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2012年8月16日 (木)

サバイバー症候群

※以下に書くことは根拠のない個人の妄想です

終戦記念日:無念、伝え続ける…元兵士の証言ネットに 
零戦パイロット「生き残った負い目と死んだ仲間の声」を語る

この手の証言で「自分だけ生き残ってしまった罪悪感」を抱えている人が結構いる。これ、サバイバー症候群というPTSD系の症状らしい。戦争だけじゃなく、事故や災害、犯罪でも起きる心理とのこと。
よくぞ助かって下さったのだから、生きているうちにカウンセリングを受けてみて欲しい。不要な罪悪感やそれに基づく償い(自罰)に尊い残りの人生を費やさないで欲しい。

「生き残ってしまったことが悪い」のではなく、「死者を出すような状況が悪かった」のは言うまでもない。

そして、「生き残った罪悪感」というのは、無意識下で「生き残ったこと・生きられたことを幸せに思っている」のでなければ成立し得ない。たとえば、助かったことや生き残ったことを不幸に思い死者をうらやむ気持ちであれば、絶対にありえない心理だ。
そして、その罪悪感は「皆さんも自分のように生き延びて喜びを感じて欲しかった。喜びを皆さんと共有したかった」という心優しい思いの裏返しかもしれない。
案外、その罪悪感は今を幸せに思う気持ちの裏返しであり、時には「犠牲者に対する愛情の裏返しってことはないだろうか? 本当は心から生きられた幸せをかみ締めたい。でもあからさまに喜んでしまったら何だか犠牲者(ぜひ自分と同じように生きられる幸せを持って欲しかった。できればその幸せを共に分かち合いたかった人)に申し訳ない気持ち。その葛藤。

「犠牲者を思う優しさゆえに、生きる喜びを大ぴらに受け入れられず、罪悪感に変換してしまう」というこの心理は311の被災者の間でも発生したという。また、311の時に被災地以外の場所で発生した「不謹慎叩き」の心理とも似てるかもしれない。どちらも、被災者(犠牲者)を思って感情移入しすぎた結果、相手と自己同一化してしまい、そんな「過度の感情移入で被災者(犠牲者)が味わったかもしれない恐怖と苦しみを仮想体験してしまっている自分の苦しい感情を救いたい」という点では同じだろう。 いわば他人と自分の区別がつかなくなって自分自身を見失ってしまった感じ。

生還の罪悪感が沸き起こるとき、心の底では生きる喜びが沸き起こっているのかもしれない。それを罪悪感で押し殺す必要はない。世界に一人しかいない自分自身の生を喜び自分自身の人生を生きる勇気を持って欲しい。それは世界でたった一人、自分にしかできないことだから。他の誰にも出来ない(=自分がそれを諦めて誰かに譲ることも、誰かが自分の代役として『譲られた他人の生』を生きることも出来ない)のだから。
その勇気は、やがて誰にも訪れる「死」を迎える勇気を持つのと同様に大事なことだ(多分どこかでつながってる)。己の生きる喜びや(同じく生きる喜びを持ってほしかった)犠牲者への愛情を「罪悪感」に変換して押し殺すよりも、「喜びと愛情」という正確な姿のまま大事に保存したほうがいい。 その喜びとその愛情の感覚は、自分にしか作れないものだから。
その犠牲者たちは、「生存者が生還の喜びを罪悪感に変換するほど強く幸せを願った(=それほど強く幸せを願われた=愛された)方々」だったわけだ。
さらに、彼らもまた、世界でたった一人、自分にしかできない「自分自身の人生」を生きたのだ。逝く前に自分にしかできないことを成し遂げていたのだ。それぞれが自分にしかなしえない自分の人生を送ったように、自分にしかなしえない自分の死を迎えた。それだけで彼らの人生は「全くの不幸」ではないだろう。
亡くなった方々も、この世に生まれ世界で唯一己にしかなしえない自分の人生と生の喜びを経験し身に着けた後に旅立った。そういう意味では、生き残った人々、いや全ての人々が同じ運命をたどるのだ。生きた期間の長短は個人差だ。
私達もやがてその日が来るまで、自分にしかなしえない生を精いっぱい生きたいものだ。
(長かろうが短かろうが、自分の人生経験は死後もその魂にとり何らかの糧となり、それこそが地上に生まれる理由なのだろうか?)

