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2007年5月

2007年5月30日 (水)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その8

朝。曇り。町の周囲の山を覆っていた雪雲が、やがて私たちのいる徳欽の谷もを覆い始めた。今日は移動距離が少ない近場に行くとのことなので、朝はゆっくりマッタリできた。
朝食は昆明の空港で食べたのと同じ米線。それに、昨日リクエストしておいたコーヒー(インスタント)が出た。
砂糖がないので頼んだら、使い走りの少年(小学生位)が小皿に砂糖(ザラメ)を持って来た。地元の人はあまりコーヒー飲まないだろうなとは思っていたのだが、昨日スーパーでインスタントコーヒーが売られているのを見て、
「ホテルならコーヒー置いてあるかも」という期待が当たった。
食べ終えてふと見ると、、コックさんと従業員たちが食堂の隅っこで中国のアイドル歌手に見入っている。私もお邪魔して見物する。さっき砂糖を持ってきた少年と目が合う。笑いかけると、それはそれはかわいい笑顔を見せてくれた。

徳欽~明永
今日は梅里雪山から流れ出す明永氷河(「明永」という村から車の入れない道が氷河まで続いている)を見に行く。スケジュール表によると、本当は今日東竹林寺と梅里雪山を見る展望台へ行くはずだったのだ。しかし展望台は曇ってる時に行ってもしょうがない。寺は昨日行った。それで行き先を山の麓の氷河にチェンジ。
雪雲にすっぽり覆われた町を出発。チャオシンは五里霧中でも危なげなく運転する。山に沿ってしばらく進むと、雪雲を抜け出した。更に進んで少し高度を下げる。暖かい。トイレ休憩をして、ついでに写真を撮った。チベット、いや中国の田舎のトイレはお世辞にもきれいとは言えない。建物の下の地面に「ぼっとん」するだけ。仕切りはあっても扉はない。どのトイレも臭い。でも、周りに建物がないことが多いので、案外眺めが良かったりもする。
車はチャオシンのかけるポップスに乗って更に進む。途中、道路標識が地面に落ちて逆向きになっていたから道を間違えた。舗装もされていない道なき道を進み、途中ですれ違ったおじさんに道を聞いて引き返した。しかしお陰でいい写真が撮れた()と思う。
正しい道を明永に向かって急ぐ途中、急にソナムがチャオシンに向かって「あ、ちょっと止めてくれ」と言って車を急停止させ、急いで目の前の真新しい仏塔(チョルテン)に駆け寄る。お坊さんが数人、シンバルを鳴らしお経となえて儀式をしている。すぐに戻って来たソナムが「新しい仏塔が立ったので、お布施してきた」と言う。どうやら仏塔の落成式のようだ。彼は信心深いチベタンで、ここはチベットエリア。・・・そうだったんだ。じゃあ急停止してもしょうがないよね。
お昼には無事明永に到着。明永村は比較的暖かい谷底にある。荒涼とした景色が続いていたので、緑が非常に美しく映る。裸麦の畑とぶどう畑があった。
明永村で昼食(やっぱり炒め物)をとったら氷河までプチトレッキング。「歩いて2時間ぐらいで着くけど、馬に乗りますか?」とソナム。借り馬(馬引き)賃は120元と結構高い。しかも、値切れない。最初は歩いていこうと思ったが、山を歩き慣れたソナムの足で2時間ってことは、私達は倍以上かかるだろう。結局馬にした。値切れるシステムでない理由は、馬代+トレッキングエリアの管理費用が合わさってるからのようだ。

明永氷河
ホーストレッキング。最初のうち()は道のヘリを石で補強したり、道端に花を植えたりといったことがなされていたが、村を抜ければすぐに原生林に覆われた原始的な山道を行く。あちこちぬかるんでいて、馬もそこを避ける。馬の首につけられた鈴の音が何とも言えない良い音を出す。一回目にチベットへ行った時から、この音が好きになった。馬引きさんは時々馬を引っ張る以外は馬任せ。これも以前のチベット旅行と同じだ。私は7年前の感覚を思い出して、馬が道草を食いそうになると「チョ!」と掛け声をかけたりわき腹を軽く締めたり蹴ったりして先を促した。
ソナムは馬引きさん達と世間話をしながらさくさく歩いているが、どんどん標高が上がっていく険しい道だ。げんなりした顔で引き返す徒歩の観光客何人かとすれ違った。
・・・馬でよかった。
途中で一たん休憩を挟む。リスが2匹、木の幹を駆け去って行った。ここで、馬引きさんの手のひらを拝見することに。しかし、手のひらから読み取った情報を中国語に変換するのは極めて難しい。普段占いで何気なく使っている抽象的な概念や感覚的な説明が意外と複雑なのだと改めて感じた。そこで、英語でしゃべってソナムにチベット語で通訳してもらうことにした。それでもやっぱり難しかったのだが・・・
今回手を見る馬引きさんは女性と男性の2人。差し支えない部分を書くと、女性の方は機転が利いて頭が良くてガンコ。少し気を使いすぎる傾向もあるようだ。「頭いいですね」と言ったら「アラヤダうそぉ」と手をひらひらさせる様子がかわいかった(笑)。男性の方は、頭を使うことは苦手なようだが、感覚的な集中力が鋭い。そしてシャイ。
いよいよ香格里拉のホテルで言ってたことを実行。ソナムとお互いの手相を見せっこする。ソナムの手相は線がハッキリしていて読みやすい。これも彼の性格か。実はとてもガンコ(保守的)でシャイな手相をしていた(踊りの時は例外)。欧米化した新しいライフスタイルより伝統的な生き方が向いているのかもしれない。知能線と感情線を見ると、普段は静かだが一度キレるとえらいことになるタイプ。思い立ったら即行動。一度動き始めたら絶対に意志を変えない。そんな生き方をしているからか、いざって時はなかなか肝が据わっているみたいだ(実際、肝臓も強い)。
そんなことを彼に伝えると、彼は照れながらも、こっそりと「(子供の頃)キレるとえらいことになった」や「肝が据わっている」時のとてつもない「武勇伝」を聞かせてくれた。ソナムそれ、「テヘ☆」なんてかわいく笑いながら話す内容じゃないwww。オリエンタルラジオも真っ青。このブログにはとても書けない凄い話(笑)。とてつもない生命力の持ち主だ。日本人は真似出来ない。というかマネをしてはいけない。
次に、彼が私の手相を見る。私が知っている手相の読み方とは違う独特(多分自己流)のやり方だ。今まで一度も手相の読み方なんて習ってはいないのだが、人の手のひらを見るとその人のことがわかるのだと言ったのは、本当だった。驚いた。本当に良く当たる。恐らく、彼が自分の見事な生命力を「シックスセンス」と言う形にしてめいっぱい使っているのかもしれない。
休憩を挟んで更に山道を登る。標高が上がって寒くなってくると、タルチョが沢山張り巡らされた場所に出た。梅里雪山、中でもカワクボ峰は昔から神聖な山とされていて、麓には山をぐるっと回る巡礼路がある。そこと私たちの道が重なったようだ。その少し先で馬を下りる。3世代の1家族とお坊さんがいた(写真)。
展望台に向かって遊歩道を歩く。やがて氷河が見えてくる表面は砂礫に覆われているが、割れたところがアイスブルーなのでそれと分かる。実はこの氷河、91年に京都大学の山岳会と中国の登山隊の混合チームが梅里雪山 で全員消息を絶った7年後に遺品が見つかった場所。記念碑も建っている。大きな岩が氷河の割れ目に絶妙なバランスで乗っかっていた拡大)。
きつめの階段を上って展望台に到着。えらいこっちゃ!といいたくなるような眺めが広がっていた()。展望台に着いて最初のうちはうす曇りで、チベタンにとっての聖なる山、カワクボが見えない。気がつくと、何故か山に向かって手で雲を払いのけるしぐさや暖かい吐息をふうふう吹きかけるしぐさをしていた。証人は両親とソナム。すると・・・・→
写真を撮りまくった後、今後の展望を山に向かって叫ぶ。
「いい占い師になりたい!!」
山の両側から声が反響した。「幸せ!」片側からだけ声が響いた。
「展望台」とは良く言ったものだ。文字通り、「希望を展開する台」に私は立っていた。
ハイテンションになって、ミネラルウォーターで乾杯した。「ありがとう!!」山の両側から、わずかに響いた。

