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2012年3月 1日 (木)

邪馬台国と大和国?

「卑弥呼の宮殿」の南端?を発見 [奈良]

2012年2月16日(木)、奈良県桜井市教委は、邪馬台国の最有力候補地とされる「纒向(まきむく)遺跡」で、「卑弥呼の宮殿」との指摘もある大型建物跡の南側から溝が出土したと発表した。

邪馬台国の所在地に九州説と畿内説があるのは、あの当時の日本を記録した中国の歴史書「魏志倭人伝」の中に邪馬台国へ行くルートの説明が九州までしか記載されてないかららしい。 当時の日本には歴史書を作る習慣がまだなかった。それで研究には中国の歴史書を頼ってるわけだ。

◆邪馬台国と大和国?
案外、邪馬台国は卑弥呼が女王に着く前の、倭国大乱の時代から九州~近畿にかけて徐々に勢力圏を拡大していったんじゃないかな。九州から「東征」していって出雲で「国譲り」が起きて、やがて畿内にまで守備範囲を伸ばしたとか。
あの当時は人口も少ないし、人の居住エリアも限られている。広い土地の中をわずかに分散する小さな集落みたいな「クニ」をいくつか掌握できれば短期間で畿内までの広い縄張りを作れちゃったのかもしれない。
そうやって邪馬台国は戦いを繰り返し、いくつかの地域(クニ)を纏め上げる連邦国家的・帝国的なものになっていった可能性もありえなくはないと思う(卑弥呼の代になって、邪馬台国は近隣諸国の上に立つ国としての権威付けに魏の国から金印を得ようとした?)。
それと、邪馬台国の「台」は「と」とも読むらしい。そういえば卑弥呼の後継者の名前は台与(とよ)だ。 多分、邪馬台国は大和国になったんじゃないか?

◆アマテラスとスサノオ 卑弥呼とその弟
話はぜんぜん変わるが、今回の発見があった纒向(まきむく)遺跡のある奈良県桜井市といえば、台風12号が来たときに市内にあるスサノオ神社のご神木が倒れたのを思い出した(奈良で意味深な出来事? の部分を参照)。
指定文化財になってる神事に使う大事なご神木が倒れたことで、あの神事に表現されていた呪術が機能停止したのかもしれない。毎年建国記念日になると出雲の八岐大蛇(龍脈の象徴?)を倒したスサノオと稲田姫が結婚したことを祝う神事は、いったい何を象徴していたのだろう・・・

その謎の答えを妄想していくと、スサノオの姉に行き着いた。もしスサノオの姉アマテラスのモデルが卑弥呼だとすれば(卑弥呼アマテラス説参照)。
卑弥呼が亡くなったとされる時期(247年3月24日または248年9月5日)に日本で日食が起きており、日食は太陽神アマテラスが引きこもった「天岩戸伝説」とイメージが重なる(岩戸から出てきたアマテラスは卑弥呼の後継者かも)。
また、邪馬台国は女王卑弥呼とその補佐役である弟によって統治されていたと言う。ここも姉のアマテラスと弟のスサノオとイメージが重なる。
アマテラスといえば、言うまでもなく大和朝廷および皇室神道における最高神である。卑弥呼がアマテラスぽいと仮定することは即ち、邪馬台国が大和国ぽいとすることでもある。

もしそうなら、件の神事は邪馬台国(=大和国)が出雲の土地と龍脈を掌握したことを象徴してるのかも。いわば東征の記録だ。
「鬼道(呪術)に秀でている」と記録された卑弥呼なら、龍脈を扱う呪術も出来そう・・・なんてねw

「邪馬台国=大和国」という説が個人的に気になる理由がもう一つある。
当時邪馬台国と敵対していた南の狗奴国は、国名が「犬の国」みたいな意味で、多分隼人族だと言われている。時代が下って大和朝廷が畿内に都を置くころになると、「まつろわぬ民」として征伐された隼人族は宮廷内の儀式で毎年犬の鳴きまねをさせられるようになる。 (ついでに隼人舞という溺れるマネの踊りもさせられるようになる)
「お前たち隼人は我々大和朝廷に隷属する犬っころだ」というわけだろうか。
これ、邪馬台国時代の因縁が宮廷内の儀式に受け継がれた結果だったりして。

