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2012年7月 9日 (月)

いじめっ子を憎む心の落とし穴?

同級生らにメールで「死にます」…大津中2自殺
「先生見て見ぬふり」と生徒回答…大津中2自殺
「自殺練習」追加調査しない考え…大津市教委
大津署が父親からの被害届3度受理せず

まず被害者のご冥福とご遺族の救いを心よりお祈り申し上げたい。
この事件報道の後で発生した気になる懸念事項。ネットでは、この事件に感情移入してストレスを感じた自分の心を満たすために「いじめた奴らを地獄に落としたい」というリアクションが案の定目立つ。

 【自分個人の憂さ晴らしや満足感のために誰かを追い詰めたい。そしてスッキリしたい】

この心理、実はいじめっ子達と同じだ。
この心理を持った人間が自分の欲求を正当化しやすい環境にいれば、実行するだろう。
実際、環境的条件の整っている2chの住人達が「社会的制裁」という大義名分を得てイジメをやった子供たちの写真と実名、親・親族の職場や写真を割り出し晒した。ウソの写真やデマも広がり、無関係な場所や人が標的になる事例が大量発生。今頃あちこちに嫌がらせが殺到しているだろう。 殺到する電話等の応対に追われたり様々なとばっちりを受けた人々にとっては、まさにネット住人からいじめを受けたことになる。
また、大津市の教育委員会に爆弾予告をした者まで出たという。そのお陰で京阪電車が運転を見合わせた。乗客はいい迷惑だ。

暴走するネット住人達・匿名の立場を保てる者達(=自分は罰せられにくいと思える立場の者達)は、「憎むべき悪者への社会的制裁」という言い訳で憂さ晴らし欲求を正当化しやすい環境にある。その欲求は決して被害者・遺族や社会のために役立つものでも、ましてや正義でもない。自分達が満足したいだけだ。心理的にはいじめっ子と同類。彼らは今回のいじめ自殺事件という悲劇を、単なる自分達の憂さ晴らし&正当化の道具にしているだけかもしれないと考えたことはあるだろうか? 人違いを防ぐための確認さえしないのは、「憂さ晴らしさえ出来れば誰でもいい」という無意識のあらわれか? 
自分が本当に救いたい者は、被害者・遺族ではなく、「事件に感情移入して強いストレスを抱えた自分自身」かもしれないと、考えたことはあるだろうか?

>この心理を持った人間が自分の欲求を正当化しやすい環境にいれば、実行するだろう。
それが「イジメ」だ。太字で書いたあの心理下なら、「環境」という条件さえ整えば誰もが「イジメ」をしうる。
ニュースのいじめっ子達は、自分たちの行動を叱り諭す大人や止めに入る人間と出会わなかった。クラスメイト達からあからさまに顰蹙を買うことがなかった。罰せられにくい環境だった。だから自分と向き合わないまま歪んだ欲求を実行し続けた。
「自分の欲求を抑えない」ということを正当化しやすい環境。欲求を抑えずに済みそうな空気。ウサ晴らし欲求の根源(原因)を見つめなくて済む環境。それは不幸だ。いつまでも鬱屈の原因が解決できない。

いじめっ子達と、それを晒したり嫌がらせしをして喜ぶ一部ネット住人達。
どちらも、自分をそのような欲求に駆り立てた原因と向き合い乗り越え解決する機会が奪われている。よこしまな欲求の支配から己を解放する機会(=本当の満足を得る機会)を奪われたまま。それは不幸だ。
同じ心理と同じ環境が引き起こす同じ行動。それは不幸だ。
そんな人々が沢山いる社会だって不幸になってしまう。社会にある様々なイジメ問題を解決したいのなら、上に太字で書いた大衆心理を改善し、一人ひとりがそのような大衆心理に流され欲求を正当化しないように己と(欲求の原因と)対話しながら自分をしっかり気高く保つこと、そのような教育を広めることも大事かもしれない。

