2018年10月10日 (水)

『都会とカップラーメン』から妄想

以下に書いたことは「心の飢えが本当の飢えを招く」「飢えの恐怖に抑圧され犠牲になってたもの?」といった今まで書いてきたこととかぶる内容で、個人的に頭を整理するための覚書として書いた妄想です。
久しぶりにブログ記事を書く意欲が湧いた奇跡w

某所で興味深いまとめを紹介してもらった。10代の頃に貧困を経験した方の体験談で、ご本人の分析が非常に鋭いと感じた。長くなるが、以下はそこから太字周辺を抜粋。
底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン


お菓子っ子 @sweets_street
カップラーメンを高いといえるような自炊能力は、既に文化資本なのですよ(´・ω・`) 自炊能力を身につけるためにお金や時間などを投資していますから。そういう投資をする機会がなくて、割高なカップラーメンと食べているというのが貧困ということなのですよ(´・ω・`)
(中略)お金に余裕が無いと目先のことばかり気になって、視野も狭くなります。「貧困」は世の中の色々なものを見て、その判断をするという視野の確保機会すら奪うんですね。選択の余地をなくした「貧民」は、袋小路にある底なし沼にハマり続けるしかない。

kaba35 @koba31okm
自分で作ったローコストでおいしいメシ食って暮らすってのは計画性や我慢が必要な習慣だからね。材料買えばできるってもんでもなくて道具や調味料一式が必要だから一旦カネと時間がかかるし、コスト下げるには食材を無駄なく使う必要があるからよく考えなきゃいけない。

お菓子っ子 @sweets_street
(中略)貧乏してると気持ちに余裕がなくて集中できないから、炊事洗濯掃除なんかには気が回らなくなるんですよね。そういうことをしてる暇があったらゴロゴロするか、ボーッとテレビ見て時間潰すか、あるいはゲームでもして時間潰す感じになります。(中略)気がついたら部屋は汚れ放題。脱ぎ散らかした服が散らばって、出してないゴミが溜まって、どんよりした雰囲気。こんな部屋の中でぼーっとしてると生ぬるい泥水に浸かってるような気分になりますね。我に返って荒れ果てた部屋を見回すと気が滅入るから、ぼーっとしてたほうが良いです
(中略)安いお金で長時間働いて、仕事が終わったら汚れきって淀んだ空気が溜まってる部屋に帰る。そんな生活をしてると、前向きな気持がどんどんなくなるのを感じましたね。仕事が無い時はお金もないから、汚い部屋の中でお腹すかせながら、何日もお風呂に入らずに汚れた服を着てずっとゴロゴロするしかない
(中略)家にいたらボーッとしてるだけだから、食事しようと思うとパッと行ってパッと帰れるファーストフードになるし、洗濯はお金入れるだけで洗濯から乾燥までやってくれるコインランドリー。生活に必要な物は思い立った時に何でもパッと買えるコンビニ。要は何でもその場で済ませることができる生活ですね
「すぐ買える安いものをパッと買ってパッと使おう」なんて感じでやりくりするライフスタイルにマッチしたのがコンビニであり、ドンキホーテでした。いつでも開いてて安物が何でも売ってる店は、生活に手間を掛けたくない人種には魅力的なんです。安物買いの銭失いの典型ですけどね
(中略)「貧乏なのに割高なカップラーメンを食べる」「安かろう悪かろうの商品ばかり使って、結局は損をする」というのも、お金の余裕が心の余裕を奪ってしまうからですよ。「貧乏でも心は豊か」とはなかなかいかないですね。生活を切り詰めれば切り詰めるほどお金がなくなるのは、今思うととても不思議でした

noa @aonoa_uky
@sweets_street (中略)「食材が安い時期・店を探す」「そこに買いに行く」「食材を器用に調理できるだけの能力を磨く」「実際に調理する」という時間とお金がなければ出来ませんものね。

お菓子っ子 @sweets_street
@aonoa_uky ええ。時間とお金をかけて、試行錯誤してようやくそれらが身につくんです。最近は「できて当たり前なのになぜしないのか」と無責任にそういう能力を身につけるコストを無視した意見が目立つので、持論を述べてみました
(中略)お腹がすいたら、普通は力が湧かなくてへたってしまいますよ?「うまいものを食べたい」とガムシャラになるのは、それでもへこたれない強い心身をもった人だけです。ハングリー精神で貧困から脱出したというのは、珍しいことだから賞賛されるんですよ

お菓子っ子 @sweets_street
@Tatsuyuko 「都市型の生活とは何か」を深く掘り下げないと、見えて来ませんからね。コンビニやドンキやファーストフードが重宝される背景と、貧困は密接なんですよ

◆コストカットとコストロス
貧困層は、自炊のための道具や材料揃えるコストさえ背負えずに自炊のコストよりも一度に払う金額がより低い(自炊より一食当たりの単価は高い)ファーストフードやカップ麺に依存して結局コストロスを起こし続け貧困から抜け出せなくなりうるということが分かった。
貧困は人間の視野を狭め、貧困の本質的な問題を自覚出来なくさせてしまいやすいようだ。
さらに、飢えの恐怖が発生することで「できる限り少ないエネルギーで目的を果たそうとする」本能も発動してしまい、それがさらに視野を狭めコストカットではなくエネルギーカットが優先されてしまう結果になる。思考や作業に時間をかける事や、広い視野に基づいた思考と行動を保つには、エネルギーが必要なのだ。
現代社会のライフスタイルでは、エネルギーロスを防ぐ本能が、結果的にもっと多くの様々なロス(損失)を招いてしまう。エネルギーロスを防ぐ本能が裏目に出て労働(自ら豊かさを創る行為)よりも万引き詐欺恐喝その他の犯罪行為・不正行為(=他所から奪う行為)を選んでしまうことさえありうる。スルガ銀行の不正の構図もそんな感じがする。効率化と混同した下手なエネルギーカット(コストカット)はエネルギーロス(コストロス)を招く。
飢えや貧困ゆえに「できる限り少ないエネルギーで目的を果たそうとする本能」が働いて自分で豊かさを創るよりも他所から奪うことを優先するようになれば、それが奪い合いや争い(=弱肉強食=共食い)の歴史を創っていく。以前このブログで書いた飢えの恐怖(そしてそこから派生する諸々)を動機と原動力に依存した人類史とも関係する話だ。
豊さを「創る(生む)」ことは、弱者から「奪う」よりもエネルギー(コスト)が要る。だから飢えてエネルギーカット(コストカット)が必要になる(=エネルギー不足・コスト不足になる)と、生み出せなくなって奪って賄うようになる。奪われ飢えた弱者達が集って強者になれば今度は奪ってきた側が奪われる側になり、奪い合いの構図が生まれ、生み出す力の回復と安定(根本解決)は後回しにされがち。エネルギー(コスト)食うから。
そう。根本解決よりも目先の手間暇コストの削減を優先してしまうのだ。まさに貧困層が貧困から抜け出せなくなる構図と同じである。飢えて狭まった視野の身には根本解決なんかどうでもいい。今この瞬間どこからどれだけ勝ち取れる(奪える)かが全て。

そんな世界では全員の視野が狭まっているし余裕もないので【皆で協力して簒奪者の抱える飢え(エネルギー不足)の原因解明と解決をし、そのデータやノウハウを広く共有し、簒奪者の抱える問題を他人事扱いせず『誰にも起こりうるリスク』と位置づけ再発防止やより良い社会づくりに役立てる】なんてことは思いつけないし思いついても実行できない。当然ながら簒奪者達自身がそんな解明解決プロジェクトになど関心を示さないし参加する意欲も持たない。「それより今すぐ食料と有り金を全部寄越せ」
(豊かさを創る力は創造性であり女性性である。人類史ではエネルギーカットしすぎたのか、この創造性・女性性が抑圧されがちだ。詳しくは男性的世界と地母神の再会を参照)

◆飢えの塔
このまとめを読んで、以下のような妄想が湧いた。
人々を愚民のまま搾取・支配したいのなら、文化的にも経済的にも貧困の塔に閉じ込めておくことだ。根本解決に無自覚・無関心になってくれればなおいい。
産業革命時代のイギリスは家庭食文化を大幅に衰退させいわゆる「メシマズ国」になることと引き換えに、多くの国民を貧困に落とし込むことに成功した。
都市の労働者達は共働き低賃金の長時間労働ゆえに家庭では本格的に料理する余裕を奪われていった。視野も狭くなっていって広範囲の事を考えることが出来なくなっていったかもしれない。
潜在意識に刷り込まれた慢性的な飢えの恐怖は人々の視野や頭の回転を妨げ愚民にしてくれる。
そんな両親の中で育てられる子供達・・・教育格差以前の問題だ。当然、階級社会・格差社会の固定化に拍車がかかる。しかも、飢えた時に目先の安易な合法的解決手段が見つからなければ、目先の安易な非合法手段(犯罪)へ走る可能性だって高くなる。当然治安は悪化する。争いが生まれる。

