2018年1月 3日 (水)

「君の名は。」で妄想

地上波で放送された「君の名は。」を鑑賞し終えた。以下は第一印象に基づく妄想。

まず、彗星の名前「ティアマト」はシュメール神話の混沌(破壊と創造の源泉)を司る女神から来る。
彗星が落ちたことで糸守湖はひょうたん型になった。ひょうたんは五行だと金。豊かさの象徴でもある。新クレーターに水が溜まってひょうたん型の湖になった様は五行思想で言う「金生水」か。さらにひょうたんは「貴重な種(データ)を入れる容器」として使われてきたものでもある。
また、作品で印象的に表れる「扉」。これは「新しい世界や異世界(世界線)との境界」という意味の他に、「自己発見」という心理的象徴がある。作品の扉が出てくるシーンにご注目。

ヒロインの名前「三葉」は、恐らく三つ葉のクローバーの花言葉「私を思い出して・約束」から来るのではないかと思った。主人公の名前である「瀧」は心理学的象徴として「健康的な感情の解放と表現」というのがあり、また二人が流す涙(無意識下に抑圧されてきた心の解放=心を思い出す様)でもあるだろうか。 いわば、無意識下に抑圧され無自覚な心を自覚させようとする働きの一種。

◆思い出すべきもの
次に、三葉は瀧のアニマ、瀧と三葉のアニムスという前提で解釈すると、二人は「思い出すべきもの(三葉)」と「思い出すべきものを思い出させる能力(瀧)」という対の存在になる。三葉にとっては「思い出す能力(瀧)」の存在を思い出すことが重要になる。それが彼女の中に眠っている可能性を象徴したアニムスなのだ。
(※アニマ・アニムス:理想の異性像。抑圧された自分の個性や可能性を象徴していることが多い)

では「思い出すべきもの(三葉)」とは何なのか。
それはおそらく、「日本人の集合無意識領域(=日本人のDNA=組み紐)に抑圧された精神性や感性(=形骸化し因習化した空虚で意味のない伝統ではなく、その伝統を創った意味や背景や動機に存在する心性)」じゃないかと思った。即ち、日本人がDNAの中に持つ歴史的な資産(=貴重なデータ・種)ともいえるもの。抑圧された日本人の個性であり、それを思い出すことは日本人(のDNAを持つ者)にとって「自己発見」と言える。
そんなDNAに記憶された精神的資産が「糸(個人単位のDNA)」や糸が合わさり集約された「組み紐(集団単位のDNA記憶=集合無意識の記憶)」で象徴されている気がした。作中で組み紐は時間(歴史)のシンボルとして扱われてきたが、糸をより集めたような二重らせん構造のDNAもまた命の時間と歴史を司るものだ。
「糸守」とはまさにその心性・精神性のデータが貯蔵されている場所であり、現状では外の世界から隔絶=封印・抑圧されたまま外界に広く生かされることなく、意味を失い形骸化した因習に縛られるだけの閉塞感を抱えた状態でもある。その現状に幻滅し背を向けた結果、土建屋と癒着し腐敗した政(まつりごと)に耽る三葉の父の姿は現代日本の象徴か。

この閉塞感を打破するには、「思い出す(集合無意識規模でDNA記憶がONになる)」ことが必要。その思い出す働きを担ったのが「瀧」であり「三葉」であるという・・・
そのDNAに記憶されている心性はおそらく東征時代末期の1200年前、彗星が最初に落ちた頃から既に抑圧が始まっており、江戸時代(糸守で大火のあった200年前)にも抑圧が発生した可能性がある。
そしておそらくは現代保守の祖となる近代東征時代(=明治時代)にも発生していたはずだ。我々が伝統的な文化や価値観、日本人の心性を代表するものだと思っていた物事の中には、明治時代になって人工的に作り上げられたものがかなりある()。 初詣だってその一つだし、「結婚しないことは恥」という古そうな価値観だってその一つだ(江戸時代の結婚率はそんなに高くないし人口の大多数を占める庶民の結婚は夫婦別姓・夫婦別財だったという)。

◆形ではなく中身
なお、近代東征末期に生まれたお祖母ちゃんの「一葉」という名前は一つ葉のクローバー花言葉「始まり」、
同じく二葉の花言葉は「(ヒロインを生み出すに至る)素敵な出会い」から来ているだろうか。妹の四葉は言うまでもなく「幸運・幸福」。
一葉の代から既に「思い出そうとする流れ」は始まっており(しかし1度目の挑戦は失敗)、次のチャンスは三葉の代に訪れる。いわば隔世遺伝のような感じ。
伝統の「形」を受け継ぎ保存するのではなく、形にこだわり囚われ縛られるのではなく、時代にマッチした形に魔改造されようが全然別の形になろうが決まった形が無くなろうが、そこ(=器=ひょうたん)に吹き込まれる「魂」となる精神性や心性・感性こそ大切に維持し運用・活用しうる資産であり豊かさであるということかもしれない(ひょうたんは豊かさの象徴でもある)。←江戸時代依頼の生前退位を決断した今上の心にも似た要素ありそう?

伝統に秘められた動機や意味や理由の源にある(魂・心性)が失われ形骸化した因習の支配する世界(タロットなら塔)から「思い出すべき魂(ラテン語でアニマ)」を救い出す(思い出す)という側面が「君の名は。」にはあるかもしれない。
我々の中に三葉と瀧はいて、今も夢の世界(無意識~集合無意識の世界)で奔走してるかもしれない(妄想)。それがこの作品が日本でヒットした(日本人の集合無意識が反応した)一因かどうかは定かではない。
もしも我々にしか思い出す(自覚・統合する)ことができず活用できない大切な資産が自らの無意識及びDNAに眠っているのだとしたらぜひともそれを目覚めさせてみたいものだ。311という龍脈大変動を経た今、それが実現する運気の可能性は集合無意識規模で上がっているのかもしれない。
そういえば監督の名前を「新海誠」というそうだが、心理学的に「海」は集合無意識のシンボルとされている。そのため、この作品の監督の名前を心理学的にオカルト解釈すると、偶然にも『新たなる集合無意識の偽らざる心』って意味になるわけだ。

・・・などと妄想し楽しかった。

2018年占ってみた

月と土星が非常に強いトライン
感受性と抑制の調和。一時的な感情に流されることなく、また冷淡ということもなく、程よい距離を置いて物事をしっかり見つめる。冷静にして柔軟。あまり目立たないが、内面的に調和のとれた美しい人。感覚はやや古風で奥ゆかしい。
(『きれいごとや謳い文句より現実性』という意識が世相へ自然に浸透していく? 流行や宣伝による消費誘発は効果が鈍いかも。)

水星と金星が非常に強い合
軽快な美的センスの持ち主。若々しいファッション、ポップアートなどに適性。生き生きとして魅力的な人が多い。軽やかな恋愛を好む。浮気っぽく、次々と違う人を好きになる。
(野党にそういうタイプの人が出てくる?)

太陽と火星が強いスクェア
エネルギッシュだが、野心と現実のあいだにギャップがある。短気で短絡的。荒々しい。長期的な展望に欠けるため、その場その場の思いつきで、情熱を間違った方向にそそぎがち。負けず嫌いで傲慢。わがまま。エネルギーを地道な努力と結びつけられれば吉。
(政府内のどこかが無茶による失敗を通して『日本的コミュ障』と呼ばれてる部分を治していく運気かも。メディアの誤報やフェイクニュース、国土交通省管轄の事業に注意。失言騒動あり?)

