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2009年12月

2009年12月31日 (木)

2010年の星座別運勢

09年の運勢はこちら

◆牡羊座 3.21~4.20
去年に引き続き、今まで知らなかった自分とその可能性を発見し育てていく年。狭い価値観や狭い心に自分を縛りつけると自信を失うだけで本当の可能性を生かせない・磨けないかも。自信ややる気を失っていたらそうなっていないか要注意。自分を本当に生かせる方向には運勢の応援が。ライフスタイルが変わる人も多いかも。金運はバランスをとりやすい安定運。恋愛運は自分の望む恋愛の形や条件を狭い発想で決め付けたり、相手にそれを押し付けないこと、自分や相手を外見などの狭い価値観で評価しないこと。また、恋に求めることとそれ以外の手段が必要なことを分類して吉。 
健康運:お腹大切に。ショウガ、カレー粉、バジル○。炭酸・カフェイン注意
ラッキーカラー:ローズレッド

◆牡牛座 4.21~5.21
新しい物事への関心と出会いの年。自分のやりたいことや必要なことが少しずつまとまってくる予感。とはいえ、早合点や急ぎすぎは禁物。まとまり、形になっていくのを気長に注意深く見守り大切に育てていく発想を。まかれた種は土の下で静かに育つ暗示。小さな変化を見つける楽しみを持って○。金運は少しずつUP。どんなことに投資したいかが分かっていると運がそこに向かって流れてくれます。恋愛運、今すぐ結論を出そうとしたり結論ありきの考え方で進める(探す)のはNG。少しずつ気持ちを育てる恋に向いた年。はじめは友達感覚でも○。交流の質を重視して。恋のやり方・考え方が変化し手から出会いが来ることも。
健康運:疲労注意。正直に休んだ方が誠実なときも。冷えを防いで○
ラッキーカラー:ベビーピンク

◆双子座 5.22~6.22
今まで吸収してきたことを自分のものとして生かすことがテーマの年。今までの経験や与えられたもの、獲得したものなど、自分にプラスになった良いものを材料や元手に新たな良いもの・良い経験を作っていく暗示。経験は独りで独占せず周囲に広めて生かすと○。受身になってただ味わうだけじゃ物足りないなら、自分から作り出す楽しみをみつけよう(ただし周りを見ることもお忘れなく)。金運は、けち過ぎると後悔することも。大切なのは、「何に使うか」。恋愛運は、与えられた愛を栄養にして自分の「愛する力」をUP! 「愛されたい」より「愛したい」がキーワード。
健康運:「消化」がカギ。暴飲暴食や無理なダイエット× 胃腸のコンディション命。ジンジャーとシナモンは吉。
ラッキーカラー:樹木をイメージした色使い

◆蟹座 6.22~7.22
自分が良かれと思っていた物事、必要だと思っていた物事が必ずしもそうとは限らないと知る年かも。考え方が「自分にとって良かれと思って自分に押し付けてきたもの」から「本当に必要なもの」へシフトしそう。あてずっぽうな想像に走らず、固定観念に走らず、本音になって本当に自分が欲していることを探すと吉。それがスランプ脱出につながることも。過去を思い返すとヒントあり。金運は衝動的な契約・買い物注意。オイシイ話はマズイです。恋愛運、その恋を本当に自分は望んでいるか、一度振り返るとヒントを得る人が多そう。中には自分の望みを恋ではなく別件で目指すと楽になる人も。
健康運、暴飲暴食でストレス解消注意。趣味について考えるのは吉。バラの香り、カルダモン○
ラッキーカラー:クリスタル(透明)

◆獅子座 7.23~8.23
今までの曲が終わって次の曲が始まるような変化の年。今まで重要だったことと今後重要になってくる要素は必ずしも同じじゃないので、固定観念に縛られない注意。時には一旦立ち止まり周りを広く見渡す全体的な視点を持つと吉。本当に必要なことや良い展開のチャンスが見つかるかも。迷ったときは今までの発想が前提のやりかた・考え方は脇において1からやり直したほうがいいことも。「今まで」があったからこそのステップアップ的変化の予感。健康運はよく噛んでゆっくり食べること。不足しがちな栄養をチェック。
ラッキーカラー:試したことが無い色、ビタミンカラー

◆乙女座 8.24~9.22
ゆっくりと新しい種が育ってゆく年。新しい物事の可能性や関心が作られていきそうですが、非常にデリケートな時期なので慎重さが肝心。初めから結論や完璧さを求めると焦って失敗しやすいかも。小さな変化を楽しみつつ、不屈の精神でコツコツと確実にGO。出たばかりの小さな芽に熟した果実を求めないこと。何事も実情を踏まえて計画的に。自分に合わない価値観に流されないで。勉強運吉。金運は少しずつ上昇。恋愛運、急がず焦らず。その時々のやり取りを十分に味わって。出会い運も○。せっかちにならずお互いの気持ちが熟すのを待つ余裕を。健康運、自分の体調を無視しないこと。おかしいと思ったらすぐ労わって。辛いもの・アルコール注意。バラの香り○
ラッキーカラー:土をイメージした色使い

