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2012年12月22日 (土)

終末予言の終末

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12月21日世界滅亡カウントダウン!?マヤ暦騒ぎフランスで軍隊出動
6,500万円のシェルターがバカ売れ!? マヤ暦に沸いた世界の悲喜こもごも
21日は「世界滅亡の日」、マヤの人たちの反応は?
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本日をもって世界一有名な終末予言「マヤの予言」の期日が終了。世界は何事も無かったように「滅亡の危機」を越えた。実際、何事も無かったw
ここまで大規模な終末ヒステリーが起きたのはネットの発達、集合無意識規模での終末願望の高まり、不況などで不安感や終末感漂う世相、歴史的規模で集合無意識下に抱え込んだ抑圧(鬱屈)を解放させたい衝動などが合わさったせいだろうか。
日本人はノストラダムス騒動の時に終末ヒステリーを経験済みだし、去年嫌というほど終末感を味わったので、今回は世界の騒動と比べれば冷めたものだ。

子供の頃からオカルトマニアだった私は、この予言が生まれた初期、確か小学生の頃からこの予言を知っていた。その頃は必ずしも「人類が滅亡する」とは断定されておらず、地球の時空がマヤ族の計算していた時間の流れ方ではなくなってカレンダーが役に立たなくなり、不思議な未曾有のことが起きるらしい、という程度だった。
時が進むにつれ予言の内容にヴァリエーションが増え始め、当日はコワイ事が起きる(滅亡系)、楽しいことが起きる系(地球の次元が上がることで人類が超能力に目覚めたり故人に会えたり友好的宇宙人との文明交流が始まる等)、脱力する結末になる(当たりw)、などなど色んな話が囁かれるようになったが、私はいつも楽しい系に注目していた。予言が暗示する不思議な大きい力が世界を今よりも素敵な姿に変えて人生を楽しくしてくれたら、と思ってたw
当時の私は「その日はどんな日になのかな。そのころ私はどうなってるんだろう?」と色々空想して楽しんだものだ(つい最近までそうやって遊んでたw)。「その時」に思いをはせる空想のひと時と共に、人生の半分を超える年月を生きてきた。
そんな日々も予言当日で「終わり」なわけだ。ちょっと名残惜しいような、「卒業」していくような、不思議な気分。

人々はマヤの予言に不安感やコンプレックスを投影すると同時に、いろんな夢や憧れを投影してきた。その、「夢や憧れ」の方に関しては、予言ブームが去っても心のどこかで光る人生の宝物に出来ると思う。
予言に期待するまでもなく、自分の中にこそ夢を叶える力はある。自分の中にあるからこそ、外部の物事に投影できるからだ。夢の成就を外部に投影できた時点で、それを叶える力は自分の中に用意されている証。あとは外部へ象徴的に投影された内なる夢の正体を知ること。夢の内容が示す象徴を読み解くこと。

私の場合、いつも空想の世界では、予言当日に「非科学的な驚くべき不思議現象が起きて世間の常識や固定観念が崩壊し、オカルトや精神世界といった『常識の世界では存在しないもの・否定されていたもの』が市民権を得て、その分野に関心や適正のある人々が変人扱いされたり孤立したり劣等感を持つことなく自信を持って才能を生かしたり独自の可能性を伸ばせる楽しい世界になる」ことを夢見ていた。
子供の頃から予言に投影していたその夢は、私が世間の常識や固定観念で自分を縛ることなく、『皆と同じでなければ』という強迫観念や劣等感から自らを解放し、自信を持って他人と違った独自の個性を持つ自分の人生を意義深くクリエイティブに作る・楽しく歩んでいく」という無意識の願望を象徴的に表現していた。

実際に予言が実現するのを待つまでも無く、人は自分を活かし伸ばせる生き方(考え方)をしていいはずだ。運の流れはその時もっとも強くなる。自分を活かし伸ばせる生き方(考え方)は、「世間の常識」以上の優先事項・重要事項でもある。ソレを実現して困ることなど一つも無い。むしろ、実現できなくて困ってたじゃないか。私は『わたし』を生きなくちゃ(活かさなきゃ)ならないんだ。心のどこかで「世間の常識」を口実にソレを禁じてた(=自己否定してた)私が間違ってた。常識に人生を創る力は無い。私の人生は『わたし(self)』しか作れないんだ。
みんな違って当たり前。みんな本当はスピリチュアル。

Q.そのころ私はどうなってるんだろう?

A.
相変わらず変人だが、長い間この予言に投影してきた夢の正体をやっと何となくつかめるようになっている。「世間の常識に囚われず、常識的な世界では存在を証明できない独自の個性と可能性(=常識の世界では存在しないもの。self。)を否定せず、それを信頼し、従来の常識から外れても気にせずそれらを伸ばし生かすこと。そういう考え方を自分に許し、その生き方を楽しく意義深いものにすること」
・・・その夢は、叶えてあげられると思う。そしてそれは、私にしか出来ない。

マヤ予言、楽しい時間をありがとう。お世話になりました。

予言とカタルシス願望1
予言とカタルシス願望2
未曾有の刺激

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