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2012年5月 2日 (水)

共同幻想から自己を取り戻せ?

今回の妄想は自民党の改憲草案から連想したものがきっかけ(個人的には支持率UPを狙った野党ならではのパフォーマンスだと思ってる。草案が全部実現したら本人達が一番驚きそうなw)。
以下、あくまで一個人の電波な妄想です。

「国というものが何だかよくわからない」 ・・・・・・・・・鳩山元首相

まず心理的な視点で見ると、「近代国家」と言う概念は人類史の中でも割と最近になって西洋で人工的に作り上げられた共同幻想の一種である。そして、近代国家維持のためだけに作り上げられた人工的な愛国心や「国家のために自ら命を捧げよう」という価値観もまた、武力(戦争)でのし上がり繁栄していく手法を選んだ帝国主義の西洋諸国が便宜上の都合で作り上げ国民に刷り込んだものだといわれている。
だからそれ以前には存在していなかった概念と価値観だ。国というものの形態が違うから。
(初めは封建時代育ちのメンバーしかいなかった明治政府は当初、愛国心教育に不可欠な国歌という概念を持っていなくて、フランスの外交部から指摘を受けて初めて慌てながら君が代を作った経緯がある。政府メンバー自体が一番最初は西洋で生まれた近代国家的な愛国心とはちょっと異なる独特の感性を持ってた可能性すらある)

◆国家の概念と投影の歴史
近代以前の封建的世界では、多くの人々が「おらが村・おらが町」という狭い世界観の中で生きていた。土地に対する愛着もその範囲(生命活動に直結する範囲)だ。郷土愛自体が己の生命活動(人生)に対する愛情の延長と考えていいか。 いわば、生存本能の投影である。
これが国王や領主に仕える武人や兵士なら「雇い主(主君)とその領土に栄光あれ」ていどの発想はあった。これは生存本能のほかに、信仰と関係がある。
封建時代の西洋は、いざと言う時部下に命を投げ捨てて貰うために、「神の事業」を主君へ投影させ、神の事業に仕えることを名誉(=自己実現)だと思わせることで生存本能をごまかし押し殺させていた。
だから国王の地位は教会(=神の代理人)が任命していた。そうすることで自動的に「国王に仕える者は神の事業に仕える者である」という認定手続き(=暗示)がなされる。

なお、「神」はユング心理学だと「一人ひとりに宿るセルフ(自我や顕在意識と無意識を合わせた精神世界全体とその中心的存在。時に自我や人知を超えた理想像になったり自己実現の象徴になったりする)を投影させて作り上げられたイメージ」が元ネタだとされている。「神」のイメージはセルフがモデルになったと言っていい。要はあれ、内面の投影ってことになる。西洋では「セルフ→神→雇い主(主君)とその国」という2重の投影図式が出来ているわけだ。
(この手法の日本版が『現人神』の概念、その概念は近代になると靖国神社や明治政府が戦没者をヤマトタケルになぞらえて供養する習慣を生んだ。ある意味近代日本は同時代の西洋よりも封建的) (スピリチュアル系ならセルフをハイアーセルフと呼ぶ人もいる。魂と呼ぶ人もいるかも)

で、近代に入ると科学や近代的自我が発達したせいで信仰や教会の力は以前より薄れてしまい、神を投影させることで暗示をしっかり刷り込むことが出来なくなってしまった。これからばんばん戦争してのし上がっていこうって時に、人々がこれからも都合よく動いてくれないんじゃ非常に不都合だ。じゃあどうやって人々を思い通りに動かすか。
そこで出てきたのが近代国家用の価値観を作って人々に刷り込むアイデア。
生存本能をごまかし押し殺させるための次なる方法は、「国家にセルフを投影させ同一視させること」だ。セルフと国家を一心同体にさせる、国旗や国歌は国家のご神体(=セルフのご神体)として神聖視させる。
生存本能を封じるために己の内面を投影・同化させると言う点では封建時代の手法を引き継いでるこの手法もまた、信仰の一種だ。

