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2008年5月

2008年5月22日 (木)

True Colors

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歌詞の日本語訳

例えば、何でも赤く塗りたくるだけが能じゃないわけで。特定の色だけに価値があるわけじゃなく、美しい色を沢山秘めていることに気づいて欲しい。その自由な組み合わせが、無限の可能性を秘めていることに気づいて欲しい。自分の持っている色の美しさと可能性を知ることで、自然な自信が持てるようになればと思う。自分のいろんな色を受け入れられるように。表面的な面子の殻で自分を守らなくても済むように。些細なことで傷つかなくて済むように。

自分がわからないひと、自分と向き合うことが怖い人、自分を認めることが出来ない人、自分を勘違いしている人、劣等感から他人を見下してしまう人、視野が狭まって自分の生かし方に行き詰っている人、スランプに陥った人、自分を生かすことが出来ないと感じて悩む人、そうではない人。
一人一人に秘められた本当の色彩は、どんなにか美しいだろう。想像もつかないほどだ。

容姿・劣等感・個性
人間を楽器に例えた恋の話

短所含めてありのままの自分を愛して
日本の個性化

2008年5月15日 (木)

連想と投影の魔力


【連想】
ある事柄から、それと関連のある事柄を思い浮かべること。また、その想念。「雲を見て綿菓子を―する」

【投影】
1 心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと。投射。→同一視。
2 心理学で、ある観念の意味内容・発音・外形の類似などにつれて、他の観念が起きてくること。観念連合。
(共に大辞泉より一部抜粋)

ある物事がとても強く自分の内面の何かを連想させた場合、その物事を無意識に自分(の内面のもの)と激しく同一視(=投影)してしまうことがある。
それが外界の物事である限り、実際は「同一物」ではないのだけれど、通常はそれに気付きにくい(後で気付くことはある)。 「そう見えるんじゃなくて、まさしくそうなのだ!」ぐらいの勢い。
例えば、恋人が欲しい人の前に自分が個人的に抱いていた理想の(運命の)異性像を強く連想させる人が現れて、
「この人は定められた私の運命の人!」「前世で恋人同士だったのかも!」なんて心のどこかで思っちゃうのはこのパターンのようだ。
(そんな恋の相手がかかりつけの医師やお気に入りの占い師等だった場合は感情転移を疑った方がいい)
他にも例をあげると、自分の見たくない・受け入れたくない「ある部分」を強く連想させる相手が現れた時、外野が「そこまで嫌わなくても・・・」と思うくらい嫌ったり、自分が逃げ出すかその人を目の前から消してしまいたくなったり迫害したくなったりした場合もこのパターンが絡んでるかも。イジメ問題の一部はこの心理が関与?

「ある部分」が見たくない・受け入れたくないのは、自分がその「ある部分」を持っていることを理由に(口実に)絶望や自己否定に走ったり、本音を抑圧してしまうなどして自分を傷つけてしまう恐れがあるからのようだ。それを目の前の人間に投影(=同一視)したら・・・ホラー小説だと恐ろしい殺人事件になるかも。
(自分のコンプレックスや嫌な記憶を思い出させる相手を無意識に嫌う・恐れる・いじめるのもこのパターンだと思う)
無意識に隠れた心の傷やわだかまった感情を外部の物事に投影し、その対象に対して被害妄想や疑心暗鬼、悲観や不安、時には嫌悪や怒りを抱いたり、投影対象にそれをぶつけたりすることもある。
無関係の相手に自分の内なる願望を投影して相手に「間違った要求」をしてしまうこともある(ストーカーなんかもそれ?)。
どれも、自分が「連想・投影」をしていることに気付かないケースが多い。

連想・投影は良い働きをすることもある。悩んでいる後輩に同じ悩みを抱えていた過去の自分を連想・投影し、親身になって実体験に基づいたアドバイスをしたらそれが的確で本人の役に立ったり、お金持ちが貧しかった子供時代を思い出して貧困の本質的な所を捉えた効率的な慈善活動をしたら大きな結果を出すこともある。
アルフレッド・ノーベルは自分の儲けたお金に対して「ダイナマイトを兵器に応用して金儲けした罪悪感」を連想・投影し、その罪滅ぼしの願望が「ノーベル賞」設立に影響したと言われている。
また、自分が今まで気付かなかった内面の何かを外部に投影することで、「私の心にはこういうものがあったのか」と自分の内面に気付くきっかけにもなる。自分の内面の何かを投影したと思しき対象にどんな特徴があったのかを思い出すといい。そこから何を連想したのか思い出すといい。