木星と冥王星が強いセクスタイル
平均3年に1回くらい生じる。極度の発展を暗示する世代的座相だが、それほど強い暗示ではなく、毎回実現するわけではない。
(何らかの失敗を受け入れることで精神的な成長と失敗を未来に生かし物事を路線変更したり改良・改善する運気。国会や地方自治の分野でそういう流れが生まれるかもしれない。冥王星がロシアの星座なので日露関係が変化していく可能性も。地方にとっては運気好転の兆しとなる動きあり?)

金星と冥王星がごく弱いスクェア
困難な愛情にとらわれて身動きが取れなくなり、自殺や心中まで考える。美に関する分野で潜在的に鋭い素質を持つ。
(景気回復の実感は薄い年かも)

水星と冥王星がごく弱いスクェア
意味は吉角と同様で非常に頭が鋭いが、それゆえに世間にすんなり溶け込めず、葛藤が生じる。
(国民世論には支持されがたい何かがあるかも)

火星と天王星がごく弱いトライン
情熱と独創性の調和。新しい分野を切り開くことのできる才能あるいは素質の持ち主。変革の指導者としての適性あり。ユニークな感性で成功。自分のやり方を貫き通す。
(過去に失敗した何かをやり直すような運気?)

※冥王星のサビアンは「敗北を優美に認める将軍(負けを認めることが成長につながる。失敗を未来に生かす)」

2017年12月 3日 (日)

母性についての妄想メモ

【母性】
種族規模の本能。種族(種族魂)が己の分身で端末でもある各個体に宿らせ働きかける「己を生かす力と意志(生命力+生存本能)」の一種。
その「己生かす力と意志」を各個体に働きかける時、その作用の様子が個体から見て「自分以外の者を経由して自分に作用した(自分を経由して自分以外の者に作用させた)」と見える場合、母性とか慈悲・慈愛とかいった印象になる。
自然界や集合無意識、自分の魂、無意識・運勢などを経由してインフラ的に作用すると「地母神」的な印象になる。
自分自身の顕在意識を経由して作用すると己への母性となり、自分自身が生きる喜びを実感できるような生き方(真の望みに沿う生き方)をしたり、そうして得た生きる喜びの実感から自己肯定や自尊心、 「己を生きる意欲(己の人生を愛する心)」などになる。本当の意味で自分を幸せにする力にもなる。動物的な面では自己保存本能とも密接。

(真偽不明だが、母性には母性独自の周波数のようなものを持っている?)
ある個体が一定の条件下で自分に宿る母性と周波数が同調すると母性が発動する。その個体経由で母性発動する。個体によって同調条件は異なるが、母性発動には自分の同調条件を安定して満たせることがカギ。
ただし24時間365日常に種族本能である母性と同調し続けられる(=個体としてではなく種として生きられる)個体は存在しない(個と種のキャパシティが違いすぎる)。個人に対して常に母性を求めるのは相手の人格と人間性を無視し否定する行為。

自分が特定の誰か(個体)に「母性と同調し自分へ母性発動すること」を求めてもそれが実現しなかった場合、それはその誰かがたまたま個人的諸事情で母性の同調条件を満たしていなかっただけにすぎず、「母性が自分に発動しないのは、種族が自分自身に対して『己を生かす力と意志』の発動を拒んだ(=種族が自分を己の一員と見なさない=自分は種族の一員ではない=自分は人間ではなく種から生を望まれてない人間以下の存在)」という事など意味しないが、時々誤解してそういう解釈をしてしまう人がいる。
それは、母性の発動(同調)を求めた個体(母性の器)と母性そのものを混同・同一視したために発生することがある。種族と個体の混同・同一視は神とヨリマシ(神を降ろす巫女)を混同・同一視するようなものだ。

特定の個人経由で母性の作動が出来なかった場合、最も手っ取り早い対応は自分自身が自分に宿る母性と同調し母性の発動をしてみること。自分で直接、種族規模で存在する「己を生かす力と意志」に触れること。イメージすること。種族自身が自分のその端末(その端末になってる自分)をまだ地上に置いて活動したい場合は別の個体経由で母性が発動するか地母神が発動するか自分を器に「己に対する母性」が発動するかして何らかの形で運気(生命力の一種)を流し特定の個人を経由せずに「己を生かす力と意志」を可能な限り行使するだろう。 全力で死なない運勢を創ろうとする。それは時に奇跡を生む。
例えば、真冬のロシアに捨てられたとある赤ちゃんには、猫に助けられるという奇跡の運勢が発動。恐らく人類どころか高等哺乳類規模で自分の端末(端末になった自分)を生かそうとする母性が動いたか?

一人一人に宿る魂は、種族魂の分身だ。種族にとって一人一人はまさに「自分(自らを分けたもの)」だ。
そのため、種族と魂は「己を生かす力と意志」という一つの心を共有する。
種族と魂は今日も言っている。
『私はお前が(=自分が)健やかに喜びをもって生きていると嬉しい』
魂「私はお前を生きるのが大好きなんだ」
種族「私はお前を生きるのも大好きなんだ」

魂の環境インフラ

2017年11月13日 (月)

シン・ゴジラに隠された陰謀論?

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。作品の公式設定とは一切関係がありません。

昨日TVで「シン・ゴジラ」を見た。政府のお役所対応や手続きの回りくどさはリアリティを感じたが、ゴジラを倒す方法(在来線カミカゼ)にはリアリティを感じなかった。ゴジラによって千代田区の南部と東部は焼け野原になったが北部と西部、そして皇居が無傷なのは大人の事情によるもの。破壊活動に際してあらかじめの配慮をゴジラに根回しするのが日本国の伝統的鉄則だ。そんなことを考えていたら、またむくむくと妄想が湧いてきたので以下に記す。

◆ゴジラの背景に一極派と多極派の攻防?
ゴジラは人々に忖度して東京駅(風水的には富士龍脈終点&北龍バイパス終点)の線路上という丁度いい場所に居合わせてくれたのが良かった。お蔭でヤシオリ作戦が成功したのだから。
ゴジラを凍らせる(このブログ風に言うなら火気流失させる)のに電車(風水なら水龍=金運・経済の象徴)を活用するのはあまりリアリティを感じない作戦だが、この作品自体が陰謀論視点で見た世界情勢のメタファーになっているものとして妄想したら、結構面白いかもしれないと思った。
以下、シン・ゴジラを陰謀論の世界ではお馴染みの、「一極派と多極派」のメタファーとして妄想した結果。
まず、ゴジラが一極派(英米軍産複合体勢力。世界のパワーバランスを英と密接な米国一極覇権型に保ちたい)で、それに立ち向かう側の赤坂・里見やキヨコの上司達が多極派(英米軍産と利害対立する資本家勢力。世界のパワーバランスは米だけでなく有力な世界各国で担う方が商売上好都合)のメタファーと脳内想定した。
従来は劣勢だった多極派が強大な一極派に対してよくやる手口が「暴走させて自滅作戦」という。要するに米国を拠点とする好戦的な一極派を煽り米国を「世界の警察」にして各国のもめ事に介入させ戦争を起こし、しかも泥沼化させることで損害を生み出し癒着している政権の支持率を落として力を奪っていくというやり方である。ベトナム戦争やイラク戦争などでこの手口が使われたという噂。
作中ではその「暴走させて失敗作戦」のメタファーとして、「ゴジラ(一極派)を東京におびき寄せ大暴れさせることで邪魔者を一掃した後自滅に導く陰謀」が展開しているように見えた(幻覚)。

