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2011年9月

2011年9月28日 (水)

男性的世界と地母神の再会3

以下に書いてあることは全て個人の無害な妄想です。1と2に入れられなかった補足。

◆日本と地母神
古代だと地母神 は大概どこの国にも存在していた(=どの国も女性的な豊かさの作り方を無意識では知っていた)。日本にも地母神がいた。しかしこの国もまた、他の多くの国と同じく、歴史のなかで地母信仰を抑圧したり忘れたりしていったし、社会が男性的な豊かさの方法一辺倒に偏っていった。本当は日本の中にも、地母神という個性と可能性が眠っている。女性的な豊かさの作り方を、日本の無意識(日本人の集合無意識)も知っている。

古事記や日本書紀に出てくるイザナミという神が日本の地母神だったようだが、神話の中では火の神を生んだときに焼かれて死んでしまっている。しかし、その設定背景が象徴するものを探れば甦らせる術も見つかるだろう。
(イザナミのお墓は古代に鉄の武器作りが盛んだった出雲にある。火は男性性の象徴でもあるので、それを踏まえればイザナミの死は意味深。さらに、オカルト視点だと原子力は究極の火気でもある。最近急速に始まった原子力産業の運気衰退もまた意味深。)

日本の地母神は震災の時に無意識の底からそっと呼びかけたような気がする。
「必要なものが足りない時は、奪い合う必要がなくなるまで沢山作って、沢山送り出し行き渡らせましょう。奪い合うと行き渡らなくなるから、せっかく充分な量を作っても不足してしまいますよ。奪い合いが飢えを招きますよ。」
被災地でもない地域(必要なものが足りてる地域)が買占めパニックで商品を不要に奪い合い、挙句の果てに物資不足(飢え)を起こした日本はあの時、無意識から来る地母神のお告げをきちんと聞けていただろうか?

経済に奪い合いのシステムを採用している人類は、その気になれば、うっかり過剰生産を起こして奪い合いが成立せずに大恐慌を起こせるほどの生産力を潜在的に持っている(生産力はある意味母性的な生み出す力だ。でも今の社会は奪い合いのシステムに依存しすぎてこれを制御し抑圧しないと市場がやっていけないのだ)。
また、豊作(地母神のご加護)が発生すると奪い合いが出来ない(出来ても不利になる)せいで生産者が損をする。だからご加護をブルドーザーでひき潰す。

【オマケ】
最近は出産や豊穣を祈願して地母神に捧げられた踊りが起源というベリーダンスが世界的に流行っている。乳房が沢山付いたアルテミスの出土したトルコやエジプトなどでポピュラーな踊りだ。文化的にベリーダンスとはあまり縁がなさそうだった日本の女性達も美容と健康に効果があるというので習う人が結構いる。女性たちが商売(市場競争)とは異なる目的で習い踊りはじめたのだ。これは世界規模の集合無意識が女性的な豊かさの記憶をよみがえらせ、地母神(=女神)を地上に顕在化させようとしている兆しかもしれない(妄想)。

心の飢えが本当の飢えを招く
部分と全体 連携と循環

【オマケ2】2013.5.21追加

2011年9月22日 (木)

男性的世界と地母神の再会2

◆地母神と社会の仲たがい
オトウサン(我々が今住んでる世界)がオカアサン(地母神)と仲たがいした理由の一つは、社会が男性的な豊かさで運営されていくことを選ぶようになるにつれ、オカアサンが「豊かさを生み出す力」で加護を与えてくれる意味をオトウサンが「奪い合いの戦いを勝つために豊かさ生み出す存在」と勘違いするようになったからかもしれない。豊かさを生み出す力が、豊かになるためではなく奪い合いのためにつぎ込まれる有様では、明らかに加護の意味を取り違えている。いくら豊かさを生み出そうが一部の勝者が独占するだけで全体は貧しいまま。
せっかく生み出した「豊かさ」が不要な奪い合いに使われ、そのせいで豊かさは全員へ行き渡らずに偏るばかりで格差が生じ、負け組にされた子供達はひもじいと泣く。
これだと、全員を生き残らせず全員の可能性を活かさない前提になってしまう。この前提では地母神の加護と恵みをしっかり生かすことが出来ないどころか、妨げている。
地母神の力は本来、全員が生き残り全員の持つ様々な可能性を発揮させるために「奪い合う必要がない(奪い合いが成立しない)ほどの豊かさを生み出す」力なのだから。
(地母神の加護を己の生命の可能性が成長するために活かすことが出来れば、加護を求めることは『甘え』ではなくなる。)

