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2011年3月

2011年3月29日 (火)

宮崎監督、震災について語る

※以下に書かれている内容は個人の妄想です。

「崖の上のポニョ」の作者、宮崎駿氏が今回の地震についてコメントしていた。以下、宮崎駿監督「絶望する必要ない」 大震災への思い語るより一部抜粋。

「残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。これからどんな文明を作っていくのか、模索を始めなければならない」と語る一方で、「僕たちの島は繰り返し地震と台風と津波に襲われてきた。しかし、豊かな自然に恵まれている。多くの困難や苦しみがあっても、より美しい島にしていく努力をするかいがあると思っている。今、あまりりっぱなことを言いたくはないが、僕たちは絶望する必要はない」と述べた。

自然界とのつながりを遮断・抑圧し、自らの故郷であり自らもその一部であるはずの自然界への無理解と忘却によって、不自然な文明の作り方をしてしまった人間。
これからは、自然界を「災害の源」にしない文明を模索していく必要がありそう。そういう模索の向こうに希望があるのかも。
その模索は多分、本当は難しくはないのだと思う。だって私たち自身が大自然の一部なわけだし。ゆえに私達のどこかは、希望の行き方(生き方)を知っている。

「自然」→無意識(または意識と無意識を合わせた心の全体性・セルフ)
「文明」→生き方・人生
「災害」→メンタルな病
・・・上の文章をそういうふうに置き換えてみると、「ポニョ」のテーマが浮かび上がってくる。
そしてそれは、「節分の暗示」で書いたマニアックな解釈や、アダムとイブの物語に対する解釈ともつながってくる。

「風の谷のナウシカ」では、抑圧されたものが解放されることによって従来の秩序や認識が崩壊し混乱が起きる様子(タロットなら)を、怒り狂う王蟲(目が沢山ある巨大なダンゴムシ)が大暴走する現象「大海瀟(だいかいしょう)」で表現している。「ポニョ」では嵐で荒れ狂う海と大洪水で表現している。

そして我々の世界では、大地震と大津波と原発からの放射能漏れ、古き呪術とそれが支えていた運勢の崩壊・・・色んなもので表現されている。
(極論を言えば、自然との関係を歪めて自然を災害の源にしてしまう文明こそ絶望的だった可能性がある)
(古き呪術もまた、不自然な龍脈テクノロジーだったのかもしれない。高度な文明を持ちながら地殻変動で滅亡した伝説の大陸を思い出す・・・)

塔の上のラプンツェル
このアニメが中国向け市場を意図して作られた作品であることも意味深。あの国では「ポニョ」も大ヒットした。
ディズニーはあの国にいる何億ものラプンツェルと彼女を閉じ込める塔と魔女を意識している。
・・・いかにもアメリカらしい。

もしも「変えることの出来ない運命」があるとすれば、それは社会や他人によって与えられた物事の中には存在しない。社会や他人がもたらす束縛や制限は、「変えられない運命」とは違う。それは単なる束縛や制限でしかない。
「変えることが出来ない運命」。それは、本人の内面の奥深くからやってくる。顕在意識を超えた広大な無意識が、自我の抑圧を突き破って強制的に運勢を変更させようとする時にだけやってくる。
しかしそれは、本人を真の絶望から回避させるためのものだったりする。
本人が本当の希望に気付かなかったり、そこから目を背けて不自然な方向(絶望的な方向)に行こうとしてる時に、本人の自我や志向を超えて無意識が発動させる超法規的措置だったりする。

それが集合無意識規模で発生した時は、文明の方向性すら変えうる。
集合無意識のシンボルは、「海」だ。

「ポニョ」でリサが二人に言うセリフが甦る。
「どうしてこんなに不思議な事が起こっているのか、 今はわからないけど、そのうちわかる時が来るわ。」

ポニョは、日本の開運魚「クニマス」の暗示だったかもしれない。

2011年3月28日 (月)

日本が開運に向かってるとすれば

前回の日記「日本の開運?」から発展した考え方。
もし今後の日本が開運に向かってるとすれば、例え大地震や原発事故が起きてるとしても、結局は日本の開運が妨げられるような事態には展開しないはず。すなわち、余震が今以上に酷くなったり放射能で東北や関東が人の住めない環境になったり住民が不治の病になったりするわけがない。
それじゃ開運の妨げになってしまうから。

開運は「今までよりも良い方向に変化」するためのもの。風水と占星術で見ると、両方とも「激動だがよい方に変化する」という印象。
風水では古き呪術の機能停止とその翌日に全線開通した九州新幹線(列島規模の運気循環を起こす?)の気配が、占星術では84年ぶりに12星座を一周して牡羊座に戻ってきた天王星がそういう印象を強めている(天王星は6月まで牡羊座にとどまる)。

開運の流れの過程で大変なのは、今まで開運を妨げる要素(社会的・歴史的な体質とか傾向?)が長い間蓄積されている点。それを取り除く過程が大変ぽい。
筋金入りの汚部屋を本気でキレイにしようとしたら、一時的に掃除前よりめちゃくちゃになるし臭いが立ち込めてつらいだろう。一つ一つの臭い汚れを浮き上がらせる(現象化させる)必要があるから。
節分の暗示でみれば、掃除が始まっばかりの今は「塔」のあたり。それならいつかは「星」に会えるだろう。

4.5追記:
原子力の安全神話や原子力が支えていた時代の運勢は福島の原発ごと吹っ飛んだと思う。その映像は意味的にもビジュアル的にもタロットの「塔」そっくりで鳥肌が立った。
原発の屋根を吹っ飛ばしたのは水素だから、これからは水素を使ったエネルギー技術に新たな運気がめぐって来ることもあるのかな(妄想)。
「塔」の次にくる番号のカードは「星」。意味は希望。

2015年1月追記
水素エネルギー元年、街も工場も脱・石油が加速

2011年3月24日 (木)

日本の開運?

