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2009年10月

2009年10月24日 (土)

投影すれば、無機物だってスクリーンになる

最近、元素の擬人化「国」を擬人化したアニメ「駅」を擬人化したアニメ等「無機物の擬人化」が一部で人気なようだ。「元素」「国」「駅」といった無機物を擬人化したキャラクターに、他のアニメや漫画のキャラ同様、「萌え」や恋愛感情を抱く人もいるだろう。

昔から男性が車にアニマ(理想の女性像。自分の無意識領域から取り出して自我の領域に統合させたい己の個性的側面)を投影することがあるというのは有名な話。以前、車に欲情して全裸で逮捕されたイギリス人のニュースを本当に見たことがある。女性だって無機物にアニムス(アニマの男性版)を投影する時代が来てもおかしくは無い。 「結婚しなければ」という一種の縛り的風潮がなくなってきたことも一つの背景か?

恋というものが己の理想イメージや願望を相手に投影することで発生する現象であるならば、人類は「擬人化」という能力で投影対象の範囲を人間性の欠片もないような無機物の領域にまで伸ばせるくらい進化したのかもしれない。むしろ、自我や独立した意思が無い分、勝手に動いてイメージを壊されないから人間をスクリーンにするより楽である。

国を擬人化したアニメのキャラ解釈でファン同士が対立しネットの中で紛争が勃発したり、アニメキャラと正式な婚姻届が出せるように国に求めたり、キャラ設定が己の理想イメージに反したという理由で作者にリアルで復讐することさえ出来るほど人間の精神的恋愛スキルは斜め上に向かって進化し続けている。
以前、腐女子同士が「もしもエッフェル塔と東京タワーが愛し合ったらどんなカップルになるか」という話題で盛り上がる様子を知ったフランス人がおびえていたという話を聞いたこともある(笑)。 実在の駅が擬人化したキャラが生まれたことで、ヤンデレ系のファンが 「この腐れドアがあああ!私と六本木君の間を邪魔するかあああ!!」みたいな気分になることも起こりうるのだろうか? 「貴様は私の新宿サマをゲロで無残に汚した。死ね!」とか?

三次元に興味のない人、人でない相手に恋をすることで満たされるケースが増えてきたということは、人類はアニマやアニムスという「抑圧されていたもう一人の自分」と対話することをより一層望むようになったということかもしれない。恋物語でよくある「ずっとあなたを待っていた」「生まれたときから赤い糸で結ばれていた」はスクリーンに投影したアニマやアニムスに向けての言葉なのだろうか?
集合無意識レベルで内的対話を望む傾向・・・不安と神経症の時代(by宮崎駿)には、大きな意味を持っている現象かもしれない。

「人類は増えすぎた。環境は悪化の一途を辿り、地球は悲鳴をあげている。人類よ、人間のみをストライクゾーンとする狭き檻から抜け出すがいい!」
・・・そういう宗教が生まれたらどうしよう(笑)

「駅」がネタになるなら、アサリ(無脊椎動物)だってネタになるかもしれない。・・・ちょっとやってみよう。

アサリ「君のことが好きだから、・・・水管・・・こんなに長くなっちゃった・・・ あと少し・・・あと少しで君にとどくのに・・・! 死ぬ時は君に触れていたい。君のそばで逝けるなら、ボンゴレにされる運命も怖くない。とどけ・・・とどけ・・・出会う前から君が好きだったんだー!」

Asari

・・・萌える?


連想と投影の魔力(恋愛編)
恋人は、誰よりもあなたのそばに?

2009年10月15日 (木)

復讐心の裏側は・・・

※以下は占い師の個人的・独善的な考えです。

占いで人様の相談にのっていると、恋人に騙された、手酷くフラれた、恋人を奪われたなど様々な理由で復讐心を抱えた方とお会いするケースも結構ある。復讐のために相手を不幸にする方法や、相手が不幸になる時期を占ってくれと頼まれることもある。無論、そういうご要望はお断りさせていただいている。それに、そんな占いはちっとも本人の救いに役立たない。その占いで本人が救いに気付くこともない。