「国家=セルフ」。こう仕向ければ、人々は己のセルフ(自己実現の人生や自尊心を含む)を国家が代替してくれると無意識に思い込んで、代替してくれるもの(国家)を必死で守ろうとしてくれる。自尊心と自己実現への想いを愛国心にすり替えるのだ。 そうやってしかるべき価値観を刷り込む。
人々は「国家(セルフ)が死んでしまったらどうせ生きてたって仕方がないのだから、国家(セルフ)を守るために命を捧げよう」と思ってその通りに動いてくれるから、戦争するのにとても便利だ。
(でもこれ、ある意味矛盾してる。『自己実現の人生を守るために死ね』って言ってるようなもんだから。そのことに気付かせないためにも、国家のために命を捧げることと自己実現と混同・同一視させることがミソ)

◆国家にセルフを投影すると・・・?
人々は国家や指導者の成功や快挙を自分のことのように喜んでくれる(しばしば近代オリンピックの場でも自己実現を投影させる心理が見え隠れする)。国家にセルフという名の「素晴らしいもの・至上のもの」を投影・同一視 してるだけあって、国家が完全無欠の至高のもの、素晴らしいものに見える。欠点など見えない。見ようとしない。
その代わり、国家が失敗したり批判に晒されれば己の人格や人生が損なわれたかのように落ち込んだり、魂そのものを攻撃されているかのような強いストレスを感じたりする。政治的に意見の異なる人間を見ると己の人格を否定したり自己実現を邪魔する敵のように見えてしまったり、そのせいで自分から相手に攻撃を仕掛けてしまうことも。

人々はいわば、自分個人の独自性(個性)や人生、それが秘めた自己実現の可能性、それに対する愛情(自己愛・自尊心)といったもろもろを、全て人質にとられて封印・抑圧されたまま気付かずに手の上で転がされている状態だ。
(ほとんど自分の魂ともいえるそんな大事なものを人質にとられて気付かないまま縛られ支配されている様を、口の悪い人は『衆愚』とか『愚民』とか表現することもある)
・・・ここまで来るともはや立派な「自己否定」だと思う。
(奇しくも、ユング心理学のセルフは日本語で『自己』と訳されている)

セルフを無意識に投影・同一視したために悲劇が発生した例を挙げておこう。例えば敗戦時の日本。己のセルフを投影した昭和天皇によるまさかの玉音放送&人間宣言を聞いて落ち込んでしまった人が出たケース。
有名人なら三島由紀夫。彼は幼少期から抑圧されがちだった己の自己実現を日本国へ無意識に投影・同一視してきたために、戦後日本の急速な変化を見て「自分の自己実現を注ぐべきもの(日本)が勝手に本来の姿から変形させられていく、自分の自己実現が侵されていく」と勘違いしてしまった。彼が「盾の会」を結成して守りたかったのは、日本国ではなく投影・同一視によって人質になってしまった己の自己実現の方だろう。狂おしい日本への想いは、己の自己実現に対する想いだったのかもしれない)。
最近なら抑圧下のチベット。ダライ・ラマ法王に己のセルフを投影している信仰厚いチベット人達の一部が、進展しないチベット問題と亡命地で高齢化していく法王を見て、法王が祖国に帰還する希望(=己のセルフが正常に復帰する希望)が消えていくことに耐えられず焼身自殺してしまったケース。
(実はチベット、20世紀中ごろに中国が占領するまで封建社会だった)

また、セルフが人質にされて抑圧されていると、セルフの一部である自我の発達も抑圧されやすくなってしまうため、ちょっとした刺激で煽動されやすい。格段に洗脳もしやすい。最悪の場合、セルフを投影・同一視した別物(ニセモノ)を盲信し言いなりになる。その結果、国民性に合わせていろんなところにしわ寄せが出る。洗脳されて「意義ある忍耐」と「泣き寝入り」の区別がつかずに混同してしまっている国や、煽動されて「正義」と「弱いものいじめ」の区別がつかずに混同してしまっている国、テロと聖戦の区別がつかず混同してしまってる人・・・
そしてこんなところにも煽動されやすい人たちが・・・