連想から始まった投影は、良くも悪くも自分の感情に魔法をかける。魔力は強いエネルギーを秘めている。その力は諸刃の剣(タロットなら剣の王で表現できるかな)。
自分がそんな魔法にかかったかもしれないと思ったら、「あの時何を連想したっけ?」と思い出すのにトライすると、自分にかけられた魔法の呪文を知る手がかりになるかも。
もしも、そんな魔法の力に自分が振り回されることなく完璧に使いこなせる人がいたら・・・私はその人に仏陀のような人間離れした何かを連想・投影すると思う。

2008年5月 9日 (金)

植物は、美しい

Mitibata_3野菜・果物・花・樹木・草。みんな美しい。どれも個性的で、その生命活動は創意工夫に満ちている。日光を効率よく浴びるために太陽の方を向き続けたり、虫に繁殖を手伝ってもらうために香りや蜜を出すようになったり・・・人や動物が生まれる前から生きている生命の大先輩。人が発生した後は、お互い生活圏が入り混じり、進化や進歩に影響しあいながら生きてゆく。特に日本人の場合、伝統的な衣食住をすると生活と肉体の大部分は植物のお陰で作られていることになる。住居の大部分が植物のお世話になっている。衣服には植物や植物を食べる虫の体液が欠かせない。日本食は植物性の食べ物が多い。
気に入った花があれば採取して手元においたり、食べもしないのに栽培するくらい人間は植物が好きだ。多分、そんなことするのは人間くらいだが、基本的に人間も昆虫や他の動物同様、植物の恵みを得て生きている動物だ。
Kinoko_2
人間が、植物の世話をしているという目に見えない存在【妖精】の概念を生み出したのは面白い。伝承によると、【妖精】は、植物が意図していなくても、植物にとって必要なことをあれこれせっせとやってくれるらしい。まるで、人間にとって意図せず内臓の働きや代謝を連携して制御してくれる自律神経系みたいな存在。もっと神秘的に言えば、人間が健全な運気を創り人生を生きゆく際の手助けをしてくれているという「守護霊」のようなものなのだろうか? なかなかファンタスティックな世界だ。
子供の頃、「妖精を霊視できる」という人が書いた妖精観察日記といった風の怪しげな本をどこかで見たことがある。妖精、見れるもんなら見てみたいけど、その感動を他人と分かち合うことは難しいだろうな・・・現代社会で「妖精見えた」とか言ったら心配されちゃうし。

もしかするとヒトが自律神経系や内臓や骨など色んな生体組織から運営された一つの生命体なのと同じく、生態系は植物や妖精や昆虫やその他もろもろの生命体で運営されてる一つの巨大な生命なのかもしれない。それぞれは自分の生命活動(役割)をやってるだけなんだけど、大きく見ると調和があり全体で一つの生命になっている。人体に例えると、自律神経がバランスよく働いている感じ。そういう意味では、葛藤だらけのヒトの社会も一種の生き物か・・・多分自律神経失調症の。なもんで、自律神経失調症のヒト社会と生活圏が接触する生態系もまた、バランスを崩してしまう。妖精さんたちは大変なんだろうな。
・・・連休中はそんなことをバナナ片手に庭でぼーっと考えていた。

文明と生命力の使い道
エコロジーと終末論

2008年5月 1日 (木)

デクレア・インデペンデンス

※以下は占い師の個人的な独断と偏見と妄想です。

卍チベット問題がロック魂を呼び覚ます?
ビョークという世界的人気歌手が3月2日の上海公演で「独立を宣言せよ」を意味する「Declare Independence」という曲を歌った時に「チベット、チベット」と叫んだとして、あの国の政府がおかんむりになった。その12日後の3月14日。中国チベット自治区ラサで、政府の抑圧への抗議行動に対する当局の武力鎮圧をきっかけに暴動が発生。
本人によると、「デクレア・インデペンデンス(独立を宣言しよう)」は当初、個人の精神的自立を念頭において作った曲だったという。
以下、bjork.comより抜粋・意訳したものを某掲示板で発見したので転載。

