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2012年3月

2012年3月31日 (土)

依存の増える時代?

(オセロ中島事件からの連想その③)
※以下に書いたことは全て一個人の意見にすぎません。依存症については専門のカウンセラーさんなどにご相談してください。

◆依存が増える時代の特徴?
心理的な依存症。現代社会はそういうものが増えているという。じゃあそんな社会の特徴は何だろうと考えて思い浮かぶのは、ともすれば生き馬の目を抜くような激しい競争のある環境であったり、外部から入ってくる多くの情報に意識が干渉されすぎてしまったり、同調圧力や流行に縛られて常に周囲の様子を伺うような強迫観念に縛られていたりという特徴が目に付く。
その結果生じることは、自分の内面(内界)を顧みることなく置きざりにして(状況がそんな時間や余裕を許さず)、外の世界にばかり意識を向けすぎているというアンバランス。
何というか、社会が個人に対して「自分の内面をみる」という作業を後回しにさせてしまう感じだ。意識の焦点が外の世界に固定され縛り付けられている、とでも言えばいいのか?
(同調圧力に縛られ外の目を気にしすぎる国民性もアンバランスに影響?)

そういうアンバランスなライフスタイルを作る社会環境・文化環境が「自分の本当の心に気付かない」「本当の悩みに気付かない」という現象を作りやすくし、また「意識の焦点が外の世界にだけ偏りすぎたアンバランス」は己が内面を見ないせいで自覚することなく抑圧してきたさまざまな欲求や感情や「本当の悩み」を、無関係な外部の物事に投影・同一視させやすい。時にはそこを悪どいビジネスや悪質な勧誘に利用されている印象さえある。そして、そういうビジネスをしている本人達もまた、自分の内面を振り返ったり見つめたりすることはないのだろう(多分)。
時には彼ら自身もまた、抑圧された無自覚な何かによってそういう商売に駆り立てられ、依存し縛られてしまっているのかもしれない。

せわしなく、考え事やボーっとするヒマと余裕がない(それを与えない)情況は、自分の心を観察したり自分の心と対話する(自分の内面を顧みて己の心を自覚する)ための時間を与えない。心にアプローチすることが困難な環境だとも言える。そんな風潮や環境が現代社会や急激な情報過多の環境には潜んでいるのかもしれない。最近の人は考えことやボーっとするような「内省の暇」があるなら迷わずネットで「つぶやき」のチェックを優先する(自分の時間をそれに縛られ、奪われている)人も増えている。

◆心にアプローチする習慣?
では、現代とそれ以前を比べた時、日常で己の内面を見つめる頻度に違いがあるのかというと、多分あると思う。
昔の人は己の内面や心の動きを客観的によく観察してそれらを覚えおくこと、己の心を探り自覚するといった作業の良いきっかけになる文化に親しんでいたように見えるのだ。
例えば、「禅(座禅)」や禅の精神を取り入れた文化や、ブログのような公開型ではない自分のためだけの「秘密の日記」をつけることや、短歌や俳句を書くなど、自分が感じた心の動き、「もののあはれ」を折に触れて書き記す習慣。これらをやる時、己の内面を言葉で表現できるレベルになるまで冷静に分析し観察し把握する過程が必ず入る。こういう文化、他にも探せば数多く出てくるかも。
個人的に、徒然草や日記文学として知られているような作品、または優れた心理描写が人気の源氏物語のなどは、作者が普段から己の心の動きを非常によく観察した結果の産物であるように見える。紫式部の人生には、己の中でさまざまな恋愛感情や女心が浮かんでは消えくという体験があったはず。その内なるリアルな体験を華やかに表現した結果があの物語になったのだろう。そして徒然草や各種日記文学の作者たちは、あれを人目に触れる前提で書いたのだろうか? もとは個人の覚え書きや秘密の日記な気がする。徒然草なんか執筆後百年間は誰からも注目されてなかったらしい。

とまれ、そういった文化、現代ではあまり親しまれていないものも多い。むしろ欧米でリスペクトされることが多い印象。
ただ、最近は何故か座禅(プチ座禅?)に密かな人気が出ているらしいので、人々の無意識がそのような「心の文化・習慣」の復活を求め始めているかもしれない(そしてそこに付け込む依存ビジネスには要注意)。

娯楽の少ない環境の中、内面を見ることによって生まれる豊かな文化や作品の喜びに親しんでいた昔の人は、もしかすると「喜びというものは外部からではなく、己の内面によって内側からもたらされる」ことを知っていたかもしれない。それは、ともすれば「喜び」をつい己の外に探し求めてしまう現代人と大きく違うところのように見える。
それに対し、娯楽が沢山あって外から与えられる喜びに慣れた現代人は「内側からもたらされる喜び」さえも抑圧し、それをどこか無関係な場所に投影する現象さえ引き起こしていることさえあるかもしれない。
(外から与えられる喜びに慣れてしまうということは、ともすれば創造性が発揮される機会を減らしてしまうということにつながりうるのだろうか?)

喜びというものが外部からではなく己の内側からやってくるもの、内側に存在するものだとすれば、不安や依存心もまた、外部ではなく己の内側に存在するものだろう。何でもそうだが、それが己の内側に存在しなければ、それを何かに投影したり何かと同一視することさえ不可能だ。投影や同一視が起きたということは、それは確かに己の中に、誰よりも近い場所に存在している証だ。それゆえに「悩みを作るこの不安やこの感情は己の中のどんな背景から来たものか」という発想が役に立つ。

◆まとめ
外部に投影された内なる不安は、自分の正体が暴かれることを待っている。
喜びも、幸せも、様々な素敵なものも、安心感も、依存せずに生きる前向きな力も、本当は誰よりも近い場所にあって、それに気付いて抑圧を解かれる(封印が解かれる)のを待っているのかもしれない。
そのことに気付いて欲しくて、サインを送ろうとして、我々の無意識は「投影」や「同一視」という奇妙な現象を引き起こすのかもしれない。
だとすれば、私たちはそんな無意識のサインに気付いているか? そのサインを活用できているか?