◆牧教授と里見・赤坂、キヨコの上司達はグル?
そもそもの話、ゴジラはわざわざ東京に現れて大暴れしなければ、倒されずに済んだのだ。あるいは自衛隊に狙われて一度海に逃げた時、それっきり戻らなければ死ななくて済んだ。けれど、まるで何かの意志によって誘導されたように東京(しかも東京駅)へ舞い戻って退治された(=自滅した)。
ゴジラ(=一極派)大暴れの仕掛人が日本の大学教授と言うところも意味深。あの教授はゴジラを意図的に暴走させ、また一方でゴジラを倒せる(火気流失させ機能停止させる効果のある)凝固剤(このブログ風に言うなら水気)づくりのヒントも残している。最終的には暴れるゴジラを倒せるように仕組んでいるのだ。
一極派(核兵器開発と日本における市街地実験の黒幕でもある)の暴挙によって被曝死した妻の仇を討つべく、牧教授は長年にわたり計画を練って一極派(=ゴジラ)を「暴走と自滅」に誘導する。その復讐心を利用し、ゴジラの上陸をあらかじめ知っていた米国内の多極派(カヨコの上司含む)や日本側の多極派(外遊で難を逃れた里見首相や赤坂)達、それに利用された主人公や巨災対の面々・・・
戦後はずっと一極派の傀儡だった日本政府もまた、「内閣総辞職ビーム」で崩壊する。

◆グレートリセットで「日本を取り戻す」?
ゴジラの大暴れが全て仕組まれたものだとすると、竹野内豊扮する赤坂秀樹(しかも元外務官僚)が主権の中枢にのし上がったラストシーンのセリフが印象的になる。
せっかく崩壊した首都と政府だ。まともに機能する形に作り変える」
「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる」
ゴジラが大暴れしてくれたお陰で邪魔者は全ていなくなり好都合だと言わんばかりのこのセリフ。
そう。この国のシステムは表に現れぬ本当の「中枢」(一部の官僚はその手下)を潰さなければ真に崩壊しない。それどころか、システム中枢が利益と判断すればこの国を意のままに破壊できるし、意のままに再生させることも出来るのだろう。「邪魔者を一掃するグレートリセット」のためなら東京にゴジラを放ち壊滅させたってかまわない。土建屋とその利権層は復興利権でガッツポーズし一層の忠誠を誓うだろう。
そのシステム中枢は、かつて英国(一極派)の傀儡になるのと引き換えに江戸幕府を解体し日本を近代化させ、第一次大戦による英国の息切れと日本近代化による産業革命に乗じて一極派の傀儡脱出&主導権奪取を試みるも(中枢部が英と癒着したやはり一極派の米政権により)こっぴどく叩きのめされて以来ずっと対米(対一極派)従属を続けており、「日本を取り戻す」ことができずにいた。その時転がり込んだ「ゴジラ計画(多極派による一極派の暴走と自滅が目的)」のオファーはグレートリセット(=日本を取り戻す=再度私物化する)のまたとない機会であっただろう(妄想)。
里見のパイプを使い核兵器投下の遅延に協力したフランスも、多極派の国である。そのことを考えるとゴジラを倒すために一極派の商売道具である核兵器(牧教授の憎悪対象でもある)を何としてでも使わせたくない理由は単に「被害が甚大だから」という点だけではない気がしてきてしまう(妄想)。
そして、とうとうゴジラ打倒に成功したヤシオリ作戦は、日本がアメリカに依存せず一人で自立して成し遂げる(=対米従属から対米自立への針路変更を意味)する必要があった。

そして「中枢」にとって、千代田区の南部や東京駅はスクラップにしてもいい場所だが、千代田区中心部(皇居)と北部・西部は決して傷つけてはいけない場所である(そこに作中でちょっと出た六芒星の窓を持つ科学技術館もある)。渋谷区や新宿区も同様に、無傷であるべき場所だ。
万が一ゴジラが皇居のシャチホコをむしって食べちゃったりしたらそれこそゴジラ計画担当者の責任間で責任のなすりつけ合いになってしまうにちがいない(電波)。
なお、ゴジラ計画による一般国民の損害に関しては特に配慮されてないことは言うまでもない。作戦に犠牲はつきものぐらいにしか思ってないだろう(陰謀脳)。

とまれ庵野監督は、意外と陰謀論がお好きなのかもしれない。などと妄想すると楽しかったw
いかなる形かは不明だが、この国で多極派と一極派の攻防による「ゴジラ計画(一極派を暴走と自滅に追いやる=日本を取り戻す)」が実行されるかもしれないが、それはきっと多くのビルや民家が瓦礫になる形のものではないと思う。作中のように「核が落ちる寸前」という危機感の演出はなされるかもしれないが・・・
もしもリアルでゴジラ作戦が行われた場合、崩壊するのは民家やビルではなく、経済的な何かの方かもしれない。というのも、ゴジラ打倒のカギとなった「鉄道」や「血流」というキーワードは、占いの世界だと金運(経済の流れ)の象徴になるものだからだ。わざと経済的な何かを崩壊させる作戦・・・まさに陰謀論w

陰謀論の世界では有名な一極派と多極派、どちらにしてもろくでもない似た者同士の波長を持っている。争いは同じレベルの者同士でしか発生しない(AA略)。彼らを支配し突き動かす弱肉強食とアドレナリンの鎖(敗北の恐怖・飢えの恐怖etc)から彼らが脱出し救われる日を願っている。

2017年10月22日 (日)

立憲民主党占ってみた

※以下は趣味で使っている占星術ソフト「アストロロギア」の鑑定結果です。特定の団体や人物を誹謗・中傷する意図はありません。あくまでもネタとしてお楽しみください。

火星と冥王星が非常に強いトライン
異常なまでの情熱の持ち主。揺るぎない勇気をもって、とことん頑張ることができる。肉体的な愛情関係において、官能的な強い喜びを得ることができる。

月と天王星が非常に強いセクスタイル
感受性と独創性の調和。ユニークな感性を発揮できる才能あるいは素質の持ち主。人とは違った独特の感覚を持っている。風変わりで、おもしろい人。進歩的、未来的。自由・平等・友愛の精神を尊ぶ。

木星と天王星が強い衝
発展と変革のあいだの緊張。この世代においては、急激な社会の変化によって矛盾や問題が生じやすい。個人的意味は、自分のやり方にどこまでも固執してしまうこと。その頑固さに、内省能力が加われば吉。

月と木星が強いトライン
柔軟で寛大な精神の持ち主。才能に恵まれ、全般的にツキがある。物の感じ方は鷹揚で品が良い。多感ゆえの脆さはなく、堂々とした貴婦人のごとし。芸術方面に適性。繊細というよりは、まろやかな性格。

金星と冥王星が強いトライン
いつくしみ深い性格。献身的な愛を限りなくそそぐ。美に関する分野で極端な才能ないし素質を持つ。

金星と火星が合
きらりと光る妖しい魅力があるが、気位が高く、押しつけがましい。「女王様」的な性格。周囲との摩擦が多い。しばしば官能的。

金星と海王星が衝
夢のような甘い話に弱く、結婚詐欺やインチキなセールスにひっかかりやすい。恋人を勝手に理想化して、結果的に幻滅しがち。既婚女性はよろめきやすい。将来に向けて美しい夢を思い描くが、おおかたは机上の空論。夢はあっても地道な努力が嫌い。そのため心の中に葛藤が生じやすい。快楽主義者。酒や麻薬におぼれる。夢想の能力を建設的に生かせれば吉。
(現実よりも理想を優先しがち?)