◆地母神の加護が発動する条件?
「奪い合うために(独占するために)豊かさを生め」と加護を要求している限り、彼女はその力を存分に発動させることはない。奪い合いは全員分の豊かさと可能性を奪うからだ。 自分の生み出した豊かさが正反対の目的で使われてしまうのだ。
極端に言えば、「もっと独占したいからもっと豊かさを生め」とか、「殺し合いに勝つために豊かな兵隊要員を生め(殺し合わせるために元気な子供を沢山生め)」と要求されて喜んだり意欲的になる女性がほぼいないのと同じかもしれない。 むしろ、そんなことばかり言って来る相手には愛想を尽かしてしまうだろう。
奪い合いのシステムを選んだ社会はその度合いが高いほど地母神の加護を受けにくいのかも。ゆえにPIGSもまた潜在的な地母神の記憶(女性的な豊かさの記憶)を持ちながら、他の国同様に奪い合いのシステムを採用したためにその記憶を発揮できずにいる?

多分、地母神はオカアサンなので、母性的な喜びを加護の原動力にしている。母性は生命の可能性が活かされることを喜ぶ。世間一般の母親が自分の子がすくすくと健康的に育つことを喜ぶのと同じだ。
(ただ生きながらえただけでも一定の可能性を発したとは言える)
それを踏まえたうえで、豊かさの低迷を抱えた世界が現在の男性的な手法一辺倒な社会を見直し、地母神の加護が発動しそうな社会システムやアイデアを立ち上げることができれば、これは大きな開運法になると思う。
先に「無意識(集合無意識)の中にしまい込んで忘れ去ってしまった女性的な豊かさの作り方を甦らせることが開運法になる」と書いたのは、そういう意味も含んでいる。
具体例としては、宇沢弘文氏の「社会的共通資本」という概念は地母神のような機能を持っている気がする。

◆「生み出し行き渡らせる」ことに意識が向きにくい?
地母神に背を向けた男性的社会の世界は、豊かさの作り方が男性的な方向に偏る。「生み出し行き渡らせる」という発想に意識が向きにくくなるのか、ともすれば競争や奪い合いばかりになってしまい、奪い合うことで稼動するシステムの中で生きている(だが、生み出さなければ奪うことすら出来ないのだ。そう。地母神は完全に愛想を尽かせた訳じゃなく、今も生み出してくれている。それが奪い合いと独占につぎ込まれると知ってても・・・)。
世界が豊かさの作り方を偏らせると、世界の豊かさ(富)も偏るのかもしれない。そういう運勢になりやすいのかもしれない。 そして富が一方に偏れば貧しさは他方に偏る。貧困側の偏りにある国々の人々は生きるためにやむを終えず富側の偏りにある国々に流入し、そこで数々の問題が発生する。「偏り」さえなければ発生しなかった問題が。(移民への憎しみを動機にしたノルウェーのテロ事件だって起きなかっただろう)

私達は奪い合いを前提にし、奪い合いを想定した能力磨きをすることは多かったが、奪い合わずに生み出し行き渡らせ循環させていくことを想定した能力磨きはあまりしてこなかったような気がする(学校教育を含め)。
奪い合うということは、「独占しあう(=循環させない)」ということ。「行き渡らせ循環させる」という流通の基本さえガン無視だ。循環させなければ行き渡らない。それは金運の流れを止めてしまう。

「奪い合うから不足する(貧しくなる)。奪い合わなければ行き渡るから不足しない」という教訓を、震災時の買占めパニックが如実に表していた。(これはあきれ返った地母神からのお告げじゃないだろうか?)
奪い合いで作る男性的な豊かさは、本当の豊かさではない。富が勝者の側に偏り循環が低下するだけで、全体の循環量は全く増えてないからだ。
全体の循環量を増やせるのは、地母神のやり方だけだ。男性的な豊かさを志向すれば、全体量を増やした分だけ勝者が独占してしまい、いくら増やしたところで何も変わらない。