◆天秤座 9.23~10.23
難しそうな目標や先の見えにくい状況にも良い展開がありそうな年。迷いには結論が出る予感。今年は何かを諦めたり路線変更する必要なし。むしろ悲観するとオイシイ話や悪い誘惑に引っかかりやすいので要注意。自分が求めるものは自分の中にちゃんとあるみたい。対人運も調和の予感。表面的なことや見掛け倒しに惑わされたり勘違いしない慎重さがカギ。金運、「なんとかなった」がキーワード。目標金額は達成できそう。恋愛運、例え紆余曲折あっても納まるべきところに納まる運。障害を打開したり競争率の高い相手とも近づけるチャンスあり。ただ、自分が本当に求めていた要素が恋ではないことに気付く人も。恋を何かの代用品にしない注意。健康運は腸内環境重視。バラの香り、シナモン、カレー粉、飲むヨーグルト○。カフェインや等分の取りすぎ注意
ラッキーカラー:シルバー、紫

蠍座 10.24~11.22
今までつい陥りがちだった展開やワンパターンな失敗、苦手だった物事を解決・改善するチャンスの年。様々な不安や悩みは実際のその物事が原因ではなく、昔から抱えてきた内面のわだかまりを連想し投影して考えてしまったことが原因かも。今年は長年の不安や悩みの本当の正体だった内面のわだかまりを癒せるかも。根拠のない不安に基づいた判断や言動は無用。思い込みを抜け出したり、努力が報われる暗示が。金運、努力が報われそう。流され系の買い物パターン脱出の暗示。恋愛運、本当の自分を縛る恋や執着からは抜け出す暗示。そうでない恋はしっかりと向き合って実を結ぶ暗示。また、「心満たせるものは恋だけ」と恋愛至上主義にならない広い視野を。健康運、辛いものやカフェイン注意。日光浴とローズ・カモミールの香り○。
ラッキーカラー:ゴールド、ライトグリーン

◆射手座 11.23~12.21
狭くて古い殻を抜け出して自由に可能性自由に可能性を開拓していけそうな年。今までの考え方や経験や条件に基づいた選択だけに限定せず、新しい方向へどんどん向かって○。新規開拓・新境地開拓がキーワード。今まで知らなかった新しい自分を知って、それを自由に生かせる暗示。以前の発想で作った理想や目標は必ずしも完璧とは限らないので、あまりこだわらずに自由に0から作る手もあり。自分を制限していた原因が取り除かれる人も多そう。
金運は満足のいくお金の使い方が出来そうな安心運。恋愛運、出会いの開拓には向いた運。昔とは好みが変わっていることに気付く人も。ストライクゾーンは広めに。相手のいる人は、新しく気づいた自分の個性で新しい付き合い方発見の暗示。健康運は体を冷やさないこと、温かい水分をこまめにとること、カフェイン注意。シナモン・ユーカリ○。
ラッキーカラー:白、クリスタル(透明)

◆山羊座 12.22~1.20
状況がハイスピードで展開する暗示。移動・移転のある人は多いかも。無理をせずにひとまず一番大切な要素だけを優先・キープできればどんな困難もそれを逆手に取ることさえ出来そう。細かいことに気をとられて肝心なことを忘れない注意。物事は計画的に。本当に必要なこと、大切なことが何かの結論が出る前に先へ進むのはNG 。自分が本当に望んでいる物事を確認してからGO。金運はオイシイ話と衝動買い注意。本当に欲しい物事にだけ投資。恋愛運、お互いの喜びが一致しあう恋の予感。精神安定剤代わりの恋とはサヨナラ出来そう。恋や恋人に求めていた要素を自分の中からGET出来る人多し。カップルはお互い共通の理想や目標に向かって連携しあう能力がUP。
健康運は胃腸と睡眠が肝心。カモミール、カレー粉、シナモン、しょうが、日光浴○。カフェイン×
ラッキーカラー:明るい紫、白

◆水瓶座 1.21~2.18
新しい発想や新しい物事との出会いを得る予感。時には発想の切り替えが必要かも。何かに失敗してもすぐには諦めず、発想を変えてやり直せる気長さと忍耐で成功へ向かえそう。古い考え方に縛られないアイデアや直感は良い味方。頭で考えすぎるより「もしかして?」をトライ。意地を張らない柔軟さもミソ。違う視点を使えば分からなかったことにも見通しが立つ暗示。金運、スローな上昇運。気長に貯まるのを待って。オイシイ話は注意。恋愛運、自分が抱いてきた理想タイプに拘らなくても相性のいい人発見かも。「出来すぎた人」に見えたら思い込み注意。カップルは意地っ張り注意。相手の新しい部分を発見しそう。発想次第で新しい楽しみも見つかる暗示。健康運は予防第一。体の出すサインを受け止め、放っておかずにすぐケア。腸内環境を重視して。ユーカリ○。
ラッキーカラー:パールホワイト、シルバー