問題解決能力の貧困化は「解決よりも目先の憂さ晴らし優先」する心理を招き、妬みから他者の足を引っ張る心理も生まれる。周囲が平等にそのような貧困状態なら、人々は自分達の貧困を強く実感しないままでいられる(目を背けていられる)が、身近な者がいざハングリー精神で成功すれば抜け出し方が分からない(抜け出せないと見える)己の貧困と絶望を改めて思い知らされ、それを怨む心が「妬み」となれば、そのストレスのはけ口は身近な成功者に向かいやすい(出る杭は打たれる風潮の一因?)。それが最もエネルギー少なく実行できる憂さ晴らしだからだ。
徳川幕府もまた、そんな陰湿な社会心理的風潮と引き換えに人々(特に農民)を無自覚な貧困の塔に長らく閉じ込めることが出来た。 日本人は、「皆と同じ・皆が同じ」を好む傾向があるが、これは誰かから妬まれる事と自分が誰かを妬む事の両方を防ぎたい心理が一因かもしれない。

◆豊かさの豊かな使い方
また、もし幸運にも貧困から抜け出し豊かになった後も貧困時の視野が狭い意識状態(ある種の脳内プログラム)が続いていれば(=心の飢えが癒されていなければ・心の飢えが次世代に受け継がれていれば)豊かさを活用することも維持することも難しい。それどころか、愚かなお金の使い方や愚かなお金の求め方(稼ぎ方)をする運勢が発生しかねない(例:バブル期・舛添元知事・ブラック企業)。それはせっかく得た豊かさを元手に新たな豊かさを生み出すことがない。創造性(女性性)が欠落しているからだ。
飢えた人間をニンジンで釣って動かして作り上げた豊かさは、だから長持ちしないし不健全なしわ寄せが先の世代に発生しやすい。ハングリー精神は飢餓状態に依存したカンフル剤であって栄養じゃないから飢え(エネルギー不足)は根本解決しない。

物質的にも精神的にも文化的にも飢えた国民(主権者)は、自分の国に栄養をあげられない。栄養不良の国は、発育不良になる。弱る。当たり前。(日本人が13歳レベルとか言われるのはまさか・・・)
じゃあベーシックインカム(BI)でお金をばら撒けばいいかというと、心や文化の飢えが改善される前にばら撒いてしまうと上記に抜粋した視野が狭く無気力で創造性も生産性もないお金の使い方をするだけで国の栄養にはならない。

義務教育期間中の子供達が何らかの形で「(授業ではなくゲームや漫画でもいいので)狭い視野で反射的に目先の利益や欲求だけを追い求めず、広い視野で真のメリットを探り見る思考と習慣を養う」ことが重要になりそうだ。これは、周囲の大人達がそういう習慣を身に着けているか否かで大きく違ってくる。
人々が反射的にドンキやコンビニや業務スーパーを選ぶ習慣を身に着けてしまうことは、狭い視野で目先の利益・欲求だけを反射的に追い求める習慣を身に着けてしまうことに通じそうだ。広い視野によって初めて得られる可能性やチャンスや真のメリットに気付けないし、広い視野でなければ見つけられないロスや危険性にも気付けず、巡り巡って結果的には自分の運勢を低下させてしまう。
とにかく心の飢えと愚民化のループを断ち切ること。豊さの豊かな使い方(ある種の創造性=女性性)を身に着けること。自分達に(=国に)キチンと栄養を与えることが出来る主権者を養わない限り、国の栄養不良・発育不良は解決しない。国民への栄養は国への栄養なのだ。
この妄想ブログで度々登場する概念にして魂の環境インフラにして真に望む生き方を運勢的にも支援する機能である個々人の「内なる地母神」は、心の飢えや習慣の飢えや視野の飢えを救う力もあるだろう。心の飢えを自覚し解決を望むなら、それは運勢となって実現するだろう。そんな個々人の運勢が集まることで国の栄養不良を改善できる。そのような運勢の発動は、もしかすると密かに近づいているかもしれない。理由は余談にて。

【余談】
真偽不明だが、苫米地英人氏が『人類は30年ほど前に飢えを克服したが未だに飢えが克服できなかった時代の経済システム(資本主義にせよ共産主義にせよ)を採用し依存している』的なことを言っていた(この動画の45:17あたりから)。
とはいえ、その後の話のオチがwww

楽園が甦る時←生命進化の本能が「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」であるならば、人類文明の動機と原動力も現在の「飢えの恐怖」ではなくそっちの方にシフトできるんじゃないかと思う。特に、人類の文明が既に飢えを克服しているのならばシフトしやすいはずだ。エネルギーカット本能とそこから生じるロスは防げる。

2018年9月 9日 (日)

国土の個性と文明 自分の個性と生き方

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です

北海道震度7地震 キャッシュレス決済、災害に脆さ 停電でカードなど使えず

昨今のアナログ排除傾向(人々の生活や産業などををデジタルシステムに依存させて支配したり、災害恐怖を用いた利権政策や統治手段にも好都合)には懸念を感じていた今日この頃。
大規模災害を経験した人には分かると思うが、被災時の数日間はアナログな手段・原始的手段が一番強かったりする。311の時からオール電化が問題視されていることは記憶に新しい。台風21号の被害を受けた地域もオール電化な上に停電した所は一層不便だったろう。
そしてさらに、今後は停電に弱い電気自動車や電子化されすぎた自動車、タワーマンション上層階、キャッシュレスの脆弱性が指摘されるようになるだろう。充電が一日持たないスマホも災害には弱い(周囲ではスマホの評判が芳しくないので、私は未だに時代遅れのガラケーを使っているw)。

そんな上の記事から湧いた妄想。
現代文明をけん引する西洋発祥の文明デザイン・インフラデザインの設計思想は、日本のような(台風や津波を含めた)海の力と龍脈が強く活発な地域では必ずしも有益なものではない。ユーラシア西端の現代文明発祥地周辺は日本ほど強い龍脈が無いし日本ほど強烈な龍脈変動が起きにくいのでそれらに対応した文明デザインは発達していないし設計思想もない。日本には日本に適した文明デザインの設計思想が要る。
(似たような理由で中国大陸発祥の風水や陰陽道はこの国の強烈な海洋龍脈に対応しきれる呪術ではない。真に国益に叶う呪術がどうしても欲しいなら龍脈の流れを支配し捻じ曲げるような自然征服の発想を排除し、この国の龍脈を1から理解し龍脈と共存し時にちょっと便乗したり活用させてもらう程度の呪術を0から開発する必要がある。しかも呪術を一部の者が権力を得るためではなく、国民の共有財産として全体に良い運気が循環する形で運用すること。呪術次第では近隣各国にも良い効果が出るかも)

日本に有益な文明デザインの設計思想で欠かせないのは、国立公園や温泉の恵みで繁栄する地域と同様、「いかに自分達が自然に合わせて(いかにタイミングよく安全に便乗させてもらって)生きられるか」という発想かもしれない。
古代より日本人は、自分の国の個性としっかり真正面から向き合い理解してこなかった気がする。いたずらに恐れ忌み嫌うか、いたずらに変形させ押さえつけ支配・制服しようとする(自我延長にする)かで、「逃走と闘争」を司るアドレナリン的な対応しかしてないのかも。
(これ、自分の国の個性だけじゃなくて「自分の個性」に対しても言えることかもしれない)

日本のインフラ整備は主に高度経済成長期に行われた。未だに欧米コンプレックスが強かった時代だ。そろそろ明治以来の西洋発祥文明至上主義(及び欧米コンプレックス)から卒業してはどうだろう? 150年近く無条件で憧れて有難がってきたアレはそんなに万能じゃないし頼りがいのあるものでもない。
確かに便利で優れた技術はあるが、猿真似ではなく、使い心地が良いように自分達で独自にアレンジしたりデザインや設計に手を加えたりしてオリジナルの運用をしなければ文明を使いこなしているとは言えない。文明に使われている。
例えば、事故を起こした福島第一原発の非常電源装置は、あろうことか津波や洪水が起きれば真っ先に浸水して使えなくなってしまう地下に設置してあった。これは、竜巻対策が施された米国の設計をそのまま使ったからだ。同じく先日の台風21号で機能を失った海抜の低い関空も電源設備が何故か地下に置いてあったために被害が拡大した(ソース)。到底日本に向いた設計思想ではない。