月と土星がごく弱いセクスタイル
感受性と抑制の調和。一時的な感情に流されることなく、また冷淡ということもなく、程よい距離を置いて物事をしっかり見つめる。冷静にして柔軟。あまり目立たないが、内面的に調和のとれた美しい人。感覚はやや古風で奥ゆかしい。

海王星と冥王星がごく弱いセクスタイル
信じられないような夢をもたらす世代。終戦直後の1940年代後半、および1960年代にもこの角度ができている。

土星と天王星がごく弱いトライン
平均すると十数年に1度の割合で生じる世代的座相。制限と変革の調和。堅実な変革、例えば無血革命を暗示する。

火星と海王星がごく弱い衝
実現不可能な非現実な夢に情熱を傾け、空回りする。不透明な分かりにくい性格なので、いさかいや摩擦が多い。たいした理由もないのに他人と争い、それがエスカレートしがち。原因不明の事故、不透明な性的関係といった意味もある。鋭いイマジネーションを持っているが、ビジョンが粗野で、独り善がり。大事な点を見落としやすい。妄想の世界に没頭する人もある。夢想の世界にかける情熱を建設的な方向へ生かせれば吉。
(完璧主義になりすぎると何一つ実行できなくなってしまう注意)

【余談】
実はは100年前のロシアにも「立憲民主党」と同名の政党が存在した。ロシア革命100周年でもある今年、枝野氏が自ら立ち上げた政党に100年前まで存在していたロシアの政党と同じ名前を付けたのはおそらく偶然じゃないだろう。今後(安倍政権以降?)の日ロ関係を見据えているような気がしなくもない。

2017年10月 3日 (火)

宇宙という生き物

※以下に書いたことは個人の妄想です。かなりイッちゃってます(いつものこと)。

人々の運勢や龍脈の動きや星々の動きというものを見ていて、ある日ふと思った。

「人間界の動き(運勢)と龍脈や星の動きが連動=龍脈や星の動きと人間界の動き(運勢)が連動している」ということは即ち、地球と人類は同じ一つの巨大な生き物である証なのかもしれない、と。
恐らくその「巨大な生き物」とは、哲学の世界で宇宙とか万物とか存在とか呼ばれてるもので、人間を含む様々な生き物に宿る魂(=生命)はその「宇宙(万物)」の一例であり、その生きざま(人生)は「宇宙(万物)」がやっている活動(取り組み)の一例なのだろう。ユングは一人一人に宿るそんな命(=宇宙)を「セルフ」と呼び、古今東西にある「神」の概念のモデルになったという。神・・・アレが「全知全能」な理由は、我々を含めこの世に存在する万物自体が神だからかもしれない。「八百万の神」って言うしw
宇宙は私の人生に取り組み、あなたの人生に取り組み、彼の人生に取り組み、彼女の人生に取り組み、あの人の人生をやっている。今この瞬間も。我々の人生というものは、もしかしたらそのどれも全てが「宇宙規模の取り組み」なのかもしれない。今この瞬間も、宇宙は一人一人になって活動(取り組み)をしてるのかもしれない。
「宇宙」とは、かように壮大で巨大なプロジェクトの名前でもあるのだろうか。
みんな同じ一つの生き物ならば、誰かを見下しバカにするのも他人に劣等感を持つのもナンセンス。宇宙という生き物にしてみれば、見下す側も見下される側も全て自分だし、自分との間で優劣を競うのもナンセンスだ。他人と自分では、取り組んでいることが違う。宇宙はその人にならないと出来ない取り組みをしているのと同様、自分という人間にならなきゃ出来ない取り組みをしているに過ぎない。どっちも宇宙にとっては「やりたいこと」だ。自分のやりたいことにいちいち優劣をつけて競うのはナンセンス。
・・・などと思っていたら、妄想電波が止まらなくなってしまった。

◆見えているものは氷山の一角
宇宙(万物)の全てをひとつにつなげているものは、我々が「集合無意識」と呼ぶもの。しかし我々は宇宙(万物)の大部分を見ることが出来ず認識もできていない。島のようにところどころしか見えてない。
そんな、我々がたまたま今のところ「見えなくて認識できていない宇宙(万物)の大部分」のことを、ユングは便宜的に集合意識と名付けたに過ぎないのだろう。あれは、我々が見えて認識できているもの(顕在領域)と同一のものだ。万物で宇宙だ。 あれを我々が認識できるようになれば「集合意識」に変わる。
我々を含めた宇宙(万物)が巨大な一つの生き物であるなら、集合無意識が関与して発生すると言われる「シンクロニシティー」が起きるのもごく自然なことだ。 多分、量子テレポーテーションとかいう現象だって不思議じゃない(文系オカルト脳)。

宇宙は今この瞬間も新しい何かを生み出し、また生み出したもの(どれも自分)を経験している。宇宙(万物)という生き物は己の好奇心と情熱によって自ら沸き立ち泡を生じさせ波打つ水に似ている。まるで海だ。
そして「海」もまた、心理学的には集合無意識(=宇宙・万物のうち、我々には見えてない大半の領域)の象徴とされることがある。集合無意識(海)もまた宇宙であり万物である。宇宙、万物、海・・・呼び名が異なろうと見える/見えないの差があろうと3者は本質的に同一だ。
海・・・ハワイ語なら『モアナ』という。
我々は宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物にしてその取り組みの一環だ。しかし我々はその全体の一部分しか見えてない。自分と全体をつなげている部分(宇宙の大半の領域)を見ることが出来ずにいる。見えていないお陰で自分達が宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物だと気付かずにいる。
(我々が『人は体が死んだら無になる』と思い込んでいるのも宇宙の大部分が見えてないせいかもしれない。無になるんじゃなくて単に肉眼で認識できなくなるだけだったりして)

◆「モアナと伝説の海」でオカルト妄想
「宇宙の一部分しか見えていないお陰で自分達が宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物だと気付かずにいる」・・・けれど、とある南洋の少女は気づいたのかもしれない。 自分の住む島から見える範囲の海(サンゴ礁の内側)だけではなく、今までは見ることが出来なかったサンゴ礁の向こうに広がる海を見ようとする視点を持っていたあの少女は。サンゴ礁を「宇宙の見える範囲」に、海を「宇宙」に、「サンゴ礁の向こうに広がる海」を集合無意識(=宇宙の見える範囲より向こうに広がる宇宙)に置き換えても同じことが言える。
そしてサンゴ礁を越えて海をどこまでも自由自在にあちこち移動し見て回ることが出来れば、やがて「海は一つにつながっている」ことを知るだろう。

つまりオカルト視点だと、「モアナと伝説の海」は哲学的・形而上学的な解釈すらできそうだ。
旅とか航海は時に「経験を積んでいくこと」を象徴することがある。船はさしずめ経験を積むためのツールか。
サンゴ礁(宇宙の見える範囲)を越えて「海(=宇宙・万物))」を自在に行き来出来た「祖先」が象徴するものとは、自らの好奇心と情熱により万物を創り万物となって(時に無数の多様な生命として)経験をし、宇宙全体の視野(万物を一つの生命とする視野)を持ちながら同時に個々の万物として活動していた記憶。つまり個~宇宙全体までの視点を(見えぬ場所なく)広く自由自在に行き来し個と全の視点を両立・統合させた上で無数の経験を積み重ねていった宇宙自身の記憶であり、その記憶は宇宙が行う活動の一例であるモアナの中にもあっておかしくはない。「生生流転」こそ経験を積む航海の旅。その記憶は宇宙の記憶・・・