◆魚座 2.19~3.20
物事や自分の心に納得の行く良い結論が出るまで先を急がないことがコツ。流されずに自分の本当の希望や発想を実現に向けて育てていける年。自分の本当の思いを押し殺したり諦める必要はなさそう。時間はかかってもやがて花咲く暗示。焦って先行きを決め付けなくても良さそう。学習運も○。希望へ向けての勤勉さを運勢が応援。金運は節約運○。予想以上に出費を抑えられそう。恋愛運、焦って相手を決め付ける必要なし。自分の変化を待ち、変化した後の自分に最適な人を選んだほうがいい人、好みが変化する人も。カップルは相手に流されたり相手に任せっぱなしだった部分に変化が出そう。健康運は飲みすぎ食べすぎ注意。体にも内臓にも適度な休養を。ウォーキング、日光浴○。睡眠は規則正しく。
ラッキーカラー:琥珀イエロー、ゴールド

お年賀イラスト2010

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

2010

景気回復を願って。世界中の金運が天高く舞い上がりますように。

AYA

2009年12月28日 (月)

マット・ハーディング

※リンクは右クリックで別窓

マット・ハーディング(マシュー・ハーディング)という有名な人がいる。本職はゲームクリエイターの彼は、世界各地の旅行先で自分の踊る様子をビデオ撮影し、「Where the Hell WAS Matt?」という題でyoutubeなどの動画サイトにアップした。ただのオッサンが旅先でヘンな踊りをするだけの動画。時々現地の人も参加している。ただそれだけの動画が人々に何故か不思議な感動や喜びを与え、国境や言語の壁を越えて非常な人気を呼び、動画のアクセス数はうなぎのぼりに。その後旅行先が増えると共に動画は最新版がアップされ、チューインガムの会社が旅行費用のスポンサーになり、とうとうVIZAのCMにまで使われた。
人々は、この動画から確かに「何か」を感じているようだ。

最新版の動画を見る←右クリックで別窓

最新版の動画の挿入歌:Garry Schymanの「Praan」 。英訳すると「Stream of Life」。

挿入歌の歌詞はタゴールの詩「Praan」より:

ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが
世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。
そのいのちが 喜びがなってほとばしり
大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ
木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。
そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに
満ちたり引いたりしながら揺られている。
このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる
そして私の誇(ほこ)りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている
幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ。


世界中の様々な生命がそれぞれ独自の音色を響かせ、それらは生命の壮大なシンフォニーを形成しだす。全ての生命が妙なるシンフォニーを奏でる楽器たち。シンフォニーはこの瞬間にもさらに美しく進化し続ける生命体。命の楽器たちで出来たとどまることのないひとつの生命体。

私達はこんな素晴らしい音楽にもなれるんだ。


皆様がより美しい音色を奏でられることを願って。良いお年を。

ある楽器の話

2009年12月21日 (月)

ある楽器の話

昔々あるところに、自分の音を生かせる曲がなかなか見つからずに困っていた楽器がいました。どんな曲を演奏してみてもイマイチで、無理して弾いても辛いだけで全然楽しくないし、そもそも音色が曲の雰囲気をぶちこわしていました。
「はぁ・・・私に合う曲どっかないかな・・・まともに聴ける音楽を弾かなきゃいけないのに・・・今まで弾いてきた曲がダメだったのは、上手に弾く努力が足りないのかな」

楽器は自分に対しても聴衆に対しても心地よい音楽を演奏できない自分を責めてばかりいましたが、どんなに自分を責めても問題は解決しませんでした。 責めても解決できない自分を責めました。
自分の音を十分生かせる日なんて来ないのかもしれない。もしかしたら自分は楽器として可能性の無い欠陥品なのかも。私みたいな楽器がなんでこの世に生まれたんだろう。などと心配していました。
そんな風に悩んでいると、見知らぬ怪しい人がやって来ました。
「お前の居場所この世界にねえから!」なんか突然物凄い勢いで突き飛ばして来ました。
気持ちが悪いのであわてて逃げました。
ふと、新しい楽器の登場につれて音楽の世界も広がり発展してきたことを思い出しました。
「そうだ。それなら自分で作曲すればいいんだ」
そう考えると、やがてふつふつとアイデアが浮かんできました。アイデアを試行錯誤した結果、その楽器は1つの曲を作ることが出来ました。曲のジャンルは以前から存在した音楽ジャンルに分類できるものでしたが、その楽器の音色を巧みに使う曲は今まで存在していませんでした。 音楽の世界が1曲分広がりました。
その曲を演奏するととても楽しくて、聴衆も喜んでくれました。今までになく自分の音を生かすことが出来たので、大満足でした。自分の使い道が1つ分かって自分という楽器に前よりも自信がつきました。
その楽器がこの世に生まれたのは、その音を生かす方法がこの世で実現できる証拠かもしれない。そう思ってみると幸せでした。