自分達に合う文明は自分達の手でしか創れない。まず国土の個性と向き合い理解しなければ始まらない。自分自身の個性を自覚しなければ自分の生き方を創れないのと同じことだ。自分に合う生き方は自分の手でしか創れない。他人のマネでも世間の流行や風潮に支配されるわけでもない、自分自身の生き方。文明と個人、どちらも日本人のテーマとして照応している気がする。
災害が多発し自分達の国の自然がどんな恵みと危険を併せ持つのか、どんな可能性を秘めているのかを見ようとせず盲目的に西洋発祥の文明を猿真似してきたしわ寄せがどんどん浮上している昨今。災害よりも利権優先のやり方にしわ寄せがきている昨今。「文明を使う」ということへの方向性を今一度問い直し国土の個性を見直すチャンスかもしれない。


【余談】
災害は多いが治安は悪くないこの国にはキャッシュレス化よりも現金存続の方が向いていると思う。日銀とか日本円というものには災害とは別件で色々問題はあるのだが、通貨の発行権を日銀(とその遠い背後にいるお金持ちな皆様)ではなくこの国の主権者が持てるようになればそれも解決する。つまり、日本国の経済を担う日本国主権者自身が独自の通貨発行権と管理権を持っているようにする。一部の者が権力を得るためではなく、国民の共有財産として全体に金運が循環する形で設計し運用すること。災害時にもその方がいい。
今後も続くと思われる活発な日本の龍脈変動と運気変動は、多分その方向に進もうとする運気は妨げない。

【余談2】
このブログで以前書いたことだが、オカルト界の一部では東経135度付近が「次世代文明の運気ポイント」といわれている。現代文明の運気を支える運気ポイントは経度0度だが、そのポイントが発する文明運気運気が90年代から徐々に衰退しつつあるという。 そんな時期に「次世代文明運気ポイント(東経135度)」周辺で台風21号が襲来し、西洋発祥の現代文明が持つ弱点や盲点を露呈させたことには奇妙な偶然を感じる。
(経度0度の地域で発祥した大航海時代や産業革命が後の現代文明の源流になっていった。その当時のかの地域で主流だった自然界に対する発想といえば、『自然は征服するもの』)

日銀についての面白い記事

2018年8月17日 (金)

種族と本能

◆特別な時に発動する本能
人類には、「種族」や「一族」などといった一つの大きな生命体として、その一員(大きな生命体の細胞)として、時に自己犠牲的にさえ振舞う本能がある。いわば「個体(個)」ではなく「種族(全体)」の視点で個より全を優先するために動く本能だ。親になってその本能を実感する人も多いだろう。
いくつかの条件が合わさった時、個体の生存本能よりも優先度の高い本能として特別に作動する本能といえるかもしれない。それが作動する条件は多分、己が属する種族や一族が危機に陥った(と個人が認識した)場合が一番多いだろう。「己の命が属する集団(種族・一族etc)が滅べばどのみち自分も生きられない」と思えるほどの危機感だ。
(ラピュタの力を得たムスカの暴走を見て本能的に人類の危機を悟ったパズーとシータは個よりも種を優先するその本能を無意識に作動させたために死の恐怖=個体の生存本能がキャンセルされていた?)

そんな人類が持つ特別な本能を自分達のために悪用し、無意識のうちに自分達(組織や国家含む)と「己の命が属する集団(種族・一族etc)」を混同・同一視させ、様々な方法で「今こそ個よりも種を優先すべき時だ」と錯覚させる手口(洗脳・扇動等)によってその本能を意図的に作動(誤動作)させたりすることで、古今東西の為政者・支配者・権威者達は支持者、奉仕者、志願者、信者、鉄砲玉等を得て来た。生贄、志願兵、挺身隊、ナチス、カミカゼ、カルト、自爆テロ犯等々・・・ 
本来は種族のために備わった特別な本能を「錯覚」によって都合よく人工的にエゴイスティックに作動させ利用し操り支配する「禁断の知恵」が使われるようになったこと、即ち種族という大きな生命体のための特別な本能が種族から奪われ一部の権力者によって乗っ取られ支配されて誤作動するようになってしまったこと自体が実は種族(一族)にとっての大きな危機なのだが、洗脳されれば誰もそんなことには気が付かない(まさか自分が一族や種族を危機に陥れてるなんて考えたくもないし)。

ナチスの高官へルマン・ゲーリングによるニュルンベルク裁判での陳述:

……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。
そして国民はつねに指導者のいいなりになるように仕向けられます。……反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。
国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危険にさらす。このやりかたはどんな国でも有効ですよ。

◆本能のハッキング 
種族(一族)自身から見れば、特別な条件下でのみ自らのために発動するよう設定してあったプログラム(本能)がハッキングされ誤作動し暴走するようなものだ。しかも、犯人が自分の一部(同じ種族/一族の者)だったりするわけだ。
まるで自己破壊。免疫系が誤作動して自分の身体を攻撃してしまう病気(自己免疫疾患)みたいなものだ。

自己免疫疾患はストレスによっても発生しやすくなるという説がある。行き場を失ったエネルギーが吐け口を見つけられずに自暴自棄的・自己破壊的・代償行為的に暴走するような印象だ。種族本能のハッキングという現象も、種族自身の中に何らかのストレスや行き場を失ったエネルギーの暴走が発生したためかも。その時点で既に種族は危機にある。本能のハッキングは種族をさらなる危険にさらす。
結局、禁断の知恵を用いて人々に自ら献身や奉仕を志願させることに成功した王朝や文明や社会はどんなに繁栄しても最後には滅んで行った。現代文明もまた同じ運命をたどるのだろうか?
(ま、滅んでも別の文明や社会が生まれるんだが)

◆大いなる欲求不満
種族や一族といった大きい単位の生命体にとって、個体は単なる使い捨ての端末(道具)に過ぎない存在ではなく、個体もまた自分(自ら分かれた者)である。なので、自分(の一部)がエゴイスティックな都合を優先し個体を蔑ろにすると、大きい命は色んなことをしたくてわざわざ個体に分かれて取り組んでいるのにそれを抑圧することになる。欲求不満になるだろう。したいことをするためのエネルギーは行き場を失うことになる。
そう、自分で自分を欲求不満にさせエネルギーの行き場を奪い、その代償に自己破壊へと導いているのだ。本当にしたいこととそうでない事をすり替えて(取り違えて)後者を選択してしまうことでそれは発生する。
それは、人間一人一人が今この瞬間も無意識にやっちゃってる事だったりする(それが積み重なれば種族のストレスに)。それをやると運勢が低下する。このブログで言う所の「内なる地母神(心の底から真に望むことを実現する方向へ運勢を導く魂の環境インフラ)」が機能を低下させるからだ。金運(豊かさを供給する運)だって低下する。だから飢える。飢えると奪い合いや争いが生まれ弱肉強食(共食い)の世界が展開したりする。飢えをしのいだり弱肉強食の世界で生き残るために誰かの本能をハッキングして利用する現象が出る。

そんな有様を解決して内なる地母神機能を回復させ運勢を回復させ開運するには、本当の望みだと錯覚した方向に進んでいないかよく確認すること、本当の望みを自覚すること。それを意識するだけでも低下した地母神機能には効果がある。
自分のホンの一部(エゴ)が狭い視野や思い込みで決めつけた優先順位や本当の望み(嘘)に縛られないで生きるって結構難しい。だから人間は試行錯誤して占いや心理学やカウンセリングを発明してみたのかもしれない。

余談:
例の本能は、タロットカードで例えるなら「吊るされた男」だ。正常に作動すれば正位置、誤作動なら逆位置に照応できる。代表的なカードの意味は「試練に耐える意義、本当に大切なもののために何かを諦める、自己犠牲、利他精神、執着を捨てる、優先順位が変わる」
自分のためではなく周囲のために自ら進んで己を生贄に捧げた結果逆さ吊りの刑を甘受した男の姿が描かれたあのカードは、別名を「刑死者」という。イエス・キリストと同類だ。

「父親の都合で童貞のまま30代で人類のために死んだ男」の神話もまた、人類のあの本能を巧みに利用した(都合のいい)自己犠牲を称賛するプロパガンダの一つとして、救世主願望を創る道具として機能する歴史をたどって来たのだろう。 英雄と救世主と生贄は、時々同じ意味になる。

2018年6月16日 (土)