その記憶(=祖先)に導かれ、モアナは滝の裏に隠されていた祖先の船(サンゴ礁=見える範囲を越えて航行する能力)を発見し、それに乗ってとうとうサンゴ礁を越える。見えなかった領域が見えるようになる。
宇宙という巨大な一つの生き物にして宇宙が行っている活動(取り組み)の一例でもある我々の中にもモアナと同じ記憶はある。我々はかつて、「サンゴ礁(見える範囲)の向こう側」を知っていたし、自在に行き来出来た。そしてサンゴ礁を超える視野で「自分」という存在を認識していた。自分が宇宙だと知っていた。
モアナは祖先同様にサンゴ礁の向こうを旅するにつれ、ある日自分もまた「モアナ(宇宙)」だということに気付いた。いや、気付いたのではない。自分(宇宙)の記憶を思い出したのだ。だから霊になったおばあちゃんの問いかけ「お前は誰か?」に答えることが出来た。

♪広い海旅した 祖先が私を呼ぶの 
 遠くへ旅をして分かって来た 私を呼ぶ声が聞こえる 

 心の声が呼んでいるの 波のように打ち寄せては 
 語りかけてくるその声が 教えてくれたの

 私はモアナ

そんなモアナの気付きは、世界から失われた「テフティ女神の姿とそのハート(=地母神)」を取り戻し、世界を「黒い病」から救うカギとなった。地母神とは、宇宙が己を(万物を)生かす(生きる・己の人生に取り組む)ための本能であり機能だ。そう、宇宙(モアナ・海)の本能だ。

◆生まれながらの冒険家
自らの好奇心により自ら沸き立ち泡立ち波打って万物を生み出し万物となって経験を積む。宇宙という生命体が行っているそんな活動には、まさに冒険家が自らの好奇心を実現すべく旅する過程で味わう精神的な喜びを秘めているように妄想した。その得も言われぬ無上の「経験する喜び(=好奇心実現の喜び)」を愛し求める心こそ、旅への情熱になりテフティ女神のハート(経験のために万物を生み出し、宇宙が取り組む経験の旅路を支援する地母神の愛。時に実りや豊かさという形で支援をもたらす)になるのかもしれない。その心をスピリチュアル風に言えば、「宇宙の愛(無条件の愛)」ってやつか?
己の生命活動(人生の旅路)に取り組んでいる我々一人一人(全員宇宙)もまた、自分自身の中に宇宙が抱く冒険家のようなあの好奇心と経験への愛と情熱を宿している。それが単純に言えば「生きる喜び」ってやつなんだろう。
その心が我々の内なる地母神(その人が魂の底から望む生き方を支援するような運勢を創りだす魂の環境インフラ。過去記事参照)にもなるもので、それはまさに魂(=個々の人生に取り組む宇宙)の自己実現本能ともいえる。
宇宙(万物)の一例たる我々に宿りし魂の基本理念は、宇宙が持つ冒険家のような好奇心と経験への喜びに対する愛と情熱=生きる喜びなのかもしれない。そして喜びは愛を生む。宇宙にとって我々は「己の愛しい取り組み」というところか。魂(宇宙)が己という命(取り組み・経験・旅路)を生きる喜び・・・それは自己肯定の源。
(その取り組みの旅路全てが道中に迷いも抑圧も葛藤も困難もなく他や全体と調和してるかどうかはまた別の話。自分にとって本当に望む生き方=旅のし方を自覚し実現できてるかどうかも別の話)

宇宙が愛してやまないその旅路は、祖先の船(サンゴ礁を越える能力)を持つことで初めてできることだ。
もしも意識がサンゴ礁の内側に閉じ込められてその外を見ることが出来なくなったら、自分が何者かを見失い、かつてのようにサンゴ礁を越えて個~全を包括する視点と意識を駆使した「旅」は出来ない。新しい経験も出来なくなる。即ち「経験する喜び(生きる喜び)」が阻害されることを意味する。宇宙視点で旅(経験・取り組み)が実行出来なくなった場合、経験の旅路を支援する(喜びを促進する)地母神の愛も実行できなくなってしまう。即ちテフティ女神とそのハートは機能できなくなる。サンゴ礁の外が見えないと自分が分からず自分の心も深く把握できず本当に望む生き方(旅のし方)も見えてこない。
サンゴ礁内に監禁されて本能的な旅への愛と情熱が吐け口を失ったまま内圧を募らせることで発生する強いストレスは、やがて溶岩の魔物テ・カァとなっていつかどこかで目に見える形で噴火してしまう(封じられた情熱の炎は怒りの炎へと変質しやすい)。噴火は破壊的な結果となり、自分や周囲を傷つけることもある。旅(宇宙として万物となり経験すること)が阻害されれば、経験のために生み出した万物の存在意義がなくなる。これが世界を消滅させる「黒い病」だ。

このような状態はモアナの世界(テフティ)だけではなく日本神話の世界(イザナミ)においても同じことが起きている。モアナの世界で起きたことと全く同じ課題が日本人の集合無意識領域にも存在するのだ。いや、日本どころか全人類の集合無意識にあるだろう。
日本のイザナミの場合、古代の軍需産業を象徴する製鉄の神を産んだ時に大火傷をして死ぬわけだが、溶けた鉄は溶岩とそっくりな点に注目。彼女は最終的に怒り狂ってテ・カァになる。製鉄神が生まれた時点で、古代日本の人々はサンゴ礁の外が見えず己を見失い本当に望む生き方も見えず実行できず、それを支援する内なる地母神の発動も阻害され、運勢が落ちて飢えて奪い合い争い戦いに明け暮れるようになってしまっていたのだろう。
似たようなことは、どこの国でも起きたことだ。

サンゴ礁を超えた広い視野を持つのと持たないのとでは、自己認識も生き方も運勢も経験も全然違ってくる。
「宇宙という生き物が(冒険家の如き好奇心をもって)行う愛しい取り組みにして宇宙自身の一例」たる我々は、その身に宇宙と同じ経験への喜びと情熱と好奇心(=生きる喜び)を本能的に宿していることを意識し、宇宙という生命体を起源とするあの喜びの心を忘れたり見失なったり抑圧しないようにすることが大切だ。万一忘れたり抑圧していたら思い出すこと・意識することが大切だ。放っておけば己の中に黒い病やテ・カァが発生してしまうが、「思い出す・取り戻す」という発想を常に心にとめておけば、やがて魂が本能的に取り戻す・思い出す方向へと運勢の舵を切り動き出す。モアナの物語が始まる。それ自体が新たなる経験の旅路となる。
我々の本性である不滅の魂は、広く自由な目と心で経験への喜びと情熱をたぎらせる偉大な旅人「宇宙」だ。
宇宙は言っている。「○○(自分の名前)を生きること(〇〇になって人生を旅すること)が好きだ」
(ここで宇宙からの妄想電波回線がクローズw)


【おまけ】
in deep様の記事←記事の題名は「太陽と人間と地球の間に存在する永遠のシンクロ :最近の研究でわかった『全ての人類の心臓のリズムが地球規模で同期している』と共に、『太陽と地球と全人類は常に磁場を介して同期している』こと」。
「同じ一つの生き物」という共通点のある存在同士が共鳴・共振し合うこともあるだろう。

「天空の城ラピュタ」のオカルト解釈
←ここで書いた「種族の視点」は個~宇宙全体の中間に存在するもの。シータとパズーは自分(個)と人類(全体)が同じ一つの生き物であるという視点を獲得することで死の恐怖を乗り越えた。種族の意識(視点)は我々が普段は見ることのない集合無意識領域にある。
「モアナと伝説の海」で妄想

2017年9月26日 (火)