願わくば、よこしまな欲求に屈した人々が、己を駆り立て支配する欲求の背景と原因を見抜き、その原因と向き合い乗り越え解決できることを。

よこしまな欲求に屈した者が自分の心と向き合い、自分の抱く欲求が間違ったものであることを自覚し、間違った欲求の原因を知ること・向き合うことでその欲求から己を解放して本当の満足を得ることは、救いであり償いでもある。

「本当の救い」ってのは、償いに通じるのかな? 救いと償いが相反するものでないとしたら、とても素晴らしいと思うけど。

死は感情を満たす道具?
目覚めよ我らが解決能力

◆大衆心理が本当に憎むもの?
あくまで個人の妄想だが、もしかすると大衆の憂さ晴らし欲求の背後には、自分達を集合無意識レベルで支配する「権威・権力への強すぎる恐れと無力感により、やれることすらしなかったり、解決よりも隠蔽や泣き寝入りを優先した挙句適当な相手に八つ当たりして憂さ晴らし癖(権威主義・隠蔽主義を増長させる癖)」への無意識のストレス(憎しみ)が存在してるケースもあるのだろうか。(何かこの癖、暴力的な監禁事件で無気力になる被害者の心理にも一部通じる?)
また、「どうせ何も変わらないのだ。勝ち目は無いのだ」という無力感から、「ならばいっそ手段を選ばずこの無念だけでも晴らす!」みたいな泣き寝入り前提の忠臣蔵的発想を好む傾向も日本人にはある。そういうのが今回の憂さ晴らし欲求・八つ当たり欲求の背後で密かに動いてるケースは・・・あるのだろうか(妄想)。

「無力感と泣き寝入りと八つ当たり的憂さ晴らしの癖」。あの癖は、多分古代から日本の集合無意識に長い間続いた一種の自己暗示だ。だが自分を支配する暗示を自覚できればそこから抜け出せるかも。
古代~近代までは民衆が泣き寝入りしたり強い無力感に支配されることも多々あったろうけど、現代は違う。日本で最大の権力者は民衆だ(※)。もう自分や他人を踏みにじるような古い自己暗示はいらない。

自己暗示から抜け出せれば、「憎むべき暗示」を投影した大津事件(隠蔽体質まみれ)へ憎しみをぶつけ、嫌がらせ・爆破予告といった目先の憂さ晴らし欲求に心を支配されず、より冷静さと広い視野を得て事件の公正な調査・処分を求める世論を作ったり、もっとマクロに日本のイジメ問題や隠蔽体質そのものに対してさえも建設的な世論を作ることだってできる(実際、そっちに向かう冷静な方々も沢山いる。そしてその動きは文科省を動かした)。その方が、憂さ晴らし欲求の充足以上の、「本当の満足」につながりえまいか? 単なる憂さ晴らしよりも役に立つまいか?

「『隠蔽体質の改善』というテーマへの取り組みや隠蔽されていた問題への取り組み」という運気の気配は、去年の節分の辺りから感じられていたが、震災以降、どんどん本格化していくような気がする。そうあってほしい。

【余談】
今回の中2自殺事件、現場となった大津は古代に作られた近畿の星型結界の中心部に近い。京都の鬼門だ。(図参照)。
日本に巣食う「解決よりも隠蔽を優先する体質(隠蔽のために意義ある忍耐と泣き寝入りを混同させる風潮の源?) 」はあの結界が作られた時代からあったのだろう。
この国は、忍耐力は強くても問題解決能力が低い。問題解決能力が抑圧されている。
解決抜きの忍耐or隠蔽。そしてそれらが限界を越えれば、取り返しのつかない破綻をもたらす。そんなこの国の悪癖を、去年嫌というほど思い知ったはずだ。