※以下に書かれている内容は個人の妄想です。

九州新幹線全線開通。理論上は九州から東北まで新幹線で行けるようになったわけだ。風水的に見れば線路で九州~東北までほぼ列島全体を気を循環させるってことになる。列島規模で気が循環すれば、その分大きな運気が活性化する。気は電気と同じで「流れる」ことで運気を生むからだ。
これを電磁コイルに例えて鹿児島がS極で青森をN極と見てもいい。両地域とも、立派な龍脈がある(桜島と八甲田山)。日本列島と同じ大きさの「電磁コイル」がいい具合に稼動すれば、日本全体の開運につながる。

列島全体の気が循環・活性化すること。これは大昔に大和朝廷を作った為政者達が各地の運気を徴収(時に搾取)して自分達だけの繁栄を得ていたレイライン呪術とそれが生み出す運勢の全盛期には考えられなかったことだっただろう。特に「まつろわぬ地」と呼ばれた場所ほど運気を持っていかれて龍脈の流れが歪んでいた可能性さえある。しかしかつてそういう地域だったとしても、これからは良い運気がしっかり流れ込んでくるだろう。もちろん東北にも。このことは災害復興に関しても良い運気を運んでくると期待したい。

日本を人体に例えれば、体の中心部だけを勝ち組にする動脈一本しかない状態の時代から、網の目のような毛細血管を得て体全体に血を行き渡らせ循環させることで全身の機能が活性化し体中が繁栄する時代にシフトしていくような感じ。全てがひとつにつながる。
全身の機能が活性化してこそ、それをフルに使って最大の可能性が生まれられる。一部分だけを活性化させて他を蔑ろにする(犠牲にする)なんてあまりに勿体無い。
以前にも経済(社会の金運)についてそんな例えをしたことがある()。

繁栄と開運の力を「勝者だけが独占して生まれる力」から「全体を循環させて生まれる力」へシフトチェンジ。これを占星術で見れば博愛とか循環がシンボルになっている水瓶座的なシフトチェンジともいえる。そして日本は水瓶座だ(建国記念日的な意味で)。

日本の開運。これはナショナリズムや選民思想といったコンプレックスの裏返しみたいな意図で言っているのではなく、むしろ「日本が本来の運気的健康を取り戻す」といった意味に近い(開運効果で大衆の無意識に潜むコンプレックスやストレスの裏返しみたいな風潮が消える可能性すらあるw)。
統制されたわけでも強要・支配されたわけでもなく、個を抑圧されることも無い、無邪気でポジティブな喜びを原動力にして作られた「ひとつ」は強い。日本でも他の国でも未だ実現したことが無いこの「ひとつ」は、何かの鍵を握っているかもしれない。

上のCM、グッドアイデアな作りだと思う。人々の笑顔がとてもいい。毛細血管が(運気の循環が)全線開通して「日本」という体の細胞が喜んでるみたいだ。となれば、CM自体に一定の開運効果あるかも。
「一つになってくれてありがとう」というフレーズもユング心理学の視点で見れば非常に意味深。心の全ての部分が統合されて心の全体性(セルフ) を得るかのようなシンボルを感じる。
多分、今は日本のTrue colors」がテーマになっているのだろう。ユングで言うなら「個性化」。
「まつろわぬ民」達は、本当はどれも日本列島のステキな個性の一つであり、魅力と可能性の源だったのだと思う。それを歴史的、運勢的に長年抑圧してしまっていた気がする。

このCMは好評らしい。集合無意識規模で日本人の心に作用してるのかもしれない。鹿児島から青森まで各新幹線の路線地域でCMの全国版みたいな動画作ればかなり開運法になりそうw


日本の個性化
余震多発地域の奇妙な偶然

2011年3月23日 (水)

冷戦前夜に起きたこと

以下は2011年に放送されたNHKのドキュメンタリーの一部より。

20110808長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知... 投稿者 bakaTepco4

「8月9日、日本軍上層部は長崎へ接近する原爆機の情報を5時間前に傍受。しかしその情報は生かされることなく無視され、長崎には空襲警報すら鳴らなかった」・・・NHKが作ったそんなドキュメンタリーを見ていると、ある陰謀論を思い出す。
曰く、日本の降伏があんなに遅くなったのは、アメリカの核兵器開発「マンハッタン計画」の進捗状況に合わせていたからだとか、当時既に軍産複合体に牛耳られていた米政権と日本軍部(の一部?)が癒着してプロレスしていた(プロレスゆえに日本はめちゃくちゃな戦い方をしていた)からだというマニアックな陰謀論である。
そんな話がもし万が一本当だったら、「米側で実用的な核兵器が完成するまで(=市街地での核実験実行まで=冷戦型戦争ビジネス用の兵器商品デモが実現するまで)、日本を降伏させるわけにはいかない」という事情が発生することを意味する。核兵器の実用化が遅れれば遅れるほど、日本の降伏も遅れるわけだ。
また、原爆投下地の住民が予め非難してしまっていると正確な実用データが取れないから空襲警報を出さないのは理に適っているのかもしれない。
(長崎だけではなく、広島も原爆投下時には空襲警報が鳴っていなかったのは有名な話)

ちなみにマンハッタン計画が何とか人類初の核兵器を創り上げ核実験までこぎつけたのが1945年7月16日。日本への核兵器初使用はその実験から21日後、日本の降伏が内定したのは長崎の原爆投下からわずか3日後のことである。当時の傍受記録は、8月15日までに全て焼き捨てられた。

もしも広島・長崎で核兵器が使用されなければ、東西の核武装合戦に支えられた「冷戦」という現象は発生していたかどうか。少なくとも、あそこまで核ビジネス・冷戦ビジネスが儲かることはなかったかもしれない。
(ちなみに日本へ落としまくった焼夷弾の実戦データからナパーム弾が開発されベトナム戦争で使われまくったのも有名な話)

なお、以上に書いたことの半分はゲスの勘繰りである。まさかそんなことはありえない・・・と思いたい。

動画に出て来た元パイロットのおじいさん:
「それが、日本の姿ですかね。 また起きるんじゃないですか? そんなことを許していたら・・・」

・・・起きてしまいました。福島で。

動画全体の文章によるまとめ←ちなみに広島の場合は投下1時間前に異様な編隊の接近を把握していたそう。でも空襲警報は鳴らなかった。

【2015.6.25追記】
日本軍の原爆開発資料発見 京大、GHQの押収免れる

2011年3月18日 (金)

被災地を思うときの注意

無事な地域の人々が被災地を思いやるのはいいんだけど、過度の感情移入はあわてた個人が的外れな物を大量発送して生じる混乱や恐怖感による買い占めパニックを誘発したり、集団レベルでストレス度が上がってヒステリーを誘発することがあるのであまりオススメしない。デマにも振り回されやすくなる。