希望の党を占ってみた

※以下は趣味で使っている占星術ソフト「アストロロギア」の鑑定結果です。特定の団体人物を誹謗・中傷する意図はありません。あくまでもネタとしてお楽しみください。

火星と海王星が非常に強い衝
実現不可能な非現実な夢に情熱を傾け、空回りする。不透明な分かりにくい性格なので、いさかいや摩擦が多い。たいした理由もないのに他人と争い、それがエスカレートしがち。原因不明の事故、不透明な性的関係といった意味もある。鋭いイマジネーションを持っているが、ビジョンが粗野で、独り善がり。大事な点を見落としやすい。妄想の世界に没頭する人もある。夢想の世界にかける情熱を建設的な方向へ生かせれば吉。
(火星のサビアンは『政治的な内紛を制圧する強い手』。色々なメンバーが雑多に入って来て統一感が薄い印象。与党にとって『不都合な者達』をおびき寄せ党内の内紛で粛清・排除したり飼い殺しにする機能を持っているかもしれない)

水星と土星が非常に強いスクェア
知性・表現力が抑圧される。不勉強で活発さを欠く。自分の気持ちを言い表すのが苦手。陰気だが、あまり冷静ではない。内面の落ち着きを欠き、神経質で苦労性。どうでもいいことをあれこれと気にかける。悲観的で疑い深い。もっと気楽に、楽観的になった方が良い。

木星と天王星が非常に強い衝
発展と変革のあいだの緊張。この世代においては、急激な社会の変化によって矛盾や問題が生じやすい。個人的意味は、自分のやり方にどこまでも固執してしまうこと。その頑固さに、内省能力が加われば吉。
(党の方針や路線が変化しやすい? 『掲げた方針や路線が支持を集め終えると用済みとばかりにとさっさと変更してしまう党』と見なされない注意)

太陽と月が強いセクスタイル
活力と感受性の調和であるが、単純に、「人生において普通の人よりややツキに恵まれている」と解する。10人にひとりくらいの「なんとなく運のいいやつ」。セクスタイルの場合、小さな努力によって、容易に道が拓ける。満月後の場合、ややこしい問題が解決して、だんだん物事が落ち着いてくるという意味がある。
(最初は内紛でふるい分けが発生し、その後落ち着くようだ。党内メンバーが大きく変わりやすい運勢?)

火星と冥王星がごく弱いトライン
異常なまでの情熱の持ち主。揺るぎない勇気をもって、とことん頑張ることができる。

水星と冥王星がごく弱いトライン
異常なまでの情報収集能力を持つ。知的能力や表現力も高い。異常なまでのすばやさという意味もある。
(変わり身の早さ、というニュアンスあり)

海王星と冥王星がごく弱いセクスタイル
信じられないような夢をもたらす世代。終戦直後の1940年代後半、および1960年代にもこの角度ができている。

木星と土星がごく弱いセクスタイル
発展と抑制の調和。堅実な発展にたずさわることのできる世代。世代的な座相であるが、個人的な意味もかなり強い。

土星と天王星がごく弱いトライン
平均すると十数年に1度の割合で生じる世代的座相。制限と変革の調和。堅実な変革、例えば無血革命を暗示する。

月と金星がごく弱いスクェア
わがままでぜいたく。虚栄心あり。尖鋭的な美意識を持つが、精神的な葛藤あり。しばしば母親や恋人と不和。

金星と海王星がごく弱い衝
夢のような甘い話に弱く、結婚詐欺やインチキなセールスにひっかかりやすい。恋人を勝手に理想化して、結果的に幻滅しがち。既婚女性はよろめきやすい。将来に向けて美しい夢を思い描くが、おおかたは机上の空論。夢はあっても地道な努力が嫌い。そのため心の中に葛藤が生じやすい。快楽主義者。酒や麻薬におぼれる。夢想の能力を建設的に生かせれば吉。
(この党は海王星の暗示があまり良くない。海王星の象徴分野や党内メンバーのスキャンダル注意。夢のような甘い話に弱い人々を上手に取り込んで利用する感もある)

その他の占い一覧

2017年9月 9日 (土)

太陽フレアと龍脈

※以下に書いたことは故人の妄想です。


太陽フレア 異例の規模 太陽研究の権威語る「世界中の研究者が大騒ぎしている」

大規模太陽フレアというものは、何故か発生前後に地球の龍脈を反応させることがあるようだ。フレアの前後に地震や噴火が発生したケースは今までにも何度かある。しかし、あくまで科学的根拠のないオカルト説とされている。
しかし今回の大規模フレア前後に発生した龍脈変動の様子を時系列で並べてみると、そんなオカルト説とかなりタイミングが一致する。

9.4~:鹿児島県の桜島で相次ぐ噴火←今月入ってから急に。フレア発生時も活発。実は4日から某首都圏FM局でもノイズが激しくなったという。

9.7:~太陽フレア発生。地球へ影響が出る時刻は日本時間8日15時と予想されていたが、実際は予想を上回る速さで影響が発生した()。

9.8深夜:小笠原諸島でM6.1

9.8.午後メキシコでM8.2その後間もなく九州の熊本地方(中央構造線上)でも震度4

9.8夜秋田県内陸南部で震度5強


・・・これは全て、「たまたま起きた奇妙な偶然」でしかないのだろうか?

◆ちょっと気になる書き込み
実は大規模な地震(=龍脈変動の一種)の予兆は太陽フレアが発生する前から、一部の霊感体質の人達の間では囁かれていたようだ。以下は某匿名掲示板からの引用。

495本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 (ワッチョイW 796b-IPWa)2017/08/19(土) 11:27:01.78ID:U0EbmUyx0
ツイッターの霊感持ちさんたちが大きな地震か事件くるかもという話。
外れるのがいちばんいいけど日食も近いし、春分図のIC冥王星が個人的にはずっと気になってます。
雷も大雨もきたからには。。。

815本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 (ワッチョイ cfad-6h2J)2017/09/05(火) 22:54:25.37ID:pxrJWvBL0
霊感のある方たち、地震の予感ありませんか
私にはちょっと来るんですが

822本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 (ワッチョイ cfad-6h2J)2017/09/06(水) 10:19:47.02ID:NiB8+fpc0
>>821
うーむ、やっぱり
自分の場合は、何気ない瞬間にクラっとくる
これは霊感じゃなくて、何か地震の前の地球の物理的な変化を
感じ取ってしまうんじゃないかと思う

◆太陽フレア、メキシコ地震、北朝鮮に奇妙な因縁?
さらに、今回起きた立て続けの龍脈変動は太陽フレアばかりが原因ではないかもしれない。
今回は9.3に行われた北朝鮮の水爆実験も龍脈変動の激しさを後押ししてしまったような気がする。原子力というのは、究極的な火気を発することでその土地の龍脈を刺激しうることはこのブログでも度々書いてきた。もし核実験場が巨大な龍脈上であった場合、実験次第ではその龍脈のうち歪みが溜まっている箇所を刺激しかねず、龍脈が大きいほど影響の出うる地域が広範囲になる。
そして案の定、北が高エネルギーの水爆実験をしたプンゲリという地域はカムチャツカ付近で「環太平洋造山帯」という巨大龍脈につながるユーラシア極東の龍脈上である。つまり、北は遠くメキシコとも龍脈的つながりを持っている。
そんなこともあり、メキシコ政府が核実験等を理由に北朝鮮大使を国外追放を決定した直後に建国以来最大規模の大地震に見舞われたことはユング的シンクロニシティーを感じる。
国同士の龍脈的つながりは、外交官追放ぐらいじゃ消えないのだろう。おまけにその日は、地殻が影響を受けやすいと言われる満月でもあった。
メキシコ国土の龍脈は、北の核実験、太陽フレア、満月という3つの要素から刺激を受けてしまったのかもしれない。