I have been asked by many for a statement after dedicating my song "declare independence" to both kosovo and tibet ( amongst others ) on different occasions.
何度か私の歌「declare independence」をコソヴォとチベット(他にもあるけど)に捧げた後で、声明についてたくさん尋ねられています。

I would like to put importance on that i am not a politician, i am first and last a musician and as such i feel my duty to try to express the whole range of human emotions.
まず、言っておきたいのは私は政治家じゃないということ。最初から最後まで音楽家であって、人の感情の全体を表現していこうってところに自分の責務を感じています。

the urge for declaring independence is just one of them but an important one that we all feel at some times in our lives.
自立を宣言するっていう衝動はそういったもののひとつでしかなく、だけど私たち誰もがその人生のどこかで感じる大切なものです。

this song was written more with the personal in mind but the fact that it has translated to its broadest meaning, the struggle of a suppressed nation, gives me much pleasure .
この歌を書いた時は個人の自立についてをより念頭を置いたけど、抑圧されている国の争いっていうもっとずっと広い意味に移ったっていう事実はとても嬉しいことです。

I would like to wish all individuals and nations good luck in their battle for independence.
あらゆる個人と国の、自立のための戦いに幸運が訪れることを願いたいと思います。

最近、比較的若い層にチベット問題に対して関心を持ち熱く感情移入する人が増えたらしい。 極端になると、チベットの自由や個性が抑圧される様を見聞きするだけで、自分が個性や人格を何者かに抑圧されているかのような憎しみや怒りやストレスを感じる人もいるらしい。
人権問題ならダルフールやミャンマーやイラクも有名なのに、なぜ、「チベット」が選ばれたのだろう? 
その理由を電波に想像。若い人達の多くが、色んなレベルで「個としての精神的自立(自我の確立)」というテーマを一度は通る(それは若者に限らず一生のテーマ?)。例えば、「コンプレックスを乗り越える」とか「自分に自信を持つ(健康的で自立した自尊心を育てる)」とか、「個人的な生きがい(自分の生き方や自分なりの人生愛)を見つける」とか「個性を確立・発揮する」とか。そんな「内なるindependence(自立)」を妨げる様々な抑圧的要素から自由になるために戦い、自己表現する様子は「ロック」という若者文化を生んだ。「ロック」の重要な要素は「反抗」だ。
その精神的テーマと3月14日のラサを皮切りに起きたチベットの「抑圧から自由になるための抵抗」とがシンクロし、若い人達は、自らの個人的なindependenceをチベットのindependenceに連想・投影した結果がチベットへの急激な感情移入につながったのじゃあるまいか。あの現象は、無意識の「ロック」なのかも(別にそれが悪いとは言わない。度を越さなければ・・・)。

ビョークがラサで暴動の起きる12日前に上海で精神的な自立を歌い、衝動的に「チベットチベット」と言ったのは、何か暗示めいている。シンクロニシティーだと思う。
ビョーク自身、子供時代は顔立ちをバカにされ、「JAP」といじめられていたそうだ(個性を侮辱されたことに対して精神的に戦ったり立ち直るには、他者の評価に依存しない自立した自尊心を確立させる必要があり、それはまさに精神的自立の大事な要素)。「民主主義」という概念には「自分も他人も尊重する」という前提があり、この前提は精神的自立の要素とも 一致する。

恐らくチベット問題に関しては、「精神的自立」ではなくとも自分の独自性を模索する時期の人には年代を問わず比較的共鳴・共感しやすそうだ。コンプレックスを抱えているなどで自己評価や個性が抑圧されていたり、何らかの理由で束縛を受ける(または自分で自分を縛る)などして精神的充実感(=新たな個性や生きがいが芽生える肥やし)が妨げられ密かなストレスを抱えている人はチベットの現状に己の現状を強烈に投影し、両者をほとんど同一化させ、「チベット解放ならずして我が解放なし!」とばかりに日常を忘れてフリーチベットにのめりこむ危険さえある。すると、チベットを抑圧する中国に対しては「自分を抑圧し束縛する憎い何か」を投影することになり、かくして中国は義憤のみならず個人の内面から沸き起こる憎悪の対象にもなる。「ロック」と「反抗」だ。