※ここから電波入ります。ご注意下さい。
ソナムが、チベットでは智恵の神様にして占いの神様でもある文殊菩薩のシンボルになっている山もここから見えるのだと言った。ソナムの指差したその山は、雲にほとんど隠れていた。で、やっぱり息を吹きかけたり払いのけるしぐさをしてみる。都合の良い展開を期待。ソナムが後ろで「ブフ」と吹き出した。最もな反応だ。雲は動かなかった。
展望台の帰り道。ふと振り返ると、雲が。どいてくれていた
これにはソナムも「グレイト」と言った。彼は小声で何かを唱えた。チベット人が昔から山を「ありがたや」と崇める理由が、何となくわかった気がした。
私も山に向かって正確に覚えたばかりの文殊菩薩のマントラを唱えてみると、何だか山の中腹にぽっかり洞穴が開いて、その中にすうっと入り込んでいくようなイメージが浮かぶ。こんな感覚は生まれて初めて。酸素が薄いせいだろうか? 
しかもその時、とても良いインスピレーションを感じ取ってしまった。
インスピレーション曰く「占いの際には、その人の深層(真相)にもぐり、その人の生命力を生かすための(その人が自ら生命力を生かして解決・発展するための)情報を読み取ることに集中すべし。それ以外の目的や意図は占いとは関係のないこと。ある人がそれ以外のことを読み手に望むなら、それは占いを望んでいるわけではない、ということ」
・・・このインスピレーションが迷いを晴らし、占い師としてのポリシーの再確認を助けてくれた。
本当は、この出来事をブログに書く予定はなかった。非常に個人的かつ異様に電波な体験だから。今でもまだこの箇所を消そうか消すまいか迷っている。もしかすると、UPした後である日突然消えているかもしれない。以前書いた占い依存症についての2つの記事は、このときのインスピレーションが元になっている。
もと来た道を馬に乗って帰る。馬の揺れにもなじんだため、片手で写真を撮るのが楽になった()。
馬を下りるとチャオシンが車をまわしてくれていた。母が山道を歩きどおしのソナムに「疲れた?」と聞くと、「全然(何で?)。」と言う答えが返って来たそうだ。
帰りの車窓、最後に再び山が ちょろっと顔を出してくれた

夕暮れが近づく頃、その日最後のサプライズ。行きは真っ白な霧と雪雲で何も見えなかった道が晴れていて、白茫雪山が姿を現してくれた。実は凄い眺めの道を走っていたということらしい。撮影スポットの小さなお寺、飛来寺で写真を撮った()。毎日こんな眺めの中で生活するのはどんな気分だろう?

徳欽
晩ごはんは火鍋。毎日「野菜炒めとご飯」だったので、たまには違うものが食べたかった。ホテルの食堂には鍋料理用のコンロが各テーブルについていたのに目をつけ、昨日リクエストしておいたのだ。火鍋はお隣四川省の名物料理だが、雲南でも人気メニューの一つ。本場では、お鍋に仕切りをつけて、辛いスープとそうでないスープの2つが1つの鍋で作れるようになっている。今回は辛いスープは遠慮して優しい味のチキンスープのみのお鍋にしてもらった。骨ごとブツ切りにした鶏肉がいいお出汁になっている。そこに野菜や春雨を入れて頂く。幸せ。
ここでチャオシンがやたらと張り切って鍋奉行になる(笑)。スペアリブの時といい、妙に世話焼き。多分年下の兄弟を世話したことがあるんじゃないかと思って兄弟の有無を尋ねたら、妹が一人いるとのこと。中国は「一人っ子政策」をしているが、少数民族は2人まで子供を持てる。
突然、大合唱が始まった。パーティーションで区切られた食堂の向こう側で宴会をやっているようだ。間違いなくチベタン。一人ずつお酒を一気飲みし、その度に歌うのだ。「イッキ」が一回りし終える頃には大半の人間に酔いが回って歌声は更に大きくなっている。7年前経験済みだ。私の時はビールだったが、普通は裸麦で作った数十度の焼酎でそれをやる。それも、標高4000m前後の場所で。
「チベット式イッキ」。盛り上がっているようだが、良く通る歌声のせいか、まるですぐそばで歌われているみたいでそろそろうるさくなってきた。こっちの話し声が聞き取りづらい。無理かもしれないが、ソナムかホテルの人に何とか言ってもらえないだろうかとソナムの方を向く・・・お前も歌っていたのか。

本日も素晴らしい一日でした。

2007年5月24日 (木)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その7

昨夜のチベタン野外ディスコが心地よい疲れを生んで快眠した朝。朝食までまだ少し時間があるので、雨が降っていたけれど香格里拉の通りを散歩する。朝食を出す屋台はすでに開いていて、油の匂いが漂っていた。チベット族、白(ペー)族、回族(イスラム教徒)の屋台の前を通り過ぎ、チベットの薬草を扱う店を通過し、雑貨屋で小さなポテチを購入し、昨日行った旧市街とを撮影してホテルに戻ると丁度ご飯。
朝ごはんはバイキング方式。主食はパン、お粥、炒麺、米線などなど。ホテルお手製のゴマ入りクッキーと、魚のデンブ(?)と卵が入ったフレンチトーストみたいなパンがとてもおいしかった。
出発は9時。今日は香格里拉郊外の松賛林寺(ソンツェリン・ゴンパ) を見学した後、徳欽という街で泊まる。徳欽へ行く途中に4700mの峠があるので、「念のため」とソナムが酸素を売る店に連れてってくれた。(むしろ昨日連れてってくれ)。

松賛林寺
松賛林寺は、今から約320年前にダライ・ラマ5世が立てた雲南省で一番大きなチベット仏教のお寺。約500人のお坊さんがここで修行している。お坊さんたちの年齢は小さなかわいい小坊主から年老いた僧侶まで様々。本堂へ行き着くには、結構長い階段を上らないといけない。父はこの階段を見たとたんに息が苦しくなって来たと言う。
しかしそれでも皆何とかがんばって無事本堂に到達。写真を撮っていたら丁度お勤めの時間になったらしく、沢山のえび茶色の僧衣をまとったお坊さんたちが入り口に入ってゆく様は圧巻。私たちも帽子をとって中に入る。遅れ気味の小坊主たちが小走りに入ってくる。お目付け役の僧侶がちょっと怖い顔をして急かしている。
中では、観光客と参拝者がひしめき合い、お勤めの僧侶が勢ぞろいする前を2人のまだ若いチベタンが神妙な顔で素早く五体投地をしていった。ソナムもやっていた。チベットエリアは観光開発されても、まだまだ信仰が根強く生きている。ほとんど生活の一部。生きることの一部。私たちもそのことに敬意を表して日本式に手を合わせてみる。お寺の中は撮影禁止。
チベット独自デザインのご本尊や仏画や六道輪廻図を見学した後、私はここで5元ほどお賽銭を出してお坊さんからモニョモニョと「ご祈祷」を受け、小さなお数珠を貰った。旅のことと今までのこととこれからのことをよろしく頼んどいた。
数珠やマニ車(中にお経が入っていて、一回まわすと一回お経を読んだことになる仏具。)などが置いてあるお土産売り場で、小さなマニ車のストラップを発見。すごくかわいいのと、ちゃんと回るのに感動して思わず衝動買い。早速携帯に取り付けた。

香格里拉~徳欽
一路徳欽へ。原生林の残る山道を行く。やはり山襞をなぞるように進むからカーブが多い。念のため酔い止めも飲んでおいたし、高地順応が進んでいたし、今日は昨日同程度の高さの峠なら苦しくないみたいだ。今日も運転手のチャオシンがポップスをかけてご機嫌な運転。ノッてくると時々歌う。ソナムも歌う。二人で見事にハモる。
やがて雪が消えて晴れて来ると、原生林から背の低い潅木だけの荒涼とした風景になってくる。そこに白いチョルテン(仏塔)が立っているのが印象的
ぽつぽつと現れる集落(最近はテレビ用パラボラアンテナが設置されていることも)や段々畑には緑が映えているから、ほっとする。ここら辺は山がちなので、遊牧民はいない。農業がメインになる。やがて長江の上流である金沙江に出くわす。ここが上海上空辺りで見た向こう岸が見えないくらい大きなあの河の・・・
お昼頃になると高度が下がり、谷あいの小さな町、奔子欄(ベンツラン)に出た。ここでランチだ。観光客がここでランチをとることが多いようで、土産物屋やレストランが軒を並べる。それでも日本と比べればあまり車も通らずのどか。カムパ(東チベットの男。いかつく・熱く・勇敢。昔からイケメン率が高いとの噂)のトラックヤロー、お坊さん、小学生などが通り過ぎる。ランチを取るレストランがかわいくて良かった。味もなかなか。そこらへんを歩いていた(とソナムがわざわざ報告)豚の料理がおいしい。こちらの野菜炒めは日本と違って野菜が一種類ずつで、それが幾つか出てくる。瓜の炒め物も出た。それと、ソナムがリクエストした麻辣豆腐。7年前四川省の成都で食べたものほど辛くはないが、山椒が効いててむせた。
昼食後、さらに渓谷沿いを行く・・・スイスイ進むから気分がいい。
実は、昨日見る予定だった金沙江月亮湾 (写真)と東竹林寺を今日見物出来てしまった。月亮湾でやっと日本人(プラス日本語ガイドのチベタン)と出会う。私たちがこれから行く徳欽にて梅里雪山がばっちり見えたとのこと。これは期待できるかな?
東竹林寺は雲南のチベットエリアではやはり重要なお寺。現在増築中だった。本堂中庭で写真撮影のためにちょっと別行動をとって合流する時に、一人のお坊さんが親切にも誘導してくれた。それを見た増築のための大工(お調子者)がチベット語で冷やかす。お坊さんの反応を見るに、多分「坊主が女連れてるw」みたいなことを言ってるみたいだ。
(東竹林寺の写真
東竹林寺を後にして、道は高度を上げ、雨雲に入っていった。真っ白で何も見えない。けれども、寒さから高いところを走っているのが分かる。酸素を買ったが、苦しくなくてよかった。とちゅうから舗装されていないがたがた道に。どうも石畳らしい。途中から空気の薄さも手伝って、私たち3人は眠ってしまった。それでド派手なデコトラを撮るチャンスを逃がしたのが悔やまれる。ボディーに独特のペイントと五色のタルチョが屋根から両側のミラーに張られていた。
眠っているうちに徳欽すぐ近くの梅里雪山が見える展望台に到着。しかし今日は雲で山が隠れている。明日に期待しよう。祈りをこめてルンタをばら撒いておく。

