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2009年7月

2009年7月19日 (日)

見事な虹

夕方、おネギを買い忘れたことに気付いて再び近所のスーパーへ行く途中、運よく遭遇できた二重の虹。通行人の何人かも写真を撮っていた。本当はフレームに収まりきれないほど大きな虹だった。
(写真はクリックで拡大)
Niji0907192

虹が消えた後の夕焼けも圧巻だった。携帯のカメラではうまく色が読み取れず灰色になってしまったけど、本当は画面中央斜めに走る雲はうっすらと緑色になっていた。

Green

2009年7月12日 (日)

未確認飛行物体inメキシコ?

youtubeにはUFO(確認飛行物体)と称する動画が数多く転がっているが、そのほとんどはいかにもSFチックな姿や動きをするCGだったり自然現象やピンボケした虫だったりする。そのため、youtubeで不思議な動画を見つけることなど期待していなかった。
けれども昨日、ひょんなことからCGやピンボケとは趣が違っているような奇妙な飛行物体動画を見つけた。それはメキシコの番組で放送されたもので、撮影者がスタジオに呼ばれて説明していた。黄色がかったオレンジの光を発し、やがてひと回り小さな粒状の光がフワフワ飛び回る。4:35あたりでいよく小さな粒をポロポロと噴き出す。・・・鳥や飛行機などでもなさそうだが、この動画に写っている黄色っぽいアレが何なのか、文系の私には論理的な説明がちょっと思いつかない。もしかするとよく出来たCGなのかもしれないが、ただ、勢いよく小さな粒をポロポロと噴き出す様子がかわいらしくてなんか気に入った。この謎の飛行物体がCGの類だとすれば、これを作った人のUFOセンスをちょっと尊敬する(笑)。

Etgril_2

2009年7月 8日 (水)

七夕月夜

Moon090707
月の虹がキレイ。
神秘的だった。

2009年7月 6日 (月)

ウイグル自治区の動乱と龍脈

※以下は占い師一個人の想像です。 リンクは右クリックで別窓

中国・新疆の暴動、140人死亡 武装警察3万人以上で厳戒

去年から中国大陸の龍脈(※)が通る地域はごたごたが続く。ヒマラヤ龍脈エリアではチベット動乱、チベットと新疆ウイグル自治区の境目にある龍脈の源の崑崙龍脈エリアでは大地震と上の抗議デモ、天山山脈の龍脈エリア(※2)に位置するカシュガルでは去年のテロ、同じ天山龍脈エリアのウルムチでは今回の暴動。 動きは龍脈を伝ってカシュガルへ飛び火。
そして崑崙龍脈が源流になっている中国三大龍脈のうちの北龍が通る地域に北京がある。チベット動乱、抗議デモ、暴動、テロ・・・どれも北龍の恵みを得ていたはずの北京政府に対する反発から来ている。付近でテロのあった天山龍脈も北龍と一部を接する。
風水思想がいうように、龍脈の様子とその国の運気の変化は連動しているというのであれば、その国に長年の問題が表面化する運気があった場合、まず龍脈エリアから運気の減少化がスタートしやすいということなのだろうか? (そもそも問題抱えていなければ起きない現象だろうけど)
また、何らかの理由で龍脈が川の流れのように変化・変動するのならば、その龍脈を頼りにしていた人間達は・・・
チベット以外、ごたごたの多くは北龍またはそれとつながる龍脈エリアに集中。
北京を通り過ぎた北龍は朝鮮半島を縦断。この地域も南北ともに去年からごたごたしている。北のミサイル騒動、核実験、山火事、ソウルでの抗議デモ、汚職事件、北よりの政権が倒れ、元大統領の自殺・・・

