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2005年7月

2005年7月26日 (火)

占い師AYAの冷製パスタ

pasta

今日、台風情報を見ようとテレビをつけたら料理番組をやっていて、冷製パスタを作っていた。あの手のパスタは冷やしすぎると美味しくないらしい。なるほど。インド医学でもあまり冷たい食物は身体に良くないと考えられている。アイス好きだけど。料理番組を見ていたら私も作りたくなってしまったので、自己流で冷製パスタを作ってみた。

まず、トマトを刻んでクレイジーソルト(或いは塩)とおろしにんにく、砂糖を適量混ぜておく。オリーブオイルを熱しバジル(または青じそ)とこしょうを入れ、香りが出てきたら熱いままさっきのトマトにかける。そして混ぜる。
更に調子に乗って、だいぶ柔らかくなって来て早く食べた方が良さそうなアボガドと、しょうゆをかけておいたお買い得マグロをさいの目に切って、さらに二つをわさび醤油で和えたものを用意。

パスタを茹でて、2回ほど水を変えて浄水機の水にさらす。氷は入れない。すると、水と同じ温度のパスタが出来る。すぐにさっき用意しておいたもの(トマト、アボガド、マグロ)を全部合わせてパスタに和え、しょうゆで味をととのえ、小ネギを散らして出来あがり。

やばい。美味。本当は誰かに教えたくない気もして、写真まで撮ったけど記事にしようか迷った。パスタにトマトだけ和えて「アボガドまぐろわさび醤油和え」は上にトッピングしても○。

2005年7月21日 (木)

早くも梅雨明け

梅雨明けということで、暑中お見舞い申し上げます。
今年の夏も色々ありそうですね。
夏ばて防止には冷たいものと一緒に食事を摂らないこと。冷たいものはそれだけ単独でほどほどに頂くことです。

suikana

2005年7月18日 (月)

出会いのない人

「出会いがない」と嘆く人々の中に、毎日同じ行動範囲と交流範囲のなかだけで過ごしている人達が結構多いようだ。毎日同じ事をして、ほぼ同じ人と顔を合わせることの繰り返し。同じ時空で、同じことの繰り返し。変わり映えがあまりない毎日。何かに打ち込んでいていてそうなっているなら、自己実現のためにそういう生き方をしているならまだ張り合いがある。今回取り上げるのは、特にこれといった理由もなく惰性で代り映えもなく張り合いも特にない毎日を作ってしまっている人々。無意識にそのことがストレスになっている場合もある。そんな毎日を恋人に変えてもらいたくて出会いを求める人もいる。「この歳で恋人がいないことが恥ずかしい」と結局は恋愛を口実に自分で自分を貶めている人もいる。時には「休日は家にいるだけ。特に興味のある物事もなく、趣味もない」と言う人もいる。
毎日同じ行動範囲と交流範囲のなかだけで過ごしているため、他の誰かと接触・遭遇する運が入りこめるだけの時空の隙間がない。平たく言うと、変わり映えのない毎日は、変わり映えのない運勢を創る。
そこに変化を引き込むには、いつもと違う場所へいく。いつもと違う人に会う。いつもと違う事をする。最低でもそのどれか一つは実践すること。
こう書くと合コンをイメージしがちだが、行動が直接出会いに結びつくという発想ではなく、いわゆる開運法だと思ってもらいたい。いつもは行かない場所でその土地の人と二言三言会話を交わす、(道を尋ねるなど)、いつもと違う道順で家に帰る、普段あまり話さない人に「暑くなりましたね」とか世間話をふってみる。こんなことでも少しは運に新たな材料が加わる可能性がある。すでに合コンが習慣化・日常化している人は、合コンの前にやっておくのもいいかも。

同じ食材から作られる料理のバリエーションには、限界がある。

kuma2

2005年7月11日 (月)

