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2012年8月31日 (金)

感情労働と自他の境界

感情を使う仕事につく人の「心」の守り方

たとえばサービス業や営業職の人は、苦手なお客さんにも常ににこやかに対応することが求められます。苦情の対応に追われるコールセンターでは、怒鳴り声にもやさしい声で受容的に対応することが求められます。
(中略)
このように、「人相手」の仕事につく人の多くが、決められた感情の管理を求められ、こうした規範的な感情を商品価値として提供する仕事を「感情労働」といいます。
(中略)感情労働は、とてもストレスフルな仕事です。
不快なこと、失礼なことを言われたら、つい嫌な気持ちが顔に出てしまうのが人情ですが、感情労働においては、個人的な感情を仕事に反映させないように、セーブすることが求められます。
(中略)周囲も本人も、仕事の顔は実際の本人と裏表なく一致しているべきだと、考えやすいものです。
そのため、感情労働につく人は精神的に消耗しやすいのです。とくに、使命感がとても強く、ひたむきな気持ちで仕事をしている人ほど、突然ポキッと心が折れてしまうような虚無感に襲われることがあります。これを「バーンアウト」(燃えつき症候群)と言います。
(中略)「こうあらねばらない」という仕事上の「ペルソナ」(仮面)に縛られすぎてしまう人ほど、バーンアウトするリスクを抱えているのです。

(「ペルソナ」という心理学用語は、私の好きなユングの概念だ。
解説

◆ペルソナ作りは「実用重視」で?
使ってて疲れるペルソナは、実用性が無いのでやめた方がいい。また、社会はむやみに実用性の無いペルソナを求めないほうがいい。
私の職業(占い師)も感情労働なので、クライアントが誰にも言えない心の内を吐き出しやすい雰囲気(ペルソナ)を身にまとう必要がある。中には犯罪めいた過去や危険な心の闇、世間的には後ろ指を指されたり不快感を抱かれうる問題を抱えている人もいる(それを言葉にして吐き出せるうちはまだマシなのだが)。

しかし占い師側はそれに感情移入して怒ったり悲しんだり非難し反省を求めたりすることはしない。それでは「吐き出しやすい雰囲気」をまとうことが出来ない。それよりも、問題の背後を見る。

占い師の持つ「心の内を吐き出しやすい雰囲気」には二種類あると思う。一つは何でも受け入れて肯定してくれるタイプ。何を話しても決して否定はせず、同意してくれたり同情的なリアクションをしてくれるタイプ。イメージとしては「甘やかしてくれる母親」。このタイプはお世辞を言ってくれることも多い。
時には実際の占い結果よりも相手が期待し喜ぶ占い結果を言ってくれることがある。「気分が良くなるから吐き出したい」と思わせる感じ。
このタイプは典型的な感情労働者のイメージに近いかもしれない。実際、このやり方(サービス方針)は多分ペルソナに縛られてペルソナを演じることに疲れバーンアウトしやすいと思う。
(とはいえ、そのやり方を一番得意とする占い師さんもいらっしゃるので、一概には言えない)

もう一つは否定も肯定もしないが、話を良く聞いて深く理解しよう・解決の糸口を探ろうと集中するタイプ。同情的なリアクションもせずお世辞も言わず無愛想だが、「どこがどう苦しいのか」をマジメに探ろうとする医者みたいなイメージだ。母性的ではなく、男性的かも。
相談者にとっては、とりあえず否定的なリアクションはしてこないし自分を分かろうとしてる様子を見て無意識に心の吐露を促されていくような感じ。
相手のリアクションを期待して相手に意識を向ける必要がないので、相談者は話しながら意識の全てを己の内面に向けることが出来る。

私の場合は後者だ。私自身が積極的に感情を使うというよりも、クライアントの感情を客観的に冷静に観察する作業に徹することで過度の感情移入を避け、占いの作業効率と心の保護を兼ねる。
クライアントが無意識に前者のような同情的・肯定的リアクションを期待していた場合、不満を抱かれることもある。感情活性が静まっているので、思いやりの無い冷血な人間にみられることもある。
時には「あなたには優しさのかけらも無い。占い師失格だ!」「私がどんなに苦しんでるかわかりますか!? 分かりませんよね!?」とかキレる人もいる。そのリアクションすら相手の状態を知る貴重な手がかりになる。相手が不満をぶつけてくることでより一層相手の心理や問題の背後が見えてくるので、それがマズイことだとは思ってない。むしろありがたい。

◆「不快感」はあくまで相手の個人的問題
そもそも、「相手が不満を持ってはいけない」などと考えたことが無い。誰にだって不満や不快感を持つ自由ぐらいある。相手が不快感を表明したからといって私までストレスに感じることは無い。個人的な理由と原因で不愉快という感情を選択したのはあくまで相手だ。私ではない。どんな感情を選択するかは相手の自由だ。
この発想は、感情労働全般、とくにクレーム処理にもオススメ。相手が怒ってるのは自分に対してではなく、相手自身が抱える自分個人の不快感、自分自身の抱える事情に対して怒っているのだと思うこと。例え無責任に見えても、ペルソナの裏ではそう思ってるといい。実際、相手は己の怒りを投影している人間個人には何の恨みも無い。八つ当たりってのは投影相手個人への怒りや憎しみが原因ではないのだ。原因は別の方にある。ただ、その原因を目の前の人間に連想・投影・同一視してしまっており、いわば自他の境界を失った状態にある。
「自他の境界をしっかり保つこと」。感情労働だけではなく、人と接する仕事の人はここが大事だ。相手が境界を失っているからといってこちらまでそうなる必要はない。

