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2010年5月25日 (火)

便利さにはしごを外された狭い世界

以前書いた「経済ど素人の占い師があえて書いてみる」を読み返す今日この頃。文がごちゃごちゃしていて例えも分かりにくい駄文だ。今のところ思ってることを上手に表現できずああなってしまうのがもどかしい。

>この先、生き方の中の豊かさや価値をたった一つの方法・ツールに依存せず、一つに発想と可能性を縛られ支配されず、もっと自由自在に豊かさのツールや方法を増やし適宜使いこなして生きていける日は来るだろうか?

この最後の方の下りから、ふと連想したことがあった。それは、社会がネットに依存した様子のこと。ネットは使い方次第でとても便利なツールになりうるのだが、近年ではネットやパソコンが使えない人、持っていない人は不利になり社会的弱者(IT弱者)になってしまうと言われている。将来、ネットがなければ生活できなくなるだろうという人もいる。ある意味では、社会自体がネットというツールに依存しているようなものだろうか。便利なツールなのだけど、それを使わなければ、今までよりも弱者になってしまう、不利で不便になってしまう。ヘタをするとネットがなくても出来ていたことが、ネットがなくては出来なくなってしまう、生き残れなくなってしまう・・・まるで便利な道具と歓迎していたものにいつしか脅迫され、社会的立場や生活や時間や色んなものを人質にとられて、生き残るチャンスを人質にとられて、結局それにすがらざるを得ないような、それに囚われて支配されてしまうような不便な状況になっている。社会が様々な物事をネットばかりに依存するようになったからだ。
そんなイメージをすると、人類が「お金」というものを発明し、普及させ始めた時代も、これと似たような感じだったのかなーとふと思った。お金がなくてもやっていけたことが、お金ナシには出来なくなってしまうようになっていって、自分達が産み出すものを効率よくお金と結びつけることが出来ない人達から順に不利になっていく。自給自足が基本の遊牧民・・・農家・・・
ネットでもお金でも、そのツールがいくら便利だからといって、やたらと物事をそればかりに依存し、それだけに一元化、一本化していけば、逆に却って不便になってしまい本末転倒だ。
「こんなに便利で素晴らしいものがあるなら、コレさえあれば他は何もいらない。今までのものは必要ない」と考えてしまう、生きる手段の合理性を追求するあまり生きる手段の多様性を「仕分け」してしまうのは人間の性なのだろうか? けれども人間以外の動物、植物を含め生命の世界がなぜ生き方に多様性を持っているのかを考えてみると、やはり特定の機能やツールに一元化、一本化することは危険なことなのだろう。生き残りに有利と思って作り上げたものに首を絞められるような使い方をしていると感じるのは気のせいか?

「これを何にでも使え。さもなければ生き残らせないぞ」
特定のツールにばかり依存して運営されている文明世界の住人達は、いつもそう脅迫されている?

人間の脳の世界、精神の世界でもそういった「一元的依存」は発生しているかもしれない。人類は種の生き残りのために、他の動物よりも自我と知性というツール発達させた。いわゆる「顕在意識」というものが発達した。脳で言ったら前頭葉の辺り。日々の生活のほとんどにこの意識を使うようになって人類は発展した。文明が生まれたのもこのお陰。そして、人々はこのツールばかりに依存し、このツールが作り出せる世界だけで生きるようになった。
その結果、使わなくなって退化していった能力も沢山ある。自我や知性の部分、顕在意識が認識できる一定の狭い範囲内だけが「自分」だと勘違いしてしまい、顕在意識が認識できない広大な無意識領域に自分の様々な個性や可能性が抑圧されてしまっていたり、自分の本当の望み、本当の気持ちに気付かなかったりするようにもなった。合理的思考の影に本音が隠されてしまい、それが無意識のうちにストレスをつもらせ、決壊して心の病として顕在意識に表面化する例も数限りない。無意識領域に隠された(抑圧された)自分の本当の望みや気持ち(感情)を自分以外の何かに知らず知らずに連想、・投影し、同一視して、その対象を自分でも理由が分からずに追い求めるようにもなった(その手の恋愛も多い)。
そんな連想や投影をきっかけに自分の本当の心に気がつくケースもあっただろう。むしろ無意識はそれを狙って色んな物事に己の内面を連想・投影をさせるのかもしれない。

けれども、やっぱり精神の領域でも「自我・知性」という特定のツールに依存した生き方から来るしわよせや不便さが目立つようになってきている気がする。ツールが「悪」なのではなく、人間側の使い方に問題があるんだろう。
今までの進化の積み重ねが新しいツールを生み出したわけだが、新しいツールがあまりにも画期的に感じたので夢中になってしまい、それ以外の「今まで」を遮断し切り捨てて、かつそのツールがなしえる分野の範囲内だけで生きること、他を締め出し新ツールのみの狭い世界で生きることにしか興味を示さなくなってしまった。「自分達を進化させること」ではなく、「そのツールの分野を進化させること」にしか興味がなくなってしまった。自分達はたった一つのツールだけで出来ているわけではないにもかかわらず。一つのツールは自分達の進化を助ける多くのツールの一つに過ぎないことを忘れて。
新しいツールが画期的に感じるのは、それが今までの進化に新しい要素を加えてくれて、自分達の世界を大きく広げてくれたからであって、一つのツールが作り出す世界だけに自分達を閉じこめるからではなかった。一つのツールの範囲内に閉じこもっていれば、更なる新たなツールはやって来れない。「今まで」を締め出し、「これから」も締め出されてしまう。
人間の心の中がそういう状態だから、人間の社会や文明にそれが反映されてきたのかもしれない。特定部分だけでやっていく発想は、便利に見えて不便だし危険だ。まず「特定」の範囲内から外には出られない。特定の範囲内のことしか出来ない。
そんなことしなくても、合理性と多様性はきっと両立できる。

アイラブテトリス

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