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2011年3月23日 (水)

冷戦前夜に起きたこと

以下は2011年に放送されたNHKのドキュメンタリーの一部より。

20110808長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知... 投稿者 bakaTepco4

「8月9日、日本軍上層部は長崎へ接近する原爆機の情報を5時間前に傍受。しかしその情報は生かされることなく無視され、長崎には空襲警報すら鳴らなかった」・・・NHKが作ったそんなドキュメンタリーを見ていると、ある陰謀論を思い出す。
曰く、日本の降伏があんなに遅くなったのは、アメリカの核兵器開発「マンハッタン計画」の進捗状況に合わせていたからだとか、当時既に軍産複合体に牛耳られていた米政権と日本軍部(の一部?)が癒着してプロレスしていた(プロレスゆえに日本はめちゃくちゃな戦い方をしていた)からだというマニアックな陰謀論である。
そんな話がもし万が一本当だったら、「米側で実用的な核兵器が完成するまで(=市街地での核実験実行まで=冷戦型戦争ビジネス用の兵器商品デモが実現するまで)、日本を降伏させるわけにはいかない」という事情が発生することを意味する。核兵器の実用化が遅れれば遅れるほど、日本の降伏も遅れるわけだ。
また、原爆投下地の住民が予め非難してしまっていると正確な実用データが取れないから空襲警報を出さないのは理に適っているのかもしれない。
(長崎だけではなく、広島も原爆投下時には空襲警報が鳴っていなかったのは有名な話)

ちなみにマンハッタン計画が何とか人類初の核兵器を創り上げ核実験までこぎつけたのが1945年7月16日。日本への核兵器初使用はその実験から21日後、日本の降伏が内定したのは長崎の原爆投下からわずか3日後のことである。当時の傍受記録は、8月15日までに全て焼き捨てられた。

もしも広島・長崎で核兵器が使用されなければ、東西の核武装合戦に支えられた「冷戦」という現象は発生していたかどうか。少なくとも、あそこまで核ビジネス・冷戦ビジネスが儲かることはなかったかもしれない。
(ちなみに日本へ落としまくった焼夷弾の実戦データからナパーム弾が開発されベトナム戦争で使われまくったのも有名な話)

なお、以上に書いたことの半分はゲスの勘繰りである。まさかそんなことはありえない・・・と思いたい。

動画に出て来た元パイロットのおじいさん:
「それが、日本の姿ですかね。 また起きるんじゃないですか? そんなことを許していたら・・・」

・・・起きてしまいました。福島で。

動画全体の文章によるまとめ←ちなみに広島の場合は投下1時間前に異様な編隊の接近を把握していたそう。でも空襲警報は鳴らなかった。

【2015.6.25追記】
日本軍の原爆開発資料発見 京大、GHQの押収免れる

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