« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月30日 (火)

運勢の神業

※あくまで占い師視点の個人的な妄想です。

飛び降りの弟、兄キャッチ…もう一人の兄は

28日午後4時20分頃、東京都大田区内のビル4階から、「男性が飛び降りた」と110番があった。
警視庁蒲田署員が駆けつけたところ、男性2人が路上に倒れているのを発見した。2人は病院に運ばれたが、いずれも軽傷という。

◆めちゃくちゃ生きたがってる本音
4階から落ちてくる大の男を受け止めて2人とも軽傷で済むというのは、奇跡か超常現象に近い。ハイレベルすぎる。
人間は皆誰でも心の奥底(無意識の底)から湧き出す真の望みだけは実現させる能力を持っている。いわば自己実現能力。それが開運の源でもある。
その能力は時に様々な「運勢」と呼ばれるものを作り出す。いわば運勢が真の望みを叶えるための各種インフラや「運命の導き」のようなものを作り出すわけ。この運勢は人が無意識下から作り出す運勢の中で最もハイレベルな神業とも言われている。
それが「誕生」という人生最初の自己実現を引き起こした。

明らかに、この兄弟は心の底から「生きよう」としている。具体的な自己実現の計画さえ持ってるかもしれない。
自殺未遂の弟は、「この生き方(orこの生き方を形成する考え方)をやめたい」と思っているだけで、「自分の心臓を止めたい」などとは微塵も思っていない。単に、より良い違う生き方をしたいだけだ。しかも、本人の無意識はそのような生き方を知っているし、それを始める能力を持っている。知らないのは顕在意識だけ。

◆狭い視野が本音を歪める
しかし、「この生き方はやめたい!」という無意識の強い思いは、無意識よりも視野の狭い顕在意識(自我)に向かう途中で歪められてしまうことがある。
すると視野の狭い顕在意識(自我)では、心臓を動かすことと「やめたいこの生き方を続けること」とが混同され、同一視されてしまうこともある。自分の無意識が知っている別の生き方やその方法(時に非科学的)は視野の外にあるため、顕在意識(自我)はそれらを自覚できなかったりする。
人間の自我は知性こそ発達しているものの、無意識との連携があまり発達していないといわれている。本能経由で連携しようにも、本能は理性によって制御されている。

「この生き方はやめたい!」という無意識の強いメッセージが顕在意識に向かって送信され、その情報が「この生き方」しか認識できない狭い視野の中に押し込まれると、データが歪んで正確に読み取れず、正確に理解できなくなってしまう。「自分で自分の心が分からない」という状態だ。
「この生き方【は】やめたい(=別の生き方しよう)!」という意図は「生きるのをやめたい!」に誤変換され意味を歪められてしまうのだ。
データの中身がすごく不正確になってしまい。もはや無意識本来の意図を表すことが出来ない。
例えば解像度もサイズも大きな衛星写真を古い携帯電話の画面に無理やりDLしたらどうなるかをイメージしてもらえれば分かるだろうか?
地上に写る目標物などまともに見えやしない。

自我(顕在意識)が無意識からの強いメッセージを歪んで受け取ってしまった結果、「自殺への強い思い」として感じてしまったら・・・
(まさしく、『はやまるな思い直せ』というセリフがぴったりだ)

◆ゴーストから神業
で、無意識(本心)の意図とは関係ない方向に暴走した己を何とか押しとどめ、出来れば正確な方向に修正し進みたいがために、あきらめない無意識は無謀とも思えるような大掛かりな神業を仕掛けることがある。
それが今回のケースの背後にあった物語のような気がする。弟(無意識)は兄(無意識)の協力を得ることが出来たようだ。2人が協力し連携し合った神業は、ほとんどサーカスに等しい荒業である。
命がけのサーカスのようなことをしているが、どっちも心から死ぬつもりが毛頭無いことは「軽傷で済ませる」という技からも見て取れる。
(弟さんはこの神業が発動した意味を良く考えて早まったことは繰り返さないでほしい)

この技も自己実現能力の一例なのだが、これは明らかに自我(顕在意識)の力を軽く超えている。「人間」が出来るようなことじゃない。だから人々はこのような技が発動すると、しばしばそこに奇跡や良き運命や神を見出す。そして神を自分の理想の上司兼庇護者にしたがる。
確かにその技は「人間」が身に着けた能力ではない。私達が人間じゃなかった頃、いわば私達が人として「誕生」する前から魂(ゴースト)の領域に備わっていた能力だ。無意識はゴーストとつながっている。

