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2009年11月

2009年11月29日 (日)

食欲の秋09

マルガリーたん。

Marugalitan


2009年11月21日 (土)

ボジョレーバブル

ボジョレーヌーボー。フランスのボジョレー地方で育てたぶどうで作ったワインの新酒。単にそれだけのこと。
近年、何故かそのボジョレーの売買価格が高騰し、そして今年暴落した。話題性を仕掛けてセンセーショナルなお祭り騒ぎをしていたとき、人々はボジョレーに高い値段をつけたが、ボジョレー自身の本当の価値、本当の姿を見ていたとは限らない。それ自身の持ち味には目を向けず(ゆえにそれらは評価されず)、ただ作り上げた幻想の価値を熱に浮かされて買い求め、現実のボジョレーを味わい、そして幻滅した。
「なんだ。たいしたこと無いじゃん」
「あんなもの、値段に見合うほどの味じゃない」
そんな声があちこちから出てきた。
幻想→熱に浮かされて持ち上げる→現実を知る→幻滅してこき下ろす
こう書くとありがちな恋愛みたいだ。

本当の自分を見てもらえなかった時期。本当の自分を見ることなく幻想を押し付けられて持ち上げられていた時期。ボジョレーは確かにあまり美味しくなかった。
ヘソを曲げちゃったのかもしれない。
私も今まで試飲したことはあったけど、買ってまで飲みたいとは思わなかった。
人々が幻滅し、ベールのように現実を覆い隠す幻が滅んだ時、メッキがはげて現実が見え出した時、値段が3桁に落ち込んだ時。ボジョレーに「50年に一度の当たり年」が来た。
○エツで試飲したら本当に美味しかった。ほのかな甘さと爽やかな香り、渋すぎないぶどう皮の味が気に入って安いから買った。今年のは美味しいと思った人はわたしの周りには結構いたみたいだった。
「安くて美味しい」「素人にも親しみやすい」
押し付けられた幻想が消えたとき、ボジョレーははじめて本当の評価を得たかもしれない。

もしもボジョレーを擬人化したら。
高い時には不味くて安くなったら美味しくなる。設けたい人間の思惑なんぞ聞きゃしない。むしろ逆をやる。そんなイメージはやっぱりフランス人だろうか ?
実際はヘタレだが自分を実際よりも大きく見せて挑発し、勝手な幻想で擦り寄ってくる者や期待通りの姿を求める者達をおびき寄せ、利用するだけ利用して飽きたらわざと自ら化けの皮を脱いで幻滅させて相手の見る目の無さをせせら笑い、自分の本当の姿を見ようとする者には本気出す。ごくまれに脱ヘタレ成功。ただしごくまれに。
本当は、ありのままの自分を愛してくれる人を求めている。
カッコつけながら「ボクは真実の愛を探してるのさ」
そういう「なんちゃってフランス映画風」なイメージが似合うキャラ。

2009年11月 7日 (土)

人類史のガンに対症療法は向かない

※以下は占い師の非科学的な妄想です。

米陸軍基地の銃乱射で40人以上死傷、犯人は生存

アメリカの陸軍基地で、軍医(精神科医)による銃乱射事件が発生。
犯人はイスラム教徒で、そのせいで周りから嫌がらせを受けていたと漏らしていた。
米軍のイラクやアフガニスタンへの派遣には反対意見だった。
さらに、PTSDの兵士達からカウンセラーとしてイラク・アフガンでの惨状や、その任務に従事した時味わった苦しみを聞いてきた…

現地の人も、アメリカ人も苦しむ。遠い国同士が同じ原因で苦しむ。

それは、両者が同じ病気の一部同士だからかもしれない。アメリカの好戦的な様子、イスラムのテロ、それへの報復としての空爆、イラクへの言いがかりと攻撃、民間人の犠牲者、兵士のPTSD、イスラム教徒への偏見、犯人の銃乱射… 全部一つの病気の諸症状だったら。

病気は、対症療法で症状だけを個別に見てはいけない。病気自体と発病の原因・背景を見なければ、特定の症状への対処(空爆)が別の症状(テロ)を悪化させたり、副作用(PTSDや今回の事件など)を発生させてしまい、病を広げ深め複雑にさせる。

そろそろ、症状じゃなくて根本の病気自体へのアプローチをしてみては? 
発病は、ベトナム戦争よりも前・・・WW2よりもずっと前からだと思う。地球上の特定の場所ではなく、人類の集合無意識に巣食う病因・・・それは多分、「遺伝子についた傷」のようなもの。それが、健康的な人類の営み(健康的な人類の運気)を妨げ、傷つけあい苦しみをもたらし健康を損なうような異常な営み(不幸な運気)を作り上げてしまう。

丁度、細胞の遺伝子が傷ついてガン細胞を作り始めるのと似ている。ガン細胞は健康的に機能せず、体の健康的な営みを妨げる。色んな症状が出る。その症状ごとに何種類もの薬を使う対症療法には副作用があり、体の負担が大きい。へタすりゃガンも死ぬが本人も死ぬ。
「ガンと治療の副作用、どっちが寿命を縮めたのか分からない」なんてケースもある。

「ガン細胞も死ぬが本人も死ぬ」・・・ガン細胞も死ぬが、最終的には体の全ての細胞が死に絶えるような治療法・・・それで一度人類は滅亡の危機に立たされたことがある。すんでのところでその治療は中止された。放射線が出る点はガン治療と同じ。

人類のガンにせよ、体のガンにせよ、発生したガン細胞(目に見える症状)は消えても、遺伝子についた傷自体が癒えなければ、再発しうる。未だ傷ついたままのデータ(記憶)に基づいて細胞や物事が作られてしまうことがあるからだ。
丁度、トラウマ(記憶の傷・PTSD)を抱えた人の行動パターンが本人本来の生き方を妨げるように。傷が「本来のあるべき姿」を妨げる。

ガン発生の原因(細胞の遺伝子が傷つく原因)は色々ある。発ガン性物質、不摂生、ストレス、家系・・・

人類のガン。いったいぜんたい、細胞の遺伝子(集合無意識)が傷つくほど何をしたのか、何があったのか?
体。心。人類。傷のない、元気な「本来のあるべき姿」はどれほど素晴らしいことができるだろう?


