2018年4月12日 (木)

島根の地震について

※以下に書いたことは全て個人の妄想です

現在、このブログに4月9日に発生した島根県での地震についてのお問い合わせが寄せられています。このブログが妄想する地震についての見解は、基本的には2016年に書いた「鳥取地震と龍脈」や「出雲の神話と龍脈」をご覧いただければと思います。
書くべきことはあらかたそこに書きました。
今のところ、龍脈関係について書くべきことは既に書いたと思っています。

それをふまえて、以下はちょっとした付け足し

【今回の地震の特徴】
・御嶽山同様、クニトコタチをまつる神社の被害(鳥居の倒壊)
・震源及び強く揺れた場所は三瓶山(国引き神話で出雲の国土強化のため他所の土地を引っ張る呪術に用いた『杭』の設置場所)の近く。既にもう一つの『杭』があった大山付近の龍脈は2016年に変動済み。これで『杭』が二つとも抜け落ち、国引き神話の元ネタになた古代呪術(?)は破たんした可能性あり。出雲は本来の龍脈(運気)の流れを蘇らせるかも。
・地震直後、国引き神話によれば「引っ張られていた他所の土地(の龍脈?)」があったと思しき隠岐にて大規模な森林火災(火気流失)が発生。地震に呼応し現地の龍脈が動いた模様。

国生み神話でイザナギ・イザナミの夫婦神がカグツチ(軍需産業の神)を生み出すことを決めた時点で、地母神(イザナミ)は正常に機能できなくなっていた可能性がある。何故なら、軍需産業というニーズが社会に発生した時点で地母神の恵みが欠乏し飢えと奪い合いが発生していたことを意味するからだ。
そして実際にカグツチが生まれた時、イザナミは死んで本来の姿を失い黄泉に封印され機能停止した。飢えと奪い合い(争い)はさらに激化し、多くの民が死ぬことになる(封じられて怒り狂うイザナミ『民を一日千人殺してやる』)。
イザナギはこの問題を解決することなく目を背け、民の犠牲を救ったり予防するのではなく新たな民を補充することで対応した。国力は保つが国民は救わない発想は、「民を全く大事にしていない」という点で母性愛が無い。
(怒り狂うイザナミに向けた彼の返事『では、民を一日千五百人あらたに作る』)

地母神イザナミと別れた後の彼から生まれた子供達が母性愛の無い環境で育ち引きこもりや粗暴な性格に育ったのも無理はない(引きこもりはアマテラス、粗暴はスサノオ←母に会いたいと泣きわめく癖あり)。
また、出雲の土地が本来の龍脈を封じられた背景にはイザナミ封印の切っ掛けとなった軍需産業上の利便性(製鉄のために山を崩し気を切る)があったか(妄想)。龍脈を封じられ気の流れが弱体化した出雲に別の土地(越の国、隠岐、新羅etc)から龍脈を引き込んだ時、引き込み先の土地に対しても、軍需産業の力が発揮された可能性はある。
こうして出雲の土地はよその土地から奪った龍脈で気の流れこそ増えたものの、その土地本来の運気(地母神によるもの含む)は発揮できなかった。「龍脈」という一種の生命力の流れは、歪められ、本来の流れとは異なる歪んだ方向に己の生命力を暴走させていった。それは本来の豊かさとは異なる歪んだ豊かさの方向に運気を活性化させ、だから出雲は軍需産業の力(他所から奪う力)で古代大和朝廷に強い軍事力をもたらし、繁栄させた。このカルマは近代日本にも受け継がれることになる。そして現在もなお影響を及ぼしている。
奪うことで得られた豊かさ・・・その豊かさは、地母神の豊かさではない。

しかし本日出雲で発生した龍脈変動により、イザナミが封じられている黄泉平坂(実在の地名あり)を含め現地の気の流れが歪んだ状態から本来の姿に向かって大きく変化したと思われる。
かの土地は、本来の運気を蘇らせつつあり、それはかの地に封じられた日本地母神イザナミの復活(日本の運気に地母神機能が復活)へと向かうことを意味するのだろうか(妄想)。

日本各地で「歪んだ方向に生命力を暴走」させていた物事の運気がその歪みを正すべく変動していくだろう。吹っ飛ぶ物事もあるだろう。特に、奪って豊かになろうとする物事、意図的に自他の生命力を歪める事で繁栄してきたり、本当の望みや幸せを抑圧し、その代償行為に人々を駆り立てて繁栄する物事(利権のための税金無駄遣い、振り込め詐欺、カルト、やりがいの搾取etc含む)の運気は・・・


