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2007年4月

2007年4月30日 (月)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その2

※写真・補足はリンクをクリック。 雲南の地図はこちら

昆明
いよいよチベットエリアへ行く日。私は高鳴る胸と悲しげに鳴くお腹を押さえていた。高鳴る胸は雲南チベットエリアにして着陸地の新興観光都市「香格里拉(シャングリラ:旧中甸。中国政府が名前を変えた)」に向かって既に羽ばたいていたのが、お腹の方は「お腹がすいてもう飛べないよ」と言っていた。このままでは墜落してしまう。
早朝の空港。外はまだ薄暗い。ゲート手前の売店はどこも開いてない。ゲートの向こうで何か食べ物を入手できないものかと徘徊する。売店は無人・・・お! あっちで娘さんたちが鍋をかき回したり、ザルを用意している。机と椅子が置いてあり、メニューには「米粥、マントウ(蒸しパン)、水餃子、米線(お米のヌードル)」と書いてあった。すばらしい! 皆さん朝早くからご苦労様です! 「もう開店してますか?」「開いてるよ」
ってことで、米線を3人分注文
一人28元というのは現地の物価と照らし合わせると非常に高い(安宿なら一人30元で泊まれる)けど、温かい食事にホッとする。 さっぱりとしたスープとピリ辛の挽肉に、香菜やニラ、モヤシなどが良く合う。麺はお米で出来ているので、消化が良い。米線は雲南省の代表的な朝食のようだ。この先どこに泊まっても(バイキング形式であっても)必ず用意されていた。
お腹も満足したところでゲートでまったりと待機する。人が増えてきたなと思ったら搭乗時刻。全員バッジと赤い帽子をかぶった団体様ご一行とタラップまでのシャトルバスに乗り込む。『おおお7年ぶりのチベットエリア! 』と一人防寒具を握り締めて興奮していると、あ、あれ?・・・シャトルバスは空港を一周して帰って来てしまった。団体様のチケットを見せてもらうと、やはり同じ便名。何があったのだろう?
再びゲートで待機。団体様ご一行は空港常設のお湯サービス(赤い蛇口をひねるとお湯の出るタンクが紙コップと共に部屋の隅に設置してある)を使ってカップ麺を食べ始めた。館内放送では、天候が悪いと繰り返し言っていた。念のために詳細を筆談で係員に問い合わせる。こうすれば万が一飛行機が飛べなくて複雑な手続きが必要になった時に、やり取りがそのままメモ代わりになるから、確実だ。
私(日記帳をかざして)『5929便はまだ飛びませんか?』
係員「(中国語を)聞いても分からないのに読めるの?」
私「・・・読めるんです」
係員「(隣の同僚に)あら。聞き取れないけど読めるんだって」
外国語を勉強する場合、日本人はヒアリングよりリーディングが得意な傾向にあるようだ。特に漢字を使う中国語は、その傾向が強い。筆談の結果、『現地の天候不順で50分遅れる予定です。このままお待ち下さい』とのこと。昆明~香格里拉間は飛行機で40分。陸路ならくねくねした山道が丸一日続く。チベットエリアの天気は基本的に山の天気。スケジュールにはこういうことも想定して朝一の便が選ばれている。
フライトを待つ間、私たちもお湯サービスを利用してホテルから持ってきたティーパックの紅茶を飲みながら、「向こうは猛吹雪だったりして(笑)」などと冗談を言い合っていた。
・・・が、冗談では済まなかった。

次号、果たして私は無事チベットエリアに飛べるのか?

2007年4月26日 (木)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その1

※写真・補足はリンクをクリック。 雲南の地図はこちら

成田~広州
成田から広州までのフライトは全く何の問題もなかった。お天気も良く、飛行機の窓からは長江の河口が見えた。今回はこの河の上流にも行くんだなーと思いながら少しうつらうつらしていたら、まずは広州に着いた。
広州から雲南省の省都昆明への乗継まで4時間。旅行社のスケジュール表には現地係員と落ち合うようなことが書いてあったが、2時間近く待っても誰も来ない。おかしいと思って昆明の現地デスクに電話したら、「自力で乗り継ぎすることになってます」とのこと。スケジュール表を見直すと、「広州で現地係員が迎えに来る」と書いてあるのに(日本でもそう言われた)、最後のページをめくったら「国内線の乗り継ぎは自力で」とも書いてあって非常に紛らわしい。あわてて手続きを済ませる。広州は暖かく、空港はモダンなデザインでとても広かった。トランクを押しながら駆けずり回って汗をかく。そんなプチスリルのあとはほっと一息。南国の果物なんぞを食べながらまったりする。
甘いマンゴーを豪快に喰らいながら旅日記をつけていると、搭乗時刻。
今回は私の両親も一緒。両親は最近日本でも人気の麗江に興味を持っていた。しかし、鳥インフルエンザとSARSのため、断念していたのだ。私はといえば、数年前から資金をためつつ情報を集め、ネットで見つけた小さな旅行社が売り出していた(中国の旅行社が下請け)現地ガイド&運転手付きのややマニアックな安い雲南ツアーに注目していた。そこには中国政府が最近観光開発に力を入れている雲南のチベットエリアと、麗江南詔国の古都大理も日程に含まれていた。しかし、やはり同じ理由で断念していた。
SARSも鳥インフルエンザも鎮まった今回、私は「万が一現地ガイドと言葉が通じなくても、観光する程度の中国語ならわかるから」と2人をそのツアーに誘った。
申し込んだのは、私たち3人だけだった。

