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2012年8月23日 (木)

「必要とされる」必要がない

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

「アダルトチルドレン」が恋愛に与える影響

世間には、女性は「愛された方が幸せ」という風潮が未だにまかり通っているようです。でも、これは心理学的にも、運命学的にも、こと恋愛に関して言えば、必ずしも正しいとは言いきれません。なぜなら、恋愛は「愛し愛されること」のバランスの上で成り立つ関係だからです。

 恋愛関係において「愛し愛され」のバランスが崩れると、決して幸せになることはできません。人が、ただひたすら愛されて幸せを感じることができるのは、唯一、赤ん坊のときだけです。

さて、恋愛においてはまず何よりも、相手を愛することが必要になりますが、そのためには「自分自身を愛する」ということが必要です。
(中略)自分自身を愛せないと、自分と同じ人間である他人を愛することができなくなります。また、自分自身を愛していないと、自尊心を保てなくなるので、いつも「誰かから必要とされている」と確認することでしか、自分の存在意義を認めることができなくなってしまいます。

◆自己愛≠代用品
自己愛(自尊心)のある人は、外部から「必要とされる」ことに執着し囚われない。なぜなら、「自分自身から必要とされること」「自分が自分を必要とすること」が自己愛だからだ。 他人からの愛で自己愛を代用しない。

自己愛の代用品になりやすいのが恋人。その恋人に対して抱く感情は、愛情ではなく、あくまで「道具(代用品)」に対する依存と執着の感情だ。どちらかといえば人としてではなく道具として「好き」だったりすることもある。それで時には「人を心から愛せない」という悩みになったりする。

他者から必要とされることを自己愛(自尊心)の代用品にしようとしてむやみやたらと愛されよう・評価されようとする。他人からの評価や愛情を擬似自尊心の根拠とすることが原因で他人の目を気にしすぎてオドオドしてしまったり、他者の目が怖くてコミュニケーションそのものを避けてしまう。コミュニケーションはしても、相手から期待されるリアクション(評価)がないと落ち込んだり、逆恨みしたりすることもある。
(一時期mixi内で足跡がついてるのにコメントがないと逆恨みする風潮が流行ったが、アレも極端な場合は自尊心を見直してみたほうが良いかも)

あるいは、他者からの評価を求める自分の心に振り回されて、望まぬ努力や望まぬ生き方を自分に強要してしまうこともある。本当にしたいことを自ら否定させてしまうこともある。 自己愛とは逆だ。
「そんなことを自分にさせた張本人」はほかでもない自分自身なのだが、評価を求めている相手を張本人として責任転嫁し逆恨みすることもある(親や恋人のケースが多い)。
その心情を言葉にするとしたら、「私がそんな生き方をするハメになったのはあなたのせいだ。私の人生を返せ!」か。

◆いつも自分を必要としたい
「外部評価至上主義」というのは誰もが陥りうるものだが、ゆえに誰もが抜け出しうる。
冗談めいた極端な話、他者からの評価や愛情に自尊心の根拠を見出していると、万が一人類が滅亡して自分だけが奇跡的に生き残ったとき、その命を尊べない。だって自分を愛し評価してくれる「人間」がいないのだから。だから種族の中でたった一人の生き残りであってもそれに価値を見出せないなんてことがあるかもしれない。
あるいは人身売買やストリートチルドレン、虐待などで「愛される」ことのない子供時代を送った人が立派に成長して自尊心を持っていた場合、「愛されたこともいないくせに一人前の自尊心を持つなんてルール違反だ。誰がそんなこと許可したんだ! ずるい! 許せない!」と思ってしまうだろうか? 
上に書いた2つのたとえ話。「さすがにそれはねーよw」と思えたら、多分アナタは本当の外部評価至上主義者ではない。外部評価に依存しているように見えて、心のどこかでは自分の考え方を「ねーよw」と思っている証拠だ。本当は知っているのに、わざと自己暗示をかけているのかもしれない。

また、「いつも他者から必要とされたい」は、「いつも他者を必要としなければ(他者に依存しなければ)」という考え方の裏返しかもしれない。でもこれ、自分の本当の欲求を勘違いしている。
本当は「誰かに必要とされなきゃ・誰かを必要としなきゃ」という強迫観念から解放されること。すなわち、「いつも自分を必要としたい」だ。自分の人生を作るためには、「自分が存在していること」が必要不可欠だ。当たり前だけど。 自分が人生の中でささやかでも喜びや楽しみや意義深さを味わう経験をすれば、自分の人生に価値を感じるようになる。価値ある己の人生に不可欠なかけがえのない存在。それは世界でたった一人、自分自身だ。
「他者からのニーズ(評価)確保」を求める欲求は、つまるところ、自己肯定するための根拠を求める欲求であり、自分の生きる喜び(どこかしら意義を感じる人生)を根拠に自己肯定さえ出来れば必ずしも他者からのニーズを根拠に利用する必要は無い。ならば、自己肯定の根拠を「楽しい自分の人生を作るのに絶対不可欠な存在だから」とした方が単純明快で簡単だ。不確定な他人のリアクションを利用するなどという非効率で回りくどい方法をとる必要もない。これは、自己肯定(私は尊い)の理由に客観的根拠(客観的証拠)を用いるか主観的根拠(主観的証拠=実感)を用いるかの違いだ。
自分という存在が尊いものであることを認識・確認するために、他者から必要とされたり高く評価されるといった「客観的な証拠」を求める動機は、自分に対して客観的証拠を提示することで自分自身が「確かに私は尊いのだ。証拠もある」と納得し安心したいからかもしれない。いわば自己肯定のための理論武装。
それは結局、客観的証拠をもとに「私は尊いのだ」という主観的根拠(実感)を抱きたいからだ。
そう。自己肯定および自尊心(=私は尊い)というやつは、どんなに客観的な根拠や証拠を求めようと、最後は自分が「私は尊い」と感じることが出来るか出来ないかで決まるのだ。要するに、ソレは主観的な感覚なのだ。科学的にも物理的にも理論的にも証明しようの無いものなのだ。
「私という存在は尊い」・・・それは真実かウソか、それは正しいのか正しくないのか。誰にも判断や証明はできない。個人の主観(感覚)だから。ただ、多くの人が本能的に「自分は尊い(尊ばれたい)」と感じる主観を持つことから、「人権」という概念が生まれたようだ。以来、社会の秩序維持において人権の尊重は要になっている。