凄惨な犯罪被害の事情聴取を担当した人が間接的なPTSDに近い状態に陥って治療を受けるケースがあるように、あまりにも深い感情移入は心のバランスを不安定にさせ、ストレスを増やしたり判断力を鈍らせたりすることもある。

感情移入のストレスが上がることで怒りっぽくなったり、誰かのちょっとした言動や言葉尻をとらえてヒステリックに集中攻撃して憂さ晴らしするような現象も増えてしまう。ちょっとした口実で因縁をつけて不謹慎だと叩くことで感情移入のストレスを発散しようとしている時点で、その人は既に心のバランスがいつもより崩れつつある。

誰かがブログで「今日のメニューはおいしく出来た」と写真つきで呟いただけで逆上しない冷静さは欲しい。快適な生活が出来ることに罪悪感を持って自分を責め続けたところで何の役にも立たない。漫画を読んで笑っている人を見て「こんな時によく笑ってなんかいられるね?」と食って掛かってケンカになってもしょうがない。
何か月も前から準備してきた新婚旅行や結婚式をするカップルを不謹慎だと叩くのは妬みにしか見えない。

感情移入のストレスで怒りっぽくなり、義援金を送る・送らない等を巡って相手を責めたり金額で相手を責めるのはナンセンス。
感情移入のストレスを解消するために自分の価値観と正義を他人に押し付けコントロールを試み、思い通りに動かない相手を許せず攻撃する心理は、下手をすればシーシェパードみたいな方向に陥る危険がある。
(自分の思い通りに動いて感情移入によるストレス発散の道具にならない相手が許せない心理を道義的義憤にすり替えて正当化してるのがシーシェパード。彼らの掲げる絶対正義はクジラを救うことよりもクジラに己の内面を投影し感情移入した自分達を救うことに基づいている)

そういう悲痛で陰鬱な雰囲気の風潮は、後々お笑い芸人やアーティストがチャリティーイベントしようとしてもそれすら許さない空気を作ってしまう。
こういう時はむしろ心のバランスをいつも以上に気にかけておく方がいい。出来るだけストレスを溜めずリラックスすること。娯楽や食事やアロマオイルがよい効果をもたらすなら、ありがたく大いにそれを活用すればいい。とても健康的なことだと思う。

深く感情移入せず冷静に支援することも大変意義深いことだし、冷静さやリラックスを保つことは決して人でなしなどではない。 客観性を保つことは悪ではない。
例えば医者や弁護士やカウンセラーや占い師は客観的視点に基づいて相手の苦しみを冷静に把握し分析して本人が苦しみから抜け出す支援をすることはあっても、決して感情移入することがないように注意している。

大きな苦しみを抱えて冷静さが保ちにくい状況にいるときほど冷めた部分(客観性)がどこかに必要なのは、人間の心のなかでも社会のなかでも同じかもしれない。

無事な地域の皆さんは、落ち着いていつも通りの心で生活をするのが無難だと思う。

たまにはこんな動画でも見てリラックスするのはいかが?

この可愛さは不謹慎?

2011年3月17日 (木)

心の飢えが本当の飢えを招く

※毒電波を発する占い師のむちゃくちゃな暴論と妄想です。真に受けないで下さい。

◆心の飢えが本当の飢えを招く
買い占め自粛求める=燃料、日常品不足で―枝野官房長官

弱肉強食の競争社会に発想を支配された心が災害時を想定する時、助け合いでなく生存競争による物資不足をまず先に想定しちゃうことで不要な不安が生まれ、その不安が不要な買い占め衝動(独占衝動)に駆り立て、半狂乱の奪い合いをして自ら本当に物資不足を作りだす・・・
首都圏の物資不足は自然災害のせいじゃなく人災だ。
普通通りに生活してれば避けられた「買占めパニックによる物資不足」という飢えは、余裕と安心に飢えた心が招いたもの。
飢えへの不安が飢えに発展し、競争への不安が競争に発展する。殺される恐怖が本当の殺し合いに発展するように。
本来は存在しないはずの飢えへの不安が「買占めパニック」という奪い合いの戦いを生み、その戦いが本当の飢えを生み、本当の飢えが不安による奪い合いの戦いを更に深め拡大させ、更に飢えが深まり拡大する悪循環。
それは戦争が貧困を生み、貧困が更なる戦争を生んで来た人類史の縮図。不安が貧困と戦いを深め拡大させてきたのかもしれない。
そんな歴史が積み重ねの上に出来ている現代。常日頃から生存競争の負け組になる(飢える)ことへの不安を原動力にしてきた社会が生んだ条件反射の災害。
それが首都圏の買い占めパニックによる物資不足だ。

要するに、人類は「不安に負けて奪い合わなきゃそもそも飢えなど発生しなかった」ってことだ。 

これは買占めパニックの視点だけじゃなく、現代史の視点でも人類史の視点でも同じことが言える。飢えの恐怖が奪い合いと独占に駆り立て本当に飢えを発生させた。
「豊かさを奪い合う=豊かさを独占しあう=豊かさの循環が止まって行き渡らない=金運の流れが止まる」だ。

◆競争社会の背後?
「競争に参加しないと自動的に最底辺の負け組になって飢えてしまうぞ。死んでしまうぞ。それが嫌ならいつまでも競争に参加し続ける方法しかない。出来るだけ勝利を独占せよ。人間が生き延びるには、絶対にそれしか方法が無いのだ。それ以外の方法は許されないのだ」・・・弱肉強食の競争社会が発展のために人々の心を支配し駆り立てる時に使う魔法の洗脳呪文。
負け組になる恐怖の背景が飢えの恐怖だとすれば、飢えの恐怖・負け組の恐怖は源を辿れば本能的な死の恐怖ということにもなる。我々を競争に駆り立てる強烈な鞭(原動力)は、つきつめれば死の恐怖だったのかも。
「飢えの恐怖=本能的な死の恐怖」だとすれば、競争社会が動物的な弱肉強食の様相になるのも分かる気がする。そして弱肉強食はいっそう恐怖を扇動する。
欲望渦巻く弱肉強食の競争社会。欲望の強さは恐怖の強さに比例? 
ならば怖くなければ、そこまでがっつく必要はないのかもしれない。がっつくこと(奪い合うこと)から解放されるかもしれない。

