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2010年8月

2010年8月22日 (日)

オレカノ詐欺と占い

今回は潮凪洋介氏の記事に注目。

以下、 「オレカノ詐欺! 女を騙す男の見分け方」より一部引用

オレカノ詐欺とは「キミはオレの彼女だからね!」と確信を持って女性を騙し、二股かける“妻帯者を含むうそつき男”のこと。最近の“個人恋愛相談”で、残念なことにこの“オレカノ詐欺”の相談が続きました。この確信犯に騙された女性の心はひどく傷つき、人間不信、恋愛不信に陥り、みな恋愛トラウマを抱えます。もしこの“オレカノ詐欺”に2回連続で遭遇してしまうと大変なことになります。
この手の悩みを占い師に相談してくるお客様は多い。そのほとんどが、オレカノ詐欺の被害にあうことへの不安から、相手の気持ちを占ってもらうことでオレカノ詐欺かどうかを見分けようとする試みだ。

けれどもこれ、詐欺を見分ける手段になると思ったら大間違いだ。
これは占いを興信所と混同してしまっている。占いというのは、業者が証拠を持ってきてくれる興信所と違い、当たり外れが自力で確認できる(実感が持てる)必要がある。
よって、自分の恋がオレカノ詐欺か否かを占いで確認しようとするのは、学校の保健室の先生に難しい心臓の手術を依頼するようなものだ。
真実にメスが入るどころか、(お金が)大出血するかもしれない。 「占い依存症」という浪費によって。

さて、「この占いが正しいかどうか確認する手段がありますか?」という占い師の問いに「あります」と答えたお客様には、「占いにお金使うより実際に確認取ってください」で終わり。
「そんなこと確認できるか」と答えたお客様には興信所をおすすめしてみる。
「興信所は嫌だ」と答えるお客様には「証拠の出る興信所よりも占いをしたいと思うのは何故ですか?」と尋ねる。
すると、判明してくる心理は大きく分けて別れて主に二通り。

A:既に相手がオレカノ詐欺であると本当は自分でも分かっているが、それを認めることに耐えられず、占い師に「オレカノ詐欺じゃないですよ」と都合の良いことを言ってもらって現実逃避したいことに気付く人。
B:相手がオレカノ詐欺師ではないと頭では分かっているのに、「恋愛」というシチュエーションから過去の痛手(例えば過去のオレカノ被害)を連想することで過去の恋に現在の恋を投影すると同時に同一視てしまい、「きっとまた同じ運命になってしまうのだ」と架空の不安感(=妄想)をでっち上げ、そこから抜け出せないから占い師に「オレカノ詐欺じゃないですよ」といってもらって抜け出そうとしていることに気付く人。(B)

この2通りの心理に対して占い師として提供できるサービス(一例)。
A:ダマされたことを受け入れられない理由をお客様と共にさぐることで自分の心の本音(本当は自分は何を求めているか)に見当をつけ、それに基づいて自分が本当に望む恋愛や生き方をさぐって行くための開運法を占う。この過程で自然とダマされたことを受け入れられることが多い。本人が実は恋愛とは異なるものを求めていることが判明することある。

B:同一視妄想の原因となった過去の痛手を振り返ることで当時の自分を見つめなおし、今回は過去と違ってどのように変わっていきたいか、もし過去の痛手を経験せずに望む方向に変わった自分なら、今回の恋をどのように楽しむかを想像してもらう。その一連の作業の補助にタロットカードを用いる。

相手がどうも胡散臭いと感じてさぐりを入れたいのだが、相手にそのことがをバレたり誤魔化されたりせずにうまくやるには? という場合は、占い師にさぐりを入れるポイントを占ってもらう前に、上記の潮凪洋介氏の記事に飛んでみてはいかがだろうか? 案外占いにお金をかけずにいい方法がひらめくかもしれない。

2010年8月15日 (日)

「帰国」見たあと思いついたネタ

TBSがやってたドラマ「帰国」。太平洋戦争の戦死者が何故か部隊ごと今の日本に帰ってきて、子孫や現代の日本が抱える現実と直面する+恋愛要素的な話。基本的にお説教系。(個人的にはあの戦争で兵士がどれほど祖国のために戦死したところでその死が国の繁栄に結びつくわけじゃないと思う。国の繁栄は戦争とはまた別の要因だろう)
中身に期待してなかったけど案の定中途半端でつまらなかった。終わりの方ひどいw