無意識の検索~恋人たちの悩み~

人間、生きているうちに何かを選択する/何かを決めることがいくらでもある。ささいなものからこれからの自分を左右する大きなものまで。その際、どうしても決めかねるときに占い師に相談する人もいる。私は占い師として相談を受けると、まずのその人の話を聞き、その後で本人の無意識(或いは深層意識とか、ハイアーセルフという人もいるかもしれない)の領域から本人が本当はどちらに行きたがっているのか、何に意識を向け、どんなことを望んでいるか、といった大まかな傾向を引き出すためにタロットカードを使って検索作業のようなことをする。そしてカードに象徴的に反映された検索結果を本人に伝える。稀に「情報不足」と言う意味のカードが出ることもある。それは、本人が結論を出すには更なる情報や経験が必要であることを示す。結論を急がねばならないときは、速やかにそれを手に入れる必要がある、ということだ。
基本的に、その人が自分の中でどうあるべきかの結論を出す手伝い、というのが選択に迷った時の占いだと思って欲しい。決して占いが自分の代わりに正しい選択の答えを具体的に示してくれたり、占いをすれば自分は何もしなくても答えを保障してくれるとは思うなかれ。「どうしたいか」の真実はあなたにしかわからない。
これは結婚(恋愛)に悩む女性達にもしばしば共通する問題らしい。恋人や夫が自分の代わりに自分が満足する人生を創って欲しい。満足することをして欲しい。けれど、どんな人生なら自分が満足するのか、自分はどんな生き方がしたいのかは自分にもわからない。或いは自分が恋人とどんな付き合い方をしたいのか自分でもわからない。こんなパターンが隠されている悩みがよくある。このパターンに気付かぬまま「本当にこの人でイイのか?」という原因不明の不安を持つ男女もいる。マリッジブルーのような状態や、結婚が怖いという気持ちとも関連するかも。
自分がどうしたいのかわからないまま相手のペースに流されてしまい、不満だけが沈殿してゆく。相手は相手なりに恋人にとって良かれと思うことをしてみるけれど、それはあくまで相手が考えたことで、自分の満足とは違っている。不満が一定量に達した所で、こんな会話がなされることがある。
「どうして私をわかってくれないの?」
「君はどうしたいの?」
「何で私がいちいちそんなこと説明しなきゃいの? 私のことを愛しているなら言わなくてもそのくらいわかるでしょ?」
私以上に私のことを理解して、私の幸せを創って欲しい。幸せにすると保証して欲しい。そんな気持ちを抱えながら、自分にとっての幸せが何かわからずに焦る気持ちがカードに現れるケースもかなりある。「不満はあるけれど、どうしたいかがわからないから気がつくと文句ばかりになってしまう」「不満ばかり言うわけにもいかないからいつも我慢している」
そんな人には、まだチャンスがある。少なくとも、「これは自分の望みとは違う」ということはわかるのだから。文句や不満は裏を返すと無意識レベルではどうしたいかが漠然とでもわかっているからこその現象だ。まとまらず、自覚しにくい自分の気持ちに対しては、「好きなこと・興味のあること(したいこと)」「嫌いなこと・なりたくないこと(したくないこと)」をそれぞれ思い浮かぶままノートに書き出してみることをおすすめする。心境の変化があればその都度新たに書き出してみる。書き出されたものをその都度分析することで自分の傾向や移り変わりを知り、気持ちをまとめるのに役立つ。自分の良い面も悪い面もわかるかもしれない。

なお、上記の会話にもある「言わなくてもそのくらいわかるでしょ?」は女性が明らかに自分の答えを持っていて相手を試す時にも使われるセリフなので、男性諸氏は注意されたし。

2005年7月 6日 (水)

Hの低年齢化

性教育うんぬんとか、初体験の低年齢化とかがメディアでも時折話題に上りますね。Hが低年齢化してるから、避妊の知識も早いうちから教えないと、と言うことのようです。確かに、するならあらかじめ正確な知識を知っておいて間違いはないでしょう。ただ、最近の傾向だと「避妊の知識を教えた=あなたはそろそろHをする年頃ですよ」って意味ではないということをまず明示しておかないと、中にはとんでもない誤解をする子供が出そうです。いや、既にいるみたい。「中学生のうちに初体験は済ませたほうがいいらしい」「自分だけ遅れてしまうのは嫌だ」って・・・「早い方がいい」という風潮があり、それに対する強迫感のために済ませちゃう子もいるみたいですね。他に私が10代の子達の性の悩みに関する占いの相談で受けたもので多かったケースが、相手から求められた時に自分はまだそこまで想定していなかったものの、「嫌われたくないから」という理由で心が未熟なまましてしまう子。同じく未熟なケースでは、「SEXの相手がいない=自分に魅力がない=自分は愛されない=自分は価値が低い」なんていう考え方で強迫感とコンプレックスを暴走させ、出会い系で知り合った行きずりの男と済ませてしまう子。「身体」を愛情の代償として考えている子、或いは「身体」を切り札にして愛を求める子・・・ どれも、後で自分をひどく傷つけるかもしれません。
具体的な年齢や性別を問わず、メンタルな意味で相手と交際する上でHが何を意味するのか自分なりに理解しており、それ自体に意義(価値)を見出せるようになり、更にリスクや避妊や自分の行動に責任問題を含む相応しい知識と準備が出来ることがまず前提でしょう。無論相手も同じ前提をクリアしていることが自分にとって相応しい相手であることの前提です。性教育で取り上げられる「知識」というのは、そういったことが出来るように応援する知識であるともいえます。それは裏を返せば、本人にとって後悔する判断や相応しくない結果を防ぐための知識でもあります。