◆内なるゴーストとの連携能力
そして一人一人のゴーストに、「神」がいる。八百万の神。「セルフ」と呼んでもいい。
神を理想の上司や庇護者にしたいなら、無意識の中にあるゴーストとの連携能力を育てること。
それは何も古代人のように絶食したり滝に打たれたり難しい修行をする必要は無く、まずは「とりあえず自分の自我が持ってる視野はすごく狭いので、自我の視野だけで処理できる物事と、自我の能力を盲信しない方がいい物事がある(多分無意識が関わり、無意識にいる己のゴーストと連携した方がいい物事がある)」とか、「答えがすぐ出ないものに関しては、今の自分の自我が認識できる狭い範囲であれこれ考えて決め付けないほうがいい場合もある。未だ自我が認識できていない部分が視野の外に残っていて、全体像が把握しきれていないのかもしれない」「自分のゴーストと自我が連携した運勢・人生を生きられるように、心の底からの真の望みを自覚したい・自覚できる運勢を心の底から望む」という発想を持っておくこと。
そして、自分が抱く様々な願望のうち、どれが世間の風潮やコンプレックスや空想的不安感などに基づかない真の望みだろうか? その願望はどこから来てるんだろうか? と考えてみること。
(真の望み以外の願望に『神業』は発動しない)
そういう作業、最初は難しいかもしれない。しかし「正解」にたどり着く前に力尽きても、そういう作業をする習慣があるのと無いのとでは連携能力の発達がだいぶ違う。

また、最近流行の「萌え文化」で自分のアニマ・アニムス(理想の異性像にして自分の中の隠された個性や願望や可能性のシンボル)をキャラクターに投影している人は、そのキャラに対する自分の感情や「なぜそのキャラや作品が好きなのか」を分析するといい。それは、己の無意識との対話だ。キャラや作品への思い入れが真の望みを投影していたことによるものであれば、それを知ることでゴースト連携に近づける。
(時には真の望みを抑圧した結果の代償行為的な歪んだ願望を投影していることが判明した、というケースもあるw)

今回のニュースでは「兄弟」というごく近しい間柄でのゴースト連係プレー(神業)が紹介されているが、これが国とか民族とか地球人とかいった大規模なレベル(集合無意識レベル)でゴースト同士が連係プレー出来るようになると・・・


スゴイコトニナルネ

【余談】
昨日、「最近体調不良で妄想したり長文を書いたりする元気が無い」とか書いたばかりだが、実は妄想記事にしたいネタも見つけられなかった。でも自我の努力でネタを探そうとはしなかった。そういう努力をする意欲も湧かなかった。「妄想記事を書く」という活動は無意識が関わることだから、それを無視して自我だけでアレコレこねくり回したり、自我だけで「次の妄想ネタはこれ!」と決め付けてもしょうがないと思っていたので。
そしたら今日、無意識が勝手にネタを見つけて妄想を展開してくれた。
「ネタ探し」など意識していなかったのだが、たまたまこのニュース記事が目に入って、そこからふつふつと妄想が展開し、長文を書く気力が出始めたのだ。
やっぱりこのブログ、半分は無意識で進んでるんだな。

文中にある「無意識(本心)の意図とは関係ない方向に暴走」という状態をタロットで例えると、戦車の逆位置だ。
(ヨガとタロットの戦車を参照)ゴースト(神)は車のオーナー(=セルフ)


就活自殺の増加に思うこと
人の器に宿りし金運

2012年10月28日 (日)

地球の歌

最近体調不良で妄想したり長文を書いたりする元気が無い。
そんな時見つけた面白い音。
NASA の地球の磁気圏を探査する「RBSP」という観測衛星がキャッチした「地球の放射帯からの周波数が奏でる音」らしい。
なんか鳥とかイルカみたいでかわいい。

2012年10月16日 (火)

古代から続く支配の手口?