戦時中だけではなく21世紀の今でも、自我が発達途中でまだ自尊心の不安定な若年層が、愛国心と自己実現・自尊心等を混同させられて簡単に感化されてしまう(そうやって過激派に勧誘され引っかかる)現象だってありうるかもしれない。

実を言うと、国民が国家や政党に自己実現を投影し代替させてる(人質化してる)時点で、その人達は「国のため・党のため」と言いながら実際は「自分の感情や欲求を満たすため(自己実現欲求を満たすため)」にしか動いていない。国家に尽くすと見せかけてるけど、本当は自分に尽くしたいだけだ。何故なら、人々が国家を通して見ているものは、自分自身の抑圧された自己実現だからだ。
「自己実現ために己を尽くしたい」。それ自体は誰もが本能的に持ちうるごく普通の心理であって何の問題もない。つまるところ国に自己実現を投影して生まれた愛国心は己の生命活動(人生)に対する愛情であり、国を愛する気持ちの正体は即ち「愛すべき生命活動(人生)を大切にしたい気持ち」の裏返しだ。人は皆、本能的に自己実現が大好きなのだろう。
だが、悪くするとその自己実現が抑圧されてて満たされないために、目先のエゴを自己中心的に満たすことで自己実現の代用(代替)にしようとしてしまうこともある(一種のカタルシス願望てやつだ)。

そういった背景と動機(あくまで自分の感情を満たすこと)に基づいて政治家や政党を応援したり何かに立候補する例は古今東西あるし、日本ならそのためにフリーチベット遊び・嫌韓遊び、放射脳的反原発活動をすることもあるし、一時の気まぐれな感情移入から被災地支援をすることもある。この手の活動は、目先の感情が満たされるか、本来の欲求が満たせないことに無意識が気付いてすぐ飽きちゃったりして割と早く頓挫するからすぐに下火になる。そこが普通の支援活動や社会運動とは違う点。
場合によっては、自己実現の代替手段(自己実現を国に投影し丸投げした大衆がエゴを満たすため)に世論が戦争を求めることさえあったわけだ。
(ローマ時代のコロッセオなんかもそういう目的で使われたことがあった気がする。パンとサーカスのサーカスの方ね)

◆人質の奪還と確保
「投影」という形で人々の内面を人質にとってしまえば、その分人々をコントロールしやすくなる。とても好都合だ。人々は、無意識に多くの個性や成長の可能性・人生の可能性を封印されたまま、「ロボット人間(ヒトラーの造語)」になっていくだろう。
とまれ、投影していたものが頓挫したからといって新たな投影先を外部に求めないこともカギだ(意識的にか無意識的にか、自民党の草案は投影先を外部に求めさせてる(セルフを人質にとる)発想なんだよな・・・セルフの外部投影先を求める人が多い国は、それだけセルフが抑圧されてて自己実現が抑圧されてる人が多い国だってことだ)。
外部に投影しちゃった(人質に取られちゃった)セルフは自分の内部にしっかり引き戻す(取り戻す)方がいい。
しっかり自分の心の中に取り戻した上で、心の中にいるかけがえの無いセルフというものを日々意識しておくといい。それは、精神世界において自我を上回る巨大な存在だ。そもそも、己の内面に存在しないものは外部に投影することさえ出来ない。

一人ひとりが己のセルフをしっかり心の中に保ってその居場所を見失うことなく(人質にさせることなく)共にあるとき、セルフは最大の力を発揮する。その時初めて代替ではない本当の自己実現が出来る(そういう運気も流れる)。そう出来る人が多ければ多いほど、その国は本当に開運し、幸福度(自己実現度)もUPする。
物理世界にあるたった一つの何かにセルフ(or神)を投影している状態を解除して、一人ひとりの中にあるセルフが皆力を発動させると言うことは、「封印を解除されたとんでもない数の神の力が発動する」ということでもある。たった一つの何かに投影してた(人質にとられて独占されていた)せいで力が抑圧(封印)されうまく発動できなかった状態から、「人数分のセルフの力」が発動できるようになる。とんでもない数のセルフ・・・とんでもない数の神・・・日本風に言うと八百万の神。
(例:人口600万のチベットなら単純計算で600万人分のセルフが力を発動させることに。そうなると、中枢メンバーがせいぜい数百人程度の独裁政権が敵う相手じゃなくなる)