◆北朝鮮の龍脈と日本
北朝鮮とつながっているのはメキシコだけではない。環太平洋造山帯という巨大龍脈の中には日本列島がすっぽり入っているのだ。しかも近年は朝鮮半島を走る別の龍脈(北龍)も北陸新幹線経由で首都圏とのつながりを強めたことにより、半島と日本は運気的な結びつきが濃くなっている。
そういうこともあって北の核実験翌日からただでさえ活発な九州の龍脈(桜島)が一層活発化したり、首都圏のFM局に激しいノイズが発生(※)したり、太陽フレアが到達するとまるで北の核実験との相乗効果が発生したみたいに日本列島各地で強めの地震があったりしたことはオカルト的には辻褄が合う。
(※:気の流れの変動はしばしば電磁的なノイズを発生させ、変動地域の電気系統に影響することがある)

北朝鮮は、核実験によりユーラシア極東部と環太平洋地域の龍脈を変動させることで自分達の運勢を自ら大きく変えてしまったような気がする。しかも、無自覚に。
どんな形になるかは分からないが、その運勢変化はかの国と龍脈的つながりのある各国の運勢にも影響するだろう。何らかの理由で北朝鮮と共鳴しやすい波長を持つ国ほど要注意。
当然ながら半島情勢の運勢も変わると思う。特に、各国の「北朝鮮に対する危機感を煽って防衛商品の売り買いをする冷戦型軍需産業利権分野」の運勢に。

9.11追記
本日未明、再び大規模太陽フレア(X8.1)が発生した模様→記事。同日、メキシコに続き環太平洋造山帯龍脈のパナマ運河以南(以北の方がエネルギーは強い)に位置するペルーが北朝鮮大使を追放。

9.24追記
北朝鮮の核実験場付近でM3.0の地震。その約4時間後にまたメキシコでM6.1。
メキシコと北朝鮮は、何らかの理由でとくに共鳴しやすい要素を持っているのかもしれない。例えば両国とも貧困を抱えドラッグビジネスが盛んで、その売り上げの一部がCIAの資金源になってるとかいう都市伝説さえある。

2017年8月18日 (金)

「モアナと伝説の海」で妄想

もう2か月ほど前になるが、ディズニーのアニメ「モアナと伝説の海」を見た。CGによる水の表現は秀逸。ご先祖様が出てくるシーンはどれも圧巻だ。今回の妄想は、その作品における主人公の名前「モアナ」はハワイ語で海を意味する言葉だったことでふと思いついた解釈。

あの作品の本当の主人公は、「海」自身なんじゃないかってこと。
作品の設定上、生命の源は海。よって、あの作品に出てくる女神(地母神的)を含めた全ての登場キャラ(=生命)は海自身の中にある「自分の様々な側面(個性)」を象徴している気がした。
海は女神であり心を失った女神テ・カァであり心を奪ったマウイであり劣等感の裏返しに優越感を味わおうとする(優越感を自尊心の代用とする)タマトアであり女神の心をもとに戻したモアナでありモアナに旅立ちを促したおばあちゃんでありモアナを生み育てた両親でもある。皆が海の化身なのだ
そして海にとって、「女神が心を持っていた頃に大航海を実現していたモアナのご先祖達」は女神の心を宿していた過去の自分自身(=本当の自分)の姿とその可能性を象徴している気がした。
海は女神でもありマウイでもあるので、海は自分で自分の心を奪い隠してしまったことになる。
海は集合無意識の象徴でもある。「モアナ」という作品の主人公である海とは、我々の集合無意識のことであり我々の事かもしれないと妄想した。

私はモアナの物語に、自らハートを取り外してしまいテ・カアという黒い病に陥った海が「心を取り戻してもう一度あの頃の自分に戻ろう」と意図してモアナという少女(化身)になって自らのハートを取り戻す物語を発生させたというイメージを抱いた。海が失った「ハート」は即ち自らへの(そして全生命への)愛でもあるのだろう。

次に、マウイの視点から物語を見る。幼少期のマウイは母親に捨てられた時、自分に注がれる愛を失ったと同時に「自分を生かし保護する存在に愛されず廃棄された=自分は尊くない存在」と誤解し自分自身への愛を失ってしまった。その結果自分を愛せなくなったのでその代償行為として「他人から愛される行為」にふけり、人々から「英雄マウイ」として大勢から尊敬され愛される存在になっていった。彼はそれがうれしかった。
しかしある日、人々の願いを叶えてあげようとして(人々からまた愛されたくて)女神のハートを岩(女神の身体の一部)から取り外して人々にプレゼントしてしまった。それがもとで女神は溶岩の魔物テ・カァになり、島々の実り(女神からの愛の贈り物)は失われていき、海は黒い病を進行させることになった。
マウイが己への愛を失ったがゆえにやってきた代償行為がやがて「女神のハート(=愛)を失わせてしまう」という結果を招く(しかしそれが分かるのはラスト)。

そんなある日マウイはモアナと出会い共に旅をする。そこで敵役タマトアとの戦いに苦戦する。心に自尊心不全と劣等感(=自立した自己肯定の根拠を持てず、他者に依存しないと自己肯定できない)を抱え、その裏返しに優越感(見下せる相手がいてくれることに根拠を依存した自己肯定)を味わおうとするタマトアは「他者からの評価以外に自己肯定の根拠を持てない(=自立した自己肯定の根拠を持てず、他者に依存しないと自己肯定できない)」マウイの心の闇を象徴しているようだった。
マウイはモアナと旅していたある日、航海術を教えてやっていたモアナにこう言われた。「あなたを『マウイ』にしたのはあなた自身よ(=自分を皆から愛され驚嘆される『英雄マウイ』のレベルにまで進歩させてくれたのは他人の力ではなく自分自身の努力や才能である。自分を生かす力が自分をそんなふうにしてくれたのだ)」
マウイはその言葉を聞くことで自分自身への愛を自覚する(=愛を取り戻す)ことが出来た。それがきっかけでマウイもまた女神のハート(=愛)をあるべき場所へ戻す決意が固まり、一度は離れたモアナの元に戻って来る。
この時、マウイはそれまで自分の英雄性を釣り針に依存していたが、釣り針を駆使してきた自分自身の力を自覚することでその依存を乗り越えた。だから釣り針が壊れても自信を完全に失うことは無くなった。

一方、モアナはマウイと離れている間、おばあちゃんの霊と交信する。そしておばあちゃんの問いかけ「自分は何者か」の答えを悟った時、一度は諦めて海に捨て去った女神のハートを海底から取り戻す。そして再会したマウイと共にそのハートをテ・カァになってしまった女神に戻す。
ラストで女神は本来の姿に復活し、海は黒い病からかつてのような本来の姿を取り戻し、島はかつてのような実りを取り戻し、マウイはかつてのように本来の姿となった釣り針(自由自在にいくらでも変身できる)を取り戻し、モアナ達一族はかつてのように本来の姿(ご先祖のように大航海する能力と民族性)を取り戻した。海の化身でもある皆が皆、「自分は何者か」を取り戻したのだ。
ラストのそんなシーンはどれも、海(=我々の集合無意識)自身が陥った課題とその克服を象徴するシーンじゃないかと思った。 海は、自分本来の姿を取り戻したのだ。

劇中の挿入歌

♪広い海旅した 祖先が私を呼ぶの 遠くへ旅をして分かって来た 私を呼ぶ声が聞こえる   心の声が呼んでいるの 波のように打ち寄せては 語りかけてくるその声が 教えてくれたの