とりあえず、「復讐心」というものは、何かへの執着的な憎しみ(許せない気持ち)が無ければ発生しない気分ではないかと思う。別の感情、例えば悲しみや驚きや恐怖が原因で 「復讐」という行動につながるという話は聞いたことが無い。
「憎しみ」という感情は長引けばストレスになりうるとても苦しい感情の一つだろう。この苦痛を我慢し続けることが難しく耐え難い。この苦しみからなんとか解放されたい。この苦しみがまぎれるなら、「復讐」をしてみたい。この苦しみを解決する唯一の方法が「復讐」しかないのなら、ためらわない・・・
憎しみゆえに「復讐したい気分」が生まれるのなら、復讐心は「憎しみ」からの救いを求めている証。自分を救う明確な手段が思いつかないから仕方なく「復讐(相手の不幸)」にすがっている状態かも。 これ以上憎しみに己を蝕まれたくないから湧き起こる発想の一つな気がする。これ以上憎しみを持ち続けたくないのかも。

「復讐」すれば憎しみを手放せる、憎しみ続ける苦しい状態から解放されると信じ、願い、思い込み、すがる・・・
「復讐心」が「憎しみから自分を救いたい気持ち」から生まれるのだとしたら、「復讐心」を持つ人の本当の目的は「自分を憎しみから解放すること、憎しみ続けるのをやめられるようにしてあげること」かもしれない。「相手の不幸」はそのための手段の一つになると思っただけのことで、本当の目的ではないのかもしれない。
復讐は自分を憎しみから救う「手段」であって「目的」じゃない。じゃあその肝心な「目的」の方を叶える方法をひとつに限定せずいくつか探ってみてはどうだろう? その方が「目的」の成功率が上がる。

復讐心を抱くほど長く尾を引く相手への恨み憎しみ、許せない気持ちといった「その事にこだわる気持ち」をたどっていくと、実は気付かないうちに自分の嫌な部分、変えたい部分(変えられる部分)を相手に投影していて、その「変えたい部分」を忘れずに覚えておきたい(自覚したい)無意識の気持ちが長く尾を引く執着の原因になっていたりすることもある(あくまで一例)。

例を挙げれば、自分を騙した恋人(恋敵)と似たようなズルさを自分も持っていて、そのずるい部分を変えたい、放置したくない気持ちがあの時の相手の憎むべきズルさを鮮明に記憶させている、なんてことも。そのことに気付いたらなんだかスッキリして、復讐にこだわらなくなった(憎しみから解放された)ということもある。
別の例をあげれば、憎しみを生むような嫌な体験をしたとき、その時の自分の発想、認識、判断・態度・振る舞い等に無意識では後悔しており、今後同じ失敗を繰り返さないために、どこがどう心残りだったのか(どこをどう改めたいのか)に気付きたいという無意識の思いの裏返しがその当時の憎しみに固執させる場合も中にはあるようだ。
もしも、その時の自分の態度や振る舞いや発想が好きな人を失った原因だったりすれば(相手を試すつもりでわざと遠慮や冷たい態度をしてみせたら見切りをつけられ別の人とくっつかれてしまった、相手に自分が昔から持っていた無関係な不安感を投影し勝手に疑ってしつこく詰め寄ってしまったら別の人に目移りされてしまった等)・・・

自分の変えたい(改めたい)部分、自覚したい部分が存在することに気付きたくて感情が尾を引くということは、裏を返せば自分の幸せな人生のためにその部分をどうしても変えたい、自覚したいという証かもしれない。その部分が以前から気付かぬうちに自分にデメリットを与えていたのかもしれない。
(この手のことは恋以外の出来事でもありうると思う。痴漢に遭ったが面倒がって何も言わずに我慢した数日後、我慢したこと無意識に後悔していたことが背景となってふつふつと捕まらない痴漢への憎しみが湧いてきたとか)

復讐を、「己を救うという目的を叶える唯一絶対の方法」と思ってしまえば復讐しない選択は憎しみを手放せず我慢を続けるだけの救いのない無意味な選択だと思えるかもしれないけど、復讐と同じ目的を復讐以外でかなえることが出来れば・・・
例え相手が不幸になっても、それで自分が憎しみを手放せる保証は無いわけで・・・
不幸がきっかけで相手が自分に対して罪悪感を持つ保証は無いわけで・・・
「手段の目的化」には、くれぐれもご用心。