・・・てなことを、昨夜福神漬けを食べたはずみで妄想してしまった。

2012年3月29日 (木)

依存ビジネスの心理的手口について

(オセロ中島事件からの連想その②)
※以下に書いたことは全て一個人の意見にすぎません。依存症については専門のカウンセラーさんなどにご相談してください。
※注:占い依存症の背後に必ず依存ビジネスが存在しているわけではありません。占い師側は何一つ狙うことなく、不安感で自ら占いを繰り返し依存してしまう自発的依存タイプが非常に多いです。よって、「全ての占い依存症の背後には必ず依存ビジネスの手口が存在してるにちがいない!」と誤認してしまうと問題の本質を捉え損ねたり解決から遠のいてしまうので注意してください。

◆依存ビジネスの手口(一例)
さて、今回は自発的な依存症とは別の話をする。第3者がターゲットを意図的に依存へ仕向けるケースの話だ。ここでは前回の心理的な話を踏まえて、いわゆるカルトや霊感商法や一部の困った占い師が行う「依存ビジネス」の手口として最も古典的で効果的と思われるやり口をご紹介。前回書いたこの部分を思い出して欲しい。

依存者は具体的な悩み事を持つ前から無意識に不安感や葛藤を抱えているケースが多い。そしてその無自覚な(あるいはモヤモヤとして漠然とした状態の)不安感や葛藤を恋愛や仕事、自分の未来、たまたま発生したトラブル、身内の不幸といった具体的な事例(=占い師への相談内容)に無意識に投影され同一視する現象が比較的多く見受けられる。

手口はまず、依存者の相談内容(依存者はこれに無意識の不安を投影している)を巧みに利用して都合のいい「シナリオ」を作って吹き込む事から始まる。
手口に使われる最も典型的なシナリオ(常套句)は、「〇〇しないと不幸になりますよ・もっと悪くなりますよ」とか「あなたの不幸や悩みは〇〇だったせい(〇〇しなかったせい)ですよ」「〇〇すれば不幸を免れるでしょう」だ。要約するとそういう感じの内容になる話をさまざまなバリエーションに変装させて相手に吹き込む。

例えば、若い身内の不幸という出来事に無意識の不安を投影して悩んでいた相談者が依存ビジネスをする者へお悩み相談をしたとする。
すると彼らは「このまま正しい先祖供養をしないでいるとこれから身内の不幸がもっと続きますよ。亡くなられた方はあの世へいけずに迷い続けますよ」などと吹き込む。「しかし正しい先祖供養として〇〇をすれば(=私の言う通りにすれば)それを食い止められるでしょう」とか言う。これが「シナリオ」だ。
それを聞いた時、すでに無意識の不安を身内の不幸に投影・同一視していた相談者の心の中で
「無意識の不安=身内の不幸=吹き込まれたシナリオ(正しくない先祖供養)」という連想・投影を連鎖させた図式が出来上がってしまえば、結果的に「不安の解決手段=シナリオに提示された解決手段(相手の言うとおりにすること)」という自己暗示が成立する。

さて、相談内容に投影した無意識の不安(本当の不安)を相手の用意したシナリオにまんまと利用された哀れな子羊は、「もし言う通りにしなければ、取り返しのつかない不幸な事態が発生するんじゃないか?」というニセの不安に心を支配される。不安で仕方がなくなって、そこから一刻も早く逃れるために相手の助言(=命令)通りに動かずにはいられない。助言を求めずにはいられない。もはや無意識の不安をニセの不安に投影・同一視している感じだ。ここで依存が出来上がる。
そして不安感に基づいた行動(=助言どおりの行動や助言を求める行動)は、気付かないうちに不安感をより深める。不安感から逃れるための行動は、それが不安に基づく行動である以上、繰り返せば繰り返すほど逆説的に不安を強調し証明させるのだ。哀れな子羊はそれに気付かず、強調された不安から逃れる行動を繰り返し悪循環に陥る。強調され続けた不安感は、もはや「今そこにある危機」に感じられることさえある。シナリオの胡散臭さよりも強い不安感が上回って芽生えかけた疑念さえ押しつぶしてしまう。
もがけばもがくほど食い込む罠。依存ビジネスをやってる側から見ればこれほどおいしい獲物はいないだろう。ニセの不安に駆られた子羊が助言を求める度に金が入り、思いのままに支配できる。

不安が深まれば深まるほど、悪循環を繰り返せば繰り返すほど、人間の頭はパニックを起こし「不安から抜け出すこと」だけで頭がいっぱいになり、それ以外のことを考えられなくなってくる。当然判断力も失われていく。時には本当の不安を身の回りのあらゆる物事に投影し、「あらゆる物事が何もかも不安だ」と感じてしまうほどニセの不安を拡大させてしまい、その結果あらゆる物事全てに助言を求めずにはいられなくなるケースも。
箸の上げ下ろしという何気ない動作さえ占い師の助言(命令)に支配されていたというオセロ中島の依存心理にも、似たような要素があったように思える。
(オセロ中島の状態を洗脳と表現するメディアも有るが、自分の意思で助言を求めてしまう以上、厳密には『洗脳』の定義から外れる)

◆説得が効かない理由
そして厄介なことがもうひとつ。依存ビジネスの魔の手によって己の中に実在する内なる不安(=本当の悩み)をニセの不安(シナリオ)に投影・同一視させられ、なおかつ先述の「悪循環」を繰り返すことでその状態が染み込んでいる本人にとって、「シナリオで作られたニセの不安=実在する不安(本当の悩み)」という図式が出来上がってしまっていると、友人や家族といった第三者が、手口に使われたシナリオ(〇〇しないと不幸になる)がいかにおかしくて非現実的でありえないことか、実在し得ない話であるかを念入りに説得しようとした時、本人から見れば「彼らは実在する自分の不安(本当の悩み)を『存在しない馬鹿げたもの』と否定してごまかそうとしている」ように映ってしまうことがあるのだ。
依存者が囚われた「内なる不安=吹き込まれたシナリオ」という設定において、依存者が心の中に不安があるのをハッキリ感じてその実在を確信するということは、それを投影・同一視したシナリオの実在を確信するのと同じ意味になってしまう。時には、依存者にとって己に忍び寄っていた危険(シナリオの中身)に警鐘を鳴らすことなく、『嘘だ』と言い張る人間は、自分の危機意識を封じ、危険から身を守るという当然の権利を何だかんだと言っては邪魔する存在、即ち「信用できない奴」で、危険を知らせてくれる人こそが、本当に信頼できる。・・・不安の投影に支配された依存者にしてみれば、そう感じてしまう恐れさえある。
実在するものを利用して作られたニセモノは、「真実を混ぜたウソ」と同じぐらい騙されやすいものかもしれない。

また、依存ビジネス側にとっても依存者が説得されるのは想定済みで、不安を投影させるシナリオの中に「周囲の妨害や無理解」という要素を予め入れた上で吹き込むことすらある。「ここでやめたら元の木阿弥ですよ? 今までの努力が水の泡になってまた不幸に逆戻りして抜け出せなくなりますよ?」「信念を貫かなければ幸せになんかなれません」なんて言うこともありえる。