飢え(負け組)の恐怖を原動力にして繁栄を追及することで成り立つ我々の文明世界は、飢えを手放すことが出来ない。飢えを手放したら競争の原動力を失って成り立たなくなるから、稼動と繁栄を維持するためにはどこかで飢えを維持しておかなければならない。飢えをなくすわけには行かない。むしろ、いつも確保しておかなくては。
飢えを確保し、それを原動力にした奪い合いをさせ、長続きするように制御する。制御を失えば大惨事。想定外の暴騰・暴落・爆発的な大戦争。最悪の場合、世界は焼け野原になるかもしれない。「奪い合い」を核分裂に置き換えれば、そのまま原発の仕組みとそっくりだ。
飢えを恐れて豊かさを追求し、豊かさを追求するために飢えとその恐怖を保ち続ける。
そういう方法でしか成り立たない文明システムを、そこまで絶対視する必要はあるんだろうか? 
(多分、飢えの恐怖を基盤にしてるという点では資本主義社会も共産主義社会も同じ所から生まれてる。どちらも豊かになるのは一部の勝ち組だけ。勝ち組の肩書きが若干違う形式なだけ。どちらのシステムも奪い合いの道具になっただけ。)
ハングリー精神を生きる支えにしたら、ハングリーを手放せなくなってしまう。飢えから抜け出せなくなってしまう・・・そんな文明は、ニンジンを目の前にぶら下げられた空腹の馬車馬が引く馬車みたいだ。

◆「怖くない」としたら
人の心が人の運勢を作り、大衆の心が社会の運勢を作る。
負け組に堕ちることを恐れる人々が作る社会の運勢は、そこから逃れようとするあまり却ってリスキーな手段を選ばせてしまうことがある。例えば貧しさに耐えかねて犯罪に手を染めたりマフィアの世界に入るのも同じパターンだろう。戦争や冷戦もそうだろう。先進国を目指し国際競争や市場競争に勝ち続けるために一旦事故ればお手上げになることもある「原子力」に手を出し頼ったこともそうだろう。つまるところ、「死の恐怖から逃れるためなら死の危険もいとわないぞ!」と思ってるようなもの?
(怖いのか怖くないのか、どっちだよw)

では、人々がそういう恐怖感を持たなかった場合、社会の運勢はどうなるんだろう?
災害による買占めパニック(恐怖ゆえにがっつき独占する現象。恐怖に基づく欲望の強さの象徴)をきっかけに、ちょっと今後の社会の開運法をネタで考えてみた。

今までは飢えの恐怖を原動力にして「飢えの恐怖を抜け出す(=奪い合いの競争に勝つ)」ために発達させた無数の手段(戦いの手段)がたまたま結果的に社会と文明を発達させ、それが豊かさと飢え(勝者と敗者)を生んできたのだとしたら、それは、あくまで戦いの手段を発達させただけであって直接豊かさの手段を発達させたわけではない。
とすれば、これからは戦いじゃなくて直接豊かさの手段を発達させてみてはどうだろうか。「恐れ(そこから生まれる奪い合いと競争)」とは全く無関係で、戦いを前提にも目的にもしない、よりポジティブな原動力と手段が欲しい。例えば「楽しそう」とか「面白そう」とか「もっと良くなりそう」とかいったネガティブ感情に裏打ちされていない純粋な「発展性や可能性への好奇心」みたいなものを原動力と動機にした豊かさの探求をしていく発想が吉かもしれない(最近はそういう動機で発生したものが流行ったりしやすい運気だし)。

「人類は飢えの恐怖を抜けだす奪い合いの競争を通してしか豊かさも文明発達も追求できない・しない」と思い込むことはない。たまたま恐怖が文明のきっかけ(動機)になったに過ぎない。にもかかわらず、単なる「きっかけ」を必要不可欠な原動力として誤認し大切に絶やさず維持してきたかのような歴史をたどっているのは滑稽に見える。
まるで、コンプレックスをバネ(原動力)に能力を発揮して活躍し続けようとする人が「コンプレックスがないとバネを失って活躍できないから」という思い込みからコンプレックスを手放せず、解決出来ないジレンマに陥ったかのようだ。
たまたまコンプレックスがきっかけで見つけた能力は、コンプレックスが無くたって消えはしないのに。必ずしもコンプレックスと能力を結びつけず、もっと純粋に自由に能力を使っていいのに。
(上の文、コンプレックスっていう単語を奪い合いに置き換えてみて)

◆ポジティブな原動力
戦いじゃなくて直接豊かさの手段を発達させる。あくまでも「勝てそう(恐怖を遠ざけられそう)」という発想に基づかないポジティブさ。「恐れ」に基づかず、それとは無関係のよりポジティブな原動力に基づく動機で色んな豊かさの手段を発達させることができれば、そこには「戦い(敗者が必ず出る)」といったようなネガティブな要素や動き(やり方・手段)が入らない分、豊かさと繁栄の運気にもネガティブな副作用(勝者の裏にある敗者。豊かさの背後の貧困)が出にくいかも。
繁栄の維持に必要な原動力が「飢えと恐怖(それゆえの争い)」ではなく、それとは無縁のもっとポジティブな原動力になれば、古い原動力と手段である「飢えと恐怖(それゆえの争い)」は確保しておく必要が無くなる。「飢え」に基づく運気も発生しにくいかも。

飢えとその恐れに基づき、「がっつく(独占する)こと」を目的にしなくて済むなら、物事をよりポジティブかつ純粋な動機と動きで取り組めそう。
(例えば、ビジネスや生計のためのアートではなく、純粋に芸術的喜びを生み出すためのアートになっていくような感じで)
「恐れ」を持たないようにする時、「助け合い」は大きく役に立つ。買占めパニックからも分かるように、生産力とインフラが発達した今の時代、そもそも恐怖に駆られて独占合戦=奪い合いさえしなければ飢えない。物資不足の地域に供給を優先したって飢えやしない。むしろそういう助け合い・譲り合いが物資不足(飢え)を防ぐ。飢えの恐怖による奪い合い(独占合戦)も防ぐ。
だから本当は、「恐れ」など持つ必要が無い。原動力として依存する必要もない。

「怖くない」と皆が知っている。そういう環境の中で心に余裕が出れば、今までみたいな「恐れ」とは無縁の原動力が作りやすいのでは。恐れに基づかないポジティブな能力の発揮ができるのでは。
むしろ飢えの恐怖が支配する競争原理全盛の時代が作る「豊かさ(有利さ)」とは全然違う意味の「豊かさ」が生まれていきそう。 恐れに基づかないポジティブで純粋な動機と動きで得た利益は、更に豊かな可能性をさぐるための余裕や糧になる。