◆生存本能は無条件に自分の命を肯定する
幼い頃から、両親や親しい人達から優しくされて嬉しかったり、「両親や優しい人に愛されたい(愛されたらうれしいだろうな)」と思ったりする経験が誰にもあると思う。その気持ちは、自分という命が生きる時に支援を受けられると本能的な喜びを発する心から来ている。生きる支援は嬉しいのだ。
即ち、生きる支援を喜ぶ心がある限り、あなたは自分の命を生きることが好きなわけだ。あなたは、自分という生命存在を心底愛している。それゆえに、己が心底愛する「自分の命」を支援されると本能的にうれしい。愛するものを支援されれば誰だって嬉しいし、時には感謝の気持ちさえ湧くかもしれない。
(嫌いなことを支援されたってうれしくも何ともないだろう)

自分の命を肯定する根拠をそんなにも求めているという時点で、その人は自分の命を生きることが大好きなわけだ。生きることが嫌いだったらそこまで肯定したいとは思わないし、特に支援されたくもないだろう。「生きるのが大好き」なので、人生(=生きること)を楽しく発展させていくことも好きだ。そんな「好きなこと」をするのに不可欠な「自分」という存在も好きだ。自分の喜びに自分という存在は欠かせない。
好きなことは自由に思う存分やりたいので、好きなことをするのにいちいち他人(の評価や承認や許可)に縛られたくないかもしれない。少なくとも、人間の生命活動に他者の許可や承認など必要ない。
そういう意味で、評価されるために好きなことを犠牲にするのは本末転倒だと思うかもしれない。
自分の命を肯定できるような根拠を得たい心理は、心おきなく大好きな作業(=自分の命を生きる)に取り組みたいという本能的な欲求かもしれない。

私がいなければ私の人生は楽しくないし、あなたがいなければあなたの人生は楽しくない。同様に、あの人がいなければあの人の人生は楽しくないだろう。
自分の人生を愛せること、愛せるような人生を望むこともまた、自分を愛する形のひとつであるように思える。
誰よりも共に生きるべきパートナー。それは、自分自身なのかもしれない。
「相手が私を必要としてない(愛してない)のなら、私も自分を必要としてはいけない(愛してはいけない)」という変なルールを作る発想は自分と他人を同一視し混同している。自分の独立性と他人の独立性、どちらも否定することだ。両者の独自性を否定することだ。

◆アダルトチルドレンのアニムス/アニマ
アダルトチルドレンの場合、本人が持つ理想の異性像(自分の中の隠された個性や可能性、隠された欲求など諸々を象徴するキャラクターイメージ。女性版をアニマ、男性版をアニムスという)の特徴は、自尊心を満たしてくれる者であったり、自尊心がしっかりしている者であるかもしれない。誰よりも自分を愛し必要としてくれて、誰よりも共に生きるべきパートナーになってくれる存在かもしれない。自分の人生を楽しい方向へ誘ってくれる(共に生きていれば人生が楽しくなれる)存在かもしれない。 生きる喜び(=自分という生命存在を好きになること)を教えてくれる存在かもしれない。
いずれにせよ、それは結局、秘められたもう一人の自分なのだ。
(もう一人の自分は、そんなにもアナタを愛している)

【余談】
漫画・アニメ・ラノベ等である日突然女の子がやってきて男の主人公と共同生活する展開の作品が増えてるが、あの女の子はまんまアニマだと思うw 主人公と男女が入れ替わってるケースもある。
最近噂される「日本人草食化説」は、自分のアニマ・アニムスを他者に投影せずに(他人を代用品や投影スクリーンにせずに)、彼・彼女とより内面的な方法で直接向き合い、直接感じ、直接理解したい欲求の現われなのか? と思うことがある(妄想)。
目先のことにばかり囚われがちだった人類は、今まで以上に己の内なる精神世界との距離を縮めたがっているのかもしれない。だとすれば、それはまさにスピリチュアルだ。


一人の女で満足出来ない男 男の愛で自分を認める女←母性に飢える心について 
就活自殺の増加に思うこと←外部評価至上主義について。
探し求める存在は、もしかすると・・・←アニムスについて
童貞のまま30代で死んだ男の誕生日←アニマについて
中二病の有効活用

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コメント

私にとってもタイムリーなお話をありがとうございます。
他者からの評価にしろ、アニムスからのメッセージにしろ
おもしろいほどに私の中にスムーズに入ってきました。
楽しい妄想話、これからも楽しみにしています。

>初カキコさん
科学的根拠もそれ以外の根拠も全く無い好き放題な妄想話ですが、
お楽しみいただければ幸いです。

興味深く拝読いたしました。記事の終わりのほうでスパイラルから抜け出す糸口が書かれていて、気持ちが明るくなりました。ありがとうございました。

>きのこのこさん

お役に立ちましたら幸いです。

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