◆依存ビジネスからの脱出
さて、子羊が依存という罠から脱出するには、以前から心に実在してた「本当の悩み」と、それを投影した悩み(例・身内の不幸)と、それをネタに後からシナリオの形で捏造された「ニセの不安」という投影・同一視の連鎖をしっかりと断ち切り、それぞれが別物であることに気付く必要がある。ここは前回「対応(一例)」で書いたことと同じだ。
そもそも、相談者が無意識の不安を具体的な出来事に投影・同一視していなければこういう罠にはハマりようがない。だから投影・同一視した両者をひっぺがしてしまえば、自動的に吹き込まれたシナリオに支配されることもなくなる。
「私は身内の不幸という出来事が不安なのだ。だから正しい先祖供養をしないでいるのが不安だ。だからあの人の言う通りにしないのは不安だ」という自己暗示(自己欺瞞)は、
「私が本当に不安なのは身内の不幸という出来事じゃない。だから先祖供養の話には興味がない。あれは私の不安とは無関係だ。あの人の言う通りにする必要はない」という認識に変わる。不安の正体を知ることで不安の解決手段が「あの人に従うこと」ではなくなるのだ。

要は「無意識の不安(本当の悩み)=具体的な出来事=シナリオで作られたニセの不安」という投影・同一視の図式を、「=」から「≠」に変更するのがカギ。その時、「対応」の項目に書いたことがここでも生きてくる。
「その不安感って、その出来事やそういう話(シナリオ)が発生する前から感じてたものじゃありませんか?」
要するに、本当はいつごろからどういう不安感を持っていたのか(=本当はどういう悩みを持っていたのか)に意識を向けさせることで、図式が変化し、ひっぺがすチャンスが出てくる。
頑固なプログラムをちょいと書き換え無効化するような感じだろうか?
依存ビジネスに吹き込まれたニセの不安とその解決法(=ニセの解決法)に囚われていた心は、本当の不安感に気付くことでそれにふさわしい解決手段、真の解決法を選ぶことが出来る。

「その出来事(例:身内の不幸)が起きる前の、もとから持ってた不安感が何なのか、そっちの方には興味ありますか?」
「あなたがその出来事やその話に投影していたもともとの不安感って何なのか見つめてみたいと思いますか?」

・・・投影していた不安感の正体は、本人が不安感を投影した出来事の特徴からある程度連想できる特徴を持つ可能性もある。
(震災以降は人々が地震に対して以前から抱えてた無意識の不安を投影し同一視する風潮がある。是非本当の不安を探り向き合ってみて欲しい。デマやパニックに支配されにくくもなる)

本物とニセモノの癒着をひっぺがし、そして「本物」の方に意識の焦点を向ける。そして依存者が自ら己の心や不安の正体と向き合うことが徐々に出来るようになっていけば・・・
(個人的には、そういう自分が抱えたものの正体を突き止めるために向き合う作業って、時々どんな推理小説にも負けないとても楽しい謎解きのように感じることがある)

◆依存症で悩む人をカモにする依存ビジネス!?
ここまで書いたところで大変重要な注意事項があることに気付いた。
それは、この先、「依存症で悩んでいる人をカモにして依存させる依存ビジネス」が出てくる可能性があることだ。
既にネットでは占い依存症をターゲットにしたステマ(ステルス・マーケティング)らしき書き込みを見かけることがたまにある。「私はこの占い師に出会ったことで悩みが解消し依存症からも抜け出せました!」という類のものである。
個人的には、「〇〇のお陰で依存症から脱出しました! 自分と向き合えました!」みたいなキャッチフレーズを見かけたら要注意だと思う。また、「〇〇しないと依存症から抜け出せませんよ・本当の自分を見つけられませんよ」とか「〇〇すれば抜け出せます」とか言ってくる輩にも要注意。「本当の不安の正体が何なのか知りたくないですか? 私ならそれを知っていますよ?」とか「それを教えてくれる凄腕の先生がいらっしゃいます。ご紹介しましょうか?」もアウトだろう。
そういう類の申し出を断った時、その手の輩が「いつまで自分から逃げ続けるんですか? ここで向き合わないとあなたは二度と不安からも依存症からも抜け出せませんよ?」とか言って不安を煽って来たら明らかにクロだと思っておきたい。
上に書いたことは、私が内なる不安感をネットの書き込みに投影したおかしな妄想シナリオ(ニセの不安)であればいい。

次回は、心理的な依存が増えているという現代社会と昔の違いについてを妄想する。 読む

【4.4追記】
自分の内面にあるものを外部の無関係な物事に投影し同一視することでいいように騙されたり己の真実をごまかしたり偽ってしまうという現象は、視点を変えれば自己暗示・自己欺瞞でもある。時にはそういう自己暗示や自己欺瞞をしたばっかりに依存ビジネスや詐欺の被害者になるだけではなく、共犯者にさえになってしまうこともある。結果的には無意識に自分自身を裏切ったことになるのだ。(タロットなら剣の1逆位置)
人間の心は、無意識にやってしまった誤った解釈や認識や判断によって自分自身からも裏切られたり傷つけられたような結果を招いた時、無意識の底からとても強い怒りや痛みを発するという。
恋愛、依存ビジネス、詐欺、カルト・・・心の底から燃え上がるような強い怒りの半分は、相手と一緒になって自分を裏切った自分自身への怒りかもしれない。その怒りには、多分に「悔しさ」という成分を含んでいるだろう。
その怒りや悔しさに無自覚であれば、それを外部に投影して同一視し、問題の本質を偽ったまま投影対象に恨みや憎しみをぶつけてしまうかもしれない。正気を保つことが困難なほど強すぎる復讐心などにも、背後にはそういう要素があるかもしれない。

そして忘れてはならないのが、騙されたり被害者になったりすることがなくとも、「内なる自己欺瞞」は誰もが気付かず陥りうる落とし穴だってことだ。


オセロ中島事件からの連想
復讐心の裏側は・・・

占い師AYAとタロットの世界(終)

※この占いは、FM湘南ナパサの番組「元気が出るラジオ! 水曜ハイテンション!」における、毎月第四水曜日の占いコーナー「占い師AYAとタロットの世界」(19:40~)の内容を、許可を頂いてを文章化したものです。

今、あなたの目の前に三枚のカードが並んでいます。

     □ □ □ 
     左 中 右

三枚のカードのうち、どれか一枚を選んで下さい。選んだカードがあなたのこれから1ヶ月の運勢のアドバイスを示しています。
その結果は・・・

 


 


 


一枚選んでから見てくださいね。  
 
 
 
 
 

 
 
◆右のカードを選んだあなた◆
【剣の2】(逆位置)
自分の選択や判断に自信を持つこと、代わりに自分の邪魔をする余計なプライドや古い考えを脱ぎ捨てることがカギ。今までの視野や考え方ではバッドチョイスに見えたはずの物事が、今なら本当のベストチョイスだということに心のどこかが気付いてる暗示。迷うフリなんかしないでGO!
金運、願いをかなえるための額は順調に貯まりそう。金額よりも使い道の価値を見て。
恋愛運、カップルはお互いの連携で更に運気UP。フリーは自分を縛る固定観念やこだわり、狭い条件等を捨てて新しい恋を自由な発想で探したり見つけたりできそう。