◆それぞれの得意分野
「奪い合って勝ち取る豊かさ」と、「奪い合う必要がなくなる豊かさ」。どっちが本当に豊かであるかは一目瞭然だ。
豊かさを生むことに関しては、もともと女性性の得意分野だ。じゃあ男性性は何が得意なのかというと、生み出された豊かさを糧にして己の可能性を躍動させる時の瞬発力が優れている。 豊かさを素早くエネルギーに変換してめいっぱい爆発的に発揮するのがうまいのだ。
(一般的に、男性は女性より食べるスピードと食べたものをエネルギーにして燃やすスピードが速い。ただし、女性よりエネルギーを蓄えにくいので、女性より太りにくいけど粗食に耐えるのは苦手)
この能力は方向性さえ間違わなければ可能性の成長と発展に大変な頼もしさと力強さを与える。 豊かさを得た生命力の可能性が力強く発揮されれば、地母神の持つ生命力(豊かさ)の可能性が発展することでもある。それは地母神を喜ばせ、喜びが加護にフィードバックされるだろう。社会システムでもそういう「男女の連携」みたいな形の、女性的な豊かさ(地母神)に支えられて可能性を追求・発揮できる仕組みを構築することが理想的か。
言うまでもなく、男性性と女性性は適材適所で上手に連携すれば素晴らしいマリアージュである。

一部の男性的な世界では「いかに獲得したか(いかにのし上がったか)」を自慢し合う風潮があるが、「いかに豊かさを可能性と発展の拡大に生かせたか」を自慢し合うほうが次元が高いと思う。

(なお、女性性と男性性の話は生物学的な男女とは無関係である。男性でも女性性の分野が得意な人はいるし、その逆も然り)

次回で最終回。

2011年9月18日 (日)

男性的世界と地母神の再会1

以下に書くことは全て一個人の妄想です。今回は長いので複数に分けて投下。

◆地母神の加護篤き地
最近生まれた「PIGS」と言う言葉がある。世界金融危機において金融・財政部門の改善が自国の力のみでは達成出来ない可能性のあるヨーロッパの国々の総称だ。それぞれの国の頭文字を並べて「豚」を意味する蔑称にしたもの。要するに金運の低迷を打開できずにいる国のことだ。その国々はポルトガル、イタリア(又はアイルランド)、ギリシャ、スペイン。

実はこの国々、かつてはどこも地母神信仰が盛んだった地域。現在は盛んなマリア信仰等に姿を変えてその記憶が集合無意識に存続している (アイルランドの場合は聖ブリギットにもケルトの地母神を投影している模様)。
地母神(ちぼしん)とは、簡単に言うと「母なる大地の豊かさ」を擬人化した女神である。豊穣のシンボルだ。そして「女性的な豊かさ」のシンボルでもある。 昔は世界中どこにでも地母神信仰が存在していたが、時と共に忘れ去られていった。
そして現代、地母神信仰の名残を比較的強く残している国々は、例え金運が低迷していても潜在的には豊かさを秘めている。PIGSもそのひとつだ。PIGSも本来なら地母神の加護が篤いのだ。だから盛んに信仰されていた。
ならば、なぜ今、これらの国々はその潜在的なものを発揮できずにいるのだろう? 何故今この国々の豊かさは低迷しているのだろう? 地母神の加護は一体どこへ行ってしまったのか?
ここで私のオカルト脳が妄想を開始したので、以下にそれを記録する。

◆女性的な豊かさの作り方
豊かさが限られている状態の中、奪い合いの戦いに勝利することで豊かさを獲得し繁栄する方法(奪い合いの活動を拡大・存続させる方法。奪い合いのためにはいつも何かに飢えていなければならない。奪い合いによる勝者の影に必ず敗者がいる。)が男性的な豊かさの作り方だとすれば、女性的な豊かさの作り方は、「奪い合う必要がなくなるまでポコポコと豊かさを生み出し(増やし)行き渡らせる」ことだと思う。豊かさを生み出すことが制限されている状態なら、まずその前提環境を改善してしまうやり方かもしれない。写真はギリシャ神話の有名な地母神、アルテミス。これはトルコで出土したアルテミス像だが、Arutemisu_2トルコのアルテミスは子供達(人間)が母乳を奪い合う必要がないように、とても沢山の乳房を持っているという説がある。