千葉沖のスロースリップについて

現在も進行している千葉沖スロースリップに対する当ブログの見解(妄想)は過去記事の「スロースリップとレイライン」をご参照ください。

補足:
雛形論で見ると房総半島は朝鮮半島に照応する説あり。朝鮮半島情勢の変化とシンクロするタイミングで照応地千葉の海底がスロースリップし千葉県内が揺れるのは奇妙な偶然か否か・・・
過去記事で書いたスロースリップしている千葉沖と縁深いあのレイライン自体、東に延長すれば千葉沖で西に延長すると朝鮮半島に至る。
また、件のレイライン上にあるパワスポを起点としたレイライン(の黄色い線)のエリア(伊勢や熊野など)に影響があるのかないのか少し気になる。

妄想掲示板

2018年4月12日 (木)

島根の地震について

※以下に書いたことは全て個人の妄想です

現在、このブログに4月9日に発生した島根県での地震についてのお問い合わせが寄せられています。このブログが妄想する地震についての見解は、基本的には2016年に書いた「鳥取地震と龍脈」や「出雲の神話と龍脈」をご覧いただければと思います。
書くべきことはあらかたそこに書きました。
今のところ、龍脈関係について書くべきことは既に書いたと思っています。

それをふまえて、以下はちょっとした付け足し

【今回の地震の特徴】
・御嶽山同様、クニトコタチをまつる神社の被害(鳥居の倒壊)
・震源及び強く揺れた場所は三瓶山(国引き神話で出雲の国土強化のため他所の土地を引っ張る呪術に用いた『杭』の設置場所)の近く。既にもう一つの『杭』があった大山付近の龍脈は2016年に変動済み。これで『杭』が二つとも抜け落ち、国引き神話の元ネタになた古代呪術(?)は破たんした可能性あり。出雲は本来の龍脈(運気)の流れを蘇らせるかも。
・地震直後、国引き神話によれば「引っ張られていた他所の土地(の龍脈?)」があったと思しき隠岐にて大規模な森林火災(火気流失)が発生。地震に呼応し現地の龍脈が動いた模様。

国生み神話でイザナギ・イザナミの夫婦神がカグツチ(軍需産業の神)を生み出すことを決めた時点で、地母神(イザナミ)は正常に機能できなくなっていた可能性がある。何故なら、軍需産業というニーズが社会に発生した時点で地母神の恵みが欠乏し飢えと奪い合いが発生していたことを意味するからだ。
そして実際にカグツチが生まれた時、イザナミは死んで本来の姿を失い黄泉に封印され機能停止した。飢えと奪い合い(争い)はさらに激化し、多くの民が死ぬことになる(封じられて怒り狂うイザナミ『民を一日千人殺してやる』)。
イザナギはこの問題を解決することなく目を背け、民の犠牲を救ったり予防するのではなく新たな民を補充することで対応した。国力は保つが国民は救わない発想は、「民を全く大事にしていない」という点で母性愛が無い。
(怒り狂うイザナミに向けた彼の返事『では、民を一日千五百人あらたに作る』)

地母神イザナミと別れた後の彼から生まれた子供達が母性愛の無い環境で育ち引きこもりや粗暴な性格に育ったのも無理はない(引きこもりはアマテラス、粗暴はスサノオ←母に会いたいと泣きわめく癖あり)。
また、出雲の土地が本来の龍脈を封じられた背景にはイザナミ封印の切っ掛けとなった軍需産業上の利便性(製鉄のために山を崩し気を切る)があったか(妄想)。龍脈を封じられ気の流れが弱体化した出雲に別の土地(越の国、隠岐、新羅etc)から龍脈を引き込んだ時、引き込み先の土地に対しても、軍需産業の力が発揮された可能性はある。
こうして出雲の土地はよその土地から奪った龍脈で気の流れこそ増えたものの、その土地本来の運気(地母神によるもの含む)は発揮できなかった。「龍脈」という一種の生命力の流れは、歪められ、本来の流れとは異なる歪んだ方向に己の生命力を暴走させていった。それは本来の豊かさとは異なる歪んだ豊かさの方向に運気を活性化させ、だから出雲は軍需産業の力(他所から奪う力)で古代大和朝廷に強い軍事力をもたらし、繁栄させた。このカルマは近代日本にも受け継がれることになる。そして現在もなお影響を及ぼしている。
奪うことで得られた豊かさ・・・その豊かさは、地母神の豊かさではない。

しかし本日出雲で発生した龍脈変動により、イザナミが封じられている黄泉平坂(実在の地名あり)を含め現地の気の流れが歪んだ状態から本来の姿に向かって大きく変化したと思われる。
かの土地は、本来の運気を蘇らせつつあり、それはかの地に封じられた日本地母神イザナミの復活(日本の運気に地母神機能が復活)へと向かうことを意味するのだろうか(妄想)。

日本各地で「歪んだ方向に生命力を暴走」させていた物事の運気がその歪みを正すべく変動していくだろう。吹っ飛ぶ物事もあるだろう。特に、奪って豊かになろうとする物事、意図的に自他の生命力を歪める事で繁栄してきたり、本当の望みや幸せを抑圧し、その代償行為に人々を駆り立てて繁栄する物事(利権のための税金無駄遣い、振り込め詐欺、カルト、やりがいの搾取etc含む)の運気は・・・


オカルト妄想の雑談スレッド
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1519353423/l50

2018年3月20日 (火)

「いいね!」依存症

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です。

フェイスブックやインスタグラムを含むSNSが、「人間の心理学的な脆弱性を悪用する」意図で設計され、「いかに子どもの脳を破壊しているか」が元CEOより暴露されるより:

あなたがたは、もっと《いいね!ボタン》をと求める…そして、もっと好意的なコメントをと……
これは社会的検証のフィードバックループだ...。そして、これらはまさに私のようなハッカーが思いつくようなもので、なぜなら、これはあなたがた人間の心理の脆弱性を利用しているからだ
(フェイスブック現CEOの)マーク・ザッカーバーグ、あるいは、インスタグラムのケビン・シストローム(Kevin Systrom)... このすべては、意識的に、この《人間心理の脆弱性》を理解してやっていた。そして見事にやってのけてしまった

◆自尊心の代用品
・・・「いいね!」依存症は抑圧された自尊心(自己肯定)の代償行為に中毒した状態でもある。暴走する承認欲求の背後には、自尊心(自己肯定)の形成を抑圧しているがゆえの自己否定感(劣等感)も見え隠れしているかもしれない。
他者から否定されたりこき下ろされたり低評価されたりするのが怖いのは、代償行為が実現・成功できない事への恐怖であり、抱え込んだ自己否定感(劣等感)を紛らわせることが出来ない恐怖であり、自尊心(自己肯定)が未だ持てない(抑圧されていて自覚できない)ことへの恐怖でもある。
それは、「自分なりの生きる幸せ」が自覚出来ずにいる・作れずにいる恐怖でもある。

恐らく、「いいね!」ボタンのあるSNSで他者を攻撃したりこき下ろす習性のある人(いじめ加害者含む)の何割かは、潜在的に上記のような恐怖感を抱えており、なおかつ「代償行為(他者からの評価)」が満足できるほど成功していないor代償行為に失敗しているケースがあるかもしれない。 自分の現実や人生が「うまくいってない・幸せじゃない・自分にとっての喜び(評価点)が少ない」と無意識に感じている人である可能性も。
ある意味では、その手の攻撃やネットイジメ衝動はその人の心の悲鳴が歪んだ形で表現されてしまった結果かもしれない。ある意味で、SOSの出し方を間違えたようなもの。
(余談:世間ではいじめ被害者の相談に乗ったり支援する動きは出てきているけど、イジメ加害者側の相談に乗ったり、自分でも止め難いイジメ衝動を卒業する支援する動きは未だ出てきていない。『どうしても他人をイジメることが辞められない』という悩みは誰にも相談しづらくて、結局占い師に相談してしまうケースさえある)

