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2011年9月22日 (木)

男性的世界と地母神の再会2

◆地母神と社会の仲たがい
オトウサン(我々が今住んでる世界)がオカアサン(地母神)と仲たがいした理由の一つは、社会が男性的な豊かさで運営されていくことを選ぶようになるにつれ、オカアサンが「豊かさを生み出す力」で加護を与えてくれる意味をオトウサンが「奪い合いの戦いを勝つために豊かさ生み出す存在」と勘違いするようになったからかもしれない。豊かさを生み出す力が、豊かになるためではなく奪い合いのためにつぎ込まれる有様では、明らかに加護の意味を取り違えている。いくら豊かさを生み出そうが一部の勝者が独占するだけで全体は貧しいまま。
せっかく生み出した「豊かさ」が不要な奪い合いに使われ、そのせいで豊かさは全員へ行き渡らずに偏るばかりで格差が生じ、負け組にされた子供達はひもじいと泣く。
これだと、全員を生き残らせず全員の可能性を活かさない前提になってしまう。この前提では地母神の加護と恵みをしっかり生かすことが出来ないどころか、妨げている。
地母神の力は本来、全員が生き残り全員の持つ様々な可能性を発揮させるために「奪い合う必要がない(奪い合いが成立しない)ほどの豊かさを生み出す」力なのだから。
(地母神の加護を己の生命の可能性が成長するために活かすことが出来れば、加護を求めることは『甘え』ではなくなる。)

◆地母神の加護が発動する条件?
「奪い合うために(独占するために)豊かさを生め」と加護を要求している限り、彼女はその力を存分に発動させることはない。奪い合いは全員分の豊かさと可能性を奪うからだ。 自分の生み出した豊かさが正反対の目的で使われてしまうのだ。
極端に言えば、「もっと独占したいからもっと豊かさを生め」とか、「殺し合いに勝つために豊かな兵隊要員を生め(殺し合わせるために元気な子供を沢山生め)」と要求されて喜んだり意欲的になる女性がほぼいないのと同じかもしれない。 むしろ、そんなことばかり言って来る相手には愛想を尽かしてしまうだろう。
奪い合いのシステムを選んだ社会はその度合いが高いほど地母神の加護を受けにくいのかも。ゆえにPIGSもまた潜在的な地母神の記憶(女性的な豊かさの記憶)を持ちながら、他の国同様に奪い合いのシステムを採用したためにその記憶を発揮できずにいる?

多分、地母神はオカアサンなので、母性的な喜びを加護の原動力にしている。母性は生命の可能性が活かされることを喜ぶ。世間一般の母親が自分の子がすくすくと健康的に育つことを喜ぶのと同じだ。
(ただ生きながらえただけでも一定の可能性を発したとは言える)
それを踏まえたうえで、豊かさの低迷を抱えた世界が現在の男性的な手法一辺倒な社会を見直し、地母神の加護が発動しそうな社会システムやアイデアを立ち上げることができれば、これは大きな開運法になると思う。
先に「無意識(集合無意識)の中にしまい込んで忘れ去ってしまった女性的な豊かさの作り方を甦らせることが開運法になる」と書いたのは、そういう意味も含んでいる。
具体例としては、宇沢弘文氏の「社会的共通資本」という概念は地母神のような機能を持っている気がする。

◆「生み出し行き渡らせる」ことに意識が向きにくい?
地母神に背を向けた男性的社会の世界は、豊かさの作り方が男性的な方向に偏る。「生み出し行き渡らせる」という発想に意識が向きにくくなるのか、ともすれば競争や奪い合いばかりになってしまい、奪い合うことで稼動するシステムの中で生きている(だが、生み出さなければ奪うことすら出来ないのだ。そう。地母神は完全に愛想を尽かせた訳じゃなく、今も生み出してくれている。それが奪い合いと独占につぎ込まれると知ってても・・・)。
世界が豊かさの作り方を偏らせると、世界の豊かさ(富)も偏るのかもしれない。そういう運勢になりやすいのかもしれない。 そして富が一方に偏れば貧しさは他方に偏る。貧困側の偏りにある国々の人々は生きるためにやむを終えず富側の偏りにある国々に流入し、そこで数々の問題が発生する。「偏り」さえなければ発生しなかった問題が。(移民への憎しみを動機にしたノルウェーのテロ事件だって起きなかっただろう)

私達は奪い合いを前提にし、奪い合いを想定した能力磨きをすることは多かったが、奪い合わずに生み出し行き渡らせ循環させていくことを想定した能力磨きはあまりしてこなかったような気がする(学校教育を含め)。
奪い合うということは、「独占しあう(=循環させない)」ということ。「行き渡らせ循環させる」という流通の基本さえガン無視だ。循環させなければ行き渡らない。それは金運の流れを止めてしまう。

「奪い合うから不足する(貧しくなる)。奪い合わなければ行き渡るから不足しない」という教訓を、震災時の買占めパニックが如実に表していた。(これはあきれ返った地母神からのお告げじゃないだろうか?)
奪い合いで作る男性的な豊かさは、本当の豊かさではない。富が勝者の側に偏り循環が低下するだけで、全体の循環量は全く増えてないからだ。
全体の循環量を増やせるのは、地母神のやり方だけだ。男性的な豊かさを志向すれば、全体量を増やした分だけ勝者が独占してしまい、いくら増やしたところで何も変わらない。

◆それぞれの得意分野
「奪い合って勝ち取る豊かさ」と、「奪い合う必要がなくなる豊かさ」。どっちが本当に豊かであるかは一目瞭然だ。
豊かさを生むことに関しては、もともと女性性の得意分野だ。じゃあ男性性は何が得意なのかというと、生み出された豊かさを糧にして己の可能性を躍動させる時の瞬発力が優れている。 豊かさを素早くエネルギーに変換してめいっぱい爆発的に発揮するのがうまいのだ。
(一般的に、男性は女性より食べるスピードと食べたものをエネルギーにして燃やすスピードが速い。ただし、女性よりエネルギーを蓄えにくいので、女性より太りにくいけど粗食に耐えるのは苦手)
この能力は方向性さえ間違わなければ可能性の成長と発展に大変な頼もしさと力強さを与える。 豊かさを得た生命力の可能性が力強く発揮されれば、地母神の持つ生命力(豊かさ)の可能性が発展することでもある。それは地母神を喜ばせ、喜びが加護にフィードバックされるだろう。社会システムでもそういう「男女の連携」みたいな形の、女性的な豊かさ(地母神)に支えられて可能性を追求・発揮できる仕組みを構築することが理想的か。
言うまでもなく、男性性と女性性は適材適所で上手に連携すれば素晴らしいマリアージュである。

一部の男性的な世界では「いかに獲得したか(いかにのし上がったか)」を自慢し合う風潮があるが、「いかに豊かさを可能性と発展の拡大に生かせたか」を自慢し合うほうが次元が高いと思う。

(なお、女性性と男性性の話は生物学的な男女とは無関係である。男性でも女性性の分野が得意な人はいるし、その逆も然り)

次回で最終回。

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