徳欽
徳欽着。ホテルは彩虹大酒店。こっちではかなりいいホテル。私たちの部屋はメインストリートに面していて、向かいのCD屋からチベット語の歌が流れていた。ここで、昨日立てた「チベット人の遺伝子には音楽に脊髄反射するプログラムがある?」と言う仮説を更に強める出来事が。電源兼用のカードキーの説明をしに来たチベタンの従業員(もしかして10代?)がなぜか途中からそわそわし始め、カードキーの説明を終えて「それじゃ」と部屋のドアを閉めた瞬間、
「○×△□☆ー♪♪!!」
向かいのCD屋から流れる歌に合わせ、廊下中に響く声量で気持ち良さそうに歌いながら去っていった。母と2人で爆笑した。チベット人のこういうところが、7年前から大好きだ。
屋に荷物を置いたら早速街を徘徊。徳欽。谷に広がる小さな町。昔は茶馬古道の要衝。現在は観光地へ行く中継地点。小さな町だが、大きいスーパーマーケット(中国語:超市)があり、品揃えも充実している。
徘徊していると、チベットの楽器「ダムニェン」を引っさげて、身一つで勝手に食堂などへ入り込み、ベンベケ弾いておひねりGETを狙う2人組みを発見。通行人も足を止めて(おひねりをせびられないように)こっそり聞いている。私もこっそり聞いている。目が合ってニヤリと共犯者の笑い。
(徳欽で撮った写真
夕食はやっぱり野菜炒めと肉料理(スペアリブ)が一品。それにチベットチーズの包み揚げが出た。なぜかチャオシンがスペアリブの料理に興奮している。「食え食え」とばかりに、しきりに私たちのお椀によそってくれる。「わんこスペアリブ」。そんなに凄いの? この料理。 それとも、個人的に物凄く好きなの? 多分その両方。確かに味は良かった。
今日のスケジュールでパンフレットに載っていた明日の分の観光を済ませてしまった。明日はどうなるかな?

つづく

2007年5月18日 (金)

占い依存症防止のチェックリスト

※一個人の意見です。あくまで参考程度にして下さい。

以下の項目に当てはまるものがあった時。あなたが本当に必要なことは占いではありません。あなたが本当に望んでいることも、占いではありません。自分の心にある本当の望みが分かっていないかもしれません。では一体、本当は何を求めているのでしょう? 期待通りの鑑定結果?  願望を叶えてもらうこと? 未来の保証?
・・・それらは表面的な望みで、本当ははもしかすると、あなたの外の世界を変えることではなく、あなたが自ら自分と向き合い、本当の喜びや幸せを作れるように内側から変わってゆくことなのかもしれません。特定のお悩み解決ではなく、次々と余計な想像や悩みやストレスを作り出してしまう不安定な精神状態を回復させることかもしれません。自分の望みを無関係なものに投影・同一視し、本当の望みと混同して縛られ振り回されているのかもしれません。あなたが本当に必要なことは何か。そのために何が出来るか。占いをする前に、もう一度考え直してみましょう(占いで解決する悩みなら、同じ占いを何度も繰り返さなくたってとっくに解決しています)。

以下にあげるチェックリストは、全ての占い依存症に当てはまるものではありません。あくまで参考程度にしてください。占い依存症(占いジプシー)については、この記事の一つ前の記事もご参考下さい。

☆占い依存症チェック
・全ては運命によってあらかじめ決まっていて、人間はそれに従う・縛られることしかできないと思う
・占いの結果は絶対で、どんな努力でもその運命を変える(変わる)ことは決して出来ない(許されない)と思う
・占いの結果が絶対の運命になるので、占い師は鑑定結果にウソをついてでも客が望むことや喜ぶことを言うべきだ
・悪い鑑定結果が出ると、絶望してしまう(生きる希望や幸せの道が閉ざされたと思ってしまう)
・自分の不安や鬱屈を鎮めるために、占い師は空気を読んで「あなたの望む未来が実現することは絶対的な運命である」という占い結果(お告げ)を常に出すべきだ
・自分の望む鑑定結果が出ない限り(望みどおりの結果が実現しない限り)、悩みから抜け出せないと感じている
・意に反する鑑定結果を出した占い師を恨んだり、当り散らしたことがある
・期待や予想と異なる鑑定結果は何度説明されても内容を理解できない・頭に入らない
・嫌な鑑定結果を出す占い師は、私のことを傷つけて楽しむためにわざとそんなウソを言うのだ
・嫌な鑑定結果を何としてでも自分の望む方向に変更させようとして粘ったことがある
・占いの結果で未来を決め付けてしまいたい(占いで成功が保証されている物事にしか努力したくない)
・占いで成功が保証されない限り、望む道を選べない/自分の選択結果を自分では背負いたくない
・同じ内容の占いを短期間に何度も繰り返している/その場で同じ占いを繰り返し要求したことがある
・すでに占いをやってみたが、現状が変化していない
・占いをすることがストレスに感じることもある
・占いをすると一時的に心が安らぐが、また元に戻ってしまう
・例え良い鑑定結果が出てもすっきりしない
・何度か占いを繰り返しているが、鑑定結果に実感が持てない
・鑑定結果に実感が持てるほど、占う対象についてよく知らない・理解していない
・事実確認をしなければ解決せず、事実確認が出来れば占う必要のない悩みや疑問だ
・占いを事実確認の代わりにしたい(占いの当たり外れを事実からではなく他の占いから確認する)
・占いは興信所の調査代わりだ
・何度占いをしても当たり/外れは確認できないし事実確認もできないことにイライラしている
・例え事実確認が出来ても、不安が消えない(疑いや思い込みや妄想が消えない)
・占いを使って自己欺瞞や現実逃避をすることで心を慰めたい
・好きな人に執着するよりも良い鑑定結果を出してもらう方に執着している(又は両者を同一視・混同している)
・様々なことに対して際限なく不安な想像をしてしまう・心配事を作ってしまう
・形は違えど似たパターンの悩みを繰り返していて、そのたびに占いを繰り返している
・占いや占い師に精神安定剤の役割を求めている(必ずしも占い自体を求めてはいない)
・買い物・ギャンブル・アルコール・セックス・ドラッグなど別の依存症になったことがある
・精神科に通院しているか、通院を検討している
・ストーカーになったことがある
・占い師に相談した悩み事に対して抱く感情や不安感が、実は悩みが発生する前から心に抱えていた感情・不安感と似ている
・悩みや疑問の解決・解明へと実際的な行動や努力をする気力がない(アドバイスを実行する気はない)
・「もし~なら」「~かもしれないから」といった架空の想像に基づいた占いがしたい
・相手と向き合うこと/事実確認をすること/現実を受け入れることに対して意欲や勇気が持てずにいる
・相手と積極的にやり取りする作業を抜きにして、相手と親密になりたい(例えば運命や占い師の魔力によって)
・実現しえない願い事に執着している
・「この方法でしか苦しみや問題からは抜け出せない」と狭い固定観念を持っている。
・正直、占いさえすれば何も考えなくても/何もしなくても願いが叶う(現実が変わる)と期待している
・正直、占いに何もかも解決して欲しい/何もかも決めちゃって欲しい(全てを占い師のお告げ通りに動かないと不幸になる気がして怖い)
・占いには「どんな視点を持てばいいか・何に注意すべきか」といった助言ではなく、「こうすればいい」というマニュアル的な指示が欲しい
・「向き合うための道具」ではなく「逃げるための道具」に占いを使っている気がする
・占いの料金が払えずに踏み倒したことがある/占い依存症で借金がある
・悩みが解決しないので料金を払う必要が無いと考えている
・占い依存症を抜け出すために占いを利用しているが効果が無い