英霊が現代に帰って来て繰り広げる話を作る場合、むしろこういうラノベ風脚本なら視たい。以下妄想。

・主人公は今どきの女子高生。両親が仕事で海外におり、会うのは年数回。お手伝いさんのいる家で一人暮らし。裕福だが子供の頃からさびしい思いをしている。自分の殻に閉じこもりがち。

・何か不思議な力により、ある年の夏に戦場で自決したとされる彼女のおじいちゃん(当時25歳イケメン)が孫のもとへやってくる。孫にだけ見えるおじいちゃん(最初は下着泥棒と間違われるのはお約束)。

・今の日本の様子を見たがるおじいちゃんに孫が色んな所(秋葉やメイド喫茶含む)へ連れて行く。現代の日本の様子に喜んだり驚いたり、時にはため息をや憤慨をするおじいちゃんと、発想が60年以上ズレたまま(感性は当時の若者)なおじいちゃんに呆れる孫のハチャメチャコメディや社会問題などについて考えさせられるシーン。
おじいちゃん曰く「この国は平和だしずいぶんと豊かにもなれたようだが、それを生きる幸せのために十分役立てる力がある様には見えない。そもそもお前からして(以下孫にお説教 孫逃げる)」

・おじいちゃんは長いこと現地で浮遊霊してるうちに自分の死の真相をわすれてしまっていたので成仏するためにも記憶を取り戻したい。しかし無理に思い出そうとするとなぜか苦しくなってしまう。

・その手がかりを探していくうちにおじいちゃんとの交流によって寂しさを抱えていた孫は徐々に心を癒していく。

・おじいちゃんの記憶を頼りに当時を知る人を訪ねて聞き込みをしながら死の真相を探っていると、ある点で何人かが口裏を合わせたように黙り込む。色んな人の回想シーン挿入。

・やがて孫の身の回りに不気味な現象が発生し、鏡に「詮索するな」という血文字のメッセージ。何者かの霊的な妨害にあう。 手がかりが行き詰る。

・そんな時、霊感のある占い師兼心霊カウンセラーの怪しいオカマ(美和明宏)と出会う。孫とおじいちゃんがオカマに気に入られる。

・紆余曲折の末、オカマの協力と新たに見つかった当時を知る人(おじいちゃんと同じ部隊にいたけど隊とはぐれて捕虜になり死刑を免れた戦友や死ぬ前に秘密を告白して楽になりたい人)との出会いを経て、おじいちゃんは自分の死の真相が司令部の無謀な作戦&致命的ミスの責任を隠蔽するために仕組まれたものだと知る(自決とされていたが、実は隠蔽のために作戦失敗の責任を取らされた形で、作戦任務にあたった部隊の数少ない生き残りがおじいちゃん含め全員死刑にされていた)。

・隠蔽工作に関わった者がまだ生きているため、聞き込みをした何人かはその人を庇うために口をつぐんでおり、既に霊となった隠蔽工作の責任者が生前の執着から己と関係者と司令部の名誉を守るために妨害していた。

・さらに、自分の死の辛さからあえて記憶を封印したことを思い出すおじいちゃん。

・おじいちゃんと隠蔽責任者がオカマのカウンセリングを通して生前の執着を断ち切り、心の傷を乗り越えたり己の罪と向き合い償っていく決意を得る。
孫は自分の殻に閉じこもらずに言いたいことをはっきりと相手(主に両親)に伝える意欲を持ち始める。
おじいちゃん曰く「俺の上官は口ではうまくモノが言えない憂さを溜め込み、部下に八つ当たりする人だった。・・・お前はあんなふうになるなよ」

・来年のお盆にはまた来ることを孫に約束し、現世での迷いが消えたおじいちゃんと責任者は死後の世界へ旅立つ

・不思議な夏休みを過ごした孫は、少し前向きな気持ちになれて、自分の殻の外へ一歩踏み出し成長していくのでした、で妄想終わり。


「帰国」の内容、要はお年寄りが「貧しかったあの頃にもちゃんと存在していた日本の礼節(精神性)は今やどこへ行ってしまったのか?」と嘆く気持ちを表現したものだろう。
「衣食足りて礼節を知る」・・・経済的に豊かであってこそ人々は礼儀や名誉をわきまえるようになると伝統的に思われてきた。が、実際はというと・・・
礼節(精神性)なんて生活に余裕があれば自然に発達すると思ってとにかく衣食だけ追求してたら、そうでもなかったらしい。例え目先の豊かさを工面する必要があるにしても、担保にするのは着物やかんざしまでにしといたほうが無難かもしれない。精神性や時間的余裕といった目に見えぬものまで担保にすれば、「衣食足りて礼節が質流れ」ってこともありえそうで。

2010年8月 6日 (金)