◆中のカードを選んだあなた◆
【杯の6】
初心に帰ること、昔を思い出すことが開運のコツ。今悩みや心配事があるとしたら、それは今の物事に昔の何かを投影して不安になっただけかも。悩みや心配事が発生するもっと前にさかのぼると解決の鍵が見つかりそう。また、昔の良い思い出をふり返るとそれを生かせる暗示。
金運、コツコツ積み立ててきたものが花を咲かせる暗示。貯金や資産の確認〇。
恋愛運、カップル、フリー共に過去の傷を恋や相手に投影していないか要注意。昔のクセに気付くと今の不安も解消できそう。またカップルの場合、してもらってうれしかったことは正直に伝えて吉。

◆左のカードを選んだあなた◆
【力】
表面上は何の問題もなく良い環境や物事に見えても。自分の中では物足りなかったり発展性を感じなかったとしたら、思い切って新たな環境や違う選択を求めてみる価値はありそう。自分が何を求めているのかハッキリと理解することがその一歩。ステレオタイプに流されず、あくまで自分の求める方向に沿って考えれば優柔不断も防げそう。金運は「必要金額確保」の暗示。
恋愛運、カップルは今まで経験してないデートプランが吉。そして「不要な未練を断ち切る」のが開運のカギ。フリーは今まで自分が異性との交流に何を求め何を投影してきたかを今の自分と比較しながら見直すと吉。

約8年間ありがとうございました。学生時代から出演していたこの占いコーナーは私の青春の1ページであり、学生時代の素晴らしい体験の一つでした。この体験を将来に活かし、更に進歩・向上・発展したいと思います。

2012年3月25日 (日)

オセロ中島事件からの連想

※以下に書いたことは全て一個人の意見にすぎません。依存症については専門のカウンセラーさんなどご相談してください。

占い依存症は以前から少しずつ問題視されてはいた。そして最近になってとある占い師に常軌を逸した依存をしてしまったオセロ中島の事件がきっかけとなり、メディアも占いや霊能者や宗教への心理的な依存について興味を持つようになった模様。
そこで、かつて占い依存症チェックを作った私もひとりの占い師として個人的な印象をもとに再びその手の依存症について考えてみた。

◆依存者の心理(一例)
占いに依存する前、依存者は具体的な悩み事を持つ前から依存者は無意識に不安感や葛藤を抱えているケースが多い。そしてその無自覚な(あるいはモヤモヤとして漠然とした状態の)不安感や葛藤を恋愛や仕事(職場)、自分の未来、たまたま発生したトラブル、身内の不幸といった具体的な事例(=占い師への相談内容)に無意識に投影され同一視する現象が比較的多く見受けられる。

その場合、依存者はおおもとの不安感や葛藤を解決しない限り、それらを投影した具体的事例についてのアドバイスをもらうだけでは気分がすっきりしない。それだけでは根本の問題に目が向かず、問題の本質にアプローチが出来ないままになってしまう。本質へのアプローチが出来ないうちは本人に満足感が持てず、むしろ不安や葛藤の感覚が強まることさえありうる。それを占い師にイイコト言ってもらって紛らわしたい気持ちや、それを占い師が解決してくれるのを期待する気持ちが占いを何度も「はしご」させる心理と密接にかかわっている印象だ(ただし個人的印象であり、一例に過ぎない)。

例えば、本人は「これは恋の悩みだ」と思い込んでいるけれど、実際はその恋をする前からずっと抱えてきた心の葛藤(心の悩み)が恋愛をきっかけに表面化しただけ、というケースも結構ある。
例えば、片思い・両思いを問わず、その人との恋愛自体が無意識の葛藤や不安感やコンプレックスを原因・動機にして発生しており、そのことに本人が気付いた時、
「自分の中にこういう葛藤やコンプレックスを抱えていなければ、この恋に執着したり振りまわされなくて済んだかもしれない。そもそもこの恋は存在していなかった(この人を好きにならなかった)し、この悩みも存在していなかった」
というケースもある。
己の抱える本当の悩みが分らないということは、その悩みからの脱出によってなしうる「本当の望み(本当の可能性)」も分かっていないということでもある。
オセロ中島の場合も、占い師への依存に己を駆り立てる「本当の悩み」と「本当の望み」を知ることが今後重要なテーマになっていくかもしれない。依存を引き起こす原因を己の中から取り除かないと、また別の相手に依存しかねない。

◆対応(一例)
以上のことから、周囲の占い依存者への対応としては、本人の持つ「おおもとの悩み」というものが存在しうることに意識を向けさせるのが一つの方法と言えるかもしれない。本人が占い師に相談している悩みごとについて、
「その悩みから一番強く感じる不安感や嫌な気分って、どんなものなんですか?」
と尋ねて、本人が自分の抱える感覚を言葉で表現できるレベルになるまで観察し見つめてもらう。その上で、
「もしかして、その悩みで感じる不安感や嫌な気分、今回の悩み事が発生する前からずっと心の中に抱えてきたものじゃありませんか?」
と問いかけるような対応も一定の効果があるように見える。要は「本当の悩みはそれではないのかもしれない」とか、「自分は本当はそういうことに拘っている訳じゃないのかもしれない(そんなことは必要としていないのかもしれない)」という可能性を提示するということでもある。
何度も占いを繰り返しているということは、占いで問題が解決していないということなので、よりその可能性は高い。本当に相談したい悩みが分っておらず、時にはそのせいで相談すべき相手を間違えている場合も。
依存者が自分の悩みの本質をうまく把握できない(おおもとの悩みをみつけられない)ことが原因で、内面の葛藤や不安感を投影した同じタイプ(似たパターン)の悩みを繰り返したり増やしたりしてしまうことも多い。

おおもとの悩みは人それぞれの人生や個性を反映し千差万別で、それを直接解決する力は自分の中に備わっている。その力は決して占い師の力ではありえない。占い師はせいぜい本人がハッキリ気付けずにいたおおもとの悩みと向き合えるようなアドバイスが出来る程度。
占いの相談件数で最も多いのは恋愛。その人の恋愛模様には、意識せず心の様子が反映されることは多い。

以上、自発的な依存症について妄想してみました。
次は第3者がターゲットを決めて意図的に依存を促進するケースに注目。オセロ中島もハマったかは定かじゃないが、いわゆるカルトや霊感商法がよくやる「依存ビジネス」の手口を妄想してみた。 
妄想を読む

【オマケ】
震災以降は地震というものに内なる不安を投影している人も多いだろう。地震に投影した「おおもとの悩み」にアプローチしてみるいい機会だ。その不安は、その悩みは、震災が起きるよりずっと前から心の中にあったはず。

2012年3月22日 (木)

朝日の占い記事写真

以前、朝日新聞の夕刊に私の占い依存長チェックが載ったことをブログでも書きましたが、その新聞記事を写真に撮ってブログにUPされている方がいらっしゃったので参考までにご紹介します。

渋谷陽一の「社長はつらいよ」さんより、「占い中毒注意報。僕らみんなオセロ中島?