なんだか風水的に今まで社会を支配していた運気の力自体を根本から変更するために、一度解体して修正をしようとしているみたい(空想)。古来より為政者達は、龍脈のパワーで自分達の運気を強化すれば、社会を支配しやすい(運気強化で政権が倒れにくくなる)と考えられていた。社会を能力と運の力で支配できると期待していた。
例えば中国は清の頃から1950年代までに大きな龍脈の走る土地とそこに住む人間を支配下に入れた。それが新疆(崑崙龍脈)とチベット(ヒマラヤ龍脈)。しかし龍脈は自然界のもの、そして人間自身もまた本当は自然界に属するものだ。人は己自身を含め、自然界を都合よくコントロールできない。「大きな龍脈のパワーで強化された運の力を使えば力づくで人間達を支配しきれる」という勘違いの発想を土台に建てた社会支配のための運気システムは、龍脈自体が変動してしまえば運気の恵みを受けた支配力に限界が来て上海のマンション倒壊事故のように根元から倒れてしまう。そうやって大昔からいくつもの王朝が倒れてきた。その様子はさしずめタロットの「」。倒れた王朝の次に建った王朝も、似た様な発想で同じような倒れ方をする。長い間歴史はその繰り返しだったかも。

龍脈の恵みを本当の意味で生かすのなら、勘違いした発想の修正が必要かもしれない。長年の問題が表面化するということは、表面化して目に見えるようになった分だけその問題にアプローチしやすくなるということでもあり、今回の動乱のように「問題の表面化」を象徴する現象(運勢)が龍脈付近で発生しやすいとなれば、それはそれで龍脈という大自然からのありがたくも苦い恵み(お告げ?)なのかもしれない。それを生かすか否か。


:「龍脈」は風水思想によると大地に「気」が流れている場所。気の流れを使って開運を得る手法が風水。気の流れが乱れたり滞ると、その場所の運気は不安定になりやすいといわれている。北京やソウルや江戸は風水に則り龍脈の力を利用した都市計画で作られた強力な風水都市といわれている。
※2:天山山脈は中国及びキルギス共和国、カザフスタンにまたがる山脈。ゆえに龍脈はキルギス共和国とカザフスタンにも走っている。中国の天山龍脈エリアでごたごたが起こった年は、同じ龍脈の通る別の国でもその影響と思われる事が発生している。キルギスの天山山脈沿いにある中国国境地域では去年10月(カシュガルのテロの丁度3ヵ月後)に大きい地震が発生。付近の村に大きな被害が出た。

(で、今年もロック的フリーチベットみたいな熱狂タイプのウイグル支援ブームはあるの?)

2009年7月 1日 (水)

人を社会に合わせる? 社会を人に合わせる?

◆楽を犠牲にした利益で楽を買い戻す
日本では、もうずいぶん前から社会のさまざまな場所でストレスを抱え心身ともに健康を損なう人が多くなっている。いわゆる「ストレス社会」というやつか。
現代は文明が進歩していろいろ便利になったけれど、便利さに比例して楽になっていくと思われた社会は、なぜか楽にはならなかった。楽するために便利さを追求したはずが、さらに利益を追求するために、「楽」を犠牲にして利益を優先する生き方を選んでしまった。「楽より利益」が幸せだと思ったのだろう。なもんで、便利になっていけばいくほど、楽じゃなくなっていってしまったのかもしれない。「過労死」「過労鬱」は文明が便利になってから発生した病だ。楽しようと思って文明を便利にしたのに、いつまでたっても楽ができない。

以下はそういうことを皮肉ったと思われるジョーク:
メキシコの田舎の漁師が生きのいい魚を何匹か獲ってきた。それをみたアメリカのエリートビジネスマンが言った
ビジネスマン「いい魚だね。どのくらいの時間漁をしていたんだい?」
漁師「そう長い時間じゃないよ」
ビジネスマン「もっと長く漁をすればもっと魚が取れるのに」
漁師「俺と家族が食べる分はこれで十分さ」
ビジネスマン「じゃあ余った時間は何してるんだ?」
漁師「日が高くなるまでたっぷり寝て、魚を取って、戻ったら子供と遊んで、飯の後は女房とシエスタ。夜になったら友達と一杯やってながらギター弾いて歌う。・・・そんな感じで一日終わりだな」
ビジネスマン「僕はハーバードでビジネスを学んだから君にアドバイスしてあげよう。君はもっと長い時間漁をすべきだ。家族が食べる以上の魚を獲って、余った魚は市場で売り、お金を貯める。お金がたまったらもっと大きな漁船を買う。大きな船なら漁獲量も増えるから更に儲かる。そうやって儲けを増やしていったら市場で魚を売らずに自前の工場を建ててそこで魚を加工する。その頃には君はこんなしょぼい田舎じゃなくて、メキシコシティーに引越し、ニューヨークやロスで企業の指揮を取れるようになるよ」
漁師「そうなるのに何年かかる?」
ビジネスマン「20~25年かな」
漁師「それからどうなるんだ?」
ビジネスマン「(ニヤリと笑って)凄い事になるよ。今度は企業の株を売却する。そうすれば君は億万長者さ!」
漁師「それで?」
ビジネスマン「そしたら引退して、田舎に住んで、日が高くなるまでたっぷり寝て、昼は魚釣りしたり子供と遊んだり奥さんとシエスタしたり、夜は友達と一杯やりながらギターを弾いて歌って余生を過ごすんだ。ね、素敵だろ?」

