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2012年8月17日 (金)

日本人の暴走と傷?

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

◆犯人の供述に潜む矛盾
大津市教育長、襲われけが 容疑の19歳「許せず」

逮捕されたのはさいたま市の私立大学1年の男(19)。
(中略)男は「大津市の中学生のいじめ自殺問題に関して、教育長が真実を隠していると思い、許せなかった。殺そうと思った」と供述。容疑を認めているという。

大津市教育長、頭の骨折も 「襲撃支持」の電話相次ぐ
沢村教育長は中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題の対応に当たっており、大学生は「真実を隠していると思い、殺そうと思った」と供述。殴打後、針金で首を絞めようとした疑いもあり、強い殺意があったとみている。大津署は16日、大学生を送検した。

・・・『真実を知っている』前提で殺しに行ったら真実を隠滅する口封じになってしまう。真相解明を求める遺族の望みを絶つことになる。犯人の矛盾した供述は、義憤を装ってはいても実際は事件の真相解明や遺族の救いより自分個人の感情を満たすことが無意識のうちに優先されている証拠だ。 そういう犯人を、大衆の一部は「自分の願望を代行してくれた」と喜び祭り上げ、忠臣蔵よろしく英雄視している。これは、日本の伝統的な「とあるメンタリティ」が関わっているのかもしれない。

◆時に優しく時に悲しいメンタリティ
「問題解決よりも感情を満たす手段が優先」・・・日本に長い間存在しているこの歴史的メンタリティが色んな物事に見え隠れ。大津いじめ事件での大衆心理、裁判員制度、震災時の大衆心理、フリーチベットブーム、学生運動の過激派、先の大戦、2.26事件、忠臣蔵etc・・・
これが日本人を暴走させ、そして傷つけているものの一つかもしれない。
このメンタリティは、「問題が解決できなくても気持ちを紛らわせることが出来るように」という理由で作られたものかもしれない。いわば、「問題解決は望めない」という前提での発想だ。そんな発想が生まれるほど「解決できない問題」が昔は沢山発生していたのかもしれない。泣き寝入りしなければならないようなことも沢山あったんだろうか。
「問題解決は望めないから、せめて少しでも労わり心だけでも慰めてあげよう」「問題解決は望めない。でも、周囲が同情し優しく慰め気遣ってくれる」といった現象も多かったかもしれない。
同情は一種の愛情表現。ただ、これがアンバランスに発達して過度の感情移入と内面投影によって生じたストレスの発散欲求から来るヒステリックな大衆心理の暴走に結びつくこともあり、多分諸刃の剣だ。
(一部の環境保護団体や動物愛護団体もそういうところある?)

問題解決の発想が薄く、ゆえに問題解決能力の発達を封じやすいこの伝統的メンタリティ、昔の為政者(お上)にとっては好都合だったろう。問題解決能力を封じれば、問題を追及されることもないからだ。ただし、問題解決能力を封じることで本当は解決できるものまで解決できない(させない)現象も頻発し、水面下のストレスは確実に蓄積していく。そしてそんな民衆のストレスが外部の物事へ投影され、その投影をきっかけに爆発して民衆を八つ当たり的な動きへと暴走させることもある。
いじめっ子を憎む心の落とし穴参照。大衆が本当に憎んでいるのはいじめ加害者や教育長ではなく、そこに投影された己の解決能力を封じる癖とそこから生まれたストレスだ)

◆アンバランスな同情心が生み出す悪循環
「問題解決よりも感情を満たす手段が優先」・・・大津いじめ自殺事件でこのメンタリティが暴走した大衆心理は嫌がらせだけではなく、とうとう暴力事件まで起こしてしまった。まんま忠臣蔵だ。そこに「問題解決」という要素はない。封じられている。
これら一連の暴走の原動力は「悲劇的なニュースに強く感情移入して発生した自分個人のストレスを晴らすため(=憂さ晴らしのため)」であった場合、「自分個人の憂さ晴らしのために他者を追い詰め満足したい」ということになる。 皮肉にも、同情心が新たないじめにつながっていくのだ。それだと、亡くなった少年は死後も憂さ晴らしの道具として利用されていることになってしまう。
同じメンタリティをもったいじめっ子達によって「八つ当たり道具(=感情を満たす代替手段)」にされ死に追いやられた挙句、死後はその痛ましい死がアンバランスに同情した大衆心理の憂さばらし(と正当化)のネタにされる・・・もしそんなんだったら悲しすぎる。
時代に合わないメンタリティは、それが善意を由来としたものであっても、かえって人々を傷つけることがあるのかもしれない。バランスの悪さは、危うさに通じうる。

◆日本人っていわゆる「女性的」?
件の伝統的メンタリティを表現した古い有名な戯曲といえば「忠臣蔵」。そこに登場するキャラのブチギレ方は、主君とその忠臣を含めていわゆる「女性的」と表現されやすい類かも(フェミニストの方スイマセン;)。目の前の物事とは異なる過去の鬱積したストレス(解決できなかった問題に起因する)まで全て目の前の物事に投影してぶつけてる感じ。本人も理由の分からない無意識的な怒りに近い。実際、浅野内匠頭が吉良へ暴行した直後のうわ言は、そんな印象。
で、この手の歪んだ怒りを爆発させた女性に理不尽な怒りをぶつけられた男性は多いかもしれない。そういう時、男性側はとりあえずおとなしく聞き流すか黙って泣き寝入りするのが無難と考えられてきた。
(いや、八つ当たりする側とされる側の男女が入れ替わるケースも同じぐらいありますよ?)