◇あなたがもし占いを止められなくて困っているとしたら・・・
「悩みや不安の繰り返しから抜け出したり、先へ進めるようになるには?」
「具体的な形がどうあれ(願いが叶おうが叶うまいが)、現実と向き合って本当の幸せや本当の良い結論を作り出すには?」
「未練や執着や思い込みを手放すには?」
「現実と向き合ったり現実を受け入れられるようになるには?」
「苦しみを癒してより良い方向へ向かうには?」
「自分の願望の裏にはどんな理由があるのだろう?」
「様々な悪い想像を際限なく繰り返させる無意識の不安の正体は何だろう?」
「自分が現実世界で本当に必要としていることはなんだろう?」
・・・といった発想を持って自分を見つめてみてください。そうすることで、裏に隠された本当の希望や、問題の原因や真相に行き着くことがあります。占いをやめられなくなったのが自分自身である以上、答えは自分が持っているからです。
※一番上にも書きましたが、あなたが本当に望んでいることは、現実から目を背けるための占いではなく、現実と(自分と)向き合って分析し、探求し、現実のなかで現実の癒しや喜びや幸せを作っていくことかもしれません。
現実と向き合ったり現実を受け入れたりすることは、現実の短所ばかりを見て切り捨てて生きてゆくことよりも、はるかに簡単です。「現実」のなかには、「あなた」も含まれているからです。そして何より、「現実(真実)」の中にこそ、悩み・苦しみを乗り越える鍵やきっかけが隠れているからです。それを自ら切り捨てる生き方は、辛そうですね。
占い依存が止められない自分を責めたり卑下したりすることなく、依存の原因になったおおもとの精神的な不安定の解決を。それには自分自身と現実をもう一度見つめなおすことが自分を救う大きなヒントです。
何度占いを繰り返しても消えないモヤモヤは、占いに逃げず自分や現実と向き合う方が楽な証。

世界にたった一人しかいないあなたの(幸せな)現実はあなたにしか作る力はありません。あなたほどそれが上手い人もいません。占いに依存している時の不安感は、「占いをしてないと不安」なのではなく、「何かに依存して主体性を手放してしまった」「自分の持つ力で自由に幸せを作る発想を忘れてしまった」「本当の自分(の幸せ)にとって本当に必要なことが何なのか気付かない」ことから来る不安です。今まで操縦していた馬車の手綱を途中で手放してしまったら、誰だって不安になります。けれど手綱は馬車に繋がっているもの。手繰り寄せれば、きっと取り戻すことが出来ます。今からでも、遅くはありません。
「不安をかき消すため」の占いは、それが不安に基づく行動である限り、繰り返せば繰り返すほど内なる不安を強調させてしまいます。決して精神安定剤にはなりません。むしろ、あなたが抱えている本当の不安の正体を突き止めてください。
(人は正体不明のものを過剰に恐れる習性があるようです)。

あなた自身を含め、もしもこの世の物事が運命によって予め定められたようにしか動かないとすれば、そもそも未来をより良く生きる(自分だけの未来を作る)ための開運法や対策をさぐるために占いが発明されることも無かったでしょう。予め決まりきっている未来を知っても、役に立たないからです。
あなたが自ら本当に良い方向へ向かうために今出来ることは何か、必要なこと・重要なことは何かを見つめ検索するのが占いです。丁度、自分がレポートや論文を書く時ににさしあたって必要な情報や文献を調べるために検索エンジンを利用するようなものです。考えながらレポートや論文を実際に書くのは、あくまであなたです。占いは、現実や真実から逃げるためのツールではなく、あなたが本当の幸せを作るためのツールです。今のあなたは、占いを「逃げるため」ではなく「向き合うため」のツールにできる状態でしょうか?

また、余計な悩みやストレスを作り出す不安定な精神状態を回復させるためには、占いではなく別の方法が必要なこともあります。占いを精神安定剤代わりにすることは、治る怪我の手当て(悩みの本質へのアプローチ)をせずに放置したまま大量のモルヒネ(占い)で誤魔化し続けているようなものかもしれません。放置すれば怪我は痛み続けます。モルヒネを際限なく使い続ければモルヒネ中毒にもなるでしょう。結局、占いに依存すればするほど肝心な解決からは遠ざかり、ストレスは慢性化するわけです。
占い依存症の恐れがある場合、本当の意味で自分を大切にしていただくために鑑定をご遠慮いただいていおります。
占い依存症(又はその徴候)と見られる様子が文面に表れている鑑定ご依頼メールには、こちらの独自の判断でお断りのお返事を出しております。

古来、占いは先人達が「どうしたら開運するか」を目的に試行錯誤して生まれた文化です。現実や自分自身から目を背けるためではなく、現実や自分自身と向き合うことでその人にとって本当に良い方向へ自らを導くために占いを役立てていただいたとき、自らの力や潜在的可能性を生かすために役立てていただいた時、占い師は自分の仕事に喜びを覚えます。この上なく光栄なことです。


追記
2012年3月13日、朝日新聞夕刊の11ページ(社会面)に当ブログの占い依存症チェックリストが載りました。
詳細→朝日新聞の夕刊に乗りました

関連記事
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容姿・劣等感・個性
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結婚相手より生き方を探せ?
自分の中の暴れ馬
人間を楽器に例えた恋の話
年齢と自信

占い依存症のこと

旅行記の途中だけれど、閑話休題。
ずいぶん前にさらっと触れる程度に書いただけで、常々思っていたけれど本格的には上手くまとまった形で書けなかったことがある。それは、「占い依存症(占いジプシー)」についてのこと。今回の旅行が終わってからは何となく書けそうな気がしているので、書いてみる。

これから書くことは、長いです。それだけ複雑な問題です。しかし、占いを利用する皆さんに、占いを利用する前に読んで頂きたいことでもあります。
占いを有効に使っていただくために。決して占いを自分の新たな問題のタネにしないために・・・

◆例えば、相手の気持ちを占う前に・・・
「相手の本当の気持ちを教えて欲しい」という理由で占いをしに来る場合。一見何の問題も無いありがちな相談内容に見えますが、実は落とし穴だったりします。相談者にとって疑問の解決にはどこかで必ず事実確認が必須であるにもかかわらず、相談者が「事実確認を取らずに占いだけで済ませたい」と意図している場合、もう一度よく考えた方が良いのでしょう。それが、起こりうる危険を防ぐことにもなるからです。
仮に、「相手の気持ち」が知りたい場合。「気持ち」を本人以外の人間から聞き出すだけで、自分が安心したり納得したりできるかどうか、です。相手の気持ちがわからなくて不安だったり、イライラする気分が、占い「だけ」で解消できるでしょうか?(相手とのコミュニケーション不足が原因の悩みなのに?)

例えば、「相手は自分のことが好きではないのかもしれない」という不安や疑惑を持ったとします。その不安や疑惑を「確かめるために」占いに頼ったとします。鑑定結果が「その疑惑や不安はあなたの取り越し苦労で、依然として相手はあなたのことが好き。」と出れば、少なくともその場は安心できるかもしれません。「自分の勝手な想像で取り越し苦労したお陰でお金を無駄遣いしてしまった」と苦笑するかもしれません。喜ばしい鑑定結果が出た場合、実際に相手と向き合って事実確認を取ったわけではないけれど、「占いで事実確認が取れた」と思うことが出来る人もいるでしょう(それが落とし穴です)。

事実確認には2種類あります。一つは「相手と向き合って確かめること」。もう一つは、「自分と向き合って確かめること」。本当に「占いで事実確認が取れた」場合。それは、占いを通して自分と向き合った末「あ、やっぱり自分の思い込みだった」と気付いた時です。自分に対する事実確認です。妄想の証拠は自分の中に。そして、妄想の原因となった「内なる不安」の正体も、自分の中に・・・

◆現実から逃げると解決しない
さて、占いによる鑑定結果が「相手はあなたのことが好きではない」とか、「相手はあなたを都合よく利用する気でいるだけ」というように出てしまったとします。不安やイライラは解消できるでしょうか? 「この占いで事実確認が取れた」と思える人は、すでに自分の中で確信や実感めいたものがあるか、すでに自分が相手に愛想を尽かしているわけでも無い限り、あまりいないでしょう。占いで芳しくない結果や実感が持てない結果が出た場合、「この占いが外れているのかもしれない。やっぱり実際に確かめよう」と思い、実際に相手と向き合って確かめられればいいのですが、「実際の確認をしない代わりに」占いをしに来ている場合、確認する代わりに(実際は代わりにならないのですが)別の占い師のもとに「さっきの占いでこう言われたんですけど当たっていますか?」と一番肝心な現実の確認ではなく占いの確認をしに行ってしまい、結局占いのはしごを繰り返してしまう、ということがおこりうるようです。占いの当たり外れは事実確認しないと判明しません。「当たり」が確認できて初めてその占い師のアドバイスは役に立ちます。

