情熱を燃やすのであって、親や先生や学校の名声・実績のため(=親や学校の自己実現のため)に燃やすのではない。
しかしそこが巧妙にすり替えられ、子供達の命が本来持っていた自己実現の意欲と情熱と努力は別の目的(大人達の自己実現)のために利用・搾取され、そのために暴力が常用されるケースが長く続いているようだ。
その結果、今回教育界は彼に部活を通した発達と自己実現の喜びを奪い、代わりに心身の傷と深い絶望を与えてしまったようだ。教育の場が未来の糧を与える場にはならず、未来を摘み取る毒の場になってしまった。恐らく、彼のように自殺しなかっただけで彼と似たような境遇で育った人は多いと思う。それこそ、何世代も。

ただでさえ少子化で未来を担う子供達が減ってるのに、その子供達から発達と自己実現を奪い未来の糧を与えず毒を与えてしまうことが続くべきではない。それは生命を尊ばないのと同じだ。 そういう環境下では子供達が人生や生命の尊び方を学ベない(いじめや自殺防止にも悪影響)。
それらを学べなかった子供達が大人になって出来上がる未来は、質が悪くなる。国益さえ損ねるかもしれない。
大人達が子供を犠牲にしてでも自分達の自己実現を優先するのは、そんな大人達もまた子供時代に自己実現を抑圧されて育った可能性を感じる。

◆自我境界の発達を封じた教育のゆくえ?
所有物扱いとそれゆえの暴力。今までの時代はそれが日本の教育界に当たり前のように横行していた風潮だとしたら。しかも、その暴力に耐えることを義務や美徳として洗脳し、泣き寝入りを「意義ある忍耐」と混同させ泣き寝入り暗示を刷り込み、しかも子供達が暴力や恫喝で洗脳状態になって自発的に部活をやめる(または自分を守る)発想を奪われているケースが多いとしたら。 保護者の世代からそれが起きていたとしたら。
被害を受けてもめったに反抗・告発できないよう予め心を操ること。この上なく支配と隠蔽に好都合だ。

こう考えると、最近主犯格が自殺した尼崎事件とそっくりの構図が浮かび上がってくる。ぞっとするような話だが、部活と暴力の問題の中には、前書いたような尼崎事件や大津いじめ事件同様に、日本の集合無意識に伝統的に根付いた体質が潜んでいるように思える。先述した事件と今回の事件、発生現場がどれも近畿の古代結界内部だからそう見えるのだろうか(妄想だといいな)。

伝統的に忍耐と泣き寝入りの区別が付かない人材を量産した国がどうなるかというと、国際社会で格好の餌食になると思う。
「NOと言えない日本人」の国。世界一忍耐強いが、時に世界一卑屈になりうる国民性。国内のブラック企業だけは社員の使い捨てをしやすくて発展していくかもしれないが、例えば泣き寝入りする従順なポチみたいな人材ばかりが大事な外交やTPP交渉の場にいたら・・・(ノ∀`) アチャー

◆「弱いのが悪いんだ」
この手の事件が報道されると、「心の弱い生徒が悪いんだ。体罰した側は何も悪くない。自分はもっとひどいことをされた(のに)」という声が必ず上がる。これ、自分のされたこと(そして泣き寝入りしたこと)に無意識が納得していない証になっている可能性もある。
本当は自分のされたことが正当な意義あることだと思えてない。そこで、「体罰した側」を正当化(=告発した生徒側を悪者扱い)することで自分のされたことを強引に納得しようとする心理。
時には、「体罰した側」への愛着願望や崇拝からその人と対立する感情(その人から受けた暴行を納得できない心・その人が間違っていると思う心)や、その人への否定的な感情(不当なことをされた怒り)を受け入れたくないケースにも「強引な正当化」が発生しうる。
これ、虐待する親をかばう子供の心理や加害者をかばうDV被害者の心理とも一部通じる。

一般的に、「心が弱すぎて自殺した生徒が悪いのだから顧問側は何も悪くない」という言い訳で顧問側・学校側が責任逃れできることは無い。 「本人が弱いのが悪いだけ」という論理は、裏を返すと「弱い人間なら自殺させてもかまわない」になってしまい、ほぼいじめっ子の自己正当化と同じになってしまう。
その主張をして一時的に逃げ切れる相手は唯一、自分自身だけ。
既にネットでは自殺した生徒や遺族を叩く動きが少数ながら存在する。例え暴力と恫喝の嵐の中でも発達と自己実現に成功した人や自分の受けた体罰を本当に納得している人は、今回の自殺した生徒や告発した遺族をことさら叩いたり嘲る必要を感じないだろう。

◆泣き寝入り傾向からの変化
今までは告発されず「泣き寝入り」が多かった体罰問題だが、最近は暴行された時泣き寝入りしない生徒も徐々に増えてきている。体罰を法律で禁ずるようになったからというのもあるが、「暴力」というものの意味が時代と共に変わっていったからだと言う人もいる(真偽不明)。
今の子はゲーム以外で格闘技ごっことかあまりしないし、ケンカはもっぱら口げんか。殴り合いなどしようものなら退学だ。だから他人の体を積極的に損傷させるなんて非常識なことをするのは常軌を逸した人か犯罪者みたいなイメージが強くなり、「暴力=異常」という認識になっているので「暴力=正しい指導」という認識にはなりえない子が増えているという話。
もしそうなら、日常的な暴力を使った指導を正義とする先生は「ヤバい人」に見えるかも。キャプテンなどの叱られ役(スケープゴート)を見せしめに殴ってチームを発奮させるはずが全員ドン引きという結果を出しかねない。
それはそれでいいと思う。人間は「絶対正義の暴力」など使えないから。