◆優越感と自尊心の違い
優越感を作るには、他人に高く評価してもらうか、それが出来なければ自分よりも劣っている(と見なしたい)誰かをバカにさせてもらうしかない。どちらにせよ、他人の助けなしに優越感は作れないので、優越感に依存している状態は精神的な自立が出来ていないという事でもある。
それに対し自尊心は、趣味(中二病含む)だろうが萌えだろうがラーメンの食べ歩きだろうが、自分が人生の中で本当に好きなことや本当に喜びを感じる何か(『いいね!』をもらえるよりも楽しくうれしい)と出会うことで、そんな喜びのある自分の人生やそれに不可欠な自分という存在に対し個人的な価値や意義や喜びを自覚することで形成されていく。自分が喜びを自覚することが不可欠なだけで、他人の助けは必要ない。
その「個人的な喜び」の価値を例え他者が認めなかったとしても、全く困らない。他人が同意・評価しなかったとしても、自分にとってそれが他人の同意や承認や評価が貰えることよりも好きで喜びになっている事には変わらない。自分の好きな物事(あるいは同好の士)をこき下ろす他人に対してムキになって反論したり言い負かそうとする必要もない。そんな時間があったら自分の好きなことをするために使う。
自分が何かを好きになったり何かに喜びを感じることに誰かの承認や同意など必要ない。いちいち他人からの同意や承認をもらうメリットも無い。自分の人生で発生する喜びは、世界でたった一人、自分だけが創り味わえる喜びだからだ。自分の喜び方と100%全く同じ喜び方を持つ人間は存在しない。物事の感じ方は十人十色だからだ。「自分と全く同じ喜び方をしてくれる他人」がこの世に存在しなくても、寂しがる必要はない。むしろ、自分にしか実現できない喜びに誇りを持ち、他人の喜びを尊重し、時には互いにしか持ち得ない感性

優越感を抑圧された自尊心の代用品にしてる人達、およびその代用品でしかない優越感(他者を見下し自分よりも低く評価する心)を肥大させてる人達は、本当の幸せや真に望む生き方を見つけてないか、既に持っているのに気が付いていないという事でもありそう。

◆心を搾取させてくれる人々に依存する何者か
なお、他人に対して自分なりの幸せを見つけ実践する生き方を許さず、その代わりに用意した好都合な代償行為に依存させるよう仕向ける組織をカルトと言う。ホームグロウンテロの先駆けともなったボストンマラソン爆弾テロ事件の犯人(兄)がこの手口で洗脳されていた()。それはまさに、SNSが誘発するイイネ依存症とも共通する仕組みだ。
その仕組みを利用している何者かはこう思っているかもしれない。
「お前個人の幸せなど何の価値もない。認めない。許可しない。我々にとって利用価値のある思考と行動をする者だけ(我々が心理搾取できる者だけ)に存在価値を認めてやる」←認めてもらうメリットが無い。
彼らもまた、「搾取させてくれる誰か」に依存しているという点では他者の評価や優越感に依存する人々とどこか似た部分があるのかもしれない。本当の幸せを見つけていない・気付いていないという点は同じか??

◆「いいね!」よりもうれしく楽しいもの
自分が真に望む生き方やライフスタイルを抑圧し目を背け無自覚なまま放置した結果、無意識下の欲求不満が歪んだ形で(代償行為を求めて)暴走した結果が「いいね!」依存症であり、自分が本当にしたいことをする代わりにインスタ映えする写真を撮る(さして食べたくもない割高パンケーキを注文する・さして関心のない場所へ行く)ことに貴重な休日を使い潰す日々だったりするんじゃないだろうか?
(ああ、イイネを餌に心理と生き方を搾取されている。イイネに釣られて本当に望むことを探す時間さえ搾取されてしまった)←「搾取で生じた人生と心の飢えはイイネ獲得で満たすしかない」と何者かは洗脳する。

本当は、自分にとって「いいね!(=他者からの評価や承認)」をもらい、「いいね!」に縛られ囚われることよりもずっと楽しい事や嬉しい事がこの世には転がっているんじゃないかってことに、うすうす気が付いてるイイネ依存症の人も多いんじゃないかと思う。
そう思えるということは、自分なりの喜びや幸せや自尊心を作れる力にうすうす気が付いているということだ。
心のどこかで、自分を開運させる本能的な命の力を感じている証だ。

選挙権が18歳に引き下がる時代。人格形成期に「いいね!」依存症となり自尊心を形成する上で大切な栄養分である「自分なりの喜びや幸せを探す心理と時間」を搾取され続ける若者(自分の幸せを知らぬがゆえに騙され扇動され利用される=利用価値のある思考と行動をする者。カルトに最適な人材)が量産されることの意味を、今一度考えてみて欲しい。
「人々が幸せになればその国も幸せになる」という開運法則から見れば、「自分の喜びや幸せへの自覚が搾取される病」が蔓延している現状は好ましくないが、人類はいつかこれを乗り越えるだろう。
自分を開運させる命の本能的な力によって。


中二病の有効活用
「必要とされる」必要がない
就活自殺の増加について
上手なニートの過ごし方

2018年2月21日 (水)

楽園が蘇るとき

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

今回は過去記事の「ヘルメス伝説と進化の記憶?」や「母性を見失った進化の記憶?」や宇宙という生き物から派生した電波妄想。

◆危機を引き金にした進化
大分前に書いた「旧約聖書にある「楽園追放」の物語が大昔の中東付近における砂漠化の記憶を示しているのではないか」という妄想からさらに妄想を進めてみると、アダムとイブに「知恵の実を食べろ(=知能を進化させろ)」と促した蛇は、恐らくDNAの象徴だろうと思う。知恵と伝令の神ヘルメスの持ち物「ヘルメスの杖」に絡みついてる二重螺旋のアイツだ。恐らく蛇(DNA)は、悪魔じゃなくて伝令(ヘルメス)だったのだ。
中東では、緑化と砂漠化が数千年周期で交互にやって来る。今から何周期前かの緑化時代にはユダヤ人の遠い祖先の一人となったアダムとイブが果物を主食にして暮らしていたのだろう(妄想)。そんな時代のある日、二人のDNA(=蛇)は囁いた。「ここはもうすぐ雨が減って環境が激変する。今のうちにもっと知能を進化させて激変を生き延びろ」
蛇の囁きは、二人の命が既に野生のカンで砂漠化の予兆をどこかに感じ取っていた結果かもしれない。
蛇に促された二人は知能を進化させて間もなく、彼らの住む土地は今までのように多彩な果物が豊かに実る「楽園」ではなくなった。人々はかつてのような地母神とのつながりを感じられなくなり、地母神から見捨てられたと勘違いしたかもしれない。「見捨てられたのは、何か悪い事をしたからだ」と思ったかもしれない。
「楽園追放」の物語は、知能進化と砂漠化が必然的に同期したことで、「楽園に住めなくなったのは知能を身に着けたことで神の怒りを買ったことが原因だ」という錯誤が発生した記録でもあるのかもしれない。
当然ながら中東の砂漠化は人間が知能を進化させた罰として発生したわけではない。あれは周期的に発生する自然現象だ。それを知らない人類は、自然現象を「楽園から追放された(原罪)」=「幸せに生きる資格を失った(地母神から見捨てられた)」と勘違いした。本当は、蛇(DNA)を使って知能進化を促し砂漠化を生き延び新しい幸せ(新しい楽園)を実現する道へと導かれていた(地母神はその道を支援する)ことにも気が付かず・・・
(中東が砂漠化した時代は中東に限らず世界の各地で気候の激変が起きて人類は『知能進化と同時に楽園から追放された感』を地球規模で味わっていたのかもしれない)

せっかく身に着けた知能に罪悪感を持ってしまえば、知能を使う時に葛藤が生まれて知能を可能な限り効率的・効果的にスマートに活用する妨げとなったりどこか歪んだ使い方になったりして、「幸せな使い方を許さない方向」に進んでしまう。これでは開運できない。邪魔な葛藤を抱えながら危機に追い立てられ死に物狂いで知恵を絞り砂漠化を生き延びねばならなかった苦労はどれほどのものか。時には知恵を使って生き延びる度に「楽園追放(罪悪感)」という勘違いのトラウマが痛んだかもしれない。知恵を使って生きる以上、「生きる事は罪」と極端に思い詰めることだってあっただろうか。
人間がたまたま「危機」をきっかけにして進化の道を歩み始めた代償は大きかったかもしれない。危機を引き金に始まった進化は、さながら「パンドラの箱」を開けてしまったような有様になった?