ゆえに、民衆が愚かであれば権力は愚かな動きをする。それを是正する能力が民衆にあるかどうかが重要。

24時間いじめ相談ダイヤル←困っていたり身近に困っている人がいたらどうぞ(フリーダイヤル)

7.17追記
いじめた生徒の親族?ネットに偽情報で被害深刻
イジメも被害届レベルの嫌がらせも、法に触れることには変わりない。公平に裁かれるべきだ。
大衆心理は今もなお、スマイリーキクチ事件からあまり学んでない。
リンク先のニュースを読んで「みんなバカだなあ」とか言ってる人が実はデマを拡散してたり、デマに踊らされて無関係な人へイタズラ電話してた、なんてことさえありうる時代だから困る。
こういうニュースを「バカだなー」とヒトゴトで済ませず、自分の中にも闇は潜むのだということを、忘れたくない。

いじめっ子と暴走するネット住人・・・どちらも、自分の内面にある不愉快な「憎むべき何か」を無意識に相手へ投影・同一視して攻撃しているとすれば、彼らが真に憎み攻撃しているものは「内面の何か」であって投影対象にした人物ではない。だから両者とも「自分がイジメをしている」との自覚が生まれにくく、投影をやめない限り攻撃衝動は収まらない?
大津の加害生徒は投影対象の被害者亡き後、彼の写真に投影先を移して攻撃を続け、一部ネット住人は逮捕者が出ても暴走をやめない理由はそういうこと?

大津事件、デマ騒動、忠臣蔵・・・これら3つの背景にある共通点は、「正確な事実確認を怠った・内面の不快感を他者に投影し憎んで憂さ晴らし・内面の不快感と向き合おうとせず、正体を突き止めていない」という点かも。

8月16日追記
大津市教育長、頭の骨折も 「襲撃支持」の電話相次ぐ

沢村教育長は中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題の対応に当たっており、大学生は「真実を隠していると思い、殺そうと思った」と供述。殴打後、針金で首を絞めようとした疑いもあり、強い殺意があったとみている。大津署は16日、大学生を送検した。

『真相を知っている』と思ってて殺しに行ったら真相を隠蔽する口封じになってしまうw 事件の真相解明よりも自分個人の感情を満たすことが優先されている証拠だ。 そういう犯人を、大衆は「自分の願望を代行してくれた」と喜び祭り上げ英雄視している。まさに忠臣蔵。

日本人の暴走と傷?
死は感情を満たす道具?

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コメント

うん、そんなことを言った所で意味が無いんだ。

いじめは一人、もしくは少数の人間に言えば解決するけど、
そのことが広く世間に広まった以上、それは誰にも止めることができない。

大きな流れになってしまったものは、その行き着く先まで行ってしまう。
その流れをつくりだしたのは、犯罪者であるいじめた奴らだ。

犯罪の方をどうにかしないことには、
犯罪者を助ける方法はないんだ。
誰が何を言おうとね。

>aさん
コメントありがとうございます。
犯罪をどうにかするには、そのような犯罪が生まれる社会の心理的背景にも目を向けると何かプラスになるんじゃないかと思うのです。
特に、その社会独特の体質が反映された事件であれば、なおのこと・・・

ネットで晒し行為が行われているのは私も見てます。
爆弾予告の件もあわせて正直どうなの?っておもいます。

でも、こんな事態になるまで市ぐるみで隠蔽が行われていたのは事実です。
悪いことをして、何の裁きもないのでは、自分が被害者になったとき恐ろしいですし、
泣き寝入りするはめになるぐらいなら自分が罰してやると思う方がでてもおかしくないのでは。

