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2009年11月 5日 (木)

コンプレックスをバネに・・・?

よく、「コンプレックスをバネにして何かに打ち込んだら成功した」という話を聞く。有名な例はいじめられっ子だったボクサー(名前失念)。
コンプレックスから抜け出すために、特定の分野で他者より優れた結果を出そうとするわけだ。「コンプレックスから抜け出したい」という強い思いがモチベーションやがんばろうという意志を生んでいる。いわば動力源(バネ)がコンプレックスということ。

ただ、コンプレックスを前提にしたモチベーションを維持するには、コンプレックスを手放さずに持ち続けなければならない気がする。動力源がコンプレックスなんだから、動力源を手放すわけにはいかない。
それ、コンプレックス抜け出せなくなるんじゃ・・・?
もしコンプレックス抜け出しちゃったら、それ以上続ける理由なくなるかもしれない。そこで自分がコンプレックスから抜け出さないためにアレコレ手を尽くしてコンプレックスを維持しようとすることをお勧めはしない。続ける理由が無くなったら、たぶんそれでいいのかもしれない。
ごくまれに、コンプレックスがきっかけではじめたことが、コンプレックスを前提にしなくてもその分野に適性があったことに気付き、コンプレックス脱出後は別の動力源を探してその分野を続ける人もいるかもしれない。

学業、芸能、音楽、格闘技、スポーツ・・・コンプレックスを抜け出すために便宜的に始めた物事は、あくまでコンプレックスを抜け出すためのものであり、あくまで「抜け出すための道具で」しかないとしたら、コンプレックスを抜け出した時点で、それは役目を失い、続ける理由も必要もなくなり、その人は今まで打ち込んでいたことから「卒業」する場合もあるのだろうか・・・
コンプレックスをバネにしてがんばって大成功を収めた人が、「せっかく成功したのに」と惜しまれつつその分野から引退する理由の一部はそこらへんにあるんだろうか?

それと、「何かの分野で他者より優れた結果を出すことで自尊心を劣等感から回復させる」という発想のやり方は、その分野で成功を収めた一握りの人間しか自尊心を回復できないことになる。
人並みの能力の人間は自尊心を持つ資格が無いのだろうか?
他者より優れることでコンプレックスから抜け出す手段は、他者を見下すことでコンプレックスを誤魔化す手段と紙一重? 自尊心のために他者を見下しているうちは、その人はコンプレックスから抜け出していない・・・優越感は劣等感の裏返し?・・・劣等感が無くなれば、他人を見下す理由が無くなる?

コンプレックスをバネにするための手段を見つけた人は、その手段がよほど自分に向いていない限りは、やがてコンプレックスからもそれを抜け出すための手段からも卒業して行った方がいい場合があるのかもしれない。コンプレックスを脱出しても(目的を達成しても)まだ手段にしがみつき、無理やり続けていたら、かえってストレスになるかもしれない。
「何のためにやってるのかわからなくなった!」「モチベーションが無いことを無理にやっててしんどい」・・・なんてことにもなりそうだ。

コンプレックス脱出の手段に何を選ぶかも重要。最初から自分に向いていない(大して好きじゃない)分野をコンプレックス脱出のためだけに無理やり自分を奮い立たせてがんばっていたら精神に過負荷がかかって鬱のようになってしまうこともあるだろう(酷ければ本当に鬱病になるケースだってあるかもしれない)。
コンプレックス脱出の手段に選んだ分野自体がコンプレックスに基づいて選ばれたものなので、その分野にエネルギーを注ぐとコンプレックスにもエネルギーを与えてしまうこともありそうだ。
「このコンプレックスが無ければこんなことしなくてよかったのに・・・」「本当はこんなことしたくなかった!」みたいな感じ。

親が自分のコンプレックスに基づいて子供に特定の分野に打ち込むことを強いてしまうとさらに複雑だろう。子供にとっても負担だし、子供にそれを打ち込ませるためにエネルギーを使うこと自体も負担が大きい。
子供が何かのプロになることを目指してがんばっている親子がそろって精神科に通うケースもあるとのこと。
それでも彼らはがんばり続けることをやめないのだろう。

「コンプレックス」とは何か・・・それをコンプレックス(またはその裏返しの優越感)であると設定した原因や背景は何か・・・そこに何か秘密があるような気がする今日このごろ。
その秘密が分かれば、その人が自分で自分を尊ぶ(自尊心を持つ)ための何かにつながるかもしれない。

人間が体だけの生き物ではなく、体と心の両方で出来た生き物だとすれば、体を守り育て健康を維持しようとする本能同様に、心を守り育て健康を維持しようとする高次の本能があってもいいように思う。心・・・あれも「生命」なわけだから。
人間は己の生命のうち、「体」についての理解はそこそこ進んでいるけれど、「心」については自分のことながらあまり分かってない。
もしも人間が「心」について深く高度な理解をするようになったら・・・その時代にはまだ占い師は存在するだろうか?


容姿・劣等感・個性
人間を楽器に例えた恋の話

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