※以下に書いた内容は根拠の無い個人の妄想です。実際の日本史を誹謗・中傷する意図はありません。

介入家庭、暴力と甘言で支配…尼崎ドラム缶事

兵庫県尼崎市のドラム缶遺体事件で、主犯格とされる無職角田(すみだ)美代子被告(64)(起訴)が暴力的言動と甘言を巧みに使い、周辺人物を精神的に支配していく実態が、これまでの公判証言で明らかになっている。

角田被告の周辺では次々と行方不明者が浮上。同市内の民家では3人の遺体が見つかり、これらの関係者には角田被告に服従する人物もいるとされる。県警は「マインドコントロール」の影響の有無を慎重に調べる。

この事件現場は、古代大和朝廷が国家開運のために作った星型の結界の中にある。現場の鬼門方向には大津イジメ事件(+大衆心理大暴走)が起きた大津市。
結界図

自我境界の脆弱さ(未発達さ)、隠蔽体質、泣き寝入り暗示、同調圧力・・・これらは大津イジメ事件(ならびに大衆心理暴走)と今回の事件の共通点か。自我境界が脆弱だと、簡単に洗脳されやすくもなる。
また、今回の事件に使われたマインドコントロールや支配の手口は、古代の時点から既に歴代の為政者達が使っていたのと同じものかもしれない。 為政者に有利な結界を作ることで、その手口を使った支配力(影響力)はより強固なものになっただろう。

為政者達が長年そのような方法をとっていった結果、日本人の自我境界の脆弱さ、泣き寝入り体質、NOと言えない心理、煽動されやすさや同調圧力の問題、問題解決能力の抑圧といった様々な弊害が蓄積していった。
けれどもそれらの蓄積は結界の力によって問題化せずに、日本の集合無意識の中で長いこと封印されていたような気がする。
日本人が抱えるそんな弊害、特に泣き寝入りや自我境界の脆弱さ、「NOと言えない」といった心理、実は暴力的な監禁事件でしばしば被害者に発生しうる心理と似ているのだ。
立地的に独自性を保ちやすい古代の日本列島。その環境を悪用すれば、歴史規模、集合無意識規模の「壮大な監禁事件」を引き起こすのにうってつけ?

さて、上に書いた「弊害」。むしろ為政者達にとっては弊害どころか「都合の良いもの」だったろう。「問題」という形で表面化さえしなければ。 問題という形で表面化させない装置(結界)があれば。
しかし、震災の影響によって結界が機能停止した今は?
封印されてきた様々な弊害は、「問題」という形で社会に表面化し、解決することを迫っているような気がする。
今、長年抱えてきた様々な弊害の蓄積は結界の崩壊と共に「問題」という形で社会に表面化し、象徴的に現象化しつつある。
大津イジメ事件と大衆心理の暴走然り、尖閣・竹島といった日本国の自我境界に関わる騒動然り、オスプレイや原発の問題然り、尼崎の事件然り・・・他にも何か起きる可能性は0じゃない。弊害は他にもあるかもしれない。
弊害が表面化しているということは、「解決の時が近い」ということでもある。これはチャンスだ。

実は、尼崎の事件とそっくりな事件が北九州市で2002年に起きていた。
北九州(福岡)から近畿の結界へ。似たような問題が現場を移動して現象化。
この二つの地域、古代では邪馬台国と大和朝廷の支配地域だった。個人的に、この二つの国は時代が違うだけで同じ国(同祖)だと思ってる。(ちなみに邪馬台国の「台」は「たい」だけでなく、「と」とも読む)

場合によっては、上に書いた「支配」と「弊害」の起源、大和朝廷どころか邪馬台国の 時代にまでさかのぼる可能性も・・・ ?
もしもその頃からの「弊害」が尼崎の事件でも象徴的に現象化したのであれば、角田被告が卑弥呼(アマテラスのモデル?)で、その片腕であった弟の角田正則が卑弥呼の弟(スサノオのモデル?)を象徴してるんじゃないか? 
・・・などと嫌な妄想をした自分がいる。

2012.11.2追記
前記事より一部抜粋。

実は日本という国、自我境界の発達スピードは遅め。脆弱な自我境界しか持たない自我を何とか安定させ守るために、「引きこもり」と「独裁者(侵略者)」の間を行き来したことも。今もその間を漂っている。個人の中に「引きこもり」と「独裁者」が同居している。パブリックを忘れ、自分(プライベート)しか存在しない世界に引きこもり、外界を自分の延長にしてしまうことで、自我境界は崩れていく。
逆に、自我境界と自他分類を確立していけば、「独裁者化」を防ぐので自分と他人の双方を尊重することができる。