加害者が適切な時期に徹底的に調査され、真実が明らかにされ、
適切な処罰が与えられていればここまでの事態にならなかったでしょう。

逃げ隠れせず真実を明らかにすること、適切な司法の罰を受けることが、
被害者だけでなく加害者の身の安全にもつながるんではないでしょうか。

>nanasiさん
>泣き寝入りするはめになるぐらいなら自分が罰してやる

この私刑心理、多分大きな落とし穴です。これは、「◆大衆心理が本当に憎むもの?」の部分に書いた「無力感と泣き寝入り」の弊害です。この心理の中には、「何をしてもムダなのだ」という暗示がかかった前提で、「何をしてもムダなのだから、いっそ手段を選ばず報復だけでも!(=解決ではなく憂さ晴らし優先)」という発想が働いています。

私刑発想というのは、「公正で適切な調査と処分」というものを諦め、無いものとして否定しないと成り立ちません。いわば泣き寝入りなしには成立しえない発想です。

私はむしろ、泣き寝入り前提の私刑を求めることよりも、今からでも公正で適切な調査と処分がきちんと行われ全てが公表されるよう文科省や警察庁など各機関に求め監視する世論の流れを作ることが大切だと思います(被害者の死を無駄にしないためにも)。
国民主権国家の場合、最大の権力者は民衆であり、各機関のトップは国民(世論)によって任命されているので、決して封建時代の権力者とは違います。
古い時代に民衆に刷り込まれた「何をしてもムダ」という強い思い込み(暗示)は不適切で問題解決の妨げになる感じ。

以上の理由から、私個人は泣き寝入り発想が背景となった私刑発想・憂さ晴らし発想は、事件やイジメ問題や隠蔽体質に対して建設的な世論を作っていく方向とはズレているように感じます。むしろ国にまともな仕事をさせることができない主権者の無能を示す例。
自分が満足さえ出来れば根本解決になど興味が無いかのようで・・・・

そのとおりだとおもいます。

「※ゆえに、民衆が愚かであれば権力は愚かな動きをする。それを是正する能力が民衆にあるかどうかが重要。」

この文の権力(者)というのは誰のことを言っているか分かりませんが、権力者が馬鹿なのは、実は、俺が馬鹿だからということでしょうか?この、理論、どこか、おかしいのではないでしょうか?権力者といわゆる弱者との差は歴然としています。権力者は何でもできる。だから(たぶん止む無く)弱者は、権力者として認めざるを得ず、それが既成の事実化して、権力者と言わしめていると思います。これを覆えせるのでしょうか?民衆が愚かでなければホントに権力者も愚かではなくなりますか?昔から民衆は、大げさにいえば、歴史に埋もれた人々は清く正しい道を歩んでいたと思いませんか?事実、現在、歴史を刻んでいるたった今、あなたの周りの人は愚かですか?民衆ですか?あなたはどこにいますか?

>minsyuuさん
ご自身をバカ呼ばわりする意図は一切ありません。文章に問題がありましたらお詫びします。
minsyuuさんの言っている「権力者」のタイプはおそらく、公正な選挙を経ずに力づくで実権を握った独裁者系権力者や封建時代の権力者といった類だと思います。
有権者によって政治家や各機関のトップが任命される現代の日本とは違います(そこを勘違いしちゃった議員先生は稀にいるようですが・・・)。
今回の社会現象やスマイリーキクチ事件などを見ていると、「歴史に埋もれた人々は清く正しい」と言い切れる自信は、私にはありません。

>これを覆えせるのでしょうか?
例:民主主義運動、ジャスミン革命、有権者達の声による文科省の変化ect

「暗示」に負けないでください。

もっと違うご意見をお持ちだと思いました。

私には権威に対峙する言葉が民衆というのは、現代の権威のポピューラーな一形態を述べてるに過ぎない気がします。選挙で選ばれた権威者は自身は紛れもなく民衆の一部です。が、それを忘れたのか、厚顔にも忘れた振りをしているのか定かではありませんが、民衆とは違うところにいます。そこで「あんたはどこにいますか」と尋ねました。

唐突ですが、ミルグラム実験という言葉をお聞きになったことはございますでしょうか。ウィキペディアに紹介(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93)されておりますので、ご一読いただければ幸いです。映画では「カッコーの木の上で」をご覧になっとことがありますでしょうか。