「飢えの恐怖による競争」から「助け合いによる余裕と安心と豊かさ」に基づく社会へ。
「飢えの恐怖による競争」から「純粋な可能性への好奇心」に基づく社会へ・・・

原発同様、原動力の根本的な見直しをした方がいい物事は多い予感。

◆「奪い合い偏るだけの世界」から「生み出し行き渡り循環する世界」へ
私達が追求しているものは「戦い」ではなく、「豊かさ(発展と可能性)」であり繁栄だったハズ。なら「戦い」などという回りくどいことをせず、純粋にそっちへアプローチすればいい。
手段と目的を取り違えたり混同させたりしない。手段を優先するために目的を犠牲にしない。手段に縛られない。それが開運のコツかも。

競争原理時代の豊かさが「戦いによる豊かさの偏り現象」だとすれば、豊かさの偏りは貧しさの押し付け合いでもある。
本来豊かさとは、「奪い合う(偏らせる)」のではなく、「生み出す」もの。 貧しさは「押し付けあう」のではなく「豊かさを生み出して補い解消する」もの。
本当の豊かさとは、「恐怖に駆られて奪い合う必要がない状態」かもしれない。ならば、奪い合う必要がなくなるまで(怖くなくなるまで)生み出し循環させればいい。奪い合いの手間ヒマとエネルギーを、生み出し行き渡らせることに使えばいい。
奪い合いは「豊かさを生み出す」ことに比べれば、豊かさを作る手段としてはとっても効率が悪い。また、奪い合うことを前提に何かをいくら生み出しても、決して豊かにはなれない。生み出した豊かさを独占し奪い合ってしまえば、その瞬間から全体に行き渡らず循環せず偏りと貧しさが生まれてしまう。独占=奪い合いはむしろ貧しさの原因。「豊かさを生むこと」と「豊かさを沢山奪い取って独占すること」を混同してはいけない。いくら奪い合って独占しても、豊かさは増えない。偏るだけ。不足するだけ。金運は流れすことなく滞留する。
(都市から生まれた現代文明は、豊かさを奪い合う力は磨いてきたが、豊かさを生み出す力はあまり磨いてこなかったかも。文明の性格が男性的すぎるのだろうか?)

今の経済システムは富を偏らせる(奪い合う)だけで富を行き渡らせはしないから貧困が消えない。偏りは、豊かさが行き渡り適宜回遊する永久運動(=豊かさの循環)を妨げてしまう。
富の偏りは貧困(飢え・飢えの恐怖)の押し付けあいでもある。 世界が本当に富を有効活用してたら、豊かさは全体に満遍なく増えていって循環し貧困なんかとっくに消えてるはず。豊かさが行き渡った先にで新たな豊かさが生まれる。 本当に豊かさが足りないなら、奪い合わずに生めばいい。皆で足りるまで(奪い合う必要がなくなるまで)生んで、生んだものを奪い合わず独占(滞留)させず行き渡らせればいい。地球の水が減ることなく天地を循環するように。
地球の水は決して減らない。水不足は、その土地にいつも通りの安定した水循環が発生していないから起きるだけ。水を「豊かさ」に置き換えても同じだ。
富を偏らせ貧困の押し付け合いに勝てればそれでいいのか、富を(豊かさ)行き渡らせる循環運動を続けたいのか。 「経済」の意味を考え直す価値はありそう。

「生めよ増やせよ地に満ちよ」・・・これは、単に人間の個体数を増やすという話ではなく、「豊かさを生み満遍なく行き渡らせ循環させる」ということだったのかもしれない。
「衣食足りて礼節を知る」・・・「衣食足りる」とは、社会と集合無意識を支配し駆り立てる飢えの恐怖を脱却し、独占と奪い合いの発想から抜け出すことを意味していたのかもしれない。
今の我々は、奪い合いで富を偏らせた状態を「豊かになった」と誤認している。豊かさは偏るだけで、増えてない。充満も循環もしてない。滞留しているだけ。
植民地経済(飢えの恐怖が動機の欲に駆り立てられ他から富を奪う仕組み)に依存した産業革命由来の経済システムを我々の文明が採用している限り、豊かさを循環させることができない。
豊かさの循環不全が貧困や格差や飢えの恐怖と奪い合いをもたらす「欠乏の悪循環」を生む。

競争原理時代の豊かさが戦いによる「豊かさの偏り」であるのに対し、これからは豊かさを偏らせず、貧困を押し付けあわず、豊かさを生み出し満遍なく行き渡らせ、欲しい豊かさが欲しいところに適宜供給される循環運動による「本当の豊かさ」を追求できたら。
文明の原動力を飢えの恐怖ではなく豊かさの安定循環による安心感と、それに支えられた「可能性への好奇心」にシフトすればいい。
一人一人が戦い(単に寄せ集め偏らせる作業)に囚われそこにエネルギーと時間を取られることなく、それぞれが(恐れではなく)純粋な可能性への好奇心に基づいて己のなしうる豊かさ(発展や可能性)を見つけてはそれを生み出し、それらが必要としているところへおのずと行き渡り、行き渡った先で更なる新たな豊かさが生まれ、再びどこかへ行き渡る。その無限の循環を成すシステムが生まれる日はいつか来るだろうか?
豊かさが生まれては行き渡り、行き渡っては生まれ、また行き渡る。その循環が生まれるたびに世界の可能性が広がり刷新されていく日は来るだろうか?
「奪い合い」の循環から「生み出しあい(助け合い)」を循環させるシステムを基本活動にした文明は生まれるだろうか?
飢えの恐怖から逃れんとする意識を原動力にするのではなく、可能性への好奇心を抱き、可能性を支える豊かさの循環を維持しようとする意識を原動力にした文明はいつか生まれるだろうか?