 私はモアナ

モアナは、自分が「海」であることを思い出した。
モアナを呼ぶ祖先の声=モアナを呼ぶ心の声=自分本来の姿(自分は何者か)を自覚させ実現を促す命の声(力)なのだろう。そんな命の声(力)は緑に輝く女神の心(ハート)でもあり、愛でもある。
命というものは、己のあるべき姿を実現するように自らを促す。それが命の「声」であり、命が持つ己への愛なのだろう。
愛の源=女神のハートの源=モアナに自分は何者かを自覚させる心の声の源=モアナを呼ぶ祖先の声の源=海=モアナだ。海=モアナの命(=モアナの心・魂)と言ってもいいか。モアナはそれが自分の本性だと自覚した。
それをこのブログ風に言えば「己を開運させる魂の環境インフラ(=内なる地母神)の源」と言ってもいい。そんな「命」であり「魂」であるものを、ユングは「セルフ」と呼んだ。それが命のあるべき姿(本性)だという。そしてモアナはそんな己のあるべき姿を「私はモアナ」と自覚した。

モアナ=海が取り組んだ「己のあるべき姿を取り戻す(自覚し・実現する)冒険」とは、我々一人一人が集合無意識規模で取り組んでいるテーマでもある。あの物語は我々の物語でもあるのだ。我々の中にもやはり、『モアナ』で描かれた課題と解決(=物語)を構成する全てのキャラが存在しているのだ。
集合無意識規模のテーマは、個人規模のテーマとしても(個々人の運勢の中で)現象化することがある。我々一人一人が集合無意識を構成し、我々一人一人が「海」で「モアナ」なのだから。

追記:この作品に登場するテフティは『崖の上のポニョ』のグランマンマーレと同じものだ。『ポニョ』では厳重に保管されていた命の水が海にばら撒かれた結果、海は生命本来の可能性を爆発的に実現する。グランマンマーレはその様を見て「素敵な海ね」といった。

2017年8月15日 (火)

犠牲の価値より生きた尊さ

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

池上彰、戦争を美化する動きに警鐘 「特攻」について考える特番放送
「池上彰 X 特攻」リアルタイムツイート

今年の終戦記念日シーズンは特攻についての番組が放送され、かなり反響があったようだ。
私も以前、『太平洋戦争のベルセルク悲話』というオカルト視点の記事を書いたことがあるが、今回はまた別の視点から考えてみようと思った。
まず、神風特攻隊創設者の大西瀧治郎の意図・目的について。おそらく特攻作戦は対米戦における効果を狙ったのではなく、「敗戦後を想定したレジェンドづくり」と「昭和天皇に戦争を止めてもらう」ためのデモンストレーション(直訴)という意味合いが強かったかもしれない。これは大西瀧治郎が残したコメント()から何となくそう感じた。

大西の意図した「レジェンド」は、
「戦いが日本の劣勢になり刀折れ矢尽きたその時、若者達がその忠君愛国精神ゆえに命令したわけでもないのに自ら進んで命と引き換えに次々と自爆攻撃をし始めた。
天皇陛下はこれをお聞きになると御自らの御仁心により戦を止め講和する決断をなさった。陛下も散華した若者達も、日本と国民を愛するがゆえの決断であった。
このように日本国民は散華した若者と陛下の双方からかくも深く愛された存在なのである。戦争に負けたからと言って絶望し自暴自棄になったり自己卑下したり自尊心を失わないように。」
というもの。敗戦後の民心統治(反乱防止含む)を意識して作られたっぽい(敗戦後も国家神道の価値観が続く想定で)。

上に書いた「レジェンド」を残すことに加え、「(日本側の欠陥によりだれも講和を提案できず、また天皇以外の講和の言い出しっぺになれば敗戦の全責任を押し付けられスケープゴートになることを恐れる心理もあって?)暴走機関車になった日本が女子供まで巻き込み自滅していくのを止めるための(天皇を講和へ向かって動かすための)人柱として『特攻を自ら志願して散華した』という設定の若者達を量産」というのもありそうだ。

要するに、「特攻作戦」はアメリカから国民を守るためのものではなく、(国民を道連れに自滅へ進む)日本側の暴走から(特攻を知った天皇に講和の決意を促すことで)国民を守るためのものプラス、敗戦後の人々が落ち込み過ぎないように残しておくレジェンドを作るためものではないか、と思った。
もしも「陛下は自分達の過激な行動を知れば分かって下さるに違いない」という願望回路が特攻立案の背景にも存在するとすれば、226事件の頃から全く進歩してない気がする(妄想)。

最近はネットなどで「日本はあの時特攻やったお蔭でアメリカによる滅亡から救われたからこそ今の繁栄した日本がある。特攻兵達は現代日本の立役者だ」 とか「誰だって死にたくはないし特攻兵達もみんな本当は生きたかったけれど、そこを我慢して我慢して日本のために自分の一番大事なものを捧げたところが美しくて素晴らしいんじゃないか」 「彼らは特攻による有終の美を飾ることで初めて自分だけの生きた意味を見出せたんだ」という(おそらくは軍産複合体や防衛利権と絡む右派の?)ロビー活動も散見される。
特攻兵の死をロビー活動のために当時の作戦(政策)を肯定する道具として利用するぐらいなら無駄死にと断定していいかもしれない(失策を明らかにした死としてすら評価しなくていいかも)。
およそどんな犠牲者もロビー活動の道具にしたりロビー活動の視点からその死をを評価し持てはやすことはご本人やご遺族にとって失礼にならないか。視点を変えれば、「死ななきゃ価値にならなかった命だ」と口をそろえて言ってるのと同じだ。
(この問題、PKOで亡くなった自衛官の死を当時の政策肯定のために尊ぶロビー活動とも共通点がある。どちらのロビー活動も、その作戦や政策の効果を肯定しない者=犠牲者の死を無駄死にと切り捨てる冷血漢だというレッテルを貼る。遺族達ですらその罠にハマって都合よく利用され、ロビーの主張を支持しなければ身内の死を供養できなくなってしまっているケースがある)

「その人が死んだ意味や価値」ではなく、その人が生きた意味にこそ目を向け尊ぶ(その死を尊ぶのではなく、その生きて来た人生を尊ぶ)ことが供養なんじゃないかと思った。
死をしか評価され尊ばれない命、しかも他人にとって政治的な利用価値のある死という一点でのみしか存在意義を評価され肯定されていない命というのはなんとも悲しい(遺族すらその価値観における評価に供養を依存しているならなおさらだ)。
後世の人間が「死に方こそ特殊で短命だがその生きて来た人生は無駄じゃなかった」と思うこと、本人もそう思えることが一番の供養で愛情じゃないかと思える。
特攻兵なんて平均20歳前後だから自分の人生振り返って「生まれてよかった・生きてよかった」ってしみじみ思う機会はそうそうなかったかもしれない。でも特攻兵達だってきっと自分の生きた意義は心のどこかで感じていたと思いたい。たとえ短命だったとしても、自分にしか生きられないその人生は尊い。
少なくとも彼らの魂はきっと知ってると思いたい。

「生贄」が自分個人の生きる喜び(生きがい)を組織や社会に捧げるのと引き換えに、組織や社会によって死を崇拝され高く評価される(生贄はそれを名誉や救いとして認識する)という一面が古今東西の生贄のシステムにはあるのかもしれない。
古代人じゃないんだからそろそろ生贄的なシステムから卒業してはどうだろうか?
死の価値なんかに依存しないで生きた尊さにこそ目を向けられる社会は、たぶん平和な社会だろう。

サバイバー症候群

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