私は、権威とは人間の一機能であるような気がしてなりません。そこで権威に関する問題であれば、事の詳細を調べ顛末を明確にすることは無駄なこととは思えません。その過程でネット・パッシングは様々な切り口から議論することは面白いことだと思い「※ゆえに、民衆が愚かであれば権力は愚かな動きをする。それを是正する能力が民衆にあるかどうかが重要。」の言葉に過激な言葉で喰いついて見ました。

私の言葉もきつかったようで、お騒がせしました。
貴ブログのなお一層のご発展を心からお祈り申し上げます。  以上。

権威は、相手の納得の上で承諾させる、とあります。
仮にマスコミュニケーションを例にするなら、これは国家による統制が
強く、視聴覚を駆使して反復することで不特定多数(民衆)に強い
インパクトを与えますが、特定の目的の達成の為には、あくまでも
受け手の反応にポイントが置かれる訳です。
マスコミは、既に受け手(民衆)に醸成されている先有傾向を強化して
いるにすぎない訳です。(相手に全くないものは動かしようがない)
しかしテレビなど送り手は専門的又、組織的にこれを行い相互作用性
は退き、受け手に対して複合的且つ一方的になっています。
では、受け手側(民衆)は、ミルグラム実験のように、そのポジションに
従い、役割として与えられたものに反抗もせず、ただ同調するだけの
存在でしょうか。
期待された役割をそのまま演じると言うステレオタイプの役割観は
一種の社会的決定論であり、役割を運命として受け入れるだけの存在
又現実を変える力のない無力な存在として人間を捉える事になります。
この役割理論は特殊な場合(官僚組織、軍隊組織)において存在する
かもしれませんが、現実には複数の他者の態度や考え方、見方の中
から人間は選択と解釈を繰り返しています。
その過程において役割に対する期待も修正され個人の個性と主体性が
現れます。
マスコミは、この選択と解釈に強い影響力を行使します。
今何を議題にするか、それをどのように解釈するか、それが少数か多数か
という事を意図的に提示し、受け手の選択的メカニズムと解釈作業に影響
を行使し、受け手の解釈水準や世界認識、生活世界の構造を変化させて
しまうのです。
我々民衆、個々がこれを踏まえて、日常生活の自明性を疑い、自分なりの
選択と解釈をする過程で集団や組織に同調するだけのマリオネット、一種
の判断停止状態から人間的で自律的な個へと流動的に変化していく事は
固定的で物象化した権威者に対しても、戦略的な社会的規範に対しても
それを変化させていく為の、基礎的なエネルギーとなると考えています。
それは社会的弱者により必要とされる変化の仕方でもあると思います。
この構造は、良寛の歌、「あわ雪の中に立てたる三千大千またその中に
あわ雪ぞふる」と同じ意味で、事事無礙の世界です。

私は、何が嘘か本当かを見極めるのが困難な現代社会で、常識を疑い
ロボットにならず選択と解釈をする為には、個人が持つ、閃きや、気が
進まない、などの直観的な部分、深層意識の領域の開拓が必要だと
思っています。この感応において、AYAさんの仰る
>悩める当事者達に眠った個性溢れる解決能力よ、目覚めて互いの
能力と連携を成せ
という部分が大切になると思っています。
そしてこのような言葉は、民衆が愚かだと思っている人とは正反対の
思考なくして出てこないものと感じております。

>サボテンさん
愚かな部分を変化させたり進化・成長することが出来れば、本当の愚かとはいえません。そして、全ての生物は基本的には本当の愚かではないと思っています。もちろん人間も。

ただ、私たちは長い間能力を封じられ眠らされて「愚かなマリオネット(ロボット)にさせられている」ことに気付かないところがある・・・
それで「目覚めよ我らが解決能力」。

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