依存症チェックリストは項目が多いので、全体の中でも人目を引きそうなホンの一部分だけをピックアップして掲載された形です。
実際のチェックリストはこちら

2012年3月21日 (水)

メキシコの地震とマヤ文明の奇妙な偶然?

メキシコ南部でM7・4…米大統領の長女は無事

米CNNテレビによると、11人が負傷したが、死者は報告されていない。震源に近いゲレロ州内では民家など約60軒が倒壊し、約800軒に損傷の被害が出たという。地元メディアによると、オアハカ州には、休暇で友人と滞在中だったオバマ米大統領の長女マリアさん(13)も居合わせたが、無事だった。

この地震記事見てたらちょっとした偶然に気付いたので書き記す。 まず、発生時刻は現地時間で春分の日である。

次に、メキシコにあるマヤ文明のピラミッド(チェチェン・イツァ)では春分の日、ピラミッドが真西から太陽に照らされる僅かな時間だけ階段部分に「ククルカン」という蛇神の姿が浮き上がる細工がされている、 通称「ククルカンの降臨」だ。(これは春分と秋分の年2回に限り起きる)

この地震は偶然にも「ククルカンの降臨」の日に起きたわけだ。今年の春分はこの地震の後にククルカンが降臨したことになる。
古代マヤ人なら、まるでこの地震がククルカン降臨の特別な前触れ、という扱いをするかもしれない。
「今年のククルカン降臨は、いつもと違う。何か特別な意味を持っているのかもしれない・・・」
そんなふうに思ってしまうだろうか?

このちょっとした偶然の一致は、今年が2012年なせいでオカルトマニアの間では格好の話題になるだろうか?

ともあれ、被災地には心よりお見舞い申しあげます。

【備考】
マヤ文明の世界においてククルカンは創造神であり、人間に文明を授けた神だ。 平和を好む神でもあり、人々に人身御供の儀式をやめさせた神話を持つ。地震の日に出現したこの神のご利益にあやかって、地震の犠牲者が出ないか少ないことを祈りたい。

2012年3月20日 (火)

ラジオ出演終了のお知らせ

長い間平塚のローカルラジオ番組「水曜ハイテンション」に出演して「占い師AYAとタロットの世界」をお送りしてきましたが、次回3月28日を持って出演及びコーナーを終了いたします。
リスナーの皆様には長い間お聞きいただきまして有り難うございました。

2012年3月15日 (木)

ブログ引越し完了

旧ブログ「占い師の囁き」は引越しと共に「AYAのブログ」として再スタートを切ることになりました。必要に迫られた引越しをきっかけにしてブログの名前を変えたのは、「占い師」という肩書きに限定されない、より広範囲な世界を持つありのままの自分としてネットで自由に活動できる場が欲しいと感じるようになったからです。

私にとっては「占い師」としての活動も一種の個性表現でした。ただ、その肩書きに基づく範囲に己を制限し閉じ込めるのは窮屈にも感じるようになりました。占い師としての私は、私のという人間のホンの一側面を表す個性であり、私全体のホンの一部分なわけです。どんどん広大に個性化していこうとしている私の心が特定の狭い範囲を示す肩書きだけでやっていくことを窮屈に思うようになったようです。
学生時代に個性化の過程で生まれた「占い師」としての私の個性の他にも、これからどんどん色んな個性を出したり使ったり、新たに発生させたりしていきたいと思います。
(とはいってもすぐにそれほど大きくは変わらないと思います。しばらくは今までと同じ感じかも)

そんな感じですが、ひとまず宜しくお願いいたします。


Zuiun2

この写真を撮影したときのエピソードはこちら

2012年3月13日 (火)

桜島噴火から連想したこと

桜島が爆発的噴火、警戒必要範囲を拡大

12日午後3時7分、鹿児島市・桜島の昭和火口(標高約800メートル)で爆発的噴火が発生し、火口の2合目付近まで、直径50センチ以上の噴石が飛んだ。

丁度1年前に開通した九州新幹線は微妙に龍脈を刺激するルートをとっている。
刺激される龍脈エリアに桜島がある。
なもんで、この新幹線が刺激を開始したぴったり1年後に桜島で爆発的噴火が起きたのは非常に興味深い偶然。

丁度1年前に爆発したのは日本の鬼門エリアにある原発。
それもあって九州新幹線は開通をおおっぴらに祝えなくなってしまい、出来の良かったCMも放送できなくなってしまった。
(CMは後にカンヌ国際広告祭で金賞受賞)
そのぴったり1年後、今度は裏鬼門の桜島が元気よく爆発。この噴火がまるで景気づけみたいに思えてしまうのは、私が降灰の被害を知らない関東人だからかもしれない。

九州新幹線のCM、マスゲームのような統制された動きではなく、同調圧力の結果でもなく、皆が思い思いに自由な自己表現をしていることでとても楽しくクリエイティブな光景になっている。思い思いに好き勝手な動きをしているのにそれが素晴らしい演出になっている。参加者の自由な感性と表現とそれらをうまくまとめた編集の妙か。

このCMから受け取る印象は
「チームプレー(マスゲーム)」じゃなくて、
「スタンドプレーから生まれるチームワーク」の方だと思う。
個人プレーと集合無意識の高度な連携技とでも言えばいいのか。
集合無意識が個人プレーを調和の取れた順序とタイミングに「編集」する感じ。それは「神業」といってもいい。
そしてそれこそが、日本が古来より重要視してきた「和」の本当の姿だったんじゃないかと思う。

和という神業をもたらす「神」は、集合無意識の中にいるのかもしれない。そしてその集合無意識を構成するのは私達だ。だから神は八百万(『すごく沢山』の意)いるのかもしれない。
日本では時代が下るにつれてこの高度な「和」を行うことができなくなっていったような印象もあるのだが、このCMを見ると抑圧されていったそれが復活し、リニューアルする可能性もあるんじゃないかと感じる。

東征や歴史の流れで抑圧されていった日本の個性が解放された時に起きることは、ソレなのかもしれない。

めでたいはずの開通日に未曾有の災害と事故が重なってしまうというなんとも言えないタイミングのためにTV放送されることがなかったこのCM、震災と原発事故のダブルパンチで呆然と途方にくれた大衆心理に癒し効果をもたらしたらしく、当時ネットで大人気になった。
別の見方をすれば、開通があのタイミングだったからこそ、あのCMが最大の効果を発揮したんじゃないかとも思うのだ。

やっぱこれも神業?