十分な豊かさが生み出され行き渡り豊かさを奪い合う必要がないこと(飢える者がいないこと)、ゆえに全ての子供達が生きながらえること、即ち全ての命の可能性が活かされ発揮できること。これがアルテミスをはじめとする地母神の基本的な加護の形である。
PIGSの国々でマリア信仰が盛んなのは、この地域に住む人々の無意識(集合無意識)のなかに、加護の記憶がずっと受け継がれているからじゃないかと思う。それは即ち、世界の経済活動が男性的手法一辺倒に偏っている現代では忘れ去られつつある女性的な豊かさの作り方を、記憶のどこかに隠しているということだ。
経済状態が低迷し、世界の豊かさが低迷している今、その記憶を再び甦らだせることがひとつの開運法になるのではなかろうか?

世界が地母神を忘れ去り、男性的な豊かさの作り方で社会が作られ支えられるようになってからだいぶ経つ。社会が男性的な豊かさの方法一辺倒に偏っていった世界の歴史と現代は、女性的な豊かさの作り方(地母神の加護)をずっと活かせずにいる。男性的な豊かさの社会システムが世界を支配しているからだ。そこには奪い合いとは正反対の発想と能力を持つ地母神の居場所がない。だから子供達は、彼女に会えずにいる。奪い合うせいで生み出された豊かさが行き渡らないから、母乳を貰えずにいる。

◆男性的な豊かさの世界
人々は男性的な豊かさで社会を営む道を選んだ。それ以来、男性的社会(仮にオトウサンと表現)が地母神(仮にオカアサンと表現)からはそっぽを向いて男手ひとつで子供達を育てるためには(子供達を食べさせるには)、とても沢山の奪い合いに参加しなければいけなくなった。だってオトウサンにはオカアサン(地母神)のように子供の数に見合う乳房がないし母乳も出ない。豊かさを「生み出し行き渡らせる」力がない。 ゆえに、オトウサンはたった一人で沢山の子供を抱えてとても苦労していた。
結局、オトウサンは全ての子供達全員に豊かさ(滋養)を行き渡らせることができなかった。ゆえに、全ての命の可能性は活かされず、生存競争(豊かさの奪い合い)に勝ち残った一部の子供だけが繁栄することになり、豊かさは十分な量が行き渡らず勝ち組側に偏るだけ。乳房のないオトウサンはオカアサンのように全体に対して「プラス」を生み出してあげることが出来ず、全体に対して格差を作ってやることしか出来なかった。やがてそのしわ寄せが押し寄せる。
それがヨーロッパというかつての「勝ち組」の中にいるPIGSであり、貧しい国から来た出稼ぎ移民の問題であり、世界全体の経済不振でもあるのだろう。 何というか、勝利し奪い取って作った繁栄とひきかえに「敗者」を作り出してきたツケを勝者が支払ってるような皮肉を感じる。 プラマイゼロ。

奪い合いに負けて滋養にありつけずひもじいと泣く子供にオトウサンはこう言ったかも知れない。
「カアサンのことは忘れろ。カアサンはもういないんだ。食い物が欲しけりゃ自力で他の奴から勝ち取れ。誰も俺やお前を助けたりなんかしない。カアサンから離れて弱肉強食の中で戦いながら強く生きるんだ。甘えるな。」
それを聞いた子供は心のなかで密かにささやいたかも知れない。
『オトウサンだってオカアサンがいなくて困ってるじゃない・・・もうオカアサンと仲直りした方がいいよ・・・』

次回、オトウサンとオカアサンが仲たがいした背景に迫る(妄想)。


※注:弱肉強食の奪い合いをする経済活動というといかにも資本主義的なイメージだが、共産主義・社会主義の世界だと弱肉強食や奪い合いが無いかのように表面上は取り繕えるが、実際はどこも奪い合いの勝者が権力を握って繁栄し、奪い取られた一般人民が平等に敗者という構図になっている。主義主張を問わず、「奪い合い」という発想が無意識に刷り込まれていてそれを前提に物事を進めてる限り、どういう手法を選んでも一部の勝者しか繁栄せず全ての可能性は活かせないのだろう。