いけにえの英雄

原爆投下機長の息子、大使派遣に不満あらわ

広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子、ジーン・ティベッツ氏は5日、オバマ政権が広島平和記念式典にルース駐日大使を出席させたことに、「行かせるべきではなかった」と不満をあらわにした。  ジーン氏はCNNテレビの報道番組に自ら電話をかけ、「(日本に対する)無言の謝罪と受け取られかねない」と政権の決定を批判し、「原爆投下で戦争終結が早まり、多数の命が救われた。我々は正しいことをした」との父の生前の主張を述べた。

そこでお父ちゃんが出てくるのは何故? お父ちゃんに結びつくのは何故?  
多分、「大使が式典に出たらお父ちゃんが悪者になっちゃう」という不安感だ。その不安感は、特定の誰かに全ての責任を背負わせて尻尾切りをして済ませてしまう風潮の裏返しな気がする。そういう風潮を何度も繰り返し、そういう風潮が染み付いてるから生まれる不安感な気がする。
それと、 アメリカでお父ちゃんを英雄として祭り上げちゃったことが、お父ちゃんや息子達に重い何かを背負わせてしまったんじゃないかと思った。
「彼のおかげ」ってことは、「彼のせい」ってことにもできるわけで。
祭り上げて、イザとなったら「英雄」から「彼のせい」にして全てをおっかぶせて終わりにする「尻尾切り」と裏表一体なんじゃないだろうか。
(人類の罪を全て背負って死んだとされるあの大工の倅もそうやってヒーローになった?)

で、オバマが核廃絶を宣言し大使が式典に出た今が「イザ」じゃないかと。本人と遺族は前からその日が来ることを恐れて原爆投下の正当性を主張する形で自己防衛し、機長本人は航空ショーでキノコ雲を演出するほど正当性アピールに固執してきたのだろうか?

あの時命令を受けた機長は、アメリカが祭り上げてしまったせいでアメリカ人のみならず被爆者達からも特別な目で見られるようになってしまった。
「特別」なのはお父ちゃんだろうか? 原爆だろうか? それとも別の何かだろうか? そもそも「特別」なんて存在するのだろうか?

個人的に、こういうテーマは誰かを「特別」にしない方がいいと思う。結局、「街を一瞬で焼き払う武器」という発想を思いつくに至るような、強い武器を求める生き方を人間が大昔から歴史のなかで何度も選んできたことが悲劇の母体になってきたように見える。人間が強い武器を求める生き方を始めた大昔から悲劇ははじまり、世代を重ねるにつれ悲劇の規模が大きくなってきた。悲劇は大きく育っていった。
人の歴史が背負う十字架。どんどん大きくなって行く十字架は、重すぎて特別扱い(スケープゴート)された人間の一人や二人じゃ背負いきれない。

人間が歴史のなかで受け継いできた強い武器を求める生き方が核兵器を生み、「英雄ポール・ティベッツ大佐(機長)」を生んだのだとしたら、エノラさんの息子(機長)を「特別」にして十字架を背負わせるのは相応しくない。息子を「エノラさんに生まれた悲劇のリトルボーイ」にすべきではない。
(彼に十字架を押し付ければ押し付けるほど、彼や遺族は自分を守るために原爆投下肯定へと追い詰められる。皆の手で追い詰められる)

悲劇の母体・・・広島に落とされた原爆をお腹に宿した機体、エノラ・ゲイ号の名前は、機長のお母さんの名前だ。 世代を重ねて受け継がれた「強い武器を求める生き方」が母体になって、新たな悲劇である小さな男の子「リトルボーイ」が広島に生み落とされたんだろう。
その悲劇はさらに大きく育ち、2日後には長崎で「ファットマン」になった。

戦いで悲劇が起きた時に、人は悲劇やそれを起こした者を憎むようになって、そこから悲劇を連想させるもの全般に対する憎しみが生まれたり、憎き悲劇(またはそれを連想させるもの)をやっつけたい気持ちや憎き悲劇から自分たちを守ろうとする気持ちが生まれたんだろうか。
それが、強い武器を欲しがる生き方につながって更なる悲劇の繰り返しになるのかも・・・

でも、本当に憎いのは、具体的な悲劇やそれを起こした者じゃなくて、長い間自分たちが選んできた強い武器を求める生き方そのものかも知れない(憎むだけではその生き癖を変えられないのだが)。

強い武器を欲しがること。誰の中にもそれにつながりうる因子が眠っているので、誰もが十字架の一部を担う可能性を秘めている。
けれど、十字架ってのはどれほど体に重く密着してようが、決して体の一部じゃない。

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