朝日新聞の夕刊に載りました

本日の朝日の夕刊11面、「占い中毒 注意報」という見出しの社会面記事(11ページ)に「占い依存症防止のチェックリスト」の一部が載ってた。

実はこれ、父が亡くなった翌日に取材を受けていたもの。取材依頼が来た時、「朝日新聞」というから最初イタズラかと思って仕事柄メディアの取材以来に対応した経験を持つ父に相談してしまった。
そして父からアドバイスをもらった。それが父の生前最後のアドバイスになった。

「どういう形で掲載するか分ればご連絡できると思います」と言われたが、連絡は来なかった。
どうせならいつの新聞に載るか連絡してほしかったな・・・
母が朝日を購読してなかったら見落としていたところだ。

ネットで購読されている方のみ記事全文の閲覧が可能

2012年3月12日 (月)

重要なお知らせ

現在、大変個人的な事情により、今後の展開や結果次第では、3月31日をもってこのブログと占いサイト「占い師AYAのテーブル」を閉鎖する可能性が出ております。
まだそうなると決まったわけではないので、万一を考えて念のためにここでご報告しておきます。

突然のお知らせで大変恐縮ですが、宜しくお願いいたします。

2012年3月11日 (日)

悲しみは宝物を得ている証

東日本大震災1年 追悼式で1200人黙祷

政府主催の「東日本大震災1周年追悼式」が11日午後、東京都千代田区の国立劇場であり、天皇、皇后両陛下、野田佳彦首相、各地で被災した遺族代表ら国内外の約1200人が出席した。地震発生から1年の午後2時46分に全員で黙祷(もくとう)。首相の式辞に続き、天皇陛下が「おことば」を述べた。

※以下は先月父を見送った私個人の考え方です。ニュース見て連想しました。

その人が亡くなることで悲しみを感じるということは、その人との思い出が尊く幸せなもので、自分がその人から多くのものを貰っている、その人といたことでかけがえのない自分だけの宝物を得た証でもある。自分の中に、とんでもない宝がある証。自分が幸せを知っている証。自分が不幸じゃない証。
それはいわば、その人がくれた魂の栄養のようなもの。
自分とその人が交流し連携することで自分の内部に作られた自分だけの特別な栄養のようなもの。
故人がそばにいてくれたことで自分の得たものがどれだけ尊くすばらしいものかに意識を向けたい。そして感謝したい。

そして、その栄養を未来に活かすことがとても重要になる。それは自分にしか出来ないことだし、ある意味では、そのために故人は生前自分と共にいてくれたような部分がある気がする。故人の死で生前共に培ったその栄養まで死んでしまったとは思うべきではない。自分が死んでも私の中の栄養は生き続けられるようにしてくれたのだから。 生前の父との間に様々な思い出や経験・体験が積み重なっていった期間は、いわば栄養を食べていた期間、あるいは内部に栄養を取り込んでいた期間ではないかと思う。お腹の中に、栄養が積み重なっていったのだ。
栄養を食べていた時は、とても幸せだった。自分の感性をフルに活用して、アレをとてもおいしく味わえたのだ。
(亡くなってしまうと、多分あったはずの不満が消えてよい記憶ばかりが思い出されるのが不思議だw おいしい記憶しかないw)

栄養を食べるおいしい時間は、ある日突然終わってしまった。
夢中で食べていたら、いつの間にか食べ終わってしまったのだと今は思う。
正直、ずっとそばにいて欲しかったし、ずっと食べていたかったよ。
退職してから2年しか経ってない。これから第2の人生じゃないか。子供の頃は毎日夜遅くまで仕事してて、平日はあまり顔を見ることが出来なかったから、これから毎日あなたが家にいるのはなんだか嬉しかったよ。
退職後の2年間は私が子ども時代の寂しさを癒すのにギリギリ残された時間だったんだね。肺のレントゲンがあんなに真っ白になるまで、ずいぶん長い間ふんばっててくれたんだね。

あなたがくれた「栄養」を、ある時突然食べ終わっちゃった。
でも、「食べたらなくなっちゃう」わけじゃないのよね。栄養は食べた私の中に移動しただけなの。食べたら移動するのは当たり前だよね。
それと、栄養ってのは食べ終わらないと未来に生かせないんだよね。
だから、必ずいつか食べ終わらなきゃいけないんだ。
あなたが逝った時が食べ終わった時なんだね。
あなたが逝った時が栄養を生かす時の始まりなんだね。

子猫がミルクを夢中で飲んでお腹をぽんぽこ膨らませ、やがてお腹に入ったミルクが子猫を立派に成長させていく。そんなイメージ。

栄養を食べて、宝を得て、それを未来に活かし、成長する。あなたと交流した「私」という魂にしか出来ないこと。
あなたは、そのために私のそばにいてくれたんだね。
活かさなきゃ。でないと栄養を食べたかいがない。宝が宝でなくなってしまう。あの時食べた栄養のおいしさは、未来の可能性の証しなんだ。

あんなにステキなものを頂いたんだ。それで未来を創れば、未来が悪いものになるはずがない。

魂の絆(オカルト注意)

2012年3月 6日 (火)

新発見の小惑星から連想

小惑星:アマチュア天文家・佐藤さん、「Tohoku」と命名 3.11南の空に輝く /岩手

震災で、佐藤さんは天文仲間だった宮城県石巻市の友人を津波で失った。また、入間市の避難所でも福島県から避難した被災者たちを行政職員として支援し、命名への思いを強くしたという。これまで発見した小惑星の軌道を計算した結果、Tohokuが偶然にも今年3月11日に太陽や火星などとほぼ一直線に並び、最もきれいに輝くことから選んだという。

「Tohoku」が見える南は五行思想で火の方角。奇しくも今年3月11日に「Tohoku」と一直線で並ぶ太陽と火星は火の惑星。そして「Tohoku」の位置する獅子座は火の星座。
方角、惑星、星座・・・「Tohoku」にはなぜか火のシンボルがてんこ盛り。
「Tohoku」の公転周期は3.69年。語呂合わせするとミロク(弥勒)である。
弥勒ってのは「弥勒菩薩(マイトレーヤ)」の略で、仏教的な終末思想においては救世主に相当する存在でもある。
こう書くとこの小惑星、なんかすごくありがたそうな感じがするw

そんなことを考えていたら妄想が沸いた。
仏教というモノは本来基本的に、人間ひとりひとりの内面的な変容や意識変化について哲学したものだといえる。なので、「弥勒」はイエス・キリストみたいなたった一人の救世主(=特定の個人)ではなく、一人ひとりの心の中にあるもののシンボルではないかと思う。
心理学的に解釈するなら、一人ひとりの意識変化で一人ひとりが己の救世主になりうる、というのが仏教哲学の見解なのかもしれない。
平たく言うと、仏教哲学は「自分が心の中に『悩み』を作りあげたのである限り、自分自身がそれを解くカギを無自覚に持っている」というスタンスなのかも。
(まあ、自分が存在する前には『自分の悩み』も存在しないわな。悩みの作り手が存在しないのだから)

もしもオセロの中島がこの発想を知っていたら、占い師(霊能者?)に依存することも、その依存心理につけ込まれて洗脳・支配されることも防げただろうか?
彼女は、己の中に秘められながらも抑圧されて生かされぬままの「弥勒」を件の占い師に投影し、同一視のあげく誤認したのだろうか? だとすれば、占い師と共謀して己を酷く騙したことになる。ある意味では自分自身すら詐欺と洗脳の共犯者だ。己に対する最大の裏切りかもしれない。

「弥勒」と呼ばれる意識変化がどんなものかについては、伝統的にタロットの「力」が表現してきたイメージ(獅子が貴婦人になついてる図)にそのカギなりヒントなりがあるような気がする(過去記事参照)←右クリックで別窓
「力」のカードは獅子座に対応するカードでもある。
おそらく、獅子を手なづけた貴婦人の正体は、戦車のカードにおける車のオーナーだろう。彼女だけが、車の暴走(=荒れ狂う獅子)を鎮めることができるのかも。彼女と獅子。彼女と車。その連携した絆の中に調和があり、弥勒が起きる?