壮絶な戦地で片腕を失いながらも生還し、心の底に沸き起こる生の喜びとまっすぐに向き合い、罪悪感で押し殺すことなく受け入れた有名人がいる。水木しげる氏だ。
彼は戦死した戦友の遺族が水木氏に最後の様子などを訊ねに来た際、自分は生き残ったことがうれしくて我慢できずに笑ってしまい、奥さんに怒られたという逸話の持ち主である。
彼は、己の心にある「生きる喜び」から目を背けなかったように見える。
「つわもの」っていうのはああいう人のことを言うのかもしれない。

古今東西、死者の救いは生前の苦しみや執着から解放されて新たな道を歩むことだとされている。死者は死者なりに現世とは違う視点でどんどん幸せの道を歩んでいってよいはずだ。
犠牲者が生還者への妬みに囚われ、生還者が罪悪感を感じることに喜びや救いを求めさせたりしてはいけない。自分が犠牲者になったら、決してそうはなりたくないと思う人が大半だろう。
(もしも死後の世界など存在しないのなら、犠牲者達にはもはや苦しみも悲しみもないので死者を慮る必要などない。もし死後の世界があるなら上述の通り)

一見すると「生きる喜び」の反対語は「死の恐怖」のようにも思えるが、本当の反対語は「生きている時間を無駄にすること」であると個人的には思う。
自分よりも早く死んでしまった人は沢山いる。でも彼らが生きていた時間は、決して無駄ではない。その人生は死後の糧になるだろう。

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コメント

岡本太郎、水木しげる、天才バカボンのパパ、に同じようなものを感じるのは気のせいでしょうか?
バカボンのパパは、生まれてすぐ天上天下唯我独尊と言い(笑)、これでいいのだ~、という寛容の境地に達した(?)訳ですが、夏目漱石の私の個人主義も、自己本位の本質を掴み取ったもので、利己主義やエゴではない所から、個人主義というものが生じるという。水木しげるの話もそんな感じでしょうか。私は何度かテレビで水木しげるの話しているのを聞いて、自然に、プッと笑ってしまいました。

感情移入について、思ったんですけど、例えば芸術作品を観てそこから何かを得る為には、違った形態のものに対する感情移入がなければならないと言いますが、異なるものへの理解というのは進化の過程で得られたというのもあります。単細胞生物から多細胞生物になる過程もそうですよね。(戦いという字にも単が入っている)さらには慈悲というのも結構感情移入と似ています。
じゃあ、なぜ感情を移入して暴走したり、人の痛みで自分も痛めるという方向へ行ってしまうのか、と考えてたら、この間、ある所で、それはエゴが感情移入を利用しているからだ、と書いているのを読んで納得したんです。エゴ、自我が感情移入を利用するやり方は、
以下引用、
自我は理解できると思えるものに一体感をもち、そこに自我そのものを見、自らに似ているものを分かち合うことで大きくなろうとする。
自我はいつも相手を弱めるために感情移入するのであって、弱めるために必ず攻撃する。
ある種の問題をもつ一定の人たち(トラウマ?)にのみ、適用されるという事実が見いだせる。

結局、自我による感情移入は、同じもの、似ているものに限定され、それ以外を監視して攻撃する、という非寛容社会を生みだしてるのでしょうね。
すぐに不謹慎だとかいうのも、そういう所から来てるのかもしれません。
因みに私は非寛容な人より不謹慎な人の方がよっぽど好きなんですけどね。不謹慎な所に結構本質が隠れてたりすると思うので。

生きている喜びの反対語は、生きている時間を無駄にすること、って本当にそうですね。座右の銘にしたいです。
残暑厳しいですけど、AYAさんも充実した毎日を楽しんで下さいね。

>サボテンさん
エゴが感情移入(=自己投影)した相手を自分の延長のように、自分の一部のように扱ってしまうと、その相手の独自性を否定することになりますね。弱めて、侵略してしまうんです。相手という存在を否定し、「自分」にしてしまう。そこには「自分」しかいなくて、「相手」などという者は存在しない。
「自分」であれば自分の思い通りに動きますが、実際の相手は自分じゃないから必ずしも思い通り・予想通りには動かない。そこで「自分が思い通りに動くことを邪魔された・自分が損なわれた」という感覚が生じ、逆切れ(逆恨み)による攻撃・排斥が生まれるのでしょうか。

相手の存在と独自性を認め尊重しつつも、(相手の力になるために)相手を理解しよう、相手の持ち味を知ろうとするとき、そこには愛とか慈悲とかが生まれるのかもしれません。

こちらは昼間暑いですが夜になると秋の気配を既に感じています。サボテンさんも暑さに弱そうですね。どうぞご自愛ください。

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