東日本大震災と終末願望
恐らく、今回の震災にカタルシス願望や終末願望を投影している方々は一定の割合でおられると思う(特に被害の少ない地域か)。あの手の願望は怖い予言に投影するか、実際の出来事に投影するかで大きな違いはないと思う。願望を投影する者にとってみれば、今まで願望の投影対象になっていた「怖い予言」を今回の震災に置き換えることは十分可能ではなかろうか。
どうせなら、それらの願望の背後に隠された自分の本当の望みについて意識を向けてみるのはいかがだろうか?
だいぶ前に書いた予言とカタルシス願望2がそのアプローチに役立てば幸いである。
ついでに、今年の節分の暗示も見とく?
終末は目に見える世界ではなく、一人一人の心の中に訪れる。
« 余震多発地域の奇妙な符合? | トップページ | 「戸」のつく地名と龍脈 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 新春のおかし(2021.01.01)
- 高田賢三と手作りチョコ(2020.12.13)
- 被害者と加害者は「批判への怖れ」が強すぎ?(2020.04.20)
- 悔いなく生きよう(2020.03.16)
- 新型肺炎で妄想(2020.03.10)
コメント