※ここから先はさらに異常電波。常識的な方は回れ右

競争社会を生み、そこで人々を駆り立てる強烈な鞭になった「死の恐怖」。
その源にあるのは、有史以前から多くの恐怖とトラウマと絶望と悲しみと憎しみ、その他諸々数え切れないものを生み出してきた「死」。
恐ろしいが故に、死は様々な宗教や文化を生んだ。精神世界やオカルトもその一つだろう。
ここで、死(転生)や原子力を意味する「冥王星」が数年前に天文学上の扱いが変わったことが、大きく意味深になってくる。冥王星が惑星の概念から「降格」された後、オバマの核廃絶演説や東日本大震災による原発事故により、大衆心理的には原子力へのイメージが変わるようなことが起きた。
なら、今後は大衆心理的に死のイメージや概念が変わる事だって起きるかもしれない。どちらも冥王星の分野だ。

今後、何らかの理由で人々の持つ「死」や「生命」の概念が変わった場合、集合無意識レベルで命や死に対する印象や認識が変わるとすれば、人々が自分の命や自己認識に大きな変化を来たすということでもある。
(オカルト的には、物質的な世界のみしか見えなくなった心が肉体の死を存在消滅と誤認するようになって死の恐怖を作り出したという説もある)
占星術で「変革・革命」を意味する天王星が12星座を一周し、震災の翌日、84年ぶりに「I am」というテーマを持つ牡羊座に戻ってきた。それもあって、人々の心のなかで「死に対する意識変化」が起きたら、などと妄想してしまう。(ちなみに天王星が牡羊座に戻ったその日、福島の原発が爆発した。天王星はウラニウムの語源。牡羊座は火の星座。二つ合わせて火とウラニウムの暗示・・・)

もしも人々の死の概念やイメージが変われば、「死の恐怖」にも変化が訪れ、死の恐怖に源を発する飢えや負け組になる事への恐れを原動力にした競争社会にも大きく作用するだろう。競争社会の運勢が原動力を失って稼動を停止し、よりポジティブなものを原動力にした社会に変化していくことだってありうる? 

・・・全ては妄想。


↑コメントにある歌詞に注目

飢えの恐怖に抑圧され犠牲になってたもの?
人の器に宿りし金運
↑たとえ財産(金運の入れ物)が死のうとも、命が「その人らしく生きるために」つむいだ金運は死なない。「器は死すとも中身は死せず」という点では、人間の生命と同じだ。
自分の足を食べるタコ

2014.11.8追記
人は死なない←こんなこと言い出す医者が出て来た。彼の著書も結構売れてるらしい。団塊の世代が自らの老いと死を見つめ始める時代になったからか?

2011年3月14日 (月)

情けは人のためならず

未曾有の大災害で見せた日本人の冷静な対応に驚きの声―中国

社会や歴史が激しい弱肉強食を長く続けて来た国、沢山の敗者の犠牲の上に勝ち組の繁栄が成り立ってきたことが多い国は比較的商品の奪い合いやパニックを起こしやすい印象がある。昔ロスで大きい地震が起きた時にも略奪があったらしい。 ハイチも同様だ。
激しい弱肉強食の世界というのは、ある意味常に何らかの奪い合いとパニックを起こすことで成り立つ世界かもしれない。それが生き残りと繁栄の道とされていた。

でも、「奪い合わなくてもやっていける」というシステムが確立していたらどうだろう?
日本で地震が起きた場合に奪い合いやパニックがあまり起きない理由。
それは避難訓練や避難設備やコンビニ、各種企業、交通機関の災害マニュアルや自治体の備えが発達しているがゆえの余裕というのはあると思う。

で、その根底に「助け合いは奪い合いよりも全体が生き残りやすい」「助け合いに参加することで自分も助かる」という発想な気がする。「助け合い」は弱肉強食で奪い合って限られた数の勝者だけが生き残る方法よりはるかに多くが生き残れる方法だと多くの人々がどこかで知ってて、だからそれをすることで全体に余裕も出る。
余裕が出ればパニックになる必要性を感じない。
むしろこの方法で全体が助かっていく。
これが「奪い合わなくてもやっていける」システム。当たり前といえば当たり前だが、この発想がとっさの時に出て集団規模で実行できるかどうかは、激しい弱肉強食の習慣が染み込んでいるか否かも大きいような気がする。
もしも「習慣」が染み込んで支配されしまったが故に有効な発想や行動が出来ず、生き残れぬ不安でパニックになってしまうとすれば、その当事者達は社会の勝者か敗者かは無関係に、弱肉強食世界の犠牲者かもしれない。
(ある種の強い欲望や災害時の買い占め衝動は、弱肉強食社会で染み付いた不安や恐怖が抑圧され、歪んだ形で表面化したものかも)

私達は普段から、集合無意識規模で「何か災害が起きても足りない物資や情報はやがて別の場所から提供される」という助け合いの発想から来る余裕を心のどこかに隠しているんじゃないかと思う。それが奪い合いやパニックをある程度までは防いでいるのかも。私も提供された情報の拡散になればと昨日からあちこちにリンクを貼ったりもした。特別なことは何も考えず、何となく無意識的にそうした。
これが「生き残れぬ不安」を原動力にした弱肉強食社会の発想が染みついていた場合、難しいのかもしれない。
弱肉強食の世界では、情報は独占して高値で売る方が有利だからだ。

何かあった時の助け合いの発想。その発想で時代を辿っていくと、例えば大昔から農民が持っていた村単位の互助システムに出会うかもしれない。収穫や屋根葺きを手分けして行う「結(ゆい)」とか。そういうDNAの記憶みたいなものがいい具合に一人一人の無意識に作用してるのかな? と妄想した。
それが「情けは人のためならず」という格言を生んだかも。
助け合いの世界では、他人を助けることは別段「尊い自己犠牲」でも「損な事」でもないんだろう。助け合いに加わればその分だけ己の生きる環境が安定し、色々と助かるのだ。
むしろ他人に自己犠牲を強いるのは助け合いではない。そこを混同してあの国は支援をケチってるとかあのコンビニは大災害でもタダで品物を提供しないとかいって叩くのは『助け合い』の履き違え。

「競争による不安感」から「助け合いによる余裕と安心と豊かさ」に基づく社会へGO

余談:
スピリチュアル関係で昔から言われていた噂によると、これから世界は「水瓶座の時代」とやらに入るらしい。 占星術だと水瓶座のテーマは「博愛」と「循環」。もしこれから水瓶座の時代になるなら、今起きてる災害時の助け合い気運が成長していき、やがては社会のあり方に反映されるかも。 「勝者が独占」から「全体の中を循環」というシフトチェンジにつながる? (昔書いた記事思い出した
今回の地震はそんな変化が起きてもおかしくないぐらいの衝撃と気運を世界へ向けて放ったような気がする。いろんな意味で。
水瓶座に対応するタロットは「星」。意味は「希望」。
節分の暗示。災害に襲われたケアンズの避難所で大変な状況の中無事に生まれたあの赤ちゃん。あれは弱肉強食(生贄が支える繁栄)や勝者独占という古い気運が支配する時代から「助け合い(水瓶座の博愛)による全体規模の循環」という、より進歩した未来へ移り変わっていく「希望」の暗示的象徴のようにも見えてきた
ケアンズと同じことは東北でも起きている。
赤ちゃん達は、人々の助け合いと思いやりと慈愛(=博愛)のなかで生まれ育っていく。

節分の暗示:助け合いが吉。ピンチとチャンスは裏表

義援金情報まとめ

日本の開運?