幸せ(楽)を売り払って必死にお金を稼いだら、そのお金で幸せ(楽)を買い戻す。買い戻すために売り払う。上のジョークはそういうことを皮肉っているんだろう。
同じ利益を半分の時間で達成できれば、利益も時間も得られて一挙両得。それが楽ってことなんだと思うけど、どうやら便利な文明を生きる人々は、「楽を犠牲にして利益を追求しまくらないと楽になれない」と思い込んでしまったらしい。楽を犠牲にしたら楽になれない。単純なことだ。利益は楽のための手段とされていたのかもしれないが、いまや手段が目的化している。そもそも、利益の追求は楽の絶対条件ではない。「利益を極限まで追求しなければ楽になれないという」催眠暗示を、どこでかけられてしまったのだろう? 社会がまるごとそんな暗示にかかったせいで、本当にそんな社会構造になり、そういう生き方しか出来なくなってしまったみたいだ。
「楽になりたければ楽を犠牲にして利益を追求しろ」・・・まるで「健康になりたければ死ね」みたいなジョークのようにも感じる。
楽を求め楽を得る術を持ちながら、それを生かせない。特に日本はそういう傾向があるのかもしれない。

文明が便利になってから生まれたストレス社会。そんな世界では、よく「生きてるのがつらい」「生きにくい」という言葉を耳にする。これは多分、生きてるのがつらいんじゃなくて、そんな生き方がつらいだけだろう。さもありなん。

◆人のために作ったシステムが・・・
文明が進歩して以降の近代社会というものは、人間達が「その方が生きるのに便利だ」と思って作っていったシステムなわけだから、人間達に従い人間達に合わせて役割を果たすのはあくまでも社会の側。
しかしいつの間にか人と社会の立場が逆転して下克上になってる。社会であれなんであれ、「システム」というものは、物事の進歩や発展のためにその時の状況に合わせて便宜的作られたもの。時代の変化や事情の変化に合わせて柔軟に変化するもの。階段のステップに例えれば上へ登るための一時的な踏み台として利用するものだ。決して万能で恒久的な支えにするものではない。もしもそれを無理やり恒久的な支えにしようとしたら、それは階段で一つのステップにとどまり上へ登れずに足踏みしている状態。事情や状況の変化(進歩)を許さず、不可避な変化に順応することも許していない証。階段のステップを上へ登る踏み台にするのはなく、その段階に固定して縛りつけるためのものになる。
「このシステムに依存して生きることしか許さない。それ以外の可能性は許さない」
縛り付けられれば上に登れず、進歩と発展は可能性と共に抑圧される。すると階段を登ろうとする本能は、多分苦しむ。依存と支配はコインの裏と表だ。

もはや人間達は生物的に見ても自分で作った今の社会に己を合わせられなくなって来ている。無理に合わせようとすると人間本来の生命活動に支障を来たしストレスなどで健康を損なう。それでもなお自分を社会に合わせようとしている。時には、合わせられない自分を責めながら。合わせられない誰かを責めながら。
楽するために作ったはずの便利なテクノロジーを、楽を犠牲にしてまでやたらと乱用した結果、人間を含む自然界全体にストレスを与えてしまった。
そういう不便な社会には自分を合わせられないと感じた気後れでニートになった人もいる?
不便な固定観念に支配され、自由な発想や生き方を束縛され、抑圧されてしまった社会。支配者が目に見えない分だけ、独裁者よりもタチが悪い?