◆苦しみで脅す力ずくの進化・発展
地球規模で起きた環境激変という危機と苦しみを逃れるため、文字通り死に物狂いで知恵を絞って人類は生き延びた。死の恐怖や飢えといった「苦しみ」が知能を使う動機となり進化を一層刺激しただろう。
人類はそれ以来、進化や発展の動機と原動力を危機や飢えの恐怖・死の恐怖といった「苦しみ」に依存するようになってしまい、己の進化を刺激するためには常に苦しみを手元に置かなければならなくなったことで自らの歴史を苦しいものにしてしまってきた可能性を感じた。「罪悪感が知能の幸せな使い方を許さない」という自罰傾向もそれに拍車をかけたか。個人的には不幸な知恵の使い方にこそ「禁断の知恵」感を覚えるが。

死や苦しみに依存した進化。我々が日々恩恵を得ている科学や医学を最も進歩させたものは戦争だし、人類の経済システムは飢えの恐怖(=死の恐怖の一種)を原動力に依存し発展してきたため、飢え(欲望とハングリー精神の源)を捨てることが出来ない。万が一経済発展しすぎて飢えを無くしてしまえば、原動力を失った経済は失速する。そんな経済システムを続ける限り、地母神の封印を解くことが出来ない。
より良く生きるための進化が、生きる意欲や可能性を奪う苦しみ無しには促進できないという皮肉。進化の発展が時に死や苦しみも発展させしてしまう(例:原子力)という皮肉な人類史・・・
まるで「子供の幸せを思いもっと勉強させようとして暴力を使って無理やりガリ勉させてたら子供が勉強嫌いになった(最悪の場合、子供が自殺した)」とか「練習を上達させようとして暴力を使ったら選手が精神疾患になった・指導死した」とかいった教育虐待にありがちなパターン(加害者本人は本当にそれが子供のためになると信じて疑わず虐待の自覚が全くないケースも)と似ている。能力向上が幸せに結びつかない・・・

とまれ、生物学的に見ても「危機(苦しみ)を脱するための死に物狂い(アドレナリン過剰分泌)」という状態は長く続かない。危機を感じると大量分泌されるアドレナリンという燃料だっていつか燃え尽きるし枯渇する。それを利用したシステムや物事の寿命は短い。文明だって同じこと。文明は人間の生き方を反映する。文明の崩壊はその生き方の破綻でもある。
他の動物から一足早く進化し知能を身に着けたものの、肝心の知能の使い方(動機・原動力・視野・発想)は狭くて動物的なまま。これじゃ本質的には動物と大差ない生き方になる。凝った形で未だに共食いをするのもわかる。

◆進化の本当の原動力
生命進化の動機や原動力、および進化を刺激・促進するものは「苦しみ・危機」だけではない。でも、人類は苦しみや危機(あるいはそれらへの漠然とした不安感)以外を基礎にして進化を歩んだ経験が少ない・浅いような気がしなくもない。昔から災害の多かった日本も例外ではない(妄想)。古代インドにあった「苦行によってのみレベルアップできる」的な発想もまた、そんな経験不足による錯誤が背景にあるのだろうか?
苦しみや危機のみを進化の推進力に依存していたら、その種族はいつまでも危機に瀕し続け地母神の封印を続け共食い(弱肉強食)を続け苦しみ続けなければならない。進化のために死の恐怖へ依存し執着し続けなければならない。死の恐怖を超えられない。危機をきっかけにした飛躍的な進歩・進化の記憶は、危機に進化を依存し支配されてしまう癖を作ってしまったとしたら、まさにそれこそ「種族の危機」だ。
この危機は、アドレナリンを使って解決できない。大量のアドレナリンを用いた「パワー」ではなく、タロットの「力(ストレンス)」に象徴される能力で解決されるものだ。このストレンス、苦しみや危機や「パワー」以上に進化にとって重要である。
力のカードに描かれた貴婦人が持つ能力「ストレンス」は、アドレナリンの過剰分泌(ライオン)を鎮め、命本来の自然なあり方に基づく最も効率的・効果的でスマートな調和のとれた思考や動作や反応を実現するモードであり、真に健康な生命が持つありのままの姿・状態を体現するモードともいえるものだ。インド風に言えば「サットヴァ(純性)」、ユング風に言えば「全体性」か。このモードになれる選手は心身ともに優れたパフォーマンスをはじき出せるだろう。

このストレンスモード、命本来の自然なあり方を見失うと保てなくなる。周期的な地球環境の変化やそれに呼応した知能進化という命本来の自然な変化を「自然界の変化は知能獲得という罪ゆえに楽園から追放された結果」と勘違いするのは命本来の自然なあり方を見失った証だし、そこから始まった苦しみや危機に依存した進化もまた命本来の自然なあり方を見失っていると言える。すると知能を命本来の自然なあり方で使えない。

種族の危機を救うストレンス(サットヴァ)・・・それが発動する動機と原動力は何だろう?
そもそも、命が「進化」する目的は「危機(死の恐怖・苦しみ)を逃れるため」ではない。進化というものには、生存効率をUPさせる以外にもいろんな使い道や可能性が無限大にある。ワクワクするほど多彩・多様な無限の可能性が。だからこそ、そんな多様な「可能性への好奇心(interesting)」が生命本来の進化の動機で、「可能性への好奇心を満たす喜び」が生命本来の進化の原動力ではないだろうか。両者は生命の持つ根源的かつ高次なる本能にして、多分魂(ユング心理学ならセルフ)の思いだ。生命の持つありのままの姿の一つかもしれない(妄想)。
「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」・・・太古に生命誕生の動機となり、また生命進化の原動力ともなった、全生命共通ゆえに全生命を包括する視野を持った根源的本能(魂の思い)。そこにストレンス(サットヴァ)発動の動機と原動力もある。

この本能を進化の動機と原動力に用いれば、人類は危機に依存しなくても、地母神が封じられた状態を常に選ばなくても、飢えと奪い合いに耽らなくても、「楽園」を失わなくても進化することが出来る。命本来の自然なあり方であるストレンス(サットヴァ)のもとに知恵をつけて活用し、可能性を広げ、「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」を動機と原動力にした進化の歴史を歩めるだろう。内なる地母神(魂の環境インフラ)はそんな生き方のために支援を惜しまない。まさにそれこそ「楽園」だ。仏教風に言うと「弥勒」か? これは、全ての命に潜むもの。「楽園」とは、そういう生き方のことだ。

人類は、危機をきっかけにした「火事場の馬鹿力的進化」の経験から、生命本来が持つ進化の目的や原動力を見誤り取り違えていなかっただろうか? 己に宿る命が発する進化の本当の目的や原動力となる大切なあの本能を封印・抑圧し無自覚にしてはいなかったか? 抑圧されたその本能は無意識の欲求不満となり、歪んだ形で表面化し暴走するような(例えばその本能を満たす代償行為に執着するといった)症状を呈したことはなかっただろうか? 多分それが内なる鬼や悪魔の正体かもしれない。『モアナと伝説の海』ならテ・カァがそれだ。
生きているのが辛いんじゃない。そんな生き方が辛いだけ。生き方を後悔できるのは、自分でその生き方を変えられる証。
人類は楽園を追放されてなどいない自ら「楽園」をやめちゃっただけ
自分を含めた全生命に宿る「楽園本能」を思いだして楽園を再開すればいい。罪とかいうのは妄想なので許される必要もなかった。

◆楽園が甦るとき
楽園は、我々の中にこそ存在し、甦る。楽園は死なない。楽園を作る命の本能も死なない。命(魂)ってのは、死なないからだ。あの死なない本能を使って何万年も何十万年も進化を続けているのだ。人類という命があの本能を使った進化を再開し始め文明を創り変えていく時、人類は死の恐怖を超え楽園は甦るだろう。可能性への好奇心、それは旅人ような探求心でもある。モアナとその先祖を外洋航海へと突き動かす力でもある。本能的な「旅」への愛と情熱でもある。可能性への好奇心を満たす旅路は、生きる喜びの旅路だ。
(『モアナと伝説の海』という作品もまた、南国の楽園が病から甦る話である。女神テフティは楽園を支援する地母神である。女神の心は楽園本能だ。その本能が隠されて封じられ、欲求不満が蓄積し鬱屈した時、テフティは溶岩の魔物テ・カァになる。それでモアナは失われた女神のハートを元に戻す。楽園本能は甦り、南国の楽園は甦る)

死の恐怖から生の喜びへ・・・
人類は、少しずつ進化の原動力を今までのネガティブなものから上記のポジティブなものへとシフトチェンジしている。自分の命(魂)とズレていたチューニングを合わせつつある。
自分の命と波長を合わせ、己の命(魂)にとって本当に大切なもの(真の望み)を自覚したとき、今まで「大切だ」と思い込んで依存し支配され囚われて来た余計な執着(ズレた波長)はみんな吹き飛んでいく(羽生選手を含め、平昌五輪の選手達にもある程度似たようなことが起きているのを感じる)。
これがある程度進むと世界各地で大きな運気変動を引き起こす。「楽園」は、既に甦ろうとしている。実際、かつて「楽園」が存在していた地域である中東は、ここ数年乾いた大地が妙に降水量を増やしている。数千年単位で砂漠化と湿潤化のサイクルを繰り返すあの地が、楽園の存在していた湿潤期を迎えようとしている。内なる楽園が甦る時、外なる楽園の姿も甦る。これはシンクロニシティーだ。「イブのお墓」と言い伝えられているサウジアラビアはジッダの乾燥地帯で数年前に大雨による洪水が発生()したことは、象徴的な予兆と言える。