昆明
夜に昆明へ到着。ココでやっと現地ガイドと落ち合い、ホテルに送ってもらう。ガイドは岳さん(25)。雲南の農村出身だが難関を潜り抜けて奨学金を手に入れ、遠く離れたハルピンの大学で日本語を学び、卒業して2年。最近奥さんも貰った。すばらしい。しかし、少しおっちょこちょい。だが憎めない。手相を見せてもらったが、ヴァータ体質だった。結婚運が良さそうで何より。
今日は昆明に泊まる。次の日は朝早く起きて雲南のチベットエリアへ飛ぶ。学生時代に四川省のチベットエリアを旅したときもそうだったが、基本的に日本からチベットへたどり着くには、片道最低2日かかる。
早朝、ガイドと共に空港へ。ホテルが空港で食べられるようにと朝食のお弁当を用意してくれているという。いよいよチベットエリアだ。向こうで別の現地ガイドが待っている。岳さんとは帰りに昆明で再び落ち合う。税関の手続きを済ませると腹ペコなことに気が付いた。お弁当を食べよう。
税関にて:
私「岳さん。お弁当は?」
岳さん「ア、ごめんなさい。わたしホテルに忘れちゃた☆」
岳さんは、税関の透明な隔壁の向こうで、申し訳なさそうに手を振った。

・・・続く

2007年4月23日 (月)

占い師の旅路~序章~

占い師になることを決意した時、一つの夢を持っていた。それは、「占いで稼いだお金で大好きなアジアを旅すること」。というのも、私が「占いの店を開く」「占い師になる」といった発想をするような人間になれたのは、学生時代のチベット旅行がきっかけ。それからインド、ネパールに行ってさらに磨きがかかった。アジアにハマった。
その後、路上やキャンパスで占いをし、数年かけて集めた小銭を銀行に持っていき(凄く重かった)お札に換え、それを使って台湾へ卒業旅行に行った。
そのときは初めて一人で海外個人旅行。大学で習った片言の中国語を使い、いろんな人に出会い、助けられ、友達を作った。屋台で色んなものを夢中で食べ、安宿で眠り、朝は公園で太極拳や健康体操の集団に混ぜてもらった。ご年配の方に日本語で道を教えてもらったり、貸し自転車屋のお兄ちゃんにホテルまで送ってもらったりもした。長距離バスを使い、車窓の南国の風景に見とれたり、荷物をバスに忘れてあわてて最寄のターミナルへ戻ったり、屋台で食べた貝料理に当たって凄まじい食中毒を起こしホテルのトイレに閉じ込められたり、国際電話でアーユルヴェーダの先生に応急処置を問い合わせて持参したヒマシ油を飲んで復活したりし、おなかが治ったあと台北の屋台で食べた酸辣水餃がめちゃくちゃおいしかったり、足裏マッサージをしたら足の裏の腸のツボがすごく痛かったり、台湾の占い師に「これから占い師になるつもりだ」と告げたら、「あなた占い師に向いてる。お互いがんばりましょう」と言われたり・・・どれもいい思い出だ。当時、自分が占いをした事によってこういった体験まで獲得できたことがとてもうれしかった。それが占いをするモチベーションの一つに加わった。
好きな仕事で得たお金で好きなことができれば、好きな仕事がもっと好きになる。仕事と旅行の間にはきっと良い循環が出来るに違いない。
今回もまた、「占いをしてきたお陰でステキな旅が出来る」という状況を期待していた。そしてもう一つ、自分の中にある迷いや行き詰まりを解消し、モチベーションをリフレッシュさせたかった。
行き先は中国雲南省三江併流地域とその周辺。
雲南省は夏でも雪の降る高原から東南アジアのような熱帯まで存在する。イ族、チベット族、ナシ族、ペー族、リス族、ハニ族、タイ族などなど、様々な少数民族の暮らすエリアでもある。これからその旅行記を書いていこうと思う。
占い師の旅路、はじまり。はじまり。

2007年4月21日 (土)

占い師生還しました

旅の後片付けも終わり、本日の登戸の占い商店会は通常通り営業します。旅行記や旅の写真も近々UPする予定。今日はその中のステキな写真を一枚、登戸の占いブースにも貼ろうと思っています。

2007年4月 9日 (月)

行ってきます

以前に書いた通り、明日、占い師を志した頃からの夢を叶えに出発します。
現地ではポケットにつっこんだケータイの持つ可能性の限界に兆戦。景色だろうが生き物だろうが麺類だろうが、気に入ればガンマンのようにコンマ0.3秒で何でも撮る予定。

※一例

2007年4月 2日 (月)

申し分のない誕生日祝い

Cake_1

本当の誕生日は今日だが、昨日、偶然が重なった末に誕生日祝いに花見と商売と人生論と飲みをチャンプルーしたステキな時間を過ごすことができた。
占いをする者として、一つの生きがいを見出した者として、早急に原点を取り戻す(立ち戻るんじゃなくて、今までを教訓や実績にした上で取り戻す)必要があった時期に、自分の原点を思い出させるような体験を出来た。
占いをさせてていただいたお客様(団塊世代の気持ちよく酔ったおじさん、イチゴをくれた女子大生、母校OB)、誕生会参加者の皆さん、ご馳走してくれたqさん、どうもありがとうございました。

今日買ったティーカップは良い記念。

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