人間は、己の中にいる「貴婦人」との繋がりを抑圧したり遮断したりすべきではないのかもしれない。わりとやっちゃってるけど。

【オマケ】
心理学的に、「火」や「太陽」は自我のシンボルだ。「力」のカードに描かれるライオンを自我の化身として解釈すると意味深。自我が暴走するとろくでもないことになる。
また、究極の火気を発する原子力をライオンに当てはめても意味深。「Tohoku」は、原子力が暴走した東北に弥勒が発動する暗示の星になりうるか?
(ものの本によると、ウラニウムやプルトニウムてのは太陽などの恒星が生まれるときに核融合のエネルギー源として役割を果たすという。原子力はもともと人間用の力じゃないのかもしれない)

2012年3月 1日 (木)

邪馬台国と大和国?

「卑弥呼の宮殿」の南端?を発見 [奈良]

2012年2月16日(木)、奈良県桜井市教委は、邪馬台国の最有力候補地とされる「纒向(まきむく)遺跡」で、「卑弥呼の宮殿」との指摘もある大型建物跡の南側から溝が出土したと発表した。

邪馬台国の所在地に九州説と畿内説があるのは、あの当時の日本を記録した中国の歴史書「魏志倭人伝」の中に邪馬台国へ行くルートの説明が九州までしか記載されてないかららしい。 当時の日本には歴史書を作る習慣がまだなかった。それで研究には中国の歴史書を頼ってるわけだ。

◆邪馬台国と大和国?
案外、邪馬台国は卑弥呼が女王に着く前の、倭国大乱の時代から九州~近畿にかけて徐々に勢力圏を拡大していったんじゃないかな。九州から「東征」していって出雲で「国譲り」が起きて、やがて畿内にまで守備範囲を伸ばしたとか。
あの当時は人口も少ないし、人の居住エリアも限られている。広い土地の中をわずかに分散する小さな集落みたいな「クニ」をいくつか掌握できれば短期間で畿内までの広い縄張りを作れちゃったのかもしれない。
そうやって邪馬台国は戦いを繰り返し、いくつかの地域(クニ)を纏め上げる連邦国家的・帝国的なものになっていった可能性もありえなくはないと思う(卑弥呼の代になって、邪馬台国は近隣諸国の上に立つ国としての権威付けに魏の国から金印を得ようとした?)。
それと、邪馬台国の「台」は「と」とも読むらしい。そういえば卑弥呼の後継者の名前は台与(とよ)だ。 多分、邪馬台国は大和国になったんじゃないか?

◆アマテラスとスサノオ 卑弥呼とその弟
話はぜんぜん変わるが、今回の発見があった纒向(まきむく)遺跡のある奈良県桜井市といえば、台風12号が来たときに市内にあるスサノオ神社のご神木が倒れたのを思い出した(奈良で意味深な出来事? の部分を参照)。
指定文化財になってる神事に使う大事なご神木が倒れたことで、あの神事に表現されていた呪術が機能停止したのかもしれない。毎年建国記念日になると出雲の八岐大蛇(龍脈の象徴?)を倒したスサノオと稲田姫が結婚したことを祝う神事は、いったい何を象徴していたのだろう・・・

その謎の答えを妄想していくと、スサノオの姉に行き着いた。もしスサノオの姉アマテラスのモデルが卑弥呼だとすれば(卑弥呼アマテラス説参照)。
卑弥呼が亡くなったとされる時期(247年3月24日または248年9月5日)に日本で日食が起きており、日食は太陽神アマテラスが引きこもった「天岩戸伝説」とイメージが重なる(岩戸から出てきたアマテラスは卑弥呼の後継者かも)。
また、邪馬台国は女王卑弥呼とその補佐役である弟によって統治されていたと言う。ここも姉のアマテラスと弟のスサノオとイメージが重なる。
アマテラスといえば、言うまでもなく大和朝廷および皇室神道における最高神である。卑弥呼がアマテラスぽいと仮定することは即ち、邪馬台国が大和国ぽいとすることでもある。

もしそうなら、件の神事は邪馬台国(=大和国)が出雲の土地と龍脈を掌握したことを象徴してるのかも。いわば東征の記録だ。
「鬼道(呪術)に秀でている」と記録された卑弥呼なら、龍脈を扱う呪術も出来そう・・・なんてねw

「邪馬台国=大和国」という説が個人的に気になる理由がもう一つある。
当時邪馬台国と敵対していた南の狗奴国は、国名が「犬の国」みたいな意味で、多分隼人族だと言われている。時代が下って大和朝廷が畿内に都を置くころになると、「まつろわぬ民」として征伐された隼人族は宮廷内の儀式で毎年犬の鳴きまねをさせられるようになる。 (ついでに隼人舞という溺れるマネの踊りもさせられるようになる)
「お前たち隼人は我々大和朝廷に隷属する犬っころだ」というわけだろうか。
これ、邪馬台国時代の因縁が宮廷内の儀式に受け継がれた結果だったりして。

◆空白の4世紀
研究者たちの間では、卑弥呼の時代(2~3世紀)から大和朝廷(大和王権)成立が判明するまでの間には『空白の4世紀』と呼ばれる謎に包まれた時期があるという。その時期の日本の様子を記録したものが一切見つかっていないのだ。日本が自前の歴史書を作り始めるには古事記の時代(8世紀)を待たねばならないのだが、古事記は内容がオカルトすぎ・ファンタジックすぎるし、朝廷側に都合よく書かれていてメディア・リテラシーの関係上、額面どおりに受け取るわけにはいかない。
すると、その謎めいた時期の存在によって人々のロマンと想像力が膨らみ、古代日本に関する数々の学説や異説・珍説を作り出す余地が生まれる(オーパーツとかUFOとかが出てきちゃう説さえある。マジで)。個人の妄想が入り込む余地が十分にあるのだ。
そこで私も便乗妄想してみよう。