・・・お気づきだろうか? 尼崎事件もまた、「独裁者(侵略者)」と「引きこもり(監禁)」が合わさっている犯罪であることを。
角田被告は独裁者。自我境界を失い支配されていく人々と同様に、「自分でない者」を自分の一部 として支配することでエゴと人生の充足を依存していた「独裁者(侵略者)」もまた、自我境界を失っている。
独裁者は自我(エゴ)を他人に依存しているだけで、自立してなどいない。 「己に従う者=支配に泣き寝入りする者」という共犯者が居るからこそ、自分の権力が維持できているに過ぎない。だから一人では何も出来ない。
独裁者に強大な力を与えているのは、それに従っている者達自身なのだ。
(この事件が不気味なもう一つの点は、事件の性質同様に権力主義的な波長の強い一部警察やマスコミが共鳴したかのように事件の捜査・報道で致命的なミスを犯すこと。歪んだ権力の運気が崩壊する傾向は、震災以降顕著だ)


自我境界が脆弱な国民性2
邪馬台国と大和国?
いじめっ子を憎む心の落とし穴?

2012年10月 9日 (火)

自我境界が未発達な国民性2

「生意気」と歩行者3人はねる=殺人未遂で作業員逮捕-埼玉県警

埼玉県警所沢署によると、「道路を広がって歩いていたので注意したら、生意気な口をきかれ頭にきた」と容疑を認めている。(中略)
容疑者は運転中、白線で仕切られた歩道を約10人で2列になって歩いているグループを発見。車を降りて注意したところ、口論となった。会社員らは最後は「すみません」と謝ったが、同容疑者はいったん立ち去った後、車をUターンさせるなどして追い掛けて来たという。

◆対立する者同士には共通点がある?
被害者と加害者。立場は違うが抱えてる問題は同じかもしれない(妄想)。
自分の意図や行動を邪魔されたり否定されると自我や人格を損なわれたと思い込んで被害妄想的な恨み(認知の歪み)を抱くタイプの人は最近増えてる。

被害者は自分の歩き方を否定された(注意された)ことに人格を否定された被害妄想的な恨みを抱いて反撃し、
加害者は自分の行動(=運転)を邪魔された挙げ句に注意したら期待通りのリアクションをしなかった(=注意という行動を否定された)相手に被害妄想的な恨みを持った。
で、被害者の反撃に車体で反撃してお縄。

ギャグみたいな話だけど同じ仕組みのトラブルは最近増えてるから困る。
そういうタイプのトラブルを抱えて占い師に相談持ちかけた挙げ句、期待した結果が得られなくて逆ギレする人は占い業界全般で数え切れない。
「百パー相手の落ち度でアナタは何一つ悪くない」と言ってもらうために来たのに言ってもらえず、「わざわざ金かけて占いしに来た」という行動を占い師から全否定された挙げ句、トラブル解決のためには被害妄想の修正が必要だとか言われてしまう。
あのタイプの被害妄想を抱えている人の目から見れば許しがたい人格否定と侮辱になってしまうのだろう。
このタイプ、前回の自我境界が未発達な国民性1で言えば、「独裁者タイプ」に該当する。

◆「パブリック」の欠落と孤独
そういうタイプの人は、本来自分とは別モノ(=自分とは別の動きをする)である他人や公共物、公共の場といった「パブリック」を自分の一部、自我の延長として脳内処理してしまう印象がある。いわばパブリックがなくなって全部プライベートになっている。自他の分類をするという作業がうまくいってないか、欠落している。多分、普段から自他を分類する機能がしっかり動いてない。
その人はパブリックの存在しない世界、自分(プライベート)しか存在しない世界にいる。自分しか存在しないので、独りぼっちだ。
実際に孤立し、孤独感を抱える人もいる。

自他分類機能が未発達なのは、自我境界が未発達だということ。
自他分類、自我境界がゼロならコミュニケーションは成立しない。「他人(相手)」の存在を認識せずにコミュニケーションは成立しないからだ。ゆえに自我境界と自他分類はコミュニケーション能力の発達に不可欠だろう。