「自分を生かせるのは、この曲なんだ。こんなに自分を生かせる曲は、他に無いよ!」
自分がこの世で幸せになれるのは、この世でこの曲一つだけ!
この曲だけが私そのもの!
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・幸せ♪」
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・幸せ♪」
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・幸せ♪」
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・幸せ」
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・幸せ」
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・幸せ」
そう思って四六時中その曲だけ演奏して過ごしました。
「あ~・・・・・・飽きた。」

未曾有の事態が発生しました。あんなに幸せだったあの曲が、今は・・・
「でも自分の音を生かせるのはあの曲しか・・・弾いて幸せだったのはあの曲だけだった・・・」
あの曲を幸せに思えなくなったら、他に幸せになれる曲がなんにもありません。自分の音を生かせる曲が見つからなくて困っていたころに逆戻りするんじゃないかと心配でした。
「また可能性の無い欠陥品の気分になんかに戻りたくないよ~」
「あの曲が楽しかったのは気のせいだったの?」
「あの曲しか自分を幸せにしてくれないのに飽きるなんて、前世で何か悪い事でもしたのかなー」
そんな風に悩んでいると、また怪しい人がやって来ました。
「あなたは先祖の霊に祟られている。この墓石を買えば(略」
あわてて逃げました。
「はぁ・・・またあの曲が幸せに思える方法は無いかな・・・昔の自分に戻らなくちゃいけないのに・・・」
あの曲を弾くのをやめてから、楽しいことがちっともありません。
違う曲を作ってみようと試してみましたが、音階が限定されたメロディは既に聞き飽きていて、面白いアイデアが浮かびません。

ある日の夜、眠っていた楽器は夢を見ました。
楽器は階段を登っていました。ステップを1段上がるごとに低音から高音に向かって自分の音が出ていきました。8段目までが自分の持っている音でした。階段はそこで途切れていました。
でも、楽器は何故かもっと上に行きたくて仕方ありませんでした。お空はあんなに高いのに・・・
そこへ、音符の形をした精霊がやって来て言いました。
「何かご入用ですか?」
楽器は言いました。
「階段をもっと上に登りたいんです。」
「ふむ。階段を上へ。・・・となると、あなたの新しい音が必要ですね。どんな音が出せるようになりたいですか?」
「もっと高い音がいいです。」
「どの程度の?」
「うーん・・・そうだな・・・今の私の倍ぐらい高い音!」
「鼻歌でいいんでその音のイメージ歌ってみて下さい」
「えぇ? ・・・・こうかな・・・♪♯♭~」
「はいわかりました。音声を階段に変換します」
見る見るうちに、階段がもう8段増えていきました。
「登ってみてください?」
・・・♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「おおおおお! こういう音欲しかった!」
「歌えるってことは、気付かなかっただけで本当はその音前からあなたの中にあったんですよ。これであなたの使用音域は1オクターブ分バージョンアップしました」
「ありがたき幸せ~」
楽器は音符の精霊に土下座しつつもみ手をしてすり寄りました。
「もっと沢山増やせませんかね?」
「今歌えますか」
楽器は歌おうとしましたが、うまく声が出ませんでした。
「新しく増やした音使って曲が弾けるようになったら、経験値が上がってまた歌えるようになりますよ」
「新しく手に入った音だけで曲作ればいいんですか?」
「いや、そうじゃなくてw あなたが持ってる音全部好きに使っていくらでも自由に弾いてください。昔みたいに自由にね」
音符の精霊は似合わないウインクをしてどこかへ飛び去っていきました。

次の日。目が覚めると楽器は自分の体が少し大きくなっていることに気がつきました。
自分が前に作った曲を進化させるべきか、それとも違う曲を作って曲のレパートリーを増やすべきか・・・他の楽器と合奏曲やるのは? 以前ダメだった曲を高音部で自分らしく弾いてみようか・・・そういうのを全部やろうか・・・今はまだ何も思いつかないけど、いつか必ずいいアイデアが浮かんでくる。私は楽器で、世界の一部で、世界を広げる者のひとりだから。
楽器はそのことを知っていました。

2009年12月12日 (土)