◆加害者救えば周囲も救われる?
でもこれからの時代は、本人の心が歪みを引き起こしている原因にアプローチして無意識下に隠蔽された鬱憤と向き合い、理解し、解決を促す発想を持つべきなのかもしれない。
これを個人単位から社会に当てはめると、イジメなどの「八つ当たり行為」を見かけたら、本人がその原因と向き合い理解し解決し、自らを救う(=八つ当たり欲求から抜け出せる)ことができるように周囲が協力する発想がカギになるだろうか。社会にそういうシステムがあってもいい気はする。被害者と加害者の双方をそれぞれの適切な方法で救う発想は決して無意味ではないはず。
また、八つ当たり(イジメ)という行為を実行してしまう前に、行為への衝動を覚えた時点で本人が密かに相談できる場があると、加害者や犠牲者の発生を予防しやすいかも。
見落とされがちだが、被害者を救うのと同じぐらい加害者の救いも重要だ。加害者を救えば周囲も救われる。誰も加害者のケアをしないからイジメ(八つ当たり)に発展し、そして同じ犠牲が繰り返される
イジメ被害者だけではなく、加害者も暴走する大衆も、等しく「ケアされ救われるべき存在」なのかも知れない。

◆感情を満たすための暴走と傷
60数年前、貧しさに耐えていたある国の大衆心理が社会正義に偽装した感情的欲求を強く高めて社会的なうねりを作り始めた。やがてそんな大衆のニーズに合わせたマスコミが悪乗りしてうねりに参加し、うねりは津波となって国民(=主権者)達の理性を押し流し、その国の中枢を支配した。
社会的正義に見せかけた感情欲求を満たすこと。それを目的にして、その国は戦争を始めた。帝国主義を選んだ社会では、そういう大衆心理をキープすることは好都合でもあった。
結局、いくつも町が燃え、さらに貧乏になって負けた。結局、感情欲求は満たされなかった。その代わり生まれたのが「感情を満たすための戦争をして生まれたトラウマ」 。その国は、今もそれに苦しんでいる。 大衆は戦火に苦しんだ当時の人々に同情することは出来ても、未だトラウマを脱出するまでには至っていない。

個人単位だろうが社会単位だろうが、「自分個人の感情を満たすために人を死に追いやった」という状況は、かなりの確立でトラウマを生む。 ましてや主権者達が戦争という手段を採用するとなれば、自ら数え切れないほど人々死に追いやるわけだし、その中には家族も身内も自分も入ってたりするわけだから、そのトラウマは察するに余りある。
(大衆心理の暴走例としては、暴動よりもはるかに危険)
19歳の犯人は、幸運にも「自分個人の感情を満たすために人を死に追いやった」というトラウマは免れた。前科と黒歴史は免れないが。

◆目覚めよわれらが解決能力
昔と違って、日本最大の権力者は私達だ。調査と処分の権限を持つ「お上」は私たち(有権者)が任命している。だから私達はお上に「お前ら仕事しろ」と言えるのだ。昔なら打ち首モノだが。
私達が権力を作るので、私達がバカだと権力もバカな仕事しかしなくなる。権力は私たちの鏡だ。バカな仕事しかしない権力を是正できれば、私達は己のバカを是正する見込みはあるということだ。
(良い子のみんな、これ社会か公民で教わるから忘れないで)

私達があのメンタリティーを抜け出して変わることが出来れば、権力の姿も今より変わるだろう。既に変化の波は集合無意識のうねりに後押しされ、寄せ始めている。
今は「抜け出すべきもの」を自覚させるためにそれをありありと見せ付けられるような現象が起きているのだと思うことにした(妄想)。
「目覚めよわれらが解決能力」・・・古いメンタリティやアンバランスな同情心の変わりに、そんな発想を使ってみるのはいかが?
その発想を用いて、「憂さの原因と向き合い理解し解決し、自らを救う」というテーマに取り組むこと。それは、大津の騒動やイジメ問題だけのことではない。人生を生きる誰もが必要としうる取り組みでもある。


余談:
「忠臣蔵的メンタリティからの脱却」を予兆させる出来事が既に今年の1月に起きてたかも。
パンツ一丁の訪問者←彼が侵入した江戸城鬼門に位置する平川門は「松の廊下」の犯人浅野内匠頭が切腹するとき通った門でもある。

この国は、自ら暴走しトラウマを背負うという自傷行為をした直後、GHQの面々から「10代前半の精神年齢」と評されたことがある。解決能力を封じ感情を満たすことに誤魔化され本質を見ずに暴走する衆愚から脱却すること。精神年齢を上げること。思春期を乗り切って個性化すること。それがこの国を守る最大の秘訣かもしれない。

8月21日追記
教育長襲撃、生徒の遺族「暴力に訴えても解決しない」

私どもの起こしている裁判に共感して応援して下さるのはとても嬉(うれ)しい事です。しかしながら暴力に訴えることだけは決して行わないでください。息子の本望ではありません。今回の問題に対する意見として、皆様方のお住まいの地域の学校や教育委員会、市や県に対して再度見直しを図っていただくという訴えや行動を起こしていただければ、真の解決に結びついていくものと考えております。

ケガ人を出す行為だけではなく、デマ拡散や嫌がらせによる被害もれっきとした「暴力」だ。暴走してきた大衆は、被害者のお父さんが出したメッセージ全文をよく読んで肝に命じるべし。悲しみを背負い一番静かな環境を必要とするべき遺族に「便乗憂さ晴らし暴走」の沈静化役なんかさせるな。


【多分同じメンタリティがからんでそうなもの】
いじめっ子を憎む心の落とし穴?
民衆の過失割合
死は感情を満たす道具?
被災地を思う時の注意

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