発動したセルフ達の力は互いに自我(人知)を超えた視点で一体化した動きをして、集合無意識規模で「スタンドプレーから生まれるチームワーク(和)」を生み出す。結果的に、一人ひとりの自己実現が意図することなく集合無意識規模でいつの間にか社会規模の開運(社会自体が自己実現した状態)を形成する。
(多分これがカミカゼと呼ばれる幻想の元ネタ)

人類史見ると、国民のセルフをたった一つの何かに投影させ力ずくで支配・統制させて和に見せかけるやり方ばかりが目立つ。本当の和には、統制するリーダーすら要らない。
個人的には、セルフを外部に投影させようとする考え方や、セルフを外部に投影させなければ成立しえない物事(手法)は、基本的に信用してない。
そういう手法を利用する団体・組織も、信用してない。


【雑感】
人々の内面を投影させて人工的に作られた便宜上の共同幻想、近代国家。日本は半世紀以上前、その共同幻想を一度頓挫させている。鳩山元首相の「国というものが何だかよく分らない」というオモシロ発言は、今ふり返ると妙に深い何かを暗示しているように見えなくもないw

一度頓挫した「近代日本」が近代西洋よりも封建的だったということは、日本人は自分達の近代的自我を欧米ほど発達させてないってことでもある。「近代的自我」というツール自体が西洋人気質の得意分野であって日本人気質の得意分野じゃないというのもある(日本の政治が根回しをメインにしてて国会では批判合戦に終始し中身のある議論にならなかったり、日本人がディスカッション苦手なのはそのせい?)。
GHQのメンバーが日本で仕事した時「日本人は我々の10代前半レベルだなあ」と感じた話は印象的。今もあまり変わってないと思う。
10代前半の貴重な純粋さと柔軟性。日本人がそれを悪用したりされたりすることなく有効活用して成長できれば、相当スゴイ可能性が広がるんじゃなかろうか?


運勢の神業←極小な「カミカゼ」の一例
日本人の暴走と傷?

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コメント

セルフを外部に投影し同一視する。
前に素粒子について書かれている記事を読んでいて、ラグビーのone for all all for one、というのが思い浮かんだのですが、この言葉に何か違和感があって、それで、このfor、という部分を、イコール=、とすればこの違和感がスッキリ解消するというのに納得した事を思い出しました。
forは、~為に、~代わりに、って事なので、国の為に、とか、王の代わりに、又は、自分の代わりに○○(スポーツ選手とか、ヒーロー的な人物)って気が付いたら、自分ではない誰か特定のものが自己のセルフになってしまっているって事ですね。本当は、内的自己と言えるセルフは、アートマンで、どこにでも誰にでもその内にある訳なので、限定して投影しようがないものだと思うのですが。
国でいうと、外側の囲いの部分、口の中に王がいてそれに、点(多分これが本当のオーナー)が付いて国と読む訳ですが、この囲いと王に点を限定して縛る為には、国旗や国歌という象徴や(forには象徴してという意味もある)表層的なものが必要という事でしょうか。
自然を観てみると、同じものが分岐して循環するという経過もありますが、例えば、仏の修行は多角形から、角を増やし花模様から数珠のような円になり、最後は、ただの円になる、この過程において、角を増やす為には点を増やさなければならず、点とは視点とも言える気がするのです。それが増える事で統合された時花は種(数珠)となり、又前とは違った新しい形で事物が造られていく。

前の記事で、AYAさんが書かれていた、
>「和(スタンドプレーから生まれるチームワーク)」というものを実現するために不可欠な神の視点。 そんな視点を持つ機能が、恐らく私たち一人ひとりの無意識の中に隠されている。無意識のそれらが集合無意識の中で連携を合わせると、古代人が憧れ想像した「神の力」が発動する。