人間が他者に罪悪感を持つためには、本人がその相手を尊重していたり愛している必要があるのなら、 誰かに自分への罪悪感を求める気持ちは、その誰かから愛情を求める気持ちでもあるかもしれない(特に恋愛の場合)。 そしてその気持は、その誰かが自分と同じ価値観を持つように求める気持ちでもあるのだろうか。「私はもっと尊ばれ愛されるべきで、ゆえにあなたもそう思って私を愛するべきだ」
(場合によっては、『愛情が得られるなら必ずしもあの人からの愛情じゃなくてもいい』なんてケースがあるかもしれない)
「復讐心」を抱く背景に、自分を苦しみから救ってあげるため・今後の幸せのために自分の「ある部分」を変えたいという気持ちがあるなら、それは自分の幸せを願う自分からの愛情の証でもあるのだろうか。もしそうなら、少なくともその人は、無意識のうちに自分からしっかりと愛されているわけだ。
多分、恋愛のもつれなどで復讐を考えている人は、相手の不幸より自分の幸福について考えた方がいい。
自分の愛情をネガティブなものに変換・加工するなんてもったいない。

2009年10月 9日 (金)

ウィンドウズ98とXPの効果音だけで作った曲

ひとつ目
聴く
ふたつ目
聴く

びっくりした。いつも聞いているパソコンの効果音にこんな可能性があることに。要は音の使い方次第というわけだ。人を楽器に例えた場合と同じように。

その楽器は、自分が出せる音を今どれだけ知っているだろうか? 
自分が持ってる音の使い道を、どれだけ見つけられるだろうか?
「これが自分」と思っているものは、表面化した僅かなキィで奏でるささやかなメロディ。
「つまらない生き方」と感じているものは、僅かなキィで奏でてるワンパターンなメロディ。
自分が単なる曲ではなく、いろんな曲を奏でられる楽器だと気付くのはいつだろう?
自分が出せる音の可能性を、使い道を、沢山見つけたくて仕方がない。
普段使ってる表面化したキィと、表面化せず無意識の世界に置き去られたままのキィ。
自分のキィをかき集めていったら、どれだけの曲が奏でられるんだろう?
ひとつ。またひとつ。時を追うごとに見つけたキィとひらめいたメロディが増えていく。
ひとつ。またひとつ。成長するごとに楽器のキィは増える。演奏できる曲が増えていく。
ひとつ。またひとつ。時を追うごとに合奏仲間が増えていく。ハーモニーが増えていく。
自分達が出せる音の可能性を、使い道を、沢山見つけたくて仕方がない。
私達は多分、無数の楽器が集まったひとつの巨大な楽器なのかもしれない。

Hello Windows Hello World ←二つ目に歌をつけたもの

2009年10月 1日 (木)

目ヂカラ

天気がいいので公園へ散歩した。
水飲み場にて、上に向かって水が出る吹き出し口を指で塞いで水しぶきを四方八方に飛び散らせて遊ぶ小さな子供を発見。今にもベンチに座る私に水がかかりそうだ。ふと周囲を見ると、少し離れた場所に立ち話中の大人が二人。しかし子供の親ではないのか、関心を向けるそぶりも子供に注意する様子もない。

さて・・・私がどうにかするしかないらしい。
子供を注意する経験など私には今まで全く無い。どんな感じで何を言えばいいかとっさに思いつかない。大人がよくやるイタズラっ子向けの怖い顔や怖い声色を出すのは苦手だ。というか全くそういう声が出ない。
そこで、目ヂカラをつかって何とか相手に意図を伝えてみようと思った。

私:<●><●>じーーーーーーーーーーーーーー
子供:水を飛び散らすのに夢中
私:<●><●>じーーーーーーーーーーーーーー
子供:ちょっとこちらを見て再び水遊びに没頭
私:<●><●>じーーーーーーーーーーーーーー
子供:こちらをちらちら見る
私:<●><●>じーーーーーーーーーーーーーー
子供:( ゚ Д゚)・・・
私:< ● > < ● > (視線を子供に固定しながら首を横に振る)
子供:(まだ蛇口が名残惜しそう)
私:< ● > < ● > (視線を子供に固定しながら首を横に振る)
子供:(なんとなく蛇口から手を下ろす)
私:< ● > < ● >・・・
子供:(´・з・`)(水飲み場から静かに去る)

・・・分かってくれたようである。

月日の流れは速い。「叱られる側」から、いつの間にか「叱る側」になっていたんだなあ・・・

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