ボウリング・フォー・コロンバイン

2009年11月 5日 (木)

コンプレックスをバネに・・・?

よく、「コンプレックスをバネにして何かに打ち込んだら成功した」という話を聞く。有名な例はいじめられっ子だったボクサー(名前失念)。
コンプレックスから抜け出すために、特定の分野で他者より優れた結果を出そうとするわけだ。「コンプレックスから抜け出したい」という強い思いがモチベーションやがんばろうという意志を生んでいる。いわば動力源(バネ)がコンプレックスということ。

ただ、コンプレックスを前提にしたモチベーションを維持するには、コンプレックスを手放さずに持ち続けなければならない気がする。動力源がコンプレックスなんだから、動力源を手放すわけにはいかない。
それ、コンプレックス抜け出せなくなるんじゃ・・・?
もしコンプレックス抜け出しちゃったら、それ以上続ける理由なくなるかもしれない。そこで自分がコンプレックスから抜け出さないためにアレコレ手を尽くしてコンプレックスを維持しようとすることをお勧めはしない。続ける理由が無くなったら、たぶんそれでいいのかもしれない。
ごくまれに、コンプレックスがきっかけではじめたことが、コンプレックスを前提にしなくてもその分野に適性があったことに気付き、コンプレックス脱出後は別の動力源を探してその分野を続ける人もいるかもしれない。

学業、芸能、音楽、格闘技、スポーツ・・・コンプレックスを抜け出すために便宜的に始めた物事は、あくまでコンプレックスを抜け出すためのものであり、あくまで「抜け出すための道具で」しかないとしたら、コンプレックスを抜け出した時点で、それは役目を失い、続ける理由も必要もなくなり、その人は今まで打ち込んでいたことから「卒業」する場合もあるのだろうか・・・
コンプレックスをバネにしてがんばって大成功を収めた人が、「せっかく成功したのに」と惜しまれつつその分野から引退する理由の一部はそこらへんにあるんだろうか?

それと、「何かの分野で他者より優れた結果を出すことで自尊心を劣等感から回復させる」という発想のやり方は、その分野で成功を収めた一握りの人間しか自尊心を回復できないことになる。
人並みの能力の人間は自尊心を持つ資格が無いのだろうか?
他者より優れることでコンプレックスから抜け出す手段は、他者を見下すことでコンプレックスを誤魔化す手段と紙一重? 自尊心のために他者を見下しているうちは、その人はコンプレックスから抜け出していない・・・優越感は劣等感の裏返し?・・・劣等感が無くなれば、他人を見下す理由が無くなる?

コンプレックスをバネにするための手段を見つけた人は、その手段がよほど自分に向いていない限りは、やがてコンプレックスからもそれを抜け出すための手段からも卒業して行った方がいい場合があるのかもしれない。コンプレックスを脱出しても(目的を達成しても)まだ手段にしがみつき、無理やり続けていたら、かえってストレスになるかもしれない。
「何のためにやってるのかわからなくなった!」「モチベーションが無いことを無理にやっててしんどい」・・・なんてことにもなりそうだ。

コンプレックス脱出の手段に何を選ぶかも重要。最初から自分に向いていない(大して好きじゃない)分野をコンプレックス脱出のためだけに無理やり自分を奮い立たせてがんばっていたら精神に過負荷がかかって鬱のようになってしまうこともあるだろう(酷ければ本当に鬱病になるケースだってあるかもしれない)。
コンプレックス脱出の手段に選んだ分野自体がコンプレックスに基づいて選ばれたものなので、その分野にエネルギーを注ぐとコンプレックスにもエネルギーを与えてしまうこともありそうだ。
「このコンプレックスが無ければこんなことしなくてよかったのに・・・」「本当はこんなことしたくなかった!」みたいな感じ。

親が自分のコンプレックスに基づいて子供に特定の分野に打ち込むことを強いてしまうとさらに複雑だろう。子供にとっても負担だし、子供にそれを打ち込ませるためにエネルギーを使うこと自体も負担が大きい。
子供が何かのプロになることを目指してがんばっている親子がそろって精神科に通うケースもあるとのこと。
それでも彼らはがんばり続けることをやめないのだろう。

「コンプレックス」とは何か・・・それをコンプレックス(またはその裏返しの優越感)であると設定した原因や背景は何か・・・そこに何か秘密があるような気がする今日このごろ。
その秘密が分かれば、その人が自分で自分を尊ぶ(自尊心を持つ)ための何かにつながるかもしれない。

人間が体だけの生き物ではなく、体と心の両方で出来た生き物だとすれば、体を守り育て健康を維持しようとする本能同様に、心を守り育て健康を維持しようとする高次の本能があってもいいように思う。心・・・あれも「生命」なわけだから。
人間は己の生命のうち、「体」についての理解はそこそこ進んでいるけれど、「心」については自分のことながらあまり分かってない。
もしも人間が「心」について深く高度な理解をするようになったら・・・その時代にはまだ占い師は存在するだろうか?


容姿・劣等感・個性
人間を楽器に例えた恋の話

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