2011年9月13日 (火)

彩雲

Cloud
(クリックで拡大)

古来から彩雲は縁起のいい雲だといわれている。いいことあるかもしれないな。

彩雲のギャラリーを発見
韮沢さんと不思議な雲の話

2011年9月 2日 (金)

最近の台風から連想すること

※以下に書かれていることは全て支離滅裂な個人の妄想です。

四国と近畿、暴風域へ=大型台風、3日未明に上陸-大雨警戒を・気象庁

震災以降、日本各地の龍脈が動くことで、動く前の龍脈に基づいて施されていた昔の呪術装置が機能停止(稼動停止)していってる今年は、台風でも意味深な運勢の現象が発生するのだろうか?

◆台風6号と奇妙な偶然
今年の7月20日ごろやってきた台風6号。コイツの進路と、それが通った後発生した出来事がちょっとオカルトめいてる。 6gou

まず6号の進路図に注目(クリックで拡大)。台風の目がピンポイントで狙ったように四国八十八箇所のとある札所付近にだけ接触している。ここは空海ゆかりの地であり、四国別格二十霊場第四番の鯖大師本坊がある(お遍路した菅氏も立ち寄っただろうか)。

オカルト説でいうと、四国八十八箇所はその昔空海が奈良の都とその周辺(多分帝や貴族の生活圏)のために作った結界でもある。巡礼路を設置することでこの場所の気の流れをより活性化することが出来る。
唐の長安で最先端の知識を学んだ空海によって作られた四国の結界。半分神様みたいな伝説を残す空海(弘法大師)の作ったそれが、震災後の龍脈変動で機能を停止しつつある可能性もちらほら出てきた。

台風6号の目が鯖大師付近にピンポイント接触した時、目に近い鯖大師は無事であったものの、暴風域にあった四国霊場第二十一番札所の太龍寺は倒木(樹齢約400年の杉の大木)による直撃を受けて本堂が損傷した。
(四国なら今まで何度も強い台風の直撃を食らっているはずなのに、何故今回はそんな運勢になったのだろう?)

◆奈良で意味深な出来事?
奈良のために作った四国の結界の一部が損傷した時、奈良県桜井市江包にある素盞鳴(スサノオ)神社のご神木も折れて倒れた。このご神木は「江包・大西のお綱祭り」(同県指定文化財)で綱を結ぶために使われていた。
「江包・大西のお綱祭り」はヤマタノオロチ伝説ゆかりの神事である。8つの頭を持つ大蛇ヤマタノオロチ(多分龍脈のシンボル)を鎮めるための生贄にされかけていた稲田姫を救うために素盞鳴がオロチをバラバラに切り刻んで退治したあと稲田姫と結婚した伝説に因み、毎年2月11日(要は建国記念日)に素盞鳴と稲田姫の結婚式を行うのだ。(なお、素盞鳴は皇室神道の主神である太陽神、アマテラスの弟)
そんなやんごとない神事に使ってたご神木が、折れちゃった。オカルト視点では、この神事に秘められていた何らかの呪術的機能が停止したように感じる。

台風6号による四国の札所と奈良のご神木倒壊事件の約5日後、奇妙な地震が起きた。三重県南部が震源なのに、そことは遠く離れた神武東征ゆかりの地(奈良県宇陀市)が最大震度4の揺れを観測したのだ。何故かここだけが震度4だった。
神武天皇は宇陀市で「まつろわぬ者」であった兄宇迦斯(エウカシ)を倒しており、宇陀市には彼らを祭った宇賀神社もある。 宇陀は朝廷御用達の狩猟地でもあった。
四国の札所が損壊した後、奈良のいわくありげな二箇所に意味深な現象が起きた。実は奈良及び近畿には、都を中心にした☆型の結界が作られている。四国の結界とこの☆結界がどういう関係なのかは私にはよく分らない。でも、多分かなり密接に関係してるんだと思う。同じく☆結界に守られていた京都の二条城も台風12号で被災したし・・・
震災による龍脈変動が起きている今みたいな時期は、四国の呪術装置が影響を受けると本当に奈良や近畿にも影響が出るものなんだろうか? 
それとも全てはただの偶然なのか? 