私の場合、自他の境界を失った相手への受け答えに意識を向けるのではなく、あくまで自分の仕事に意識を向ける。そういう相手の言動を無視して仕事(占い)の本質に焦点を合わせることが、相手に巻き込まれない方法のひとつだ。
自分の中で想定していた通りの同情的なリアクションを裏切られて「私の苦しみなんかどうでもいいんだろう」「私なんかどうなってもいいと思っているんだろう」というタイプの怒りを発するお客様(電話占いの世界では珍しくなかった)には、「ココへ相談しに来る方々は皆さん相当苦しんでます。よほど悩まなければまず相談には来られませんね。」とか何とか、KYな返事をして相手を白けさせ、意識の向きを変えさせることもある。
「せっかくご相談いただいたことですし、『どんなに辛いか』を見て終わりにするよりもその辛さの背景から糸口を探らせていただいた方がお役に立てるかと思いますが、いかがでしょうか?」

相手がそういうのを求めていなければ、そこでこの占いは打ち切りだ。打ち切りになっても、それを失敗だとは思わないし、打ち切りが自分の落ち度だとも思わない。相手が「自分の求めているものはこの占いではない」と気付くことができただけでも上々だ。余計なお金は使わせなくて済む。
「ソレに金を使うべきか否か」を客に冷静に判断させてしまうのは、客の心理をおだてたり煽ったりしてでも業績や売り上げUPを優先する(それが目的になっている)商売にはタブーかもしれない。
とはいえ、こういうのだってある意味サービス精神になりえないか?

◆作業中にだけ現れる人格?
「空気読めないアスペ風キャラ」などと評されることもあるが、それがいわば占い師としての私のペルソナだ。作業効率と実用性を追求したら自然とそうなっただけなので、わざわざ意識的に「演じる」必要がない。だからこのペルソナのせいで疲れることは無い(半分素だし)。この作業をしていないとき(例えばイラストを描くとき)は、また別の性格が表に現れる。
(なお、私のペルソナをアスペルガーに例えるのはアスペルガー障害に失礼だ)
要は仕事で使う脳の作業モードをそのままペルソナのキャラベースにしてしまえばいい。実はこれを書いている今も、私の中から占い作業中に現れるKY人格のペルソナを呼び出して書いてみている。

このKY人格を指して「淡々としているけど、本当は優しい方ですね」と言われることもままあるが、それ自体、私の素顔ではなく、あくまで職業上の作られた顔(キャラ)でしかない。
「ま、そういう商売ですから」とKYに返すことすらある。

感情労働者ならしばしば経験することだが、客が感情転移を起こして自分の仕事上のペルソナに恋をしてしまうケースがある。自分自身じゃなくて、仕事上の顔(=商売道具)に恋されちゃうのだ。
(そして占い師がそんな恋の相談を受けたりする)
私にもそういう経験はある。その場合、相手が惚れたのは私じゃなく、私の商売道具だ。いわば、自分が持ってきたカードや水晶玉やテーブルに客が突然愛の告白をしたのと、あまり変わらないと思っている。だからそう伝える。感情転移で占い依存症になられるよりはマシだから。

◆「相手から感情を満たしてもらうこと」を目的にしないで
コールセンター、営業、病院、カウンセラーetc・・・さまざまな感情労働には、だいたい「相手の一時的な感情を満たすこと」以上に大事な使命がある(一部の接客業は除く)。その使命を果たすこと。客がそこへ来た本来の目的に応えること。その結果、相手が喜ぶか特に喜ばないかは相手の自由じゃないかと思っている。相手の感情を満たしてやることよりも、相手に本来の目的へ意識を向けさせることが重要だ。そうすれば、相手もそれを差し置いて八つ当たりを優先する方向には意識が向かわなくなる。
(最初から純粋に八つ当たり目的のみで来た客は除く。それはただの営業妨害であり、客とは言わない)

リンク先の記事にある「使命感がとても強く、ひたむきな気持ちで仕事をしている」という状態が「仕事をしている自分の感情を満たすために(達成感ややりがいを味わうために)相手の肯定的リアクションを求める」という発想からスタートして作られていると、特にバーンアウトしやすいかもしれない。相手の肯定的リアクションに使命感やモチベーションを依存しすぎて不安定になるからだ。
感情労働者とその相手(客)。どちらもお互いに、「相手に自分の感情を満たしてもらうこと」を目的にしてはいけない。もしそれをすれば、「自分でないもの」を自分の一部に組み込んでしまうことになる。組み込んだ他人が自分の思い通りに動かないと自分が保てない・動けないことになってしまう。自分と他人の境界を崩すことは、自分の輪郭(自分本来の姿)を失うことでもある。自分と他人、両方を否定する行為だ。
そして何より、「相手に自分の感情を満たしてもらうこと」に執着していると、類は友を呼んで同じ執着を抱えた客に出くわしやすくなる。

(なお、もしも私の占いで自分の感情が満たされてゆくのを感じたとしたら、それはあなた自身が私の占いを使って自ら己の感情を満たすことが出来た証です。自分の感情を満たす能力は、自分の中にこそ眠っています)

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