平和への願い≠平和じゃないことへの憎しみ

※あくまで一個人の見解です。

「正当な戦争」失望と憤り=オバマ氏受賞演説、被爆地に波紋

オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した。その時の演説で、「平和維持のために時に武力も必要」といった内容があったために被爆者の皆さんに波紋を投じた。オバマ氏の戦争を肯定的にとらえる姿勢が問題視された。
リンク先の記事(時事通信)が被爆者達のインタビューを取り上げている。

アメリカが「世界の警察」と揶揄されるように、建前上のアメリカ視点だと、アメリカのやる戦争は「治安を脅かしている者を警察が銃を使って取り締まる」位の感覚なのかもしれない。この視点だと、戦争を非難することは警察が武力を使うことを非難されているようにうつるかもしれない。建前上は。(警察は犯罪を泥沼化させたりテロを誘発したりしないけど)

「戦争をやめさせるために戦争している当事者を攻撃する」
「平和を訴えるために戦争している者達を攻撃する」
これは武力で攻撃するのか武力以外の方法で攻撃するかでイメージがだいぶ変わるように見える。
だが、「攻撃的な者を攻撃する」という点で、どちらも同じ穴のムジナかもしれない。
「平和のための戦争」「平和のための攻撃」・・・
「誰かを攻撃する」という手法を使う時点で、多分争いは解決しない。
憂さが晴れ、溜飲が下がるように見えるだけかもしれない。 何かを憎み攻撃するのは、それだけ深い傷があるということか。もしそうなら、その傷が癒えて痛みがなくなれば、憎み攻撃する必要はなくなる・・・?

酷いトラウマを背負いつつも感情的にならずにいられる広島の山田さん(リンク先参照)は立派だと思う。

太平洋戦争当時空軍にいた人が広島に訪問し、(多分プロデューサーによって)呼び集められた老いた被爆者達の何人かが彼に辛い感情をぶつける様子が数年前の某民放で報道された。空気が平和じゃない感じだった。悪趣味な企画(やらせ?)かもしれないけど。
被爆者たちも心の傷があまりに辛いから傷を連想・投影させるものにはつい感情的になって攻撃するのだろう。そして攻撃すると平和じゃなくなる。
(ちなみこの元軍人は、被爆者の苦しみを知った上で『謝れ』という彼らの訴えに『気の毒とは思うが謝れない』と回答)

被爆者達ははたしてちゃんとしたメンタルケアを受けているのだろうかと思う時がある。「平和を語り伝えるためには当時の苦しみを忘れてはいけない。忘れないためには何のケアも受けずにずっと苦しみの時間を刻み続けなければならない」なんてことは決して無いはずだ。心の傷をケアすることと実体験に基づいて平和を訴えることは、両立すると思う。
長い間抱えてきた心の傷がそう簡単に「治る」とは思えないが、必要以上に感情的にならずに(むやみに感情的になって苦しまずに)済むくらいにはなるんじゃないかと思う。
実体験に基づいて平和を願い、願いを訴えることにエネルギーを注ぐのは建設的で立派なことだと思うが、実体験に基づいて平和じゃない状態を憎み、その憎しみを訴えることにエネルギーを注ぐのは多分健康に悪い(中東じゃそのせいでテロリストが生まれることもある)。

傷から立ち直れないから、傷とその原因を憎み、傷を連想する相手を攻撃する。平和を願ってつい攻撃的になる。世界中が平和じゃなかった時代の傷を持っている。そんな傷を背負ったある国が、大きい武力を獲得したら・・・
「平和を願うこと」と「平和じゃない状態を憎むこと」。傷を抱えている心は憎しみを選びやすいかもしれない。そして憎しみは必要以上に感情的・攻撃的な気分を作り、争いを生みやすい。新しい傷を生みやすい。では、もしも傷がケアされていたら?

戦争の原因は千差万別だろうが、おそらく「平和じゃなかった時の傷」なんてのも戦争を発生させる要因(例えば世論など)に関わってるのかもしれない(平和じゃなかった時が戦争時だけとは限らない)。
先のイスラエルでの戦いはそんな印象が濃い。


2009年12月 8日 (火)

アダムとイブの物語が象徴するもの?

danger マニアック注意

ついでなので、アダムとイブの物語そのものでオカルトなトンデモ説を捏造してみた。あくまで無名の占い師が捏造したフィクション(二次創作?)であることを忘れてはいけない。
 アダムとイブの物語は前記事参照←右クリックで別窓

オカルトマニアの個人的な願望妄想だが、聖書を含め、その土地の大昔からの神話や伝説というのは、その土地の人々のDNAに刻み込まれた強烈な体験の記憶が象徴的に表現されたものではないかと空想している。DNAを通して人々の無意識に刻まれ受け継がれてきた歴史・・・良い記憶も、嫌な記憶も含めた歴史・・・それが象徴的な物語として信仰される。大昔に一体何があったんだろう? とか色々妄想するとちょっとロマンを感じる。思わず顔がにやけてしまう。
神話や伝説とDNAの記憶----以前もそのような感じの妄想記事(下のリンク参照)を載せたことがあるが、今回もそんな感じで寄り道しまくりの気ままな妄想の旅に出ようと思う(多分ほとんどの人は脱落するほどマニアックになると思う)。この旅は、あくまで無名の占い師が捏造したフィクション(二次創作?)であることを忘れてはいけない(大事なことなんで2回言いました)。