◆空白の4世紀
研究者たちの間では、卑弥呼の時代(2~3世紀)から大和朝廷(大和王権)成立が判明するまでの間には『空白の4世紀』と呼ばれる謎に包まれた時期があるという。その時期の日本の様子を記録したものが一切見つかっていないのだ。日本が自前の歴史書を作り始めるには古事記の時代(8世紀)を待たねばならないのだが、古事記は内容がオカルトすぎ・ファンタジックすぎるし、朝廷側に都合よく書かれていてメディア・リテラシーの関係上、額面どおりに受け取るわけにはいかない。
すると、その謎めいた時期の存在によって人々のロマンと想像力が膨らみ、古代日本に関する数々の学説や異説・珍説を作り出す余地が生まれる(オーパーツとかUFOとかが出てきちゃう説さえある。マジで)。個人の妄想が入り込む余地が十分にあるのだ。
そこで私も便乗妄想してみよう。

◆個人的な妄想
倭国大乱の頃、日本列島(主に西日本?)は地方勢力(大体30ぐらいのクニ)が入り乱れて戦いに明け暮れていた。当時は男王を頂き台頭しつつあった九州の地方勢力、邪馬台国も例外ではなく、倭国(日本列島の古い呼び名)各地の人々は繰り返される戦いに疲弊していった。
あるとき、人々は戦いの終結と平和な国づくりを神にゆだねた。やがて、邪馬台国出身で呪術に秀で神と交信する能力のある女司祭、卑弥呼が倭国の王として共立された。彼女がいくつものクニを纏め上げる代表者となり、魏(中国)と国交を結び、かつては1つの地方勢力に過ぎなかった邪馬台国の名はそういったクニの上に立つ連邦国家の名前になった。卑弥呼の言葉は人々に和をもたらす神のお告げ・神の意志とされ、倭国の人々は彼女を恐れ敬い、多くのクニが戦いをやめ彼女に従っていった。こうして「大いなる和のもとに」、邪馬台国は倭国(日本列島)を取りまとめる連邦国家として九州から東方向にエリアを拡大させていった。
そしてある時畿内に連邦としての首都機能を置いた。自動的に邪馬台国の都は畿内ということになった。
ここで後に神を頂く神聖帝国「大和」の原形が誕生した(神聖帝国って表現が中二病ぽくて気に入ったw)。

けれども、和の神を頂く邪馬台国に従わず、神を畏れ敬わない「罰当たり」な勢力もそれなりに存在した。その一つが邪馬台国が九州にあった頃からの因縁を持つ隼人族(別名は熊襲)のクニ、狗奴国だ。
卑弥呼が生きていた時代が過ぎて空白の4世紀に入ると連邦の首都を拠点に大和朝廷(大和王権)というシステムが成立し、神の威光が分らない犬っころ達は「大いなる和の国(大和朝廷)」と戦い続け、5世紀ごろ敗北した(ヤマトタケル神話に戦いの様子が描写されている)。
彼らは故郷から畿内に移住させられ、朝廷は彼らの呪術をも利用した。それが本来は魔除けの風習だった「犬の鳴きまね」だ。
移住させられた彼らは宮廷の警護をするようになり、律令時代には武官の役職名として「隼人司」というのが出来た。隼人の別名は熊襲(クマソ)だが、朝廷に服従する前は熊襲と呼ばれ、服従後は隼人(ハヤト)と呼ばれるようになったという説もある。
(余談だが、明治の西南戦争が朝廷VS隼人の戦いの焼き直しに見える。明治以降の日本が第2次東征をはじめたせいで余計そう見える。運気が乗り移ったの?)