◆欠陥デザインの命綱は握る手を傷つける
「社会」という、人のためにデザインされたはず道具が人を傷つけ害をなす。人に害となる欠陥デザインの道具は、人にとって利用価値がない。そんなデザインの道具にいつまでも依存し、しがみついて必死に維持する必要がある? 欠陥デザインの道具を手放すのは怖くないし、辛くない。欠陥デザインの道具を命綱にして頼る生き方こそが怖いし、辛い。即ち「生きてるのがつらいんじゃなくて、そんな生き方がつらいだけ」
人の命には、欠陥デザインに頼らずに生きる力がもともと本能的に備わっている。その本能は必要に応じてその都度適したデザインの道具を新たに生み出すことが出来る。オーダーメイドも自由自在。

便利さを発達させたのは楽をしたいから・・・楽をしたいのは、今までとは違う自分を生き、今までとは違う生命の可能性を見つけたいから・・・生命力が圧迫されたら、それもできない。生命力の可能性は、閉ざされてしまう。
楽になった経験が少ないと、楽になった時間をどう生きればいいかわからず不安になったり、「楽=クビ」なんて連想が怖くて仕事中毒になることさえある。楽を求めてはいながらも、楽が怖い。それは、今までと違う生き方が想像もつかない未知のものだから? もしそうなら確かにそれは怖い。視野が固定されて今までのステップだけを凝視したまま前が見えずに階段を踏み出すようなもの。「有意義=利益追求」という視野固定が取れないと、怖いのかもしれない。
そこまでになる前に、自分の生きる喜び(自分の存在価値)には「利益の創出」以外の様々な可能性やバリエーションがあることを気付いて受け入れておきたい。今までと違う生き方(例えば、楽な上に有意義と思える生き方とか)が存在しうる(存在しても許される)ということを認めておきたい。
進化のステップは一つきりではなく、今のステップの先には別の新たなステップがあることをいつも何となく感じておきたい。進化の階段。今までのステップは、次のステップの支えだ。仮に今までのステップの名前が「経済成長」とすれば、次の別のステップ(やはりこれも一時的な踏み台なのだが)の名前は、どう呼べるようになるだろう?

◆下克上の修正 
かつて人間が自らの生命活動を支援するために作り、しかしなぜか人間の生命活動を圧迫するようになった下克上的社会。SF作家ならロボットの反乱、村上春樹なら「壁」の例えで表現し、タロット占い師なら「塔」で表現するかも。人々の欠陥デザイン依存症が、結果的に下克上的社会を生んだのだろう。
そんな下克上状態を正常モードに修理する時は、文字通り「天地がひっくり返る」ような未曾有の事態になるだろう(ちなみに今年は四柱推命では下克上を象徴する干支らしい。下克上モードの修理は、『下克上の下克上』と表現できるだろうかw)。それが修理のサインかもしれない(去年から修理期間始まってる?)。そのサインを、人によっては「終末」と表現しそう。特に、修理前の下克上モードを正義として強く執着して生きる人には恐ろしげな終末に見えるかも。
(けれども人は、時に終末願望を持つ。無意識の本能が修理を望んでいるからかもしれない)

修理中は人間なら入院中や手術中みたいなもので、今までと勝手がちがう分色々大変だけど、今までの不具合や圧迫が取れる良い兆しでもありそう。何より故障中より修理中の方が可能性がある。そして、単なる「修理」にとどまらず、そこからワンステップ上がって経験を生かした新たな「改修」「建て直し」に続くことも。
これを楽器に例えれば、「修理が終わった楽器は、以前よりいい音が出る」ってやつだ。 今まで出せなかった音を出せるようになり、壊れていた時よりもはるかに広い可能性を得て、新たな幅広い音楽を作っていくだろう。


文明と生命力の使い道
村上春樹氏のスピーチ
経済ど素人の占い師があえて書いてみる

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