体罰(というより暴行・傷害事件レベル)を告発するケースが増えているとはいえ、今でも「泣き寝入りせず声を上げる」という行為は、多くの泣き寝入りした生徒達よりも勇気が必要なことがある。それは単に「目立っても周囲の目を気にしない勇気」「体罰した当事者やその支持者達から敵視されたり悪者扱いされるリスクを背負う勇気」「支配的な価値観に立ち向かう勇気」だけじゃない。
時には、自分を誤魔化さずにまっすぐに自分のされたことと向き合う、(時には尊敬していた)相手のしたことと向き合う勇気が必要になるからだ。自分が納得していないことを認める勇気が必要になるからだ。
本当に相手のためを思った場合、相手が己の間違いに気付き軌道修正するきっかけを差し上げるという意味で声を上げることは効果的なことでもある。


古代から続く支配の手口?
いじめっ子を憎む心の落とし穴?

※以上に書いたことは、全て個人の妄想です。

2013年1月 5日 (土)

寒中お見舞い申し上げます

snow寒中お見舞い申し上げます。世界は滅ぶことなく無事に2013年を迎えることが出来ました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今までの暖冬モードとはうって変わって寒い日が続いています。世間ではノロウイルスなども流行しています。くれぐれもご自愛ください。皆様の健康運をお祈り申し上げます。


・・・以下、他人には全く何の役にも立たない個人的な覚え書き。

近況
最近は、何故か不思議といつものようには妄想が沸かず静かな日々。12月22日以降、マヤ予言ネタで色々と空想を楽しんでいた子供時代の何気ない記憶がふっと蘇ることが頻発している。その記憶から、子供時代は当時の自分が思ってる以上に充実した日々だったことに気付けたのはうれしかった。今までは子供時代にあまり良いイメージが無かったのだが、振り返ると結構色んないい体験もしてきたんだな。空想に内なる願望を投影して「夢を見る」という経験自体がとても楽しく意義深くて、私にしか分からない独特のいい体験の一つだった。

子供の頃既にそうとは知らずに自分のセルフの気配(謎めいているが独特の雰囲気があり、時々独特のいい体験をさせてくれて、はかり知れないほど豊かで広大な個性を持っているらしい?)を無意識に感じ取っていたこともなんとなく分かった。
また、「常識」が人生や運勢を創ってくれるのではなく、無意識に潜む自分自身のセルフが個性豊かな独特の人生と運勢を作ってくれること。セルフが創ってくれるその魅力的な「独特の運勢と人生の波」に乗ると、「独特のいい体験」がどんどん発展していけて最高の気分になれるから早く本格的に乗りたいこと。にも関わらず、常識的発想やコンプレックスに縛られていることが、セルフの用意してくれている「波」へ本格的に乗る際の妨げになっていること。・・・それらを無意識下では既に知っていたことにも気がついた(じゃないと予言の空想にその願望が達成されたイメージを投影できない)。
ずっと前から「知ってた」のに、空想という形でシグナルは受け取っていたのに、顕在意識で自覚するのに何年かかった; まあ願望にはじわじわ近づいてたけど。
予言に象徴的に投影した無意識の願望を解き明かす作業は時間がかかったけどやったかいがあった。

足の怪我が意味するもの?
静かに過ごしている最近。唯一変わったことといえば、12月から左足の薬指を負傷したこと。ある日、ちょっとした不注意で足を自宅のゴミ箱に思い切り打ちつけてしばらく息が出来なかった。 
ろくに歩けないほど痛むのと予想以上の内出血にただの打撲じゃないなと直感し、翌日ヒョコヒョコ足を引きずりつつ接骨院へ行くと薬指の骨にヒビが入ってたorz

というわけで、今年の新年は初詣にも行かず、コタツ(最近使いだした)からもほとんど出ないままワインと好物で己を慰めて過ごしたw 
現在は腫れも退いて痛みも弱まってきたが、まだ長く歩けないのは残念だ(散歩が最近の趣味)。魔性の温かさで人を一箇所に縛り付け固定するコタツの魔力は恐ろしいw 

・・・この怪我が何を意味しているのか、身の上に起きた現象の象徴解釈を試みた。
まず、「足」は行動力や行動基盤。「左」は伝統的に無意識を象徴する方角。左足で「無意識の行動パターン」。今まではなんともなかったそれが、怪我で一時的に正常な機能を失った。
多分、「行動パターンが無意識レベルから変化する」という意味だと思う。今までやってきた行動パターンをやめて、新たな行動パターンが始まる。行動パターンが生まれ変わる。死と再生のシナリオ。それが「左足の怪我と回復」か。
左足を打ちつけたのがゴミ箱なのは、「捨てるべき不要なものがある」という意味か。今までの行動パターンを形成していたものの中に、不要な常識やコンプレックス(捨て去る力を自分が既に持っている)があるのだろう。
怪我の前と完治後では、人生の歩き方が変わっていくのかもしれない。無意識から生まれてくる「歩き方」にセルフの謎めいた独特の個性が反映されるのだろう。

【オマケ】
マヤ予言にUFOや宇宙人に関する願望を投影した人へ:
そのUFOや宇宙人、もしかすると自分自身のセルフを象徴しているかもしれません。 あくまで可能性の話、もしかするとの話ですが。
その願望の中ではUFOや宇宙人がどんな展開をもたらすシナリオになってるかがカギ。
(例:宇宙人と楽しく交流したらいつの間にか引っ込み思案が治っていた、など)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