アダムとイブの話はイスラムの聖典コーランにも載っている。そこでは、先に禁断の知恵の実に手を出したのは、イブではなくアダムという事になっている。そして、聖書でもコーランでも、アダムは知恵の実を食べたことを最初は誤魔化そうとしたらしい(コーラン版のアダムはそのことを後に反省している)。聖書の方では、神に「知恵の実を食べたのか?」と尋ねられたアダムが「イブだけが食べた」と神に答えている。これがアダムの行った最初の罪とされている。アダムは、人類最初のウソをついたのだ。

知恵の実を食べたことを誤魔化そうとするアダム・・・何かを誤魔化せる程度の知恵がついたということか。聖書とコーラン、どちらの言い伝えでも、知恵の実を食べて自我と知性を得たアダムは「悪知恵」が働いている。知恵の実の効果はてきめんだ。「誤魔化す」という行為も鍵。人間は、自我にとって都合の悪い事や受け入れがたいことを無意識の領域に追いやり「なかったこと」にして自分自身をを誤魔化す能力がある。つらい記憶やつらい事実を自我の意識領域からすっかり欠落させたり、犯罪者が自分の犯行の記憶を失っていたり。もっと身近な例では「自分は何も悪くない」と思い込むために事実を都合よく捻じ曲げたり、自分を被害者にする(または他人のせいにする)といった能力だ。この真実を封印するかのような機能は心理学的には抑圧とか抑制という。それは自我をもった者(すなわち人間)にしか出来ない。ゆえに、自我は人間のシンボルとも言える。知恵の実を食べて知恵と自我に目覚めたということは、同時に自我(顕在意識)に対する「無意識」という領域が生まれたということでもある。自我と知恵をつけたアダムは知恵の実を食べたことを早速無意識領域に追いやり、「なかったこと」にしちゃったらしい。

向き合わず受け入れずに無意識領域に葬り去られたままの真実は時に心のわだかまりとなり、やがて神経症の原因になることもあるそうだ。言い伝えの世界では、向き合い受け入れその原因を改善(治療)することが必要な真実(宗教的に言うなら悔い改めるべき真実?)を「嫌なものだから都合が悪い。受け入れたくない。なかったことにしよう」と無意識領域に隠蔽し葬り去ったまま放置することに対して、「それは心の健康を妨げること」という本能の視点から『罪』と表現しているのかもしれない。精神衛生上「悪い」ってことで。それなら『罰』はさしずめ神経症の症状だろうか? 人類で最初に自我と知性に目覚めた二人は、人類最初の罪(原罪)を背負うことになる。そして罰も受ける。彼らが食べた「知恵の実」のもう一つの呼び名は、「善悪の知識の木の実」。「罪」の概念もこの実を食べたとき生まれたのだろう。
アダムとイブの物語は、動物のような意識だった人類が始めて自我と知性に目覚め、同時に無意識への心理的抑圧(抑制)のやり方を覚えた時に人類のDNAに刻まれた記憶(知性の使い方と悪用法?を覚えた時の記憶)を象徴的に表現する物語だったのかもしれない。知恵の獲得と同時にその悪用法を得てしまえば、「知恵→悪」と連想する感覚も分からないではない。ギリシャ神話の「人類に火の使い方を教えてゼウスから罰を受けたプロメテウス」の物語も同じ事を語っているのかもしれない。現代風に例えれば、どちらの話も「原子力の使い方覚えると同時にその悪用法(核戦争)を覚えちゃった」ようなものか? 

知恵の実を「食べると死ぬから食べるな」と神から言われたのに食べちゃったアダムは930歳で死んだと記録されている。しかしイブがどうなったのかは記録がない。これがまたなんともロマンを感じる。
そのロマンが電波に引火してオカルトマニアの妄想が再び炸裂。もしかすると、イブは「食べると死ぬ」はずの知恵の実を食べていなかったから死の記録が無いのかもしれない、と。知恵の実を食べたアダムが自分と神を「誤魔化した」ためにイブも食べたかのような話になっているが、本当は食べていなかったためにアダムのように死ぬことはないとしたら。
アダムはかつて自分が付いたウソという罪(心理的抑圧)と向き合い受け入れ反省した証に、楽園を追放された後で彼女に「イブ(生命・生きる者)」という名前をつけた? 