そんな投影と同一視の結果、聖火ランナーを「中国に協力している=チベット弾圧支持者」と短絡的に見なして怪我をしそうな物を投げつけたり(実際、生卵や水の入った重いペットボトルが投げつけられた)、自分よりチベット問題に関心の低い人(または身近な中国人・中国と取引のある企業やその社員)を苦しむチベットを見捨てる冷血な人とかチベットの弾圧支持者と見なし、一方的に怒りを募らせ許せなくなって自分の感情をぶつけたくなったら(要は八つ当たりをしたくなったら)要注意。少し頭を冷やした方がいい。「ロック」にハマり過ぎかも。そういうのはチベットどうこうというより、ヒステリックな一過性のブームでしかない。つまるところ、チベットのための運動ではなく自分自身のための気まぐれな投影遊びになる。度を越さなければ遊びでもいいと思うけど。

卍偶然の一致
ビョーク事件の起きた日付3月2日は、インドでガンジーがイギリスの抑圧に対する「非暴力の抵抗」を始めた日でもある。やがてインドは独立する。
ビョーク事件以外にも不思議なシンクロニシティーはまだあった。ラサ暴動から丁度一週間後(同じ曜日)の3月21日、チベット自治区と新疆ウイグル自治区の境目でM7.1の地震が起きた(震源は風水で中国大陸の龍脈の源とされる崑崙山脈)。ウイグル自治区ホータン県では約4万4000人が被災。その2日後の23日と24日の2日間、ウイグル自治区ホータン県で当局の抑圧に対する1000人規模の抗議デモが2回発生。実はウイグルにもチベット同様人権問題と独立運動がある。 同じ問題を抱えた二つの地域の境界で大きな地震・・・両方の地域が共鳴してる。
心理的な解釈だと、「地震」は現状に対する不満や現状を変えたい(壊したい)気持ちの象徴だったり「自信がゆらぐ」という象徴だったりする。抗議する側とされる側。どの象徴がどちらの立場に当てはまるかは言うまでもない。

同じ国の2ヶ所で抑圧されたものが吹き出した。どちらも「インデペンデンス」がテーマ。3月14日のチベット騒乱と3月23日から発生したホータンの抗議デモ。日付の合計はどちらも「8」。ある数字占いだと8は「抑圧」を意味する。2つとも、当局の抑圧からindependenceしたいがために当事者が起こした事件。時同じくして個人的な心理的抑圧から心をindependenceさせる戦いを望んでいた若者達による当事者への感情移入。政治的抑圧は心理的抑圧を投影する格好の素材・・・シンクロニティー(意味のある偶然の一致)という現象を提唱した電波系(といわれている)心理学者C・Gユング曰く、「人の心は集合無意識でつながっている」

コアなロックファンの間では、「カタチだけロックを真似しようがそこにロック魂がなけりゃそいつはロックじゃない」と言われている。
「精神的自立」は「形式的に自立したフリをすること」よりも本質的な意味でずっと重要だとされる。
ダライ・ラマ14世の考え方では、チベットにとって本質的に「independence」が実現することは、本質的なindependence後が例え形式上は「ある国の自治区」のままでも、現在の「名ばかり自治区(自治区のフリ)」より本質的な意味でずっと重要だとされる。

あの国の主席が来した5月6日にあわせて東京で行われたフリーチベットイベントにおいて、司会のモーリー・ロバートソンはこう言った。
フリー・チベット! フリー・あなたとわたし!
どういう目的でフリーチベットやってるのか、よく分かる叫びである。

参考: ビョーク、チベット発言について語る
(電波な目で見ると、写真のビョークがどっかのシャーマンに見えてしょうがない)


True Colors
連想と投影の魔力
ウイグル自治区の動乱と龍脈
予言とカタルシス願望
祈り
容姿・劣等感・個性

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