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2010年7月28日 (水)

貴重な分析の始まり?

秋葉原事件「償いの意味込め真相話す」 加藤被告法廷で


もしかすると、これは彼の分析を周囲も応援した方がいいんじゃないか? とさえ思ってしまった。
彼は、単に判決を軽くするためにそういうことを言い始めたわけじゃないようだ。
彼の分析はまだ始まったばかりで、問題の表層部分に触れただけだと思う。そしてまとまらずに雑然とした断片がいくつか集まっただけの部分も多いだろう。けれど、非常に重要な取り組みが始まったのだと思う。いつか深層へ至る凄く重要なアプローチが始まったのだと思う。犯罪史上、今までこういった試みがなされたことはいままであっただろうか?
彼が己の闇を分析し知っていくことが、ここ10年で多発する「理解しがたい」とされる似たような事件の背後に潜む問題へのアプローチを助けることになったり、事件を起こさないだけで彼のような闇を抱えた人々への有意義なアプローチになりうるかもしれない。人間が持ちうる心の闇の姿を知ることや、それらを防いだり闇に墜ちた心を立て直すためのヒントがわずかでも見えるかもしれない。
自分の犯罪と虐待の間に何らかのつながりが発生する人と、そうでない人の違いが何か分かるかも知れない。
そう思うのは期待しすぎだろうか?

彼には、包み隠したり誤魔化したり打算的にならず、ありのままに己を突き止めて行って欲しい。専門家や周囲がそれを応援できればなおいい。専門家の分析と照らし合わせることも大事だ。分析が進んでいくうちに、新たな真相が見えてきて、今までの分析認識が勘違いだったことが分かる場合もあるだろう。それでいい。勘違いが分かっただけでも収穫であり前進の証だ。
色々分かったことや勘違いの修正を含めて、その全てをブログにして書き綴る(発表する)ことが出来たりすると、多分意義深いと思う。
書いていく過程で、彼自身何がどう間違っていたのか、己の過ちの姿を深く把握しやすくなると思う。

「そんな分析をやったって遺族や被害者の溜飲が下がるわけでもないし、罪が軽くなるわけでもないんだから無駄だ。分析なんてただの逃げや言い訳だ。世間の神経を逆なでするだけだからそんなことさせるな」と切り捨ててしまうのはあまりに惜しい。短絡的だ。
分析は誰かの溜飲を下げるためのものではないし、そもそも罪の償いや近代国家の刑罰自体、誰かの溜飲を下げたり誰かの憂さ晴らしを手助けするためのものではない(期待するだけムダ)。

むしろ、何故もっと早く犯罪者達にそういったアプローチをしてこなかったのかと思う。心の裏側を見つめる、心の裏側にアプローチするという発想自体は、犯罪者だけではなく、犯罪の被害者やその遺族達に対してもよい効果があるように思える。

内部のどこがどのようにして歪み、どこがどのようにして傷ついているのかが分かれば、それらを矯正したり癒したりするのに役に立つと思う。

単に起きたことの痛ましさや悲惨さや残酷さに対して怒りや悲しみや憎しみをぶつけるだけでは、通り一遍等の正義を振りかざすだけでは、再発防止にならなかったり解決しなかったりする物事もある。
それは犯罪だけじゃなく、事故や戦争だってそうかもしれない。

※この文章には犯罪を肯定する意図はありません。

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