仮説その2
アダムとイブが人間を象徴する存在であれば、アダムは人間の持つ「都合の悪いこと(神に背いて知恵の実を食べたこと)」を無意識領域に放り込んで「なかったこと」にする能力のある自我(顕在意識)の象徴キャラクターで、イブはそんな自我から「都合の悪いこと」を押し付けられた無意識領域の象徴キャラクターかもしれない。無意識は善悪の判断をしない。だからイブが善悪の知識の木の実(知恵の実)を食べていない(=善悪の判断能力がない)とする話を作った場合でも、つじつまだけは合う。
もしそういう見方をすると、イブはアダムという自我にとってのアニマ(男性にとって自分の中の女性的要素や抑圧されたまま無自覚でいる個性や可能性を象徴し、知られざるもう一つの自分の姿を意味する。しばしば本人が理想とする女性像の形をとる)ということにもなる。
(※ウエイト版タロットの「恋人」のカードには、アダムとイブが描かれている。男性の恋愛感情は自分のアニマを異性に投影することで発生するという説がある)

仮説その3
もっとオカルトなことを書くと(これが本命だけど)アダムの名は「土・人間」という意味があり、イブの名は「生きる者・生命」という意味がある。これをオカルト的に解釈して、アダムは自我や知性といった肉体(脳)の領域を。イブは肉体に宿ることでその体を生命たらしめるもの、自我が認識できない生命の働きや無意識とその領域を司る、いわば魂(心・精神性)という不滅の生命体だとすると、二人合わせて「土(地上)に生まれた体とそこに吹き込まれた魂」。やっぱりイブは死なない。いつまでも「生きる者」だ。楽園を追放された後、アダムは己の心に生まれた罪と向き合った時に己の無意識部分であるイブの特性(自分の魂や生命の特性)を知り、それを表現する「イブ」という名をつけたのかもしれない。イブはアダムという寿命ある生命の、知られざるもう一つの姿(=アニマ)か。
そして何を隠そう、「アニマ」はラテン語で魂を意味する言葉でもあるのだ。魂即ち、肉体に宿る不滅の生命だ。
(オカルト的に見ると、現代人の自我は己の心への理解は乏しく、ましてや魂なんて非科学的なものは『なかったこと』にされている)」
神は「知恵の樹の実を食べた人間達(=アダムとイブ)が生命の樹の実までも食べ永遠に生き神と等しい者になる恐れがある」としでアダムとイブを楽園から追放したというが、イブが不滅の生命(魂)のシンボルだった場合、少なくともイブは、食べると永遠に生きるという生命の樹の実を既に食べている。
イブに死の記録がないのは、果たして知恵の実(食べると死ぬ)を食べなかったせいなのか、それとも生命の実(食べると永遠に生きる)を食べたせいなのか。そして生命の実を食べていた場合、彼女は知恵の実も食べていた(=神と等しい存在になった)のだろうか? というのも、アダムとイブが知恵の実を食べる前なら生命の実を食べることは禁じられていないのだ。
私は多分、イブ(不滅の生命=魂)という存在は「神と等しい存在」なんじゃないかと思った。そう、一人一人の魂は、「八百万の神」なのではないだろうか、と。

イブ(生命)がアダム(人間)のアニマなら、彼女は全ての人類が持っている「隠されたもう一つの姿(=抑圧され無自覚なままでいる個性や可能性)」、すなわち魂という不滅の生命(神と等しい存在)だ。
それは昔から(神同様に)生命を生み出す機能を持つ女性達に神秘と恐れの気持ちを込めて投影されて来たかもしれない。時には「恐れ」の気持ちが優勢になってしまい、投影された側の女性達までが恐れられた挙句、「恐れが自我によって抑圧される」かのように歴史のなかで女性が抑圧されたこともあったろうか(魔女狩りとか、ある種の男尊女卑とか?)。

まとめ
アダムは死に、イブの死は記録されず。多分それが原因でジッダにイブのお墓伝説が生まれ、21世紀初頭に至ってそのジッダで未曾有の洪水が発生。宗教上の事情でコンクリートにがっちり封印されたイブのお墓(これもある意味都合が悪いから抑圧されたもの)とされる墳墓も水の中に沈んだのだろうか? 
「水」は無意識のシンボルだ。そして「洪水」は抑圧という心の堤防を上回る力を秘めた無意識の作用によって、かつて自我に「なかったこと」として水の中に沈められたものが堤防をこえて再び自我領域にどんぶらことやって来る現象のシンボルだったりする。その現象の一つが、神経症だ。
(※旧約聖書には、罪深い人間への罰として神が洪水を起こすという『ノアの洪水伝説』が存在する)
そして、「お墓」は故人の記憶を想い起こさせる場、すなわち「過去の記憶が甦る場所」でもある。
歴史の水底に葬られ、その記録は「なかったこと」にされているイブの秘密の手がかりが、やがて抑圧を越えて水面上に現れる日は来るだろうか? 
自分の都合の悪いもの(時には『罪』)を長い間無意識領域に押し付け、「なかったこと」にしてきた人ほど無意識領域と向き合うことを恐れる(そしてその恐れさえ抑圧する)。だからそういう人の自我は必死に堤防を作って無意識の作用を抑圧(封印)することがある。コンクリがあったら使いたいかもしれない(この文章の『無意識領域』を『女性』に置き換えると・・・?)。