事実確認をしないで占いを繰り返すうちに、悪い結果が出れば不安や苛立ちは増えるし、例え良い鑑定結果が出たとしても、「本当かな?」という気持ちが湧いてきて不安や苛立ちが戻ってくると感じたことのある人もいるでしょう。それは、その鑑定結果にピンと来るような「実感」がないからかもしれません。「実感」は、そのことについて今までを振り返ったり分析できる程度のやり取りや経験があることから生まれます。「実感」が自分に対する事実確認を促します。
特に、相手についての具体的な鑑定結果に実感がない場合、それだけ相手とのやり取りが不足しているということでもあります。そういう場合は占いよりも、まず相手とのやり取り不足を解消するには何が必要かを考えることが先決です。その時、人によっては「相手と直接やり取りをする意欲がどうしても出てこない」自分に気付くかもしれません。それは、「相手に恋してる」のではなく、「恋に恋してる」からかもしれません。

相手との関係や相手の気持ちを具体的に占う場合は、占った結果を聞いてある程度ピンと来るくらいには、相手のことを知っている(理解している)必要があります。
相手とのコミュニケーション不足を抱えた状態や、「まだ相手とコミュニケーションをしたことがほとんどない(実際には会ったことがない)」状態で、予め相手の気持ちを具体的に占いで知りたいということは、「コミュニケーションをとらずに相手と無条件で親密になりたい」「生身の相手を実際に理解する気はないけれど、相手からは愛されたい」「単に一人で恋愛ごっこをしたい」という願望が裏に隠されているケースもあります。

◆「現実から逃げるための占い」は危険
「事実を確認しないための占い」ということは、「占いの当たり外れを確認しない」というのと同じ意味があります。
そんなタイプの相談者に対して、私は時々「当たっているかどうか確認できないと、いくら占いを繰り返しても不安が残りませんか?」と質問することがあります。「いや、そこまで真剣にのめりこんでないから・・・」と冷静にお答えになる方はとても多いのですが、いざ鑑定結果が自分の望みと異なるものだった場合、「そんなはずは無い」「不愉快だから鑑定やり直せ!」と荒れ始めるケースがかなりあります。
それは、「当たり外れなど関係ない。どうせ確認しないんだから、気分の良いことさえ言ってもらえれば口から出任せでも構わない」という占いを精神安定剤代わりにする心理(=依存心理)に繋がっています。

占いは興信所の調査の代わりにはなりません。自分の恋愛運を向上させたり悩みを抜け出してより良い運を作るためのささやかな応援をします。その応援となるアドバイスは、占いが当たっていることを確認出来て初めて役立ちます。確認や心当たりを持つ前に占い師の言葉を信じないで下さい。「心に留めておく」だけにして下さい。
占いは、相手と交流し、相手を知り、相手を理解する作業の「代用」にはなりません。その作業をするためのささやかな応援をします。
応援団は、選手の代わりに競技を行うことが出来ません。でも、選手が競技を成功させると非常に嬉しいので、応援しています。

◆占いをしても不安や苛立ち・悩みや疑問が解決しなかった場合
事実確認が必須の悩み事に対して、本当は事実確認をしていなければ、占いで解決しなくても不思議ではありません。例えば病気治療など、占い以外の手段が不可欠な悩みが占いだけで解決しなくても不思議でないのと同じです。この時点でどう判断するかで、占い依存症のリスクが変わってきます。
事実確認を取る意志や現状を変える意志が持てないのは、現実を切り離して良い事だけ言ってもらうことで占い師を精神安定剤の変わりにしたいからかもしれません。その場合は、占いを求めているわけではありません。
以上のような理由で占っても何も変わらない。鑑定内容に実感が持てず、納得できる答えが得られない。むしろ苛立ちと不安のストレスは増すばかり。それなら今度はまた別の占い・・・ということを繰り返すことが、占い依存症を引き起こす一因になります。

また、占い師と興信所を区別できているかどうか、自分自身に確認してください。「区別できていない」と感じたら、なぜ事実証拠の見える興信所ではなく、自分で答えを掴む必要のある「占い」に頼ったのか自分に尋ねて下さい。本音は、占いを望んでいるのではなく、不安や苛立ちを解消したいだけかもしれません。
その場合は、「こういう理由で悩み苦しんでいます。自分が不安定な状態から抜け出すために私は今何ができるのでしょう?」そう質問した方が、占い師は的確なアドバイスが出来ます。本当の目的は精神の安定であって「未来や相手の気持を尋ねること」はその手段でしかないわけです。そして、その手段は目的実現にとって適切な手段ではありません。その証拠が「占い依存症」です。不適切な手段を適切な手段だと思い込む固定観念が、問題を生むこともあります。また、どんなに不安でも事実確認をする意志が持てない場合は、本当はその物事を不安に思っていないからです。外部に内面の不安感を投影しているだけなので、「何が不安なのか」の答えは別にあります。

◆目を背けた現実の中にこそ解決の糸口がある
何も解決しないまま(解決のために必要なことが出来ないまま)、気分が晴れないまま、占いにその場限りの安心を求め(占いに精神安定剤の役割を求め)続けると、やめられなくなってしまうようです。「現実と(本人や自分と)向き合わずに占いで全てを済ませる」というやり方が適切な悩みの解決法では無いので(むしろ悩みをややこしくする方法です)、結果的には占いを繰り返す度に「不安や苛立ちがちっともなくならないストレス」だけが積もっていき、解決から遠ざかり、その結果情緒不安定になって理性を失ったり、占い依存症になっているお客様をよく見かけます。

それにまつわる色んな話も聞きます。お金が消えてゆくだけでちっとも解決に繋がらないことへのストレスをかかえ、それでも占いをする以外にどうしていいかわからず、「もはや占い師に当り散らすためだけにお金を払って占いをしている」という人の話も聞いたことがあります。
気に入らない鑑定結果を出した占い師をひどく恨んだり(良い鑑定結果に変えてもらうために何時間でも何ヶ月でも粘ったり)、例え良い鑑定結果が出ても「じゃあその占いが本当に当たってるかどうかあなたが確かめてくださいよ!」と叫んだり、時には占いのすぎで借金がかさんで自己破産、なんていうことも本当にあるそうです。最近は占い依存症についてテレビでも取り上げられることがあるので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

どうしたら占い依存症から抜け出せるのかと自分を見つめたら、「自分の望まない現実を占い師に変えてもらいたくて(=現実逃避のために)占いをしていた」ということに気付いたケースも多いです。過去を変えられなければ現在をそっくり変えることは出来ませんが、自分次第で現状を改善し建設的な未来を作ることは出来ます。人は大昔からそうやって様々なことを解決し、立ち直り、乗り越えてきました。

◆自分を占い依存症にさせず、占いを自分のために役立てるには
では、自分が抱えている悩みや疑問の解決に占いを役立てるにはどんなふうにすればいいでしょう?
まず、最初にあげた「相手の本当の気持ちを知りたい」という場合。
それが本当の目的なのか、精神安定のための単なる手段でしかないのか、よく見極めてください。単なる精神安定の手段で相手の気持を質問している場合は、本来の目的である精神安定の方法を質問してください。
その上で、それが手段ではなく本当に自分の目的だとした場合、
「占いに相手の気持ちを代弁してもらう」という考え方はせず、「相手の本当の気持ちを自分でつきとめ、納得することが出来るために、今何が出来るか。注目すべき(注意すべき)点はどこか」といったことを知るために占いを使ってください。また、「なぜ自分は相手の気持ちが知りたいのだろう?」ということにも思いをはせてみて下さい。「この恋を有意義にするためには今何ができる?」という発想でも良いでしょう。
「相手の気持ちをいちいち疑わずに心を穏やかに保つにはどうしたらいいか?」という発想も○。
そんな発想に立ってはじめて「相手の心を自分で突き止める意欲がない」「恋を有意義にするために実際的な努力をする意欲はない」ことに気づいた場合は、相手とのやり取りが不可欠な実際の恋愛を望んでいるのではなくこういうことかもしれません。

◆占いを上手に役立てるための基本的なコツ
占いをする前に、いくつかの準備を心の中で済ませておくことをお勧めします。

「自分が抱えている不安や疑問や悩みを自ら抜け出したり乗り越えたりするために、今出来ることや注目すべき点(注意点)は何か?」
「自分の夢や目標を叶えるために、自分が今出来ることや注意点は何か?」

といった発想で心の準備をしてから占いをすると、占いをするときに今までを振り返ったり自己分析する方向に自然と意識が向きます。そのため、そのとき出た鑑定結果に対してピンと来るような「実感」をどこかで見つけることが出来ます。そうすると、「自分に対して確認を行う>」ことになるため、結果はどうあれ占いに対してある程度の納得が得られ、占いをはしごする必要がなくなります(これは、占いが当たっているかどうかについて、自分で推測する方法でもあります)。さらに注意点として、
「占い師に直接解決してもらう・直接答えや確認をとってもらう」という発想で占いをしないこと。
占いだけで全てを終わらせないこと。
「もはや事実確認が不可能なこと」を占わないこと。
「今までそのことを占って来てピンと来るような実感が持てたかどうか」を振り返り、ピンと来るものがなければ「今必要なことは現実の確認」として占いをやめること