◆ネットでのやり取りは自他分類機能が低下?
自他分類が欠落し被害妄想的な認知の歪みによるトラブルはネットの世界でとても多く見かける。
例えば、被害妄想的な認知の歪みが「私と逆の意見(=私の思考を肯定しない=私の思考を否定する)人間は私の思考の源である私の人格を否定する敵だ」という図式の思い込みを無意識下に作ってしまうと、自分と違う意見を書き込んだ見ず知らずの他人(この人もまた、自分と違う考え方をする人間を憎むような言葉遣いで主張していることが多い)を一方的に恨み攻撃し、本題を忘れて互いの人格をけなしあうことが目的の口論になっていく光景など日常茶飯事だ。

これは恐らく、ネットでのやり取りは自他分類機能を動かしにくいからではないかと思っている。今までの時代は、人間同士が自分の個人的意見や個人的感情(=プライベート)について文章を使ってやり取りする場合、お互いに相手の顔も声もよく知っている者同士で行うことが大半だった。要するに、互いの間で既に自他の分類がしっかり成立している関係だ。けれどネットの世界では匿名性が高いので、顔も声も知らない相手と文章でやり取りするケースが大半になる。すると、頭が自他分類をするときのカギになっている「顔」と「声」のデータが手に入らない状態でのやり取りになる。五感で相手を感じ取れないバーチャル世界の匿名コミュニケーションが持つ特徴か。
これが自他分類機能をしっかり起動させにくくしているのではないか? などと妄想した。

で、普段から頭が自他分類の作業をあまり行わないやり取り(バーチャル世界の匿名コミュニケーション)にばかり偏ったライフスタイルで生きていると、リアルの世界でも自他分類機能がとっさに起動しなくなって「パブリック」を忘れたり、パブリックとプライベートを混同・誤認するような現象が起こりやすくなってるんじゃないかと思った。
よくブログやツイッターで「口を滑らせて炎上」という現象が増えているが、これも自分が「パブリック」な場所で発言していることを忘れてしまっていることに起因するのではないだろうか。
(迷惑行為や違法行為の写真をUPしてしまう現象なんかもその最たるもの?)

匿名性の強いネットの世界は気兼ねなくプライベートな本音をだだ漏れにして鬱憤を吐き出すこともできる便利な世界ではあるが、実はパブリックな世界でもある。自分の自我境界を保つためにも、被害妄想やトラブルを防ぐためにも、自他分類の作業だけは忘れずにやっておきたいものだ。

◆国民の不安定な自我境界が国の運勢に反映!?
国民の60%に自閉気質の遺伝子があるという日本人は、ただでさえ自我境界が未発達で脆弱になりがち(気質的な不得意分野?)。そこへネットが普及していけば、もたらす影響は大きい。バーチャルに偏って自他分類をする機会や頻度が減ってくれば、自我境界の発達はさらに抑圧されていく懸念。
自我境界が未発達だと過激な思想や大衆ヒステリーやデマにも簡単に煽動され、流されやすく釣られやすい。震災時におきた被災地への過度の感情移入から発生した諸々の現象も典型例のひとつ。
最近の典型例では、大津いじめ事件を引き金にしたネット住人達の暴走。
国民の自我境界が未発達(=脆弱)なことが露呈した「ネット住人暴走事件」の直後、そんな「自我境界の脆弱さ」を象徴的に体現するかのような運勢が日本国そのものにふりかかった。

それが、竹島の騒動と尖閣の騒動だ。日本国の領土・領海・領空の境界は、即ち日本国の自我境界。それにちょっかいを出されるというのは、オカルト的に見ると国の自我境界が不安定で脆弱になっていることを象徴する。自我境界即ち「自分の輪郭」が保てていない感じ。
これは、国民の未発達で脆弱な自我境界が国の運勢に反映したのではないかと思う。国民の集合無意識が国の運勢を作っているのだ。国の運勢を作っているのは、私達国民だ。私達がこの国を作っている。だから私達の有様が国の運勢に反映するのは、オカルトでも何でもなく、ごく自然なこと。