とはいえ、知識はただの「知識」。自分にとって、その「知識」を実際に役立てるには、いつがふさわしい時か。誰がふさわしいか。「ふさわしくない結果」とは、何か。それらが自分の中で分かるように育てることが、「教育」かも。

この、「ふさわしい相手」と出会い、「ふさわしい時」を迎える時期というのは当然、一律にくくることが出来ません。中学生の時点で既に「ふさわしい時」が来ちゃったり、「ふさわしい相手」ができちゃったりほど心身が成熟している場合が絶対に「ない」とは言いません。でも大半はそこまで大人じゃありません。それ故に流行(一律化され、時に成長途上の子供にプレッシャーを与えるような風潮)で自分の「時期」や「相手」を決めてしまう、流されてしまうという、ある種の「ふさわしくない結果」を招く危険が・・・ここら辺、性教育で何か出来ないものでしょうか?
自分のことは自分の中から答えや結論を引き出し、それに責任を持つ必要があります。それが大人へ成長していく上での一歩です。時期や相手は教育で一律的に教えることが出来ませんが、教育で「自分の中から答えや結論を見つける。それに責任を持つ」という発想に目を向けさせることは出来そうです。それが、成長を促すと言う意味では教育と言えるのではないでしょうか。
性教育で大事なことは、避妊などの物理的な知識だけではなく、自分に責任を持ち、自分で自分の性についての考えと理解を持ち、現時点での自分の答えを持つということを促す点でもあると感じます。

以前、某匿名掲示板にショートストーリーを載せたのですが、そこで私は語り手の主人公に十代前半の女の子に対してこんな見解を持たせました。引用すると、「心身ともに未熟なうちからの行為は、行為そのものに 愛を見出すのではなく、行為の代償として愛を求めるようになる。いつのまにか、 (愛を得るために)自分の身体を切り札にし始め、思い通りの効果が得られなければ勝手に自尊心を貶める。」
占いをやってて気付いたんですが、実はこのパターン、大人の女性にも当てはまることみたいです。また、時には肉体関係に限らず、恋人と交際していくうちに、愛情よりも何らかのストレスが上回るようになると、無意識にストレスの代償として愛を求めてしまうことがあるのではないでしょうか。俗に言う、「執着」ってヤツです。「私はあなたの為にこれだけの事をしている(これだけ犠牲になっている)のだから、それに見合う愛を貰うまでは離れられない」
年齢・性別はどうあれ、それ自身に相応の絆と価値、そして時期を見出せず、代償が必要な結果になる肉体関係。或いは、何かの代償に愛を求めるような交際。どちらも不毛ながら、人類の歴史上、非常に古くからあるテーマのようです。

2005年7月 3日 (日)

都知事選挙でしたが

種類を問わず選挙の投票率がだんだん下がってきているというが、選挙権やら清き一票うんぬんという話は抜きにして、選挙というのは単純に「自分で選ぶ/決める」ということのよい練習にはなる。それが苦手な人には。
以前、自分の腕を知るのと腕を磨くことを目的に路上で占いをしていた。「お代はお客さんに決めていただいてます」と言いながら。無論プロの相場を求めてはいなかった。占いを体験した後、お財布と相談して決めていただければ良かったのだ。当たり/外れを基準に。しかし、これがなかなか難しい。「皆さんおいくらくらい払ってますか?」という聞かれることが多かった。チップを払う習慣もないのでなおさら難しかっただろう。「決めることが出来ない」と言う理由で、「占いにはには興味があるけれどやめておく」という選択をした人も珍しくはなかった。それはそれで一つの選択だ。
自分でモノを決めるということは、難しい。
近いうちにこのテーマについてまた書いてみよう。

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