今度「楽園」が甦ったら一度は忘れた生命本来の進化の動機と原動力を忘れないで覚えておこう。そうすれば、次に外界で砂漠化が来た時も「楽園」の生き方を続けていける。それは、アダム(ヘブライ語で人間の意)が食べていなかった「生命の実」を食べることにもつながる。楽園が我々の中にある以上、生命の木とその実は我々の中にある。心理学的に「食べる」は自覚と統合の象徴だ。

◆小さな命と大きな命は同じ本能で共鳴する
個を超えた種族単位の命が高次の本能に基づいて人類を創り、人類一人一人に宿り人生に取り組んでいる。これを数十万年続けている。それが我々に宿る命の正体でもあるのだろうか。こういう命って死ぬんだろうか? 例え死んでも(人類絶滅しても)、今まで生きて来た(進化してきた)経験は新たな種族に受け継がれ、かつて人類をやっていた種族単位の命は新種族の命に統合されて生き続けるので不滅だ。いわば人類が新種族の前世みたいなものの一つになるわけだ(人類もまた他種族の経験を生かして作られた種族であるため、胎内で生物進化の記憶を再現してから生まれる。あの姿は人類種族から見ると前世みたいなものだ)。

種族を超えた根源的な生命(多分ユング心理学で言うセルフの正体で神のモデルで我々生命の正体で宇宙)は、今日も我々含む無数の自分に対して己の心を伝えている。
死を恐れるために生きるな 可能性への好奇心を満たす喜びに生きよ
種族単位の命も、個体単位の命も、同じことを言っている(同じものだから)。これが高次元の本能「楽園本能」だ。全員の本能が満たせるようにと、やはり高次本能に基づいて開発された「本人が真に望む生き方(その人の楽園)を実現するのに適した運勢を創るインフラ機能」が昔書いた「地母神」だ。地母神は楽園本能の現れだ。これが「和(スタンドプレーから生まれるチームワーク)」を実現するカギにもなっている。
我々という命は、かの存在から見ると「自分(=自らを分けたもの)」なのだろう。そいつは、己が持つ可能性への好奇心を満たすべく展開している「宇宙(生命活動)」を楽園だと思ってるらしい。
てことは、同じ本能を持つ我々も無意識のどこかでそう思ってる。世代が進むにつれ、これを自覚する(命のチューニングが整う)個体は増えていくと思われる。これを自覚すると、多分「不滅の生命(魂)」を自覚・統合する(=生命の実を食べる)ことになる。カバラもそれが目的で「生命の木」を重視する。
そんな個体が増えていけば、やがて人類に「101匹目の猿現象」が発動するかもしれない。
(『101匹目のペンギン』でもいいけど)

【余談】
現代日本もまた、「敗戦でボロボロ」という苦しい危機を原動力にした高度経済成長という『火事場の馬鹿力』でしか国を発展させる術を知らない気がしなくもない。既に経済成長し飢えの恐怖を脱出した日本は、かつての原動力を失って失速した。この解決には、原動力を補充するためにかつての危機や苦しみを再現したり新たな危機や苦しみを選んだりするのではなく、過去とは本質的に異なる全く新しい原動力が要る。危機でも苦しみでもなく、ワクワクするような『可能性への好奇心』という生物本来の進化動機(ストレンス発動の動機と原動力)とそれを満たそうとする本能はその新しい原動力探しのキーワードになりそうだ。

電波すぎるオマケ

2018年2月 2日 (金)

鬼と節分と蔵王で妄想

※以下に書いたことは全て個人の妄想です

先日の草津白根山の噴火、実は当日に変な夢を見た(詳細)。普段こういう夢を見る体質ではないので、個人的にかなりショックだった。
修験道の聖地でもある草津白根山の噴火直後から、日本の(そして前触れなく噴火した草津白根や御嶽山の)鬼門に位置する東北の蔵王山がなぜか火山性微動を始めた。まるで草津白根の変動に蔵王が呼応してるみたいだ。
この蔵王山、「蔵王権現」という修験道の本尊を勧請した山である。これが今回のキーワード。

話変わって草津白根といえば、indeep様の記事(詳細)に興味深い話を発見した。
(レイラインでつながっている)御嶽山と富士山、そして草津白根を結んだ三角形の中心に八ヶ岳がある。この八ヶ岳と御嶽山と富士山と八ヶ岳は共に「クニトコタチ(古語で『国の大地が立ち上がる』の意)」という日本の古い神様と縁深い。御嶽に関しては以前このブログでも少し触れた(過去記事)。
で、この「クニトコタチ(国常立命)」という神様、修験道の世界では先述の蔵王権現と同一視されているのだ。
しかもこのクニトコタチという存在は、一部では「はるか昔、神々の勢力争いに敗れ『鬼』として日本の鬼門エリアに封印された『丑寅の金神』」であるとも言われている。
即ち、「クニトコタチ=蔵王権現=丑寅の金神(鬼)」という図式になる。そう。草津白根噴火直後から火山性微動し始めた蔵王もまた例の三角形を形成する山々とクニトコタチの縁でつながっているわけだ。

日本の鬼門エリアで発生した311含め、数年前から日本の龍脈は動き続けている。御嶽と草津白根という、共に「何の前触れもなく、かつ有史以来初めての噴火」という現象が引き金となって、「クニトコタチ(鬼)」の因縁を帯びた変動現象が一層進んでいるような気がする。
しかも、今年は節分シーズンのタイミングでそれが起きているのが意味深だ。
蔵王権現信仰の総本山、金峯山寺では今年の2月3日に「節分会」をやる。ここの節分の儀式は巷の豆まきとは一風変わった掛け声を出す。「福は内 鬼も内」だ。

蔵王山が変動を始めているこのタイミングで蔵王山の神である蔵王権現の総本山が呪術を・・・蔵王(権現)がクニトコタチであるならば、それ即ち日本の鬼門に封印された丑寅の金神であり、鬼でもある。
そんな存在を祭る総本山で行われる寒波真っ最中の節分呪術で唱えられる呪文が「福は内 鬼も内」・・・この言葉は、鬼を封印・抑圧せず、受け入れている。 まるで、鬼門の封印を解く呪文のようだ。
「鬼」という存在は、抑圧され本来の姿を歪められた「神」なのだろう。 だから、鬼を鬼として排除・封印するのではなく、鬼のありのままの姿を受け入れる。鬼を神の姿に蘇らせた時、鬼(=神)の封印が解けるのだろう。

修験道において蔵王権現は「万物を司る不滅の王」という設定だ。それが鬼(=丑寅の金神、クニトコタチ)の真の姿なのだとすれば、その存在は即ち、「宇宙」だ。万物を生み出し万物として営みをする一つの巨大な生き物にして、我々でもある存在・・・(過去記事参照)。ユング心理学で言えば「セルフ」だ。ユング心理学だとセルフは人類の心の中で最も抑圧されがちな元型の筆頭格である。そのセルフを象徴するイメージの一つが修験道でも縁深い「マンダラ」である。
人類が抑圧しがちな己のセルフを抑圧から解放し、自分自身(=セルフ)としてそのありのままの姿を受け入れ自覚・統合を進めていく流れは、仏陀の時代から既に始まっていると言われているが、その進み方は非常に遅い。
21世紀以降に始まったスマトラ沖地震や311を含む惑星規模の龍脈変動は、その遅い流れを加速させる効果があるのだろうか?

・・・昨日そんな妄想をしていたら、雛形論で見ると「例の三角形」の中心に位置する八ヶ岳と照応する場所でM6.1の地震が発生した。ちょっとシンクロニシティーを感じたスーパーブラッドムーンの夜。
そしてこの記事を書いている今日、すなわち節分前日。鬼門エリアの青森では節分で鬼除けに使用されるイワシが大量死し、蔵王山では再び火山性微動が観測された(詳細)。
節分会以降はどうなっていくのだろうか?