私も、この世界に限りない憧れを感じます。

鳩山元首相が、国というものが何だかよく分からない、って言葉を読んで、NHKの宇宙の渚に使われている、アンジェラアキさんの歌を思います。
お暇でしたらどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=alomQuoI5as
神の視点は、内面を掘り下げると同時に、とても俯瞰の世界でもあるんですよね、きっと。

>サボテンさん
示唆に満ちたコメント有り難うございます。おかげで記事内容をより掘り下げて加筆することが出来ました。

「国」というものが、たった一つの点に国民全てのセルフを投影させることで成り立っているもの(共同幻想)だったなんて、とても窮屈ですね。その国にたった一つのセルフしか存在しないなんてウソです。本当は国民の数だけいます。すごい数です。
沢山いる国民一人ひとりのセルフが集合無意識規模で連携することで「和(スタンドプレーから生まれるチームワーク)」が発生します。

「ただの円」は精神的全体性及びセルフを象徴する形でもあります。
□(囲い)というものは、○の一部分を小さく切り取った、決して多角的とはいえないとても狭くて窮屈な視野(視点)が作った世界なのでしょうね。「国」という概念がそうして作られている感じ(人の心がそういう状態だからそういうのを作るのでしょう)。

(個人規模、集合無意識規模同時に)□が○へと移り変わっていく流れは和を作り、□がだんだん○になっていくにつれ、国境(囲い・視野を囲うもの)はなくなっていくかもしれません。すると○は地球そのものになりそうです。「和」の規模が、国(領土)の規模から地球規模(全体規模)になっていく。 「□→○」になっていく・・・囲いは、ゼロになる。
「全体」を一つの記号で表せば、○。
そして○はより大きな世界においては小さな点「・」なのですかね(その象徴的な形が数珠?)。

>私も、この世界に限りない憧れを感じます。

よく、「憧れるだけなら簡単だ」と言いますが、憧れる力(夢見る力)はセルフがくれたかけがえの無い能力で、未だ狭き視野に囚われた我々にとってとても貴重な力のようにも感じます。

すばらしい論考です。
ありがとうございました。
次は「ネトウヨ」「ネット右翼」に焦点を当てて記事を書いてくださいませんでしょうか?
個人的に、ネット上のネトウヨ運動は非常に奇妙に、また危ないなと感じています。
社会の中間層の崩壊とも連動している様に思いますし、
保守派による、社会秩序維持のための工作活動のようにも見えます。(底辺の不満が社会構造の破壊に向かわないようにするための洗脳、ガス抜き)

>加藤さん
コメントありがとうございます。
不況になると右左問わず過激な思想が流行りやすいのは万国共通のようですね。ガス抜き欲求を抱えた大衆心理に悪乗り(?)して擦り寄り、支持率を狙う日和見な政党や政治家ってのも万国共通ですかね。
最近は不況のヨーロッパでもネオナチが増えてるようです。悪乗りする有力政治家がいるかどうかは不明。

あえてガス抜きのために為政者がナショナリズムを煽動する手法は、アメリカや中国が顕著ですね。
現代日本では野党の立場や内閣にいない者だけが日和見でそういう発言してる感じなので、「為政者のガス抜き」という印象は今のところ感じません。

大衆心理がガス抜きを求めていて、それがイデオロギーに向かえば過激な主張になるし、文化に向かえばパンクやロックを生み出したり・・・
日本だと最近はガス抜き欲求がネットの世界で暴走するケースが増えているように見えます。震災時の偽善叩き、大津イジメ事件で大衆心理が暴走、昔はガス抜き目的でフリーチベットブームが起きたりしました。

なお、「あの手の層」をあからさまに名指しした形での記事は控えております。その手の層とも象徴的に通じる話は以下の記事等をご参考ください。
彼らの心もまた、日本の無意識の一部なのでしょう・・・

http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/2-f99e.html

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