◆大いなる和の国?
妄想の続き。本来は戦いに疲弊していく倭国と人々を戦いから救うための連邦国家だった邪馬台国。それが大和国になるにつれて、徐々に国家としての意義と目的を変質させていった。「神の威光」を嵩(かさ)に着て、力づくでどんどん領土を広げていくようになったのだ(要は東征の続行。というよりここから東征が本格化)。
領土を無理に広げようとしたために、不要な戦いを自ら仕掛け、どんどん増やしていった。当初は人々を戦いから解放するために作られたはずの国で、「大いなる和」の実現に向け全ての地域と民族を力づくで神の支配下に置く長い戦いの歴史が始まった。神にまつろわぬ民がいれば和が乱れる。それなら、和に不都合なまつろわぬ民はこちらから征伐してしまおう。やつらは人間じゃない。和を願う人類の敵だ。神に反する化け物か鬼だ。
こうして、古代の時点で日本が持っていた個性の大部分は「不都合なもの」として徐々に否定され、抑圧されていった。戦いからの解放を夢見た人々は、自ら己を戦いに縛りつけ、戦いから解放されなくなった。和を夢見た者達が、何よりも和を乱す存在になろうとは。

これは、人間が度々陥る「この世から争いを無くすために力ずくでひとつの巨大な独裁政権国家を作り上げよう」という矛盾した発想の落とし穴でもある。争いを無くすための発想が争いの原因になるのだ。戦いを一掃するためには、戦い続けなければ。戦いを無くすためには何度でも戦いをしかけてやるぞ。・・・あれ?
多分、古代日本人もどこかの時点で「和」の意味がよく分からなくなってしまったんじゃないかと思う。そもそも「和」の作り方が落とし穴にはまっている。アレはどう見ても人間の発想だ。少なくとも神(人知を超えた存在?)の発想ではないと思う。
神の視点から作る「和」を仮に「それぞれの個性が発するスタンドプレーから人知を超えて生まれるチームワーク」だとするならば、人間の視点で作る「和」は「個性をつぶした統制のもとに画一的な独裁支配と服従から生まれる融通の利かないマスゲーム」ぐらいの違いがありそうだ。
オカルト視点だと東征は「大いなる和(笑)」を実現するために、太平洋戦争で敗北するまで続いた。古代の東征も、近代の東征も、戦いによって民衆は疲弊していき、貧しくなっていった。東大寺に大仏が作られたのも、度重なる戦いによる重税とそれに重なった天候不順による不作、その結果生じる栄養不足と免疫低下による疫病流行に苦しんでいた民衆を救うため(又は不満をなだめるため)という要素が含まれていたかもしれない。

彼らが持っていた「大いなる和(笑)」という発想が無意識に「戦い」を前提基盤においていために、戦いなしではその理念を成立・維持させることが出来なかったのだろう。その理念と情熱は、戦いに囚われ戦いをやめられなくなった心が原動力だったのだ。邪馬台国が九州にあった(?)頃から、人々はずっと戦いに囚われていたのだ。
(卑弥呼とその弟がアマテラスとスサノオのモデルだったとすれば、弟のスサノオがアマテラスの手に負えないほど乱暴者であるという設定がなんか意味深。)
大昔、戦いに囚われ疲れた心を引きずりながら人々は祈った。「神様、助けて下さい・・・」

そして21世紀。日本は戦いの歴史の中で抑圧され歪められていった個性と龍脈のあるべき姿を取り戻すべく、人知を超えたとんでもない力で思いっきり身じろぎをした。古代人なら、神の力が予想の斜め上を行く方向に発動したか、封印し続けてきた鬼が復活したかと思ったかもしれない。

以上、個人の妄想でした。

【オマケ】
理由と仕組みは面倒なので説明しないが、私のオカルト妄想に基づく計算では、古代日本で空白の4世紀に当たる西暦380年代(特に384年辺り?)に何かあったような気がする。災害か政治的な出来事か・・何かは分らないけど結構重要な何かが。
【オマケ2】
「鬼」描いた平安の土器 奈良・橿原の遺跡で見つかる

日本の個性化
パンツ一丁の訪問者
部分と全体 連携と循環←九州新幹線のCMに「和」を感じた。

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