実は日本という国、自我境界の発達スピードは遅め。脆弱な自我境界しか持たない自我を何とか安定させ守るために、「引きこもり」と「独裁者(侵略者)」の間を行き来したことも。今もその間を漂っている。個人の中に「引きこもり」と「独裁者」が同居している。パブリックを忘れ、自分(プライベート)しか存在しない世界に引きこもり、外界を自分の延長にしてしまうことで、自我境界は崩れていく。
逆に、自我境界と自他分類を確立していけば、「独裁者化」を防ぐので自分と他人の双方を尊重することができる。
(自我境界の脆弱さは為政者にとって好都合でもある。人々を簡単に支配できてしまうのだ。意識ごと支配してしまえば、多少のことは都合よく泣き寝入りしてくれる)

私達が己の自我境界をしっかり保ち発達させることが、日本国の自我境界を安定させ保持するための身近で強力な開運法になるかもしれない。バーチャル・リアルを問わず自他分類作業を忘れずに行うことは、自我境界の発達を促進するトレーニングになる。だから人々がこの作業を忘れずに行うこと自体が、ひいては日本の集合無意識規模での開運法になるかもしれない。

自我境界が未発達な国民性3
日本の個性化←日本が集合無意識レベルで自分の輪郭(自分という個性の姿)をキープしにくい背景?
暴走せずに自分のペースを保つこと←必要ない所でムダに自分を押し殺すと自分のペースは保ちにくくなる。繊細であればなおのこと。

なぜ日本の若者は画一化が進むのか?←外部リンク。「子供を産まないことによる閉塞感」は「子供を産まないことによるプレッシャー」がより近い気がする。


2012.10.23追記
遠隔操作、少年の「無罪」申し立て 誤認逮捕で地検
遠隔操作(ウイルス)と誤認逮捕。これも自我境界の問題を象徴する現象だ。IT・医学・心理問わず、昨今の「何かに感染する」という現象が多発していること自体、自我境界の不全を象徴してる気がする。

自我境界が形成不全な人←外部リンク

2012年10月 4日 (木)

「草食化」という本能?

人類(特に先進国)が少子化したり、男女共に草食化しつつあるのはある種の本能かもしれないと思う今日この頃(妄想)。

「恋愛」というと、今までは生身の人間にアニマやアニムス(※)を投影して交際を求め叶えようとするタイプの恋愛(ある意味互いに相手をスクリーンとして利用する取り引き・駆け引き・協力関係)が主流だった。しかし最近は他人をスクリーンとして使わず (ゆえにそのためのやりとりをせず)もっと自分のアニマ・アニムスに都合よくカスタマイズ出来るような別のもの(例:いわゆる『二次元嫁』やオリジナルキャラ)を利用することでより直接的に自分のアニマ・アニムスを感じとり対話することで成長・成熟しようとする傾向を感じる。この成長や成熟は、従来型の「男女の駆け引き」を用いてなされる成長・成熟とは少し趣が違うかもしれないが、 それはそれで従来時代には無い新しい可能性を生む。
投影か直接対話か。本当に愛している存在がアニマやアニムスであるとすれば、その場合はどちらの手段がより本質的な恋の形と言えるか。どちらがより本質的な意味での「交際」と言えるか。
・・・それが草食化の背景にあるもの?

恋愛が社会的なものから、より個人的、精神世界的、内面的なものに変化してく感じ。そんな変化の流れ次第では、やがて恋愛の定義すら変容しうる。
でも今はまだ、従来社会、従来時代の発想や価値観をまだ引きずったまま(植え付けられたまま)抜け出せずにいることが人々の中で様々な神経症的葛藤を生んでいて、色んな社会現象にもなっている?
例えば結婚。本当は結婚なんか興味ないのに従来の価値観や発想に流され支配されて結婚に無関心なこと自体に不安感や劣等感を植え付けられ(または別の不安を結婚に関する不安にすり替えられ)、 そんな不安や劣等感から逃れるためだけに心の底ではしたくもない婚活に 駆り立てられエネルギーをすり減らして「婚活鬱」になったり、そんな不安や劣等感に駆り立てられて、不安や劣等感を原動力(動機)にした心の底では望まぬ結婚をした挙げ句に離婚する。 そんなケースも増えてる懸念。
そんな「望まぬ結婚」の末に発生する「望まぬ妊娠」や「望まぬ出産」、「望まぬ子育て」。それが堕胎率の上昇や子供の虐待(時には離婚後の片親や再婚相手からの虐待)増加に関わっているとしたら・・・