・・・どうしても現実を受け入れられない(相手と向き合えない)」状態なら、「その理由や原因を知るために今何が出来るか。解決のために最も適切な方法は? ポイントは?」「消えた可能性ではなく、本当の可能性を探すには?」という発想を持って自分を見つめ自己分析することが占い依存症を防ぐコツの一つともいえるでしょうか。「自分で考えず占いに丸投げ」はNG。「占いを使ってでも考える」と言う発想が○。上手な占いの使い方は、「隠された答えと可能性に思いをはせること」から始まります。

自分自身の悩みを解決する方法は、本当は自分が知っています。占い師の助言が適切か否か(当たっているか外れているか)はその隠れてしまった「解決方法」が証拠を握っています。助言を聞いて「不安」や「疑問」ではなく何らかの心当たりなど、「それはあるな」という感覚を味わったら、「答え」がサインを発している証。
占いを「精神安定剤」や「確認・解決の代行業者」とするのではなく、「レポートを書くための検索エンジン」や「心の物置から答えを見つけるために役立つかもしれない懐中電灯」くらいに思っていただくと良いでしょう。

「占いは」、その人が現実世界で自分の生命力(運勢含む)をいかに有効に発揮できるか、という観点から編み出された古くからの方法でもあると言えます。

※次に、占い依存症防止のための簡単なチェックリストを作ってみました。ご自由に利用してください。

2007年5月15日 (火)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その6

※写真・補足はリンクをクリック。 雲南の地図はこちら

香格里拉
夕食は豪華なものだった。野菜炒めが数種類、ご飯、マントウ、チベット風ジャガイモと肉のカレー炒め、そして尾頭付きの川魚の黒酢風味まで出た。レートの違いのお陰で、日本人は安いツアーでも良いホテルに泊まれる(7年前は質素な招待所のドミトリーだった)。おいしかった料理はキャベツと大根と鶏肉の入った炒め物、チベット風カレー炒め、お魚。ご飯はやっぱりまずいw
中国では、客が食べきれないほど食事を出すのがおもてなしの礼儀。毎回量が多すぎて私達は必ず残してしまう。実際、残すのがこちら側の礼儀。日本人から見ると勿体無い。本当なら夜はガイドと運転手は帰ってしまう予定だったが、ソナムには食後にチベタンカフェのある場所を案内してもらうため、一緒にご飯を食べてもらうことになった。これで残してしまう食事の量をいくらか減らせる。
食事の最中、面白いことを聞いた。何とソナムは、占いが出来るのだという。しかも、誰に習ったわけでもないのに、人の手相が何となく分かるのだそうだ。実は私も占い師だと白状した。その時に、ソナムから知恵の神様にして占いの守護神でもある文殊菩薩(チベット名:ジャンペーヤン)のマントラ(真言)を正確に教えてもらうことができた。これを唱えると集中力が上がるそうだ。勉強前にこれを唱えるチベタンもいるらしい。実際に唱えてみると・・・うん。いい感じ。
ホテルの食堂は薄暗かったため、明日手相を占いっこしようか、という話になった。
食事の途中でバター茶が出てきた。あれ。チベタンカフェに行く口実がなくなっちゃうぞ? ホテルのバター茶は観光客向けに飲みやすくしてあった。しかし、ギトギトの中華料理と同時に飲みたくないお茶№1だ。
食後、ソナムがまだチベタンカフェに行きたいかと聞いてきたので、現地の人と交流する機会の欲しい私は「Yes」と答えた。両親は疲れているのでパスするとのこと。

ホテルを出たソナムと私は、旧市街に向かって歩いた。「Do you like tibetan dance?」とソナムが聞くので、よく分からないまま好きだと答えておいた。そのままもくもくと歩く。やがて旧市街に到着。どこからか音楽が流れており、夜もにぎわっている。建物は茶馬古道全盛期からやり取りされていた商品である刀剣、薬草、銀製品を扱う店のほか、おみやげ物や民族衣装の店、バー、レストラン、宿屋などがひしめき合っている。(朝の写真
そのままソナムの後をついて行くと、街に流れる音楽がだんだん大きくなってゆき、やがて旧市街の広場に出た。
そして目の前に広がる光景・・・・・・こういうの待ってました。
そこでは、沢山のチベタンやナシ族の老若男女が、輪になって盆踊りをしていた。
あれ? ガイドのソナムがいない。・・・と思ったら、ソナムはとっくに踊りの輪の中に入って楽しそうに踊っていた。みんな、本当に楽しそう。盆踊り(盆じゃないけど)は観光客も自由に参加できる。私も輪の中に加わってみた。ステップは簡単そうに見えて結構覚えずらい。何故か他の人と左右逆に動いてしまう。踊りの向きが方向転換すると、何故か後ろの人と向かい合わせになって目が合ってしまう。そういえば私は子供の頃からダンス音痴だった。今まで唯一マトモに覚えた振り付けは、遠い記憶のお遊戯会で踊った「糸まきまき」くらいなものだ。
曲が変わり、民族衣装のおばあちゃんと手をつないで大人数の「花いちもんめ」とフォークダンスを足して2で割ったような踊りをやっていると、高地のためにもう息があがってきた。きりのいいところで踊りの輪を抜けようかと思っていたら、曲がやみ、この広場での「盆踊り」はお開きとなった。(会場の朝の写真
いつの間にか近くにいたソナムと、彼の友人でやはりガイドをしている女の子二人と合流し、次のダンス会場へ行くことになった。そこにあるインターネットカフェ(中国では個人でパソコンが持てる人はまだ少ないが、みなネットカフェを利用している。1時間で2元=30円)でトイレを借りて、レッツダンス!
次の会場(後に地元の会社が敷地を貸していると知る)には観光客は余りいなかったが、ライトも点いていて、もっと広く、もっと沢山の数え切れないほどの人々が踊っていた。民族衣装を着たおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、非番の兵士(踊る時も動きがシュピーンとしていた)、仕事帰りの警察官、小学生くらいの子供、日本の若者とほぼ同じファッションに身を包んだ若い女の子、男の子、80年代に流行った某ジャ○ーズ系アイドルグループのようなローラースケートで華麗に走る少年たち、革ジャンでバリバリにキメたお兄ちゃん・・・
そんな人達が、ひとたびチベットのダンスミュージックが流れれば本当にのびのびとしたいい表情で踊る。少なくとも、その瞬間だけはいやなことを忘れて底抜けの明るさを見せているんじゃないかと思う。なんというか、生命力を感じる。
ソナム、いよいよエキサイト。やはりいつの間にか消えていたのだが、興奮した掛け声ですぐに見つけることが出来た。よっぽど踊りたかったんだろうなあ。やがてソナム同様に興奮した男たちの掛け声が聞こえ始めた。馬の鳴き声に似た声が広場でちらほら上がる。気持ちの良い歌声が聞こえる。ステキな笑顔が見える。
私自身は、踊るよりそれを見ているだけですごく楽しくて幸せな気分になれた。7年前同様、彼らの表情に癒される。チベタン達の遺伝子には、歌や踊りに対してほぼ脊髄反射するようなプログラムが何世代もかけて組み込まれてきたんじゃないかと思う。多分。
(後にこの仮説が本当ではないかと思える出来事に遭遇する)
踊りが終わった後は、ソナムの友達の女の子二人とおしゃべりしつつ、ダンス音楽のCDを探したり(VCDしかなかったので結局買うの辞めたのだが、後にyoutubeで発見)、ソナムの帽子選びを手伝ったりしながらぶらぶらとホテルに帰った。みんな、ありがとう! 大冒険でファンタスティックな1日でした。

※資料
一つ目の会場(旧市街)での踊りの様子(明るいけれど北京時間の夜7時か8時 去年のもの)
2つ目の会場での踊りの様子(去年)