2011年3月13日 (日)

東北などで透析可能な病院、特別検索など

日本透析医会災害情報ネットワークより。
病院の被災情報もあり。
http://www.saigai-touseki.net/sendsdata/total.php

グーグルの特別検索。消息情報の提供と人探し用
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja

皆さん既にご存知とは思いますが・・・

2011年3月12日 (土)

停電復旧

今やっと停電から回復。昼に某ファミレスでランチを食べていたら地震が来てインテリアの飾り皿がケースから飛び出して割れ、停電したところで店員に誘導されて外に出た。看板がまだひどく揺れており、隣のおすし屋さんは厨房が大変なことになっていたとのこと。
まるで巨大ブランコに乗っているような周期の大きい揺れが長く続いた。我が家に被害は無かったものの、暖房が電気に依存していたので夜は自宅のガスコンロで寒さをしぐことに。が、やはり寒い。電気が復旧して助かった。
電気一つが落ちただけでここまでつらいとは…

停電回復後初めて詳しく知った被災地の惨状に言葉が見つかりません。
少しでも順調な救助と回復をただただお祈り申し上げます。

2011年3月 9日 (水)

東北の地震と龍脈

※以下に書かれていることは全て個人の妄想です。根拠はありません。
※リンクは右クリックで別窓

以前の記事で書いたような「まつろわぬ民(=鬼)」のいた地域関連での妄想ネタ第2弾を書いてみる。

今回の龍脈変動はこれ→宮城県北部で震度5弱(M7.3)
この地震の震源地は日本海溝のそば。海溝も一種の龍脈だ。
この地震の4日前、NZでクライストチャーチ地震の直前に発生した地震の前兆現象と思しきものとそっくりな現象が、茨城県の鹿嶋神宮からすぐそばの海で発生した↓
イルカ:52頭が砂浜に 住民ら救出活動 茨城・鹿嶋

茨城県鹿嶋市の下津海水浴場で4日夜、イルカ52頭が砂浜に打ち上げられているのが見つかり、5日朝から地元住民や県大洗水族館(大洗町)の職員らが救出活動をしている。

イルカや鯨は磁気の変化に敏感なため、海底地下の地盤が破壊されて磁気異常が起きると迷ってしまうらしい。
「気」は磁気を帯びているので、龍脈変動によってその地域(海域)にいた動物が異常な動きをすることがあると最近の風水思想でも言われている。
NZの現象と鹿嶋の現象には共通点があっため、件のイルカ現象は「地震の前兆か!?」と噂になった。
NZの場合、鯨が押し寄せた場所と地震発生地は南北に遠く離れている。鹿嶋の場合にも同じことが言えた。そしてNZも日本も、前兆現象と地震の位置は離れているが共に同じ太平洋プレートのふちで発生している。
(太平洋プレートの龍脈が変動しているため、現在同じプレート上にあるパワースポットで有名なハワイ島も活発化している)

◆「前兆」と「地震」が起きた場所のオカルト的因縁?
さて、ここからがオカルト。霧島とレイラインでつながる鹿嶋神宮には、「地震を鎮める」とか「大ナマズを押さえつけている」という伝説の「要石」という奇妙な石がある。その昔、水戸光圀が7日間かけて掘らせたがとうとう全体像は現れなかったという。さすが大ナマズを押さえているだけのことはある。
そして4日後、前兆のあった鹿嶋で地震は起きなかった。
けれども、離れた宮城県沖で地震が起きた。前兆と離れた場所で地震が起きるのもNZと似ている。
前兆の鹿嶋と地震の宮城沖。ここに奇妙な因縁が発生する。最大震度を記録した宮城県はその昔、為政者が蝦夷を討つための東征の軍事拠点「多賀城」があった場所。それに対して地震の前兆が発生した鹿嶋は東征の呪術拠点である。多賀城と鹿嶋神宮は東征に貢献し、朝廷は次第に版図を広げ、その結果坂上田村麻呂の時代には岩手で蝦夷の指導者アテルイを打ち滅ぼす成果を挙げ、アテルイの首は後に鹿嶋神宮に奉納された。
・・・そんな因縁の地で前兆と地震が発生したことになる。

◆まつろわぬ民と「イルカ」
その因縁めいた2つの現象の間を取り持つのは「イルカ」。
イルカは古代日本で「入鹿」と書く。そう。あの大化の改新で暗殺された蘇我入鹿と同じ字。なぜかというと、「入鹿」は「蝦夷」と同様、まつろわぬ者(=鬼)に対する蔑称の一種であり、当時の蘇我氏親子は朝廷にとって不都合な「まつろわぬ者」だったため、蔑称で記録されているからだ(彼らの本名は蘇我入鹿が蘇我鞍作、蘇我蝦夷は蘇我豊浦らしい)。
よってアテルイもまた為政者側から見れば「蝦夷」であり「鬼」であり「入鹿(イルカ野郎)」になるわけだ。しかもイルカって当時は立派な食料。古代人の大好物でもある。「我々に従わない奴らはおいしく食べて栄養にしてやる」というニュアンス。呪術的にはまさしく「生贄」。実際、まつろわぬ民達の土地にある龍脈は本来の流れを歪められて為政者の開運呪術に運気を供給する資源としておいしく頂かれちゃっている。これはアテルイや両面スクナだけでなく、まつろわぬ民のいた全ての地域に同じことが言える。ある意味「搾取」。
その1でも書いた通り、「鬼」は討たれて為政者達の開運呪術の生贄にされたわけだ。そして「鬼の封印」が解ければ生贄は解放され、呪術は機能停止し、龍脈は変動。今まで生贄の開運呪術に支えられていた為政者側の運勢地盤が揺らいでしまう。