このブログが2011年あたりから冗談半分で語ってきたテーマ()は、未だに続いているってことなのか・・・

2018年1月 3日 (水)

「君の名は。」で妄想

地上波で放送された「君の名は。」を鑑賞し終えた。以下は第一印象に基づく妄想。

まず、彗星の名前「ティアマト」はシュメール神話の混沌(破壊と創造の源泉)を司る女神から来る。
彗星が落ちたことで糸守湖はひょうたん型になった。ひょうたんは五行だと金。豊かさの象徴でもある。新クレーターに水が溜まってひょうたん型の湖になった様は五行思想で言う「金生水」か。さらにひょうたんは「貴重な種(データ)を入れる容器」として使われてきたものでもある。
また、作品で印象的に表れる「扉」。これは「新しい世界や異世界(世界線)との境界」という意味の他に、「自己発見」という心理的象徴がある。作品の扉が出てくるシーンにご注目。

ヒロインの名前「三葉」は、恐らく三つ葉のクローバーの花言葉「私を思い出して・約束」から来るのではないかと思った。主人公の名前である「瀧」は心理学的象徴として「健康的な感情の解放と表現」というのがあり、また二人が流す涙(無意識下に抑圧されてきた心の解放=心を思い出す様)でもあるだろうか。 いわば、無意識下に抑圧され無自覚な心を自覚させようとする働きの一種。

◆思い出すべきもの
次に、三葉は瀧のアニマ、瀧と三葉のアニムスという前提で解釈すると、二人は「思い出すべきもの(三葉)」と「思い出すべきものを思い出させる能力(瀧)」という対の存在になる。三葉にとっては「思い出す能力(瀧)」の存在を思い出すことが重要になる。それが彼女の中に眠っている可能性を象徴したアニムスなのだ。
(※アニマ・アニムス:理想の異性像。抑圧された自分の個性や可能性を象徴していることが多い)

では「思い出すべきもの(三葉)」とは何なのか。
それはおそらく、「日本人の集合無意識領域(=日本人のDNA=組み紐)に抑圧された精神性や感性(=形骸化し因習化した空虚で意味のない伝統ではなく、その伝統を創った意味や背景や動機に存在する心性)」じゃないかと思った。即ち、日本人がDNAの中に持つ歴史的な資産(=貴重なデータ・種)ともいえるもの。抑圧された日本人の個性であり、それを思い出すことは日本人(のDNAを持つ者)にとって「自己発見」と言える。
そんなDNAに記憶された精神的資産が「糸(個人単位のDNA)」や糸が合わさり集約された「組み紐(集団単位のDNA記憶=集合無意識の記憶)」で象徴されている気がした。作中で組み紐は時間(歴史)のシンボルとして扱われてきたが、糸をより集めたような二重らせん構造のDNAもまた命の時間と歴史を司るものだ。
「糸守」とはまさにその心性・精神性のデータが貯蔵されている場所であり、現状では外の世界から隔絶=封印・抑圧されたまま外界に広く生かされることなく、意味(及びそこに秘められた心性・精神性)を失い形骸化した因習に縛られるだけの閉塞感を抱えた状態でもある。その現状に幻滅し背を向けた結果、土建屋と癒着し腐敗した政(まつりごと)に耽る三葉の父の姿は現代日本の象徴か。

この閉塞感を打破するには、心性・精神性を「思い出す(集合無意識規模でDNA記憶がONになる)」ことが必要。その思い出す働きを担ったのが「瀧」であり「三葉」であるという・・・
そのDNAに記憶されている心性はおそらく東征時代末期の1200年前、彗星が最初に落ちた頃から既に抑圧が始まっており、江戸時代(糸守で大火のあった200年前)にも抑圧が発生した可能性がある。
そしておそらくは現代保守の祖となる近代東征時代(=明治時代)にも発生していたはずだ。我々が伝統的な文化や価値観、日本人の心性を代表するものだと思っていた物事の中には、明治時代になって人工的に作り上げられたものがかなりある()。 初詣だってその一つだし、「結婚しないことは恥」という古そうな価値観だってその一つだ(江戸時代の結婚率はそんなに高くないし人口の大多数を占める庶民の結婚は夫婦別姓・夫婦別財だったという)。

◆形ではなく中身
なお、近代東征末期に生まれたお祖母ちゃんの「一葉」という名前は一つ葉のクローバー花言葉「始まり」、
同じく二葉の花言葉は「(ヒロインを生み出すに至る)素敵な出会い」から来ているだろうか。妹の四葉は言うまでもなく「幸運・幸福」。
一葉の代から既に「思い出そうとする流れ」は始まっており(しかし1度目の挑戦は失敗)、次のチャンスは三葉の代に訪れる。いわば隔世遺伝のような感じ。
伝統の「形」を受け継ぎ保存するのではなく、形にこだわり囚われ縛られるのではなく、時代にマッチした形に魔改造されようが全然別の形になろうが決まった形が無くなろうが、そこ(=器=ひょうたん)に吹き込まれる「魂」となる精神性や心性・感性こそ大切に維持し運用・活用しうる資産であり豊かさであるということかもしれない(ひょうたんは豊かさの象徴でもある)。←江戸時代依頼の生前退位を決断した今上の心にも似た要素ありそう?

伝統に秘められた動機や意味や理由の源にある(魂・心性)が失われ形骸化した因習の支配する世界(タロットなら塔)から「思い出すべき魂(ラテン語でアニマ)」を救い出す(思い出す)という側面が「君の名は。」にはあるかもしれない。
我々の中に三葉と瀧はいて、今も夢の世界(無意識~集合無意識の世界)で奔走してるかもしれない(妄想)。それがこの作品が日本でヒットした(日本人の集合無意識が反応した)一因かどうかは定かではない。
もしも我々にしか思い出す(自覚・統合する)ことができず活用できない大切な資産が自らの無意識及びDNAに眠っているのだとしたらぜひともそれを目覚めさせてみたいものだ。311という龍脈大変動を経た今、それが実現する運気の可能性は集合無意識規模で上がっているのかもしれない。
そういえば監督の名前を「新海誠」というそうだが、心理学的に「海」は集合無意識のシンボルとされている。そのため、この作品の監督の名前を心理学的にオカルト解釈すると、偶然にも『新たなる集合無意識の偽らざる心』って意味になるわけだ。

・・・などと妄想し楽しかった。

2018年占ってみた

月と土星が非常に強いトライン
感受性と抑制の調和。一時的な感情に流されることなく、また冷淡ということもなく、程よい距離を置いて物事をしっかり見つめる。冷静にして柔軟。あまり目立たないが、内面的に調和のとれた美しい人。感覚はやや古風で奥ゆかしい。
(『きれいごとや謳い文句より現実性』という意識が世相へ自然に浸透していく? 流行や宣伝による消費誘発は効果が鈍いかも。)

水星と金星が非常に強い合
軽快な美的センスの持ち主。若々しいファッション、ポップアートなどに適性。生き生きとして魅力的な人が多い。軽やかな恋愛を好む。浮気っぽく、次々と違う人を好きになる。
(野党にそういうタイプの人が出てくる?)

太陽と火星が強いスクェア
エネルギッシュだが、野心と現実のあいだにギャップがある。短気で短絡的。荒々しい。長期的な展望に欠けるため、その場その場の思いつきで、情熱を間違った方向にそそぎがち。負けず嫌いで傲慢。わがまま。エネルギーを地道な努力と結びつけられれば吉。
(政府内のどこかが無茶による失敗を通して『日本的コミュ障』と呼ばれてる部分を治していく運気かも。メディアの誤報やフェイクニュース、国土交通省管轄の分野に注意。失言騒動あり?)

木星と冥王星が強いセクスタイル
平均3年に1回くらい生じる。極度の発展を暗示する世代的座相だが、それほど強い暗示ではなく、毎回実現するわけではない。
(何らかの失敗を受け入れることで精神的な成長と失敗を未来に生かし物事を路線変更したり改良・改善する運気。国会や地方自治の分野でそういう流れが生まれるかもしれない。冥王星がロシアの星座なので日露関係が変化していく可能性も。地方にとっては運気好転の兆しとなる動きあり?)

金星と冥王星がごく弱いスクェア
困難な愛情にとらわれて身動きが取れなくなり、自殺や心中まで考える。美に関する分野で潜在的に鋭い素質を持つ。
(景気回復の実感は薄い年かも)

水星と冥王星がごく弱いスクェア
意味は吉角と同様で非常に頭が鋭いが、それゆえに世間にすんなり溶け込めず、葛藤が生じる。
(国民世論には支持されがたい何かがあるかも)

火星と天王星がごく弱いトライン
情熱と独創性の調和。新しい分野を切り開くことのできる才能あるいは素質の持ち主。変革の指導者としての適性あり。ユニークな感性で成功。自分のやり方を貫き通す。
(過去に失敗した何かをやり直すような運気?)

※冥王星のサビアンは「敗北を優美に認める将軍(負けを認めることが成長につながる。失敗を未来に生かす)」
4室に天王星と月があるので、地殻変動やその他自然現象には注意。

«母性についての妄想メモ

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