旅行記はちょいとここで一区切り。次回は一たん別の話題を書きます。出来るだけ早めに書いた方が良い気がするものがあるので・・・

2007年5月 8日 (火)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その5

※写真・補足はリンクをクリック。 雲南の地図はこちら

白水台
車酔いをしている間の記憶は、あまり残っていない。ただ、ゼーゼー言いながら薬を飲んだことだけは覚えている。母が言うには、「白目を剥きながら異常な呼吸をしていた」そうだ。それはさぞかし不気味だっただろう。1時間半ぐらいはそんな有様で、そのうち薬と下り坂のお陰か少しずつ楽になっていった。
やがて車は目的地付近のゆるやかな谷あいの集落に出た。ここで昼食。よろよろと車を降りて、食堂に入る。客は私たちだけのようだ。おかみさんと娘さんが人数を確認して中華鍋を振るい始める。中国のガスコンロはゴウゴウと強力な火の音が聞こえる。食堂に暖房は効いてない。気温は多分10度位。
裏手のトイレへ行くと、チベット族(チベタン)ではなくナシ族の服が干してあった。ここら辺はナシ族が多いってソナムが言ってたっけ。ぼーっとした頭で思い出す。それもそのはず、白水台はナシ族のシャーマニズム【トンパ教】の発祥地。年に一度、ナシ族のシャーマン【トンパ】が白水台の周りで神聖な儀式の踊りを奉納をする聖地なのだ。
食堂でやかんに入ったお茶を何杯か飲むと、とても楽になってゆくのがうれしかった。じっとしている分には平気になったので、料理が来る前に車に積まれた大きなトランクをチャオシンに出してもらい、そこから衣類を引っ張り出し、男性陣には席を外して頂いて、母と食堂の隅っこでトランクを衝立に防寒強化。ももひき万歳。はしたない? それより命の方が大切。
今回私に高山病の症状が出たのはこれっきり。前回は3日間ほとんど死んでいたが、今回は90分程度半殺しになるだけで済んで本当に良かった。
着替えが終わってトランクを再び積みこんだ頃、丁度料理が運ばれてきた。メニューはジャガイモを細く切って多めの油で焼いたもの、トマトと卵の炒め物、豚肉ときくらげとねぎのピリ辛炒め、えんどう豆の葉っぱの炒め物、鶏肉と豆の炒め物、豆腐入りのスープ、ご飯。どれも味の素なんて使っていない。野菜は無農薬。「この肉はついさっきまでそこらへん歩いてましたよー」とインド訛りの英語で笑いながら朗らかに言うソナム。そう。ここはそういうエリア。日本とは違う。〆たばかりの鶏は、きっとおいしいだろう。実際、おいしかった。
私はさっきまで白目をむいていたとは思えないほどもりもり食べた。トマトと卵の炒め物、通称「トマト卵」は以前のチベット旅行でも良く出された一品。懐かしい。チベットエリアは標高が高く沸点が低いので、米を炊くと日本の倍近く時間がかかる。そしてまずい。それがチベットに来た実感を持たせてくれてとてもうれしい。もりもり食べつつまずいまずいと言いながらニヤニヤしている私はきっと気持ちが悪かっただろう。
母はご飯が食べられなかった。父はご飯を1杯、私とチャオシンは2杯、大柄なソナムは3杯食べた。

食後はお待ちかね。4km走って白水台に到着。山の斜面のそこだけ木が生えずに白い石灰岩の地形が露出している。遠目にも不思議な光景。入り口にはナシ族の皆さんがたむろしている。遊んでいる子供、毛糸つむぎをしているおばあさん、おじさん、子守をしているおばさん・・・彼らを見ながらまず階段を上る。空気が薄いのでちょっときつい。階段を上って後ろを振り返ると、美しい村の風景が目に飛び込んできた。ナシ族の村だ。ハアハア言いながら写真を撮る。観光客は来るけど、観光開発まではされてない。そんな過渡期にある村なんだろう。のどかな光景も、いつか変わっていってしまうのだろうか?
入り口の階段から白水台の見どころまでは、更に緩やかな上り坂が1km近く続いている。ちょっとげんなりしているところへ、ナシ族のオヤジがやってきて私に声をかけた「馬乗らないか?」
たむろしているナシ族の皆さんの多くは、観光客相手の馬引きさんだった。病み上がりの私と、同じく息切れが激しい母は大事をとって乗ることにした。多分観光地値段だろうけど。
オヤジ「1人20元だ。2人なら40元」
私「・・・2人で35元なら乗っt」
オヤジ「よし!」
即交渉成立。オヤジ、こっちが値切る額を見越していた。さすがだ。
馬に乗るのは久しぶり。チベットでの記憶を手繰り寄せ、何とか一人で乗ることが出来た。オヤジに褒められた。馬はさすがに楽チンだ。人が身体を動かすと、どれほど酸素を消費しているかが良くわかる。私は馬の首につけられた鈴の澄んだ音が大好きで、だから余計に気分が良かった。母もリラックスしている。一番高山病を心配していた父が一番元気で、今まで何の異常も訴えず、普通に坂を歩いている。
見どころのすぐ手前で馬と馬引きは帰っていった。上り坂だけのビジネスらしい。
まずは水に溶けた白い石灰岩が水が流れるうちに長い間堆積して作られた白い岩の塊(小山)を根元から見上げる。塊のてっぺん部分は水による侵食で池になっている。塊の中腹部分は棚田のようなプールになっていて、そこから少しずつ水がこぼれていた。私たちがいる根元の部分には、祠があった。すると、どこからか一人のおじさんが出てきて、ソナムにうれしそうに声をかけた。ソナムも親しげにチベット語で応える。知り合いらしい。このおじさん、祠にお参りする観光客へお線香を売って御祓いをするビジネスをやっているらしい。白水台に観光客が訪れだしたのはここ2,3年だから、おじさんはそこに目をつけてベンチャーを立ち上げたのだろう。祠もおじさんお手製か? ちゃっかりとたくましい。路上やキャンパスでおもむろに店を広げていた頃を思い出した。最近は余りやらなくなったが、地元のお花見シーズンだけは今年も店を出していた。親近感を感じて、私も2元でお線香を買い、お参りと御祓いをしてもらう。心の中で誰にともなくチベットに行ってから今までの報告と、お礼を言った。飛行機の待ち時間に色々思い起こさなければ心の中でもここまでスムーズには出来なかったと思う。偶然にもチベタンの御祓いなので、丁度良い。
遊歩道を上へ登る。登り終えると、確かに聖地と呼ぶのにふさわしい光景が広がっていた(写真)。
徐々に晴れてきて、水の色がどんどんきれいになってゆく。この光景はケータイのカメラだけでは画面が小さくて勿体無いので、父のデジカメを借りてソナムも入れて記念撮影した。
この時は私たちのほかに、中国人のカップルが一組見物しに来ていた。中国人・台湾人は共に、写真を撮る時はばっちり演技派のポーズをとる。そのカップルも例外に漏れず、両手を大きく広げてポーズを決めていた。日本人はどこに行ってもほとんど直立不動なので、彼らからするとつまらなく見えるようだ。ソナムにカメラを渡して撮ってもらったら、細かくポーズを指示されたw しかし自分が写真に写る時はいつも恥ずかしがってポーズをとらないw

帰りはゆるい下り坂なので、とても楽だった。景色も楽しむことが出来た。谷の畑では裸麦が育ち始め、山の上の方にある畑はもう少し温かくなったら耕す。斜面の段々畑やパッチワークのような畑が美しい。天気が晴れてくると、かなり温かい。売店でペットボトルのアイスティーを買った。すると、胡桃売りのおばさんがやってきた。確か行きにも売りにやってきた2人組みのうちの1人だ。今度は私たちが日本人と知って日本語で挑戦してきた。「カルミ、カルミ」と言ってるから正しい発音を教えてあげた。かなりしつこく営業してきたが(恐らくそうすると買ってくれる日本人が多かったのだろう)、私達はさっき食事をしてお腹がいっぱいだったので、買わなかった。・・・今度から正しく発音すると、もっと売れるよ。

帰りもまた、とぐろを巻いたりのたうっている蛇のような山道を進む。途中のトイレ休憩は雪の峠の「ナチュラルトイレット(byソナム)」(写真の雲に隠れている辺りにて)。さらに、少数民族の一つであるイ族の人々ともすれ違った。彼らは地域によって民族衣装が少しずつ違うが、私たちがすれ違った女性はエリマキトカゲのような黒地の巨大な頭飾りをつけていた。※資料(電網写真館より)
恐らく黒イ族。イ族の中でも支配階級の人々の末裔だろう。大学時代に受けた講義を思い出して血が騒ぐ。
シャングリラ郊外に戻った時、父が少し気分が悪いというので、一旦トイレ休憩。「車酔いだと思ったら高山病みたいだ」とのこと。標高が下がってから気が付いたらしい。薬を飲んでもらう。トイレ休憩の途中、路上に見事なヤク(毛の長いウシ科の生き物。高地にしか生息しない希少動物で、チベット人たちの家畜)が悠然と歩いてきたので、高山病が治りたてなのに思わず駆け寄る。ヤクは「も?」と振り返る。素晴らしいショットが撮れた。ひざに手を当てて呼吸を整えていると、向こうから少年達3人が歌いながらやって来る。様子を見るに、どうも彼らがこのヤクの飼い主らしい。仕事を終えておうちへ帰るところのようだ。コンクリートの道に昔ながらの光景が残っていた。

そんなこんなで6時にシャングリラの街に着きホテルにチェックイン。普通ならここで今日の観光は終わりだが、私はどうも現地の人とのふれあいが物足りないと感じていた。夕食まで1時間半あるため、近くにバター茶を飲ませるチベタンカフェがないかとソナムに相談した。ソナムは、「夕食後なら案内できる」と言った。
それならと夕食まではホテル向かいの市場でトホホな犬を撮ったり部屋でおとなしく旅日記をつけることにした。
実は夕食後、チベタンカフェよりも面白いところに連れて行ってもらえたのだ。