◆台風12号が接近する出雲と隠岐
今回の台風12号は四国や近畿だけではなく、出雲や隠岐にも接近するようだ。 四国や近畿については先述したので今度は出雲と隠岐について。
出雲といえば、奈良で神木が折れて機能停止した神事『お綱祭り』の由来となったヤマタノオロチ伝説の舞台もまた出雲である。
隠岐といえば、出雲に伝わる「国引き神話」だ。その昔、出雲の貧弱な土地(龍脈)を補強するために越の国(震災の余震激しい長野北部や新潟中越を含む地域)や隠岐から余分な土地(龍脈)を引っ張 ってきて出雲にくっつけたという話がある。「引っ張られた土地(龍脈)」のひとつに隠岐が含まれているのだ。
国引き神話・・・龍脈本来の姿を失わせてしまう点は、同じ出雲を舞台 としたヤマタノオロチ伝説とも似ている。 多分国引き神話とヤマタノオロチ伝説は関係があるのかもしれない。「国引き」をした八束水臣津野(ヤツカミズオミツヌ)と言う神はスサノオの子孫とされているからだ。
「国引き」はスサノオが「切り刻んだ」せいで貧弱化した龍脈を補強する(そして都合の良い姿に組み立て直す)ために行われたものではなかったか?
もしも切り刻まれていた龍脈が本来の姿を取り戻せば、貧弱化していた頃の補強処置は必要なくなる?
以前とある記事で書いた、オロチ(龍脈)を切り刻むために構えられたスサノオ像の剣が出雲市の「国引き通り」で折れた事件を覚えておられるだろうか? (ニュース記事

震災以降、歪みを解放し本来の姿を取り戻しつつある日本の龍脈・・・もしもオロチ(龍脈)を鎮めたり切り刻んだりする必要がなくなれば(オロチ神話が機能停止すれば)、スサノオは剣を必要とはしなくなり、稲田姫とスサノオは出会う理由がなくなる。結婚式をする理由も、なくなる。 国引きをする理由も、だ。
もしかすると、「お綱祭り」という神事の呪術的な機能が停止したのは、そんな背景も関わっていたかもしれない(妄想)。
もしそうだとしても、今なら何となく分かる気がする。

現在発生している台風12号は、そんないわくありげな妄想をさせる地域に上陸する。台風12号の名前は「タラス」。フィリピン語で「鋭さ」を意味する。まるで台風が「剣」の切っ先みたいだ。スサノオと稲田姫を結びつける綱、国引きで他の土地(龍脈)を出雲へ引っ張っていた綱、四国の結界を形づくる綱、近畿の結界を形作る「綱」・・・そういう様々な呪術的「綱」を断ち切る剣?
折れてスサノオの手から飛んでいったあの剣は、鋭さを維持しながら宙を舞い、「綱」に表された呪術機能を断ち切る?
上記のような妄想をした後では、ただの台風も何かオカルト的な意味のある台風に見えてしまう。

とりま、こんな下らない妄想とは無関係に、四国・中国・近畿地方の皆さんは台風に十分注意して下さい。

【2011.09.17追記】
台風12号の影響で近畿の☆形結界のうち、熊野本宮付近の綱が機能停止した模様。結界全体の機能停止は時間の問題。


参考資料:宇賀神社 お綱はんの結婚式

2011年9月 1日 (木)

【動画】象と王様

高校時代に出版した絵本をもとにした自作の動画。何度も手直ししてひと段落ついたので再度UPしてみました。
薄暗い色で書いた「象牙商人の心の声」にこだわってみましたw

原作は高校時代に出した絵本。それを文章手直しして動画化。
ごく短い地味なアニメーション作業がこんな大変なものだったとは!

原作作った当時に作品のイメージだった音楽をつけるのは楽しかった。

原作はこちら
元動画はこちら
↑画像や文字はこっちの方がキレイ。

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