私達は、いつか謎というコンクリートに包まれたイブの秘密に出会えるだろうか? 謎のまま無意識の水底に沈められ、抑圧されてきた私達の生命のもう一つの姿(イブ)と私達が出会う日は来るのだろうか? 


ヘルメス伝説と進化の記憶

2009年12月 3日 (木)

砂漠の洪水とイブのお墓伝説

ちょっと前の話になってしまう。
11月の終わり、イスラム教徒のメッカ巡礼(ハジ)が始まった初日。巡礼の玄関口の都市、中東はサウジアラビアの乾燥した砂漠地帯にあるジッダという場所で、何故か豪雨による洪水が発生。被害は大きく、3桁に至る犠牲者が出てしまった。ご存知の方も多いと思う。
洪水のニュースをきっかけにこのジッダという場所についてちょっと調べてみると、オカルトマニアとしてはちょっと興味深い事実を発見した。
何と、ジッダには旧約聖書の物語に出てくる人類の祖先、アダムとイブのうち、イブのお墓と言われている墳墓が存在しているとのこと。その墳墓に巡礼者がこっそりお参りしてしまった(イスラム的にはNG)ことがきっかけで、30年以上前に現地の宗教当局が墳墓をコンクリートで覆ってしまったそうだ。
イブのお墓があるという言い伝えのためか、「ジッダ」という地名の語源は「おばあさん(jaddah)」から来ているという。まさしくイブは「人類全てのお祖母さん」という設定だ。
そしてイブは、謎めいたお祖母さんでもある。

◆アダムとイブの物語
ユダヤ・キリスト・イスラム各宗教の共通認識として、アダムとイブは人類の祖先だ。旧約聖書によると、二人は最初、「エデンの園(楽園)」に住んでいた。そこには様々な果物や食べられる実のなる木が沢山あり、二人は神からそれらを好きにもいで食べていいと言われており、働かなくてもお腹一杯食べられて何不自由なく暮らしていた。そんなエデンの中央には「生命の木」と「知恵の木」というものがあった。神は「知恵の木の実(禁断の知恵の実)だけは食べると死ぬから食べてはいけない」と言った。しかしある日、蛇にそそのかされたイブが知恵の実を食べ、美味しかったのでアダムにも勧めた。アダムも食べた。二人は知恵の実を食べちゃったために、「知恵の実を食べた上に生命の実まで食べて自分と同じになられたら困る」という神の思し召しでエデンを追放された(ちなみに、生命の実も食べて神との合一を目指すのが生命の木を重要視するカバラ神秘学だ)。
エデンという楽園を追放された二人。イブはそのときはじめて、「イブ」という名前をアダムにつけてもらった。名前の意味は「生きる者」とか「生命」。二人はエルダという場所に住み着き農業をして暮らした。子供も生まれた。こうして人類は汗水たらして働かなきゃ食べていけないほど実り少ない世界で生きることになった(その結果、金融危機が起こせるほど経済が発展したのかもしれないw)。
「知恵の実を食べると死ぬ」・・・神がそう言ったとおり、やがてアダムは930歳で死んだ。しかし、イブの死に関してはなぜか記録が存在しない。彼女の行方は、今のところ誰も知らない。

おそらく、イブの死が記録されていないからこそ、ジッダにお墓があるという伝説が生まれたのだろうと思う。昔の人はこう考えたのかもしれない。「食べると死ぬという知恵の実を食べたのなら、イブだっていつか死んだはず。恐らく死んだ場所は旧約聖書の世界観に合わせて中東のどこかだろう。丁度誰のものかわからない古い墳墓がジッダにはある。じゃそれがイブのお墓かもしれない」・・・そんな感じでイブのお墓伝説は生まれたんじゃないかと空想した。
 
食べると死ぬという知恵の実を食べたのなら、イブだっていつか死んだはず・・・なのに、彼女が死んだ記録はどこにも存在しない。いつどこで死んだのか全くわからない。誰のものかわからない古い墓が存在するだけ。
これが意味することは何か。恐らく、イブは生き続けている

神が「食べると死ぬ」といった知恵の実を食べたアダムはとっくに死んだのに、なんでイブだけがまだ生きているのか?

次回はアダムとイブの物語にオカルト的・心理的な焦点を当ててみる。

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