続く

2007年5月 7日 (月)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その4

香格里拉
雲海を抜けると、そこは雪だった。
見渡す限りの黒い山襞に、粉砂糖のような雪化粧。ああ、あの山には人が住んでいる。チベットの家だ!
飛行機が旋回してやや横に傾くと、視界にそれらの光景が迫ってくる。黒い森に包まれた山の波が気の遠くなるような向こうまで続いている。そして幾つかの襞では、人が大昔から暮らしている。鳥肌が立ってきた。あの光景は決して忘れられないだろう。本当に圧倒されるような景色を前にすると、素人はカメラの存在を忘れるものらしい。無意識に窓におでこをくっつけて「うわー」とか「ひゃー」とか「すごいすごい雪!」とかうるさく声を上げてしまった。後ろに座っていたチベタンが目を覚ました。
「なんだなんだ?」「何が見えるんだ?」と通路をはさんで中央列の乗客(中国人観光客)達は窓の外が気になって、既にシートベルト着用サインが出ているにもかかわらず、つい立ち上がって窓を覗き込もうとする。そして客室乗務員に怒られる。

やがて山々が途切れ、平野と田畑と集落が見えてきた。空港は本当に真っ白だった。香格里拉(シャングリラ)空港到着。今度こそ現地ガイドが待っているはずだ。
防寒具をしっかり着てタラップを降りると、ちらほら粉雪が飛んでくる。寒い。素早く写真を撮ったら、さあ暖房が効いた暖かい空港の建物に入ろう。
空港の建物の中は、寒かった。トイレはそれ以上に寒かった。暖房が効いていなかった。理由は、「現地の人は寒いと思ってないから」
出口に出ると、ガイドはすぐに見つかった。外見でチベタンだとすぐに分かる。ガイドの名前は「四郎」と書いてソナム。インド訛りの英語を話す。私と同い年だ。体が大きくてぼさぼさの髪が、ムックを連想させる。これから車で一つ目の観光地、白水台へ(空港から100km)。運転手はナシ族の青年チャオシン(21)。若いけどドライビングテクニックは「さすが!」。チベットの山道(数百~千mの断崖でもガードレールは無い)を、雪だろうが霧だろうが夜だろうがそつなくこなす。これから二人には、チベットエリアの観光全てをお世話になる。(右がソナムで左がチャオシン

白水台道中
車は一路白水台へ。最近整備されたばかりの観光道路を行く。
チャオシンはお気に入りのポップスをかけて運転する。私たちはソナムと談笑する。「昨日まではひどい天気だった。あなた達は今日来れてラッキーですよ」とのこと。シャングリラの街中に入ると雪も解けていて、あちこちの看板にチベット語が書いてあった。イスラム教徒の回族の店もある。民族衣装の人が自転車に乗っている。エキゾチックだ。あちこちで工事や取り壊しをしている。「政府が観光開発に力を入れているので、古い建物はどんどん壊して新しくしてる」
やがて山道に入ると、再び雪景色。アップダウンが激しくなり始め、山を回りこんで高度を上げていく。平地にあるシャングリラの街が標高3300m。幾つかの峠は富士山より高いだろう。それでもチベットエリアの平均標高よりは低い。
「チベット」と聞くと荒涼とした大地や木があまり生えない岩肌の山々を連想しがちだが、雲南のチベットエリアは原生林が存在している。そんな原生林の中を車は進む。雪が積もっているというのに、八重桜のような花が咲いていた。
しかし、寒い。平地はそれほどでもなかったが、山に入るとものすごく寒い。「今、チベットは冬と春の間。冬は終わったけど、本格的な春じゃない」とソナム。車の外と中の温度差が大きいとフロントガラスが曇ってしまうため、車内は余り暖房が効いていない。しかも運転席(左ハンドル)の窓ガラスがいつも3/1ほどあいている。チャオシンは薄手のブレザー1枚で風に吹かれながら平気な顔をして鼻歌交じりに運転している。そんな状態で峠と谷をいくつも越える。
峠と谷の標高差は日本では考えられないほどだ。峠は真冬谷の集落は初春
くねくねくねくね・・・・・・急カーブやアップダウンを繰り返すうちに、恐れていたことが起きた。車酔いだ。うぷ。車に酔うと、呼吸が荒くなる。普段より酸素消費率が上がるようだ。標高の高い場所で酔って酸素消費率が上がるということ。それは、例のアレ、高山病になりやすいということだ。以前チベットに行ったとき、私は風邪を引いたことがきっかけで高山病になり、風邪の症状と共にリンク先の四角く囲った部分の症状が全部出た。小さな診療所で点滴(備品不足のため、女医さんがそこらの石で壁に釘を打って点滴を吊るした)を受け、何とか回復した。「山の上でじわじわ溺れていく気分」といえば分かるだろうか? 高山病の3日間は死んでいる気分だった。
現在はダイアモックスという薬や、現地で手に入る紅景天というチベットの薬草を使った薬が高山病対策として使われることもある。私たちも今回はダイアモックスと以前現地で手に入れた紅景天を持っていった。

私の呼吸はどんどん荒くなる。気持ちが悪いわ目まいはするわ息苦しいわでわけがわからない。出来るだけ一呼吸で沢山の酸素を吸い込むと、その分疲れてきつくなる。しかし沢山酸素を吸わないと高山病に。だがいつかは力尽きてあまり息を吸い込めなくなるのは時間の問題。これ・・・は・・・高山病・・・確・・・定・・・・  ・・・

続く

2007年5月 5日 (土)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その3

※写真・補足はリンクをクリック。 雲南の地図はこちら

昆明空港
2時間近く待っても、飛行機は飛ばなかった。待ちぼうけ。確か昨日も似たようなことが・・・嫌な予感がする。だめだめ。余計な想像はすまい。
待っている間、学生時代にチベットへ行った時のこととその後のことが色々思い起こされる。
英語を勉強中だった成都の大学生、車窓の風景、馬しか通れない道、夏の雪山、山から落ちてきた冷たい空気、風邪、高山病、よれよれになった時に優しくしてくれて、後でゲームや冗談で一緒に盛り上がった素朴な馬引きさん達(うるさすぎて山小屋管理のお坊さんに怒られたw)、小さな診療所での点滴、競馬祭、草原に広がる無数の白いテント、男たちの勇姿、そこらへんに座っているとガイドブックを興味深げに覗いたり(載ってたカイラス山の写真を拝んだり)、「どこから来たの?」と話しかけて来る人懐こい通りすがりのチベタン達、突然私の年齢を尋ね、答えると満足して道の向こうに去っていった謎のおじいさん、私の水筒を酒瓶と勘違いして取り囲んだいかつい酔っ払い達(腰には短刀)、二胡の録音を快く許してくれた名前も知らないおじさん、「俺達を撮れ」と豪快に、或いはシブくポーズを決めた男達、「店仕舞いするから良ければ残ったヤツ食べちゃって」と言って激辛の串焼きをくれた屋台のお姉さん、お寺のお坊さんと小坊主達、滞在中、凄く良くしてくれた友人とその親戚の皆さん・・・
数え上げたらきりがない。みんな今の私を作った愛すべき宝の思い出。暗い発想や引っ込み思案が治り、人と交流する楽しさを知り、直感力が上がり、人を恐れず、自分のやりたいことをするのにためらわなくなった。それで自信が付いた。それがなければ占いなんて始めなかったし、占い師になるなんてまともに考えもしなかっただろう。
今私が当たり前のようにやっていることは、あの頃収得したものばかり。今や完全に私の一部になっていてうっかり忘れていたが、思い出すことが出来た。これからもあの頃得たことは決してムダにはしない。
飛行機を待つ間の時間は、とても意味のある時間になった。色々思い返す時間が出来てよかったくらいだ。
一人で胸が熱くなっていると、お待ちかね!何とか向こうを飛び立てた飛行機が到着した!
皆続々と乗り込む。と、そこでまたトラブル発生。うーん、なかなか行かせてくれないなチベット。ある家族のチケットに不具合があり、彼らと係員との間で押し問答が続く。そのうち家族の中の小学生位の女の子が泣き出した。その後も長い間押し問答が続き、係員達はあちこちに連絡をとり、駆けずり回る。私はまたもや今までのことを思い返す。チベット旅行での体験が占いのアイデアと実行の勇気を生み出す素地になり、まずキャンパスで占いをはじめ、チベットへ行った翌年のインド・ネパール旅行でさらにその路線に磨きがかかり、タロットと出会った。
インド・ネパールでの思い出(チベット難民との交流含む)。そしてタロット占いを始めた頃の思い出、プロになってから今までの思い出。・・・それが終わるころ、チケットの問題は何とか一件落着。みんな乗り込んできた。よかったね。
飛行機が滑走路をぐんぐん走り出す。スピードが上がるにつれ、何とも言えない感謝の気持ちがこみ上げてきた。風圧が窓に付いた雨粒を吹き飛ばすと、私の目からも涙が2粒こぼれた。
やった! 飛んだぁ! 会いに行くよ。会いに行くからね。私の恩人。

続く

競馬祭の動画を発見

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