◆運勢的シンクロ?
アテルイの首が納められた鹿嶋神宮のすぐそばに、イルカ(まつろわぬ民の象徴)達が押し寄せる。まるで「入鹿」と呼ばれていた者達の魂が迷いイルカに乗って鹿嶋に封印されたアテルイを迎えに来たみたいだ。
そして数日後、かつての多賀城から見えた海の沖合いで・・・
長らく鹿嶋に封印されていたアテルイ(と、彼の勢力地域の龍脈)は、「入鹿」達が迎えに来ることで生贄状態から解放され、あるべき姿に戻り(成仏?)、歴史を超えた開運呪術で日本の為政者達に受け継がれてきた運勢の地盤がまた一つ揺らいじゃったのかも・・・
ちょうど鹿嶋の浜辺にイルカが押し寄せた直後、前原外相は違法献金受領がバレて辞任した。
宮城に5弱の地震が来た直後、土肥議員は「竹島署名」がバレて(以下略)。

両面スクナ、アテルイ・・・節分の暗示(?)から連想した「まつろわぬ民(=鬼)」のいた地域関連で「鬼が解放される」かのような現象が、節分から1ヵ月ちょいで2件も起きている。
恐ろしいことに、今年の日本の恵方(南南東)はケアンズだけではない。NZも恵方エリアなのだ。
どおりでNZと似たような現象が日本でも起きるわけだ。NZで打ち上げられた鯨は「ゴンドウクジラ」、鹿嶋で打ち上げられたイルカは「カズハゴンドウ」。種族としては親戚だ。

ひょっとすると、NZと関係する因縁はそれだけじゃないかもしれない。地震があったクライストチャーチの語源でもある「イエス・キリスト」と日本の「鬼」達。オカルト解釈では、両者はどちらも、開運呪術の生贄にされた存在だった可能性がある。そして、どちらも龍脈変動とあわせて解放され、開運呪術が作り上げてきた運勢とその歴史を揺るがす可能性も・・・


【オマケ】
都の鬼門、かつて蝦夷(鬼)のいた東北地方。その一番奥にあるのが青森県。青森県三戸郡にある新郷村(旧戸来村)には、なぜだか「キリストの墓」と呼ばれる奇妙なものがある。その地域は、八甲田山系の龍脈地域にあり、去年開通した東北新幹線の八戸 - 新青森間の路線は、八甲田山系の龍脈を刺激するようなルートを通っている。

【3.14追記】
3.11をもって千年を超える呪術が鹿嶋にて機能停止。想像を絶する変動に言葉が出ない。 義援金情報まとめ
伝説によると、日本で最初に東征をし初代天皇になった神武天皇在位最後の日付が旧暦の3月11日。東日本大震災と同じ日付というシンクロ二シティー。

【2012.3.5追記】
「鬼」描いた平安の土器 奈良・橿原の遺跡で見つかる

2011年3月 7日 (月)

都市伝説的終末ネタ

※以前書いた異端妄想がマニアックすぎ&長文すぎて受けつかなかった人向け。

昨年の2月27日、チリ大地震で大きな被害が出た「コンセプシオン」という街の名前の意味は「処女受胎」。聖母マリアの象徴だ(地震が起きた日に妊娠すると丁度クリスマスが出産予定日になる)。
同年8月5日、同じくチリで33人の作業員が閉じ込められ奇跡の救出劇が展開された落盤事故現場、サンホセ鉱山の由来は聖ヨセフ。キリストの父親である聖ヨセフの象徴。作業員の数「33」はキリストの享年。
昨年のチリ2大事件で何故かキリストの両親の象徴がそろってると思ってたら、今年の2月22日にはNZ(ニュージーランド)の「クライストチャーチ」でM6.3の大地震。
象徴はもちろんイエス・キリスト。

ついでにNZ地震から7日後の3月1日、「復活祭」という意味のあるイースター島でM6の地震
が発生。象徴はキリストの復活。
「7日間」はキリストの受難~キリストの復活までの時間と一致する。 これらの出来事をまとめると、偶然にも

マリア→ヨセフ→キリスト→(受難期間)→キリスト復活    ・・・聖書の順番どおりだ。

なお、設定上キリストは復活した後に昇天(アセンション)する。そして「キリストの昇天」を意味する場所も実在する。
キリストの両親に因む地名で2大事件が起きたチリ(Chili)という国のスペルは、キリスト教終末論で登場する「Chiliasm (千年王国)」という単語の接尾語を切り落としたものと同じスペルだという。偶然なのかわざとなのかは不明

こう書くと都市伝説みたい・・・

4月19日追記:イースター島の地震と同日にアセンション島でM5.2。

2012年7月5日追記
バチカンのコンピューターシステムに侵入してバチカンのあらゆる歴史と真実の情報(上層部しか知り得ない極秘データ含む)を歴史上唯一入手した男がいる。彼はハッキングの腕をバチカンに買われてバチカンのコンピューターセキュリティのチーフエンジニアになった。しかし最近になって、「世界でたった一人バチカン内部のネットワークアクセスコードを持っている」彼が、失踪している。コレは何を意味するのか・・・(まさか失踪してスイスに行ったとか??)
ついでに今年5月、「イエスは磔にされてない」ということを示す福音書(イエスの弟子バルナバによる福音書)が見つかったとか言う報道もある。キリスト教世界の変動、不気味に大きく揺れている・・・

2012年9月追記
近年、自然現象を含むいくつかの出来事でキリスト教関連の奇妙な偶然がやけに目立つようになってきた。そしてなぜか丁度その頃から、ローマ法王庁とサン・ピエトロ教会(聖ペテロ教会)があるバチカンの運気が不穏になりつつある。 バチカンには、聖ペテロが預かった「天国の鍵」があるという。そういう場所が・・・
予測できない自然現象を使って人間が人為的に「偶然」を作り出すことは難しい。にもかかわらず、今回以外にも自然界を巻き込んだキリスト教関連の奇妙な偶然は発生しており、しかも今年になって増えた気がする。

2013年2月追記
サンタクルーズ諸島でM8.0←「聖なる十字架」って意味の地名。数日前から群発地震があった。そのすぐ後、原則的に終身制度のはずである「ローマ法王」が存命中に自ら退位した。退位発表の夜、狙ったようなタイミングでバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に落雷発生。 その光景はタロットカードの「」と図柄そっくり。

ローマ法王退位で妄想回顧
イタリアの地震と龍脈

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