増えつつある「草食系」、ないし「草食系オタク」とか言われる人々が本当に結ばれたい相手は生身の人間ではなく、己の心の中にいるアニマやアニムス(共に人生を歩み共に生きるべきもう一人の自分)かもしれない。
アニマやアニムスと結ばれること、ともに人生を歩むこと。ともに人生を創ること。その先には従来の発想とは異なる新しい可能性があるだろう。「望まぬ結婚」の発想とは全く異なる可能性の人生が。
もしも「2次元の存在とは結ばれない」と嘆くなら、心の中で2乗すればいい。するとその存在は4次元(精神世界)のものになる。そうすれば3次元(物理世界)の制約を超えることが出来る。液晶画面だって簡単に超えられる。
どんなキャラも最初は作者の精神世界に居たんだから4次元存在である。それが作品発表によって多くの人々の精神世界へ配布され、配布された先で新たな命(=アニマ・アニムス)を吹き込まれたわけだ。
要するに、そのキャラは最初から液晶画面よりもはるかに近くはるかに自由な場所に居たのだ。自分の心の中なのだから。そしていつでもどこでも対話が出来る。

草食化は少子化を招く。それは人類という種族が、命を量産させることよりも命ひとつひとつの生き方を目に見えぬ本質的な面で充実・進化させていこうとしていることを意味するのだろうか(それで恋愛の形も本質重視?)。
量産体制を終わらせ質の向上へと種族を移行させるのに「草食化」は好都合? それは本能?  
量から質への移行。これはもしかするとこれからの大きな変化を表すキーワードの一つ?
(産業革命から作られた近現代およびその文明は量産重視。大量生産+大量消費=『使い捨て』。雇用や人材、命すらそんな発想で扱うことも。恋愛にいたっては、言うまでもない。)

出会いを探すなら、まず自分の無意識の中から探す。最も近く、最も気付きにくい場所から探す。
これからの時代、中にはそういう人が出てくるかもしれない…
オーソドックスなやり方だけが「正しき主流」とされる時代は、終わりつつある。
「草食化」という本能があえて発動して人類の数が大幅に減るのであれば、人類は絶滅しない。おそらく、適当な数に落ち着いてより質の高い充実した新たな進化と発展を遂げるだろう。それは今までの発想とは全く別の意味で「繁栄」とさえ言えそうだ。今より地球に優しい繁栄かもしれない。
「本能」とは、常に生命をより良い方向へ進めること、それを支えることが大前提なのだから。

アニマ・アニムス:理想の異性像。アニマが女性版でアニムスが男性版。その特徴やキャラデザインは本人の内部に隠された個性や意欲や可能性を象徴することが多い。「自分」という生命体の一部と言える。ユング心理学の用語。
(結婚した人もそうじゃない人も、結ばれたアニマ・アニムスを人生に生かすこと自体は可能。アニマ・アニムスとの交際と実際の恋人との交際を同時進行したって浮気になどならない。なぜなら、彼・彼女は自分の命の一部だから。何があろうと自分の命とは一生添い遂げるしかない。中には自分のアニマ・アニムスを生かし共に人生を生きた結果、『望む結婚』に至るケースもあるだろう。それが唯一の正解ではないが、人の数だけあまたある幸せの一例かも)

【ほぼ同じテーマを妄想した記事】
本気で架空のキャラを愛する人々
エア恋愛の意味
探し求める存在は、もしかすると・・・
童貞のまま30代で死んだ男の誕生日
恋人は、誰よりもあなたのそばに?
結婚相手より生き方をさがせ?


【余談】
量から質への移行は、産業革命を母型にした量産&使い捨て重視の従来文明を維持できなくさせていく。いわば文明のアポトーシス。アポトーシスは、「破滅すること」を目的にはしていない。「より良くなること・進化すること」を目的に行われる事を、忘れてはいけない(例:おたまじゃくしはシッポの細胞が減少するにつれ手足が生えてカエルになる)
(草食化だけじゃなくて、ニートや新型うつ(非定型うつもその一種?)←この心療内科自体が病気じゃないかと言う人もいるw

人間を楽器に例えた恋の話

« 2012年9月 | トップページ | 2012年11月 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト
無料ブログはココログ