オカルト妄想の雑談スレッド
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1519353423/l50

2018年3月20日 (火)

「いいね!」依存症

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です。

フェイスブックやインスタグラムを含むSNSが、「人間の心理学的な脆弱性を悪用する」意図で設計され、「いかに子どもの脳を破壊しているか」が元CEOより暴露されるより:

あなたがたは、もっと《いいね!ボタン》をと求める…そして、もっと好意的なコメントをと……
これは社会的検証のフィードバックループだ...。そして、これらはまさに私のようなハッカーが思いつくようなもので、なぜなら、これはあなたがた人間の心理の脆弱性を利用しているからだ
(フェイスブック現CEOの)マーク・ザッカーバーグ、あるいは、インスタグラムのケビン・シストローム(Kevin Systrom)... このすべては、意識的に、この《人間心理の脆弱性》を理解してやっていた。そして見事にやってのけてしまった

◆自尊心の代用品
・・・「いいね!」依存症は抑圧された自尊心(自己肯定)の代償行為に中毒した状態でもある。暴走する承認欲求の背後には、自尊心(自己肯定)の形成を抑圧しているがゆえの自己否定感(劣等感)も見え隠れしているかもしれない。
他者から否定されたりこき下ろされたり低評価されたりするのが怖いのは、代償行為が実現・成功できない事への恐怖であり、抱え込んだ自己否定感(劣等感)を紛らわせることが出来ない恐怖であり、自尊心(自己肯定)が未だ持てない(抑圧されていて自覚できない)ことへの恐怖でもある。
それは、「自分なりの生きる幸せ」が自覚出来ずにいる・作れずにいる恐怖でもある。

恐らく、「いいね!」ボタンのあるSNSで他者を攻撃したりこき下ろす習性のある人(いじめ加害者含む)の何割かは、潜在的に上記のような恐怖感を抱えており、なおかつ「代償行為(他者からの評価)」が満足できるほど成功していないor代償行為に失敗しているケースがあるかもしれない。 自分の現実や人生が「うまくいってない・幸せじゃない・自分にとっての喜び(評価点)が少ない」と無意識に感じている人である可能性も。
ある意味では、その手の攻撃やネットイジメ衝動はその人の心の悲鳴が歪んだ形で表現されてしまった結果かもしれない。ある意味で、SOSの出し方を間違えたようなもの。
(余談:世間ではいじめ被害者の相談に乗ったり支援する動きは出てきているけど、イジメ加害者側の相談に乗ったり、自分でも止め難いイジメ衝動を卒業する支援する動きは未だ出てきていない。『どうしても他人をイジメることが辞められない』という悩みは誰にも相談しづらくて、結局占い師に相談してしまうケースさえある)

◆優越感と自尊心の違い
優越感を作るには、他人に高く評価してもらうか、それが出来なければ自分よりも劣っている(と見なしたい)誰かをバカにさせてもらうしかない。どちらにせよ、他人の助けなしに優越感は作れないので、優越感に依存している状態は精神的な自立が出来ていないという事でもある。
それに対し自尊心は、趣味(中二病含む)だろうが萌えだろうがラーメンの食べ歩きだろうが、自分が人生の中で本当に好きなことや本当に喜びを感じる何か(『いいね!』をもらえるよりも楽しくうれしい)と出会うことで、そんな喜びのある自分の人生やそれに不可欠な自分という存在に対し個人的な価値や意義や喜びを自覚することで形成されていく。自分が喜びを自覚することが不可欠なだけで、他人の助けは必要ない。
その「個人的な喜び」の価値を例え他者が認めなかったとしても、全く困らない。他人が同意・評価しなかったとしても、自分にとってそれが他人の同意や承認や評価が貰えることよりも好きで喜びになっている事には変わらない。自分の好きな物事(あるいは同好の士)をこき下ろす他人に対してムキになって反論したり言い負かそうとする必要もない。そんな時間があったら自分の好きなことをするために使う。
自分が何かを好きになったり何かに喜びを感じることに誰かの承認や同意など必要ない。いちいち他人からの同意や承認をもらうメリットも無い。自分の人生で発生する喜びは、世界でたった一人、自分だけが創り味わえる喜びだからだ。自分の喜び方と100%全く同じ喜び方を持つ人間は存在しない。物事の感じ方は十人十色だからだ。「自分と全く同じ喜び方をしてくれる他人」がこの世に存在しなくても、寂しがる必要はない。むしろ、自分にしか実現できない喜びに誇りを持ち、他人の喜びを尊重し、時には互いにしか持ち得ない感性

