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2009年5月

2009年5月25日 (月)

大英帝国、戦いに魔術師と占星術師を雇う

ブログのネタが思い浮かばなかったので、オカルトな小話を・・・ 


BGM

オカルト大国イギリス。占星術が盛んで、妖精を信じる(見る)人が多く、幽霊の噂がある物件の方が高く売れ、国防省がUFO情報を国民に開示し、超常現象のニュースが紙面に頻出し、かの有名な物理学者アイザック・ニュートンも錬金術にはまっていた。
そんなかの国のオカルトっぷりは、政治や戦争とオカルトが結びつくほど。曰くありげな噂が付きまとうあの「フリーメイソン」もイギリス発祥だ。

以下はずいぶん前のニュース記事。
共同通信より

・・・第2次大戦中に英情報機関が登用した占星術師が、昭和天皇ら敵国指導者の運勢を独自に占い、英陸軍省に定期的に報告していたことが、英公文書館が4日公開した情報局保安部(MI5)の機密文書で明らかになった。  英政府が当時、占星術師を雇っていたことは知られている。占いの結果が政府内でどう扱われたかは不明だが、文書によると、これらの「予言」を真剣にとらえていた高官も一部にはいたという。  この占星術師はハンガリー人のルイス・ドウォール氏(1903~61年)。35年にドイツから英国に移り、戦時中は対外情報機関の特殊作戦委員会(SOE)で大尉の肩書を得た。
42年に作成した文書でドウォール氏は、これまでに提出した自分の占いの結果と実際の戦況を比較。同年6月5日から7日にかけて行われ、日本が敗北したミッドウェー海戦について「6月は(昭和天皇)ヒロヒトにとって悪い時期だ。特に8日前後」と予言したと実績を誇示した上で、翌年の昭和天皇やナチス・ドイツのヒトラーらの運勢を月ごとに細かく占っている。
 MI5は外国人であるドウォール氏を警戒し、活動内容や接触先などについて戦後の52年まで調査を続けていた。(共同)

ちなみにナチスはというと、スイスの占星術師カール・エルンスト・クラフトを顧問占い師にした(実はナチス、オカルトを自分達に都合よく独占するため、国内の都合悪い占いをした占星術師達を迫害。結局クラフトもドイツに不利な鑑定結果を出して収容行きに。組織自体が占い依存症だったようだ)。
イギリスはそれに対抗し、「敵が星の様子を見て作戦を決めるのなら、我々も星を見れば敵の作戦を予測できるじゃないか」と件のハンガリー人占星術師ドウォールが雇われたというわけ(星はどこでも見えるんだから筒抜けだ。ナチス側は何で誰もそれに気付かなかったんだろう?)。
彼の一番の手柄は「占いによる作戦予測」よりも、ドイツで有名な星占いカレンダーの『偽物(不吉なことを一杯書いておく)』をドイツにばら撒いて、ドイツ側の士気を大いにくじいたことだとも言われている。
イギリスは、「オカルト」と「政治」が関わることが他にもあった。イギリスに拠点を移した「神智学協会」というオカルト思想グループの会員だったアニー・ベサントが東洋趣味的な神智学の発想に突き動かされて後のインド独立運動に大きな影響を与えた「自治権運動」を展開している(インド独立の母の産婆助手、と評す人もいる。ガンジーも彼女には好感を持っていたとか)。同じような感じで神智学協会会員がスリランカの独立にも影響している。Vsign
また、かの有名な(悪名高いとも言う)西洋神秘主義者にして儀式魔術師のアレイスター・クロウリーもイギリス軍情報部に協力。初めてチャーチルに「Vサイン」という呪術的な所作をさせたり、「ヒトラー上陸を防ぐ儀式魔術」を行ったりしていた(上層部にクロウリーを使う提案をしたのは007の作者、イアン・フレミング)。その効果があったかどうかは定かじゃないが、何故かナチスはイギリス本土の上陸作戦には乗り気にならなかったらしい。それを「ナポレオンの頃と同じことが起きただけ」と言うオカルト系の人もいる。
以上、オカルトを信じない人が読むと抱腹絶倒できる実話。

イギリスのオカルト好きという国民性は現代でも健在。世界的な不景気の今、かの国の占星術師やオカルト結社が景気回復を願ってこっそり動いてみている「かも」しれない。

2009年5月16日 (土)

ブランボラーク(チェコ風お好み焼き?)