◆個人的な妄想
倭国大乱の頃、日本列島(主に西日本?)は地方勢力(大体30ぐらいのクニ)が入り乱れて戦いに明け暮れていた。当時は男王を頂き台頭しつつあった九州の地方勢力、邪馬台国も例外ではなく、倭国(日本列島の古い呼び名)各地の人々は繰り返される戦いに疲弊していった。
あるとき、人々は戦いの終結と平和な国づくりを神にゆだねた。やがて、邪馬台国出身で呪術に秀で神と交信する能力のある女司祭、卑弥呼が倭国の王として共立された。彼女がいくつものクニを纏め上げる代表者となり、魏(中国)と国交を結び、かつては1つの地方勢力に過ぎなかった邪馬台国の名はそういったクニの上に立つ連邦国家の名前になった。卑弥呼の言葉は人々に和をもたらす神のお告げ・神の意志とされ、倭国の人々は彼女を恐れ敬い、多くのクニが戦いをやめ彼女に従っていった。こうして「大いなる和のもとに」、邪馬台国は倭国(日本列島)を取りまとめる連邦国家として九州から東方向にエリアを拡大させていった。
そしてある時畿内に連邦としての首都機能を置いた。自動的に邪馬台国の都は畿内ということになった。
ここで後に神を頂く神聖帝国「大和」の原形が誕生した(神聖帝国って表現が中二病ぽくて気に入ったw)。

けれども、和の神を頂く邪馬台国に従わず、神を畏れ敬わない「罰当たり」な勢力もそれなりに存在した。その一つが邪馬台国が九州にあった頃からの因縁を持つ隼人族(別名は熊襲)のクニ、狗奴国だ。
卑弥呼が生きていた時代が過ぎて空白の4世紀に入ると連邦の首都を拠点に大和朝廷(大和王権)というシステムが成立し、神の威光が分らない犬っころ達は「大いなる和の国(大和朝廷)」と戦い続け、5世紀ごろ敗北した(ヤマトタケル神話に戦いの様子が描写されている)。
彼らは故郷から畿内に移住させられ、朝廷は彼らの呪術をも利用した。それが本来は魔除けの風習だった「犬の鳴きまね」だ。
移住させられた彼らは宮廷の警護をするようになり、律令時代には武官の役職名として「隼人司」というのが出来た。隼人の別名は熊襲(クマソ)だが、朝廷に服従する前は熊襲と呼ばれ、服従後は隼人(ハヤト)と呼ばれるようになったという説もある。
(余談だが、明治の西南戦争が朝廷VS隼人の戦いの焼き直しに見える。明治以降の日本が第2次東征をはじめたせいで余計そう見える。運気が乗り移ったの?)

◆大いなる和の国?
妄想の続き。本来は戦いに疲弊していく倭国と人々を戦いから救うための連邦国家だった邪馬台国。それが大和国になるにつれて、徐々に国家としての意義と目的を変質させていった。「神の威光」を嵩(かさ)に着て、力づくでどんどん領土を広げていくようになったのだ(要は東征の続行。というよりここから東征が本格化)。
領土を無理に広げようとしたために、不要な戦いを自ら仕掛け、どんどん増やしていった。当初は人々を戦いから解放するために作られたはずの国で、「大いなる和」の実現に向け全ての地域と民族を力づくで神の支配下に置く長い戦いの歴史が始まった。神にまつろわぬ民がいれば和が乱れる。それなら、和に不都合なまつろわぬ民はこちらから征伐してしまおう。やつらは人間じゃない。和を願う人類の敵だ。神に反する化け物か鬼だ。
こうして、古代の時点で日本が持っていた個性の大部分は「不都合なもの」として徐々に否定され、抑圧されていった。戦いからの解放を夢見た人々は、自ら己を戦いに縛りつけ、戦いから解放されなくなった。和を夢見た者達が、何よりも和を乱す存在になろうとは。

これは、人間が度々陥る「この世から争いを無くすために力ずくでひとつの巨大な独裁政権国家を作り上げよう」という矛盾した発想の落とし穴でもある。争いを無くすための発想が争いの原因になるのだ。戦いを一掃するためには、戦い続けなければ。戦いを無くすためには何度でも戦いをしかけてやるぞ。・・・あれ?
多分、古代日本人もどこかの時点で「和」の意味がよく分からなくなってしまったんじゃないかと思う。そもそも「和」の作り方が落とし穴にはまっている。アレはどう見ても人間の発想だ。少なくとも神(人知を超えた存在?)の発想ではないと思う。
神の視点から作る「和」を仮に「それぞれの個性が発するスタンドプレーから人知を超えて生まれるチームワーク」だとするならば、人間の視点で作る「和」は「個性をつぶした統制のもとに画一的な独裁支配と服従から生まれる融通の利かないマスゲーム」ぐらいの違いがありそうだ。
オカルト視点だと東征は「大いなる和(笑)」を実現するために、太平洋戦争で敗北するまで続いた。古代の東征も、近代の東征も、戦いによって民衆は疲弊していき、貧しくなっていった。東大寺に大仏が作られたのも、度重なる戦いによる重税とそれに重なった天候不順による不作、その結果生じる栄養不足と免疫低下による疫病流行に苦しんでいた民衆を救うため(又は不満をなだめるため)という要素が含まれていたかもしれない。

彼らが持っていた「大いなる和(笑)」という発想が無意識に「戦い」を前提基盤においていために、戦いなしではその理念を成立・維持させることが出来なかったのだろう。その理念と情熱は、戦いに囚われ戦いをやめられなくなった心が原動力だったのだ。邪馬台国が九州にあった(?)頃から、人々はずっと戦いに囚われていたのだ。
(卑弥呼とその弟がアマテラスとスサノオのモデルだったとすれば、弟のスサノオがアマテラスの手に負えないほど乱暴者であるという設定がなんか意味深。)
大昔、戦いに囚われ疲れた心を引きずりながら人々は祈った。「神様、助けて下さい・・・」

そして21世紀。日本は戦いの歴史の中で抑圧され歪められていった個性と龍脈のあるべき姿を取り戻すべく、人知を超えたとんでもない力で思いっきり身じろぎをした。古代人なら、神の力が予想の斜め上を行く方向に発動したか、封印し続けてきた鬼が復活したかと思ったかもしれない。

以上、個人の妄想でした。

【オマケ】
理由と仕組みは面倒なので説明しないが、私のオカルト妄想に基づく計算では、古代日本で空白の4世紀に当たる西暦380年代(特に384年辺り?)に何かあったような気がする。災害か政治的な出来事か・・何かは分らないけど結構重要な何かが。
【オマケ2】
「鬼」描いた平安の土器 奈良・橿原の遺跡で見つかる

日本の個性化
パンツ一丁の訪問者
部分と全体 連携と循環←九州新幹線のCMに「和」を感じた。

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