優越感を抑圧された自尊心の代用品にしてる人達、およびその代用品でしかない優越感(他者を見下し自分よりも低く評価する心)を肥大させてる人達は、本当の幸せや真に望む生き方を見つけてないか、既に持っているのに気が付いていないという事でもありそう。

◆心を搾取させてくれる人々に依存する何者か
なお、他人に対して自分なりの幸せを見つけ実践する生き方を許さず、その代わりに用意した好都合な代償行為に依存させるよう仕向ける組織をカルトと言う。ホームグロウンテロの先駆けともなったボストンマラソン爆弾テロ事件の犯人(兄)がこの手口で洗脳されていた()。それはまさに、SNSが誘発するイイネ依存症とも共通する仕組みだ。
その仕組みを利用している何者かはこう思っているかもしれない。
「お前個人の幸せなど何の価値もない。認めない。許可しない。我々にとって利用価値のある思考と行動をする者だけ(我々が心理搾取できる者だけ)に存在価値を認めてやる」←認めてもらうメリットが無い。
彼らもまた、「搾取させてくれる誰か」に依存しているという点では他者の評価や優越感に依存する人々とどこか似た部分があるのかもしれない。本当の幸せを見つけていない・気付いていないという点は同じか??

◆「いいね!」よりもうれしく楽しいもの
自分が真に望む生き方やライフスタイルを抑圧し目を背け無自覚なまま放置した結果、無意識下の欲求不満が歪んだ形で(代償行為を求めて)暴走した結果が「いいね!」依存症であり、自分が本当にしたいことをする代わりにインスタ映えする写真を撮る(さして食べたくもない割高パンケーキを注文する・さして関心のない場所へ行く)ことに貴重な休日を使い潰す日々だったりするんじゃないだろうか?
(ああ、イイネを餌に心理と生き方を搾取されている。イイネに釣られて本当に望むことを探す時間さえ搾取されてしまった)←「搾取で生じた人生と心の飢えはイイネ獲得で満たすしかない」と何者かは洗脳する。

本当は、自分にとって「いいね!(=他者からの評価や承認)」をもらい、「いいね!」に縛られ囚われることよりもずっと楽しい事や嬉しい事がこの世には転がっているんじゃないかってことに、うすうす気が付いてるイイネ依存症の人も多いんじゃないかと思う。
そう思えるということは、自分なりの喜びや幸せや自尊心を作れる力にうすうす気が付いているということだ。
心のどこかで、自分を開運させる本能的な命の力を感じている証だ。

選挙権が18歳に引き下がる時代。人格形成期に「いいね!」依存症となり自尊心を形成する上で大切な栄養分である「自分なりの喜びや幸せを探す心理と時間」を搾取され続ける若者(自分の幸せを知らぬがゆえに騙され扇動され利用される=利用価値のある思考と行動をする者。カルトに最適な人材)が量産されることの意味を、今一度考えてみて欲しい。
「人々が幸せになればその国も幸せになる」という開運法則から見れば、「自分の喜びや幸せへの自覚が搾取される病」が蔓延している現状は好ましくないが、人類はいつかこれを乗り越えるだろう。
自分を開運させる命の本能的な力によって。


中二病の有効活用
「必要とされる」必要がない
上手なニートの過ごし方

2018年2月21日 (水)

楽園が蘇るとき

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

今回は過去記事の「ヘルメス伝説と進化の記憶?」や「母性を見失った進化の記憶?」や宇宙という生き物から派生した電波妄想。

◆危機を引き金にした進化
大分前に書いた「旧約聖書にある「楽園追放」の物語が大昔の中東付近における砂漠化の記憶を示しているのではないか」という妄想からさらに妄想を進めてみると、アダムとイブに「知恵の実を食べろ(=知能を進化させろ)」と促した蛇は、恐らくDNAの象徴だろうと思う。知恵と伝令の神ヘルメスの持ち物「ヘルメスの杖」に絡みついてる二重螺旋のアイツだ。恐らく蛇(DNA)は、悪魔じゃなくて伝令(ヘルメス)だったのだ。
中