ハンガリー、オーストリア、チェコを団体旅行的駆け足で回ってきた中で、チェコにておうちで手軽に作れるおいしい食べ物を発見した。その名はブランボラーク。すりおろしたジャガイモで作ったお好み焼きともパンケーキともつかない食べ物。ソーセージや肉料理の付け合せとして出たり、ホテルの朝食に出たりした。マジョラムというハーブの香りが心地よく、ビールともよく合う。旅行中私が覚えたチェコ語はピヴォ(ビール)とこのブランボラークだけ。

【材料】(2人分)
ジャガイモ・・・・・・・・・・3個
卵・・・・・・・・・・・・・・・・1個
小麦粉・・・・・・・・・・・・適量
マジョラム・・・・・・・・・・大さじ2杯弱
塩・こしょう・・・・・・・・・適量

【作り方】
1.皮をむいたジャガイモをすりおろすかフードプロセッサーでおろし状になるまで砕く。
2.すりおろしたジャガイモに卵を混ぜる
3.そこへお好み焼きやパンケーキの生地と同程度の粘り気が出るまで小麦粉を混ぜる。
4.塩、こしょう、マジョラムを生地に混ぜる
5.フライパンを熱し、油を少量ひいて焼く

すりおろしたジャガイモはピンクに変色する。
熱々のうちにチーズやハムorソーセージ、トマトなどをのせて食べると美味。

Branborak
見た目は巨大ないわしのはんぺん。

2009年5月 9日 (土)

連想と投影の魔力(恋愛編)

※あくまで個人的な意見です。全ての恋愛が以下のケースに当てはまるわけではありません。

人は、自分にとって心から本当に獲得したいもの(自分の隠れた個性や可能性、安心感、安定した自尊心など)を無意識に外部の物事(例:恋人/想い人、お金、容姿、地位など)に連想・投影し、その投影対象(投影スクリーン)になった物事に過剰(時に病的)に執着することがあるようだ。復活愛・復縁をいつまで経ってもあきらめられずにいる背景や「近づけば冷めるが離れれば恋焦がれる」タイプの恋愛にも、そんな「本当に欲しいものを別のものに投影している」というケースが一定の割合で存在するようだ(全員がそうだとは思わない)。

しかしその場合、自分が本当に欲しているのはその投影対象にした外部の物事ではなく、自分自身の内部にある。そもそも、自分の中に「欲しいもの」というフィルムがなければ「投影」という行為自体が不可能だ。スクリーンだけあってもフィルムが無ければ映画は見れない。よって投影先の「スクリーン」の方を手に入れても、本当に欲しいものを獲得したことにはならない。スクリーン自体はただの白い幕。手に入れたところであの夢のように素敵な作品を手に入れたことにはならない。あの作品が欲しいなら、「スクリーン」ではなく心のどこかに隠れている「フィルム」というものの存在に気付く必要がある。投影対象より投影元とでもいえばいいか。

上映された映画を「求めていた姿が本当にそこにある!」と思って近づけばスクリーンがただの布だと分かってしまう。「何かを期待してアプローチしたけれど、とんだ期待外れだった」という現象が起きるのはこんな理由かもしれない。恋愛に限らず、いろんな場面でよくある現象。しかも、一度近づいた時布とわかったスクリーンから一定の距離を置けば、再び求めていた夢のような映画の世界が見える。だから「近づけば冷めるが離れれば恋焦がれる。どうにも踏ん切りがつかない」なんてケースもある。
次から次へと良質なスクリーンを求めて奔放な恋の遍歴を重ねたり、浮気や不倫を繰り返す場合もありそうだ。「既婚男性」というスクリーンに幼い頃の「理想の父親象」を投影して不倫に走る女性や、恋人をスクリーンにして「理想の母親象」を投影する男性もいるみたいだ(理想の親像は、自分のなかの『遺伝子』という生命プログラムの中にあるのかもしれない。そのプログラムに直接アクセスできれば・・・)

♡あの素晴らしい上映をもう一度
心の望みを投影した相手と交際が実現した。心の望みを投影した物事を獲得した。けれど、心からの望みを手に入れたと思ったのに、相手はただの白い布。心はちっとも満たされず不満やストレスが募る。時にはその不満を相手にぶつけ、相手は離れていく。すると心から望んでいたものが逃げてしまうように感じて、失ったら二度と手に入らない気がして、もしかして絶望してしまうんじゃないかと不安で、どんなことをしてでもとりもどすか相手が自分から逃げられない方法(誰にも渡さない方法)をアレコレ考える。いつか白い布にあの夢のような作品が上映されるまで、本当に欲しいものを獲得するまで、相手(スクリーン)に執着する。なもんで、恋には「地獄の果てまであなたを追いかける」というような恐ろしげな表現すらある。時々そんな心理がこじれた結果の犯罪事件も発生する。
それとは逆に、心の望みを投影した物事をGETした最初は「心からの望みを手に入れた」と思ったのに、全然面白くない。結局すぐにやめてしまった。そんなケースもある。

心が望んでいるものが非常に切迫したものであった場合、それを投影したスクリーンに対して「これこそ本当に欲しいものの正体だ」と勘違いしていた場合、それを失ったときに非常にシリアスな事態に陥ることがあるのかもしれない。そんな勘違いの結果、ひどく絶望してしまうケースもありうるのだろう。それが怖くて投影対象(スクリーン
)に執着するよりも、本当に欲しいものの本質を(=スクリーンじゃなくてフィルム本体を)自分の内面に向かって探しに行く方が建設的かもしれない。相手をスクリーンに出来るうちはまだいいが、そんな期間が長いとは限らない。すぐに布だとわかってしまうことも。その時になって自分が欲しいのは布じゃなくて投影元のフィルム(投影元のプログラム)だと気づけるかどうか。

♡欲しいのはスクリーンの布? それとも映画のフィルム?
本当に欲しいものの「投影」ではなく「本質」を手に入れること。自分の心が本当に望んでいるものの正体を突き止めるために自分と向き合うこと。それが復活愛や復縁に執着する以上に自分の幸せへの近道かもしれない。投影対象になった外部の物事に執着したり振り回されたりするより近道かもしれない。
「何かを投影したから欲しくなった」のか否か。それが問題だ。

スクリーンとフィルムはイコールではない。心が本当に望むものと投影対象とは、イコールで結べない。だから、投影対象は「本当に欲しいもの」ではない。本当は欲しくないものが手に入らなくても、ちっとも困らない。結局、「本当は欲しくないもの」は「本当に欲しいもの」を本当の意味で手に入れる役には立たない。

恋の場合、もしも相手が単なる投影対象ではなく、「本当に欲しいものの本質」と「相手との交流」がイコールで結ばれた時、相手を愛することが「本当の心の望み」と一致した時・・・
その時は実際の恋の結末がどんなものあれ、多分悔いのない恋ができるのかもしれない。多分その恋の経験は無駄にならないのではないだろうか。


恋人は、誰よりもあなたのそばに?

2009年5月 2日 (土)

旅の写真

旅の写真をyahooフォトのアップしました。保存容量が少ないので、一定期間アップした後削除する予定です。
写真のオリジナルサイズは非常に大きいのでご注意下さい。いくつかの写真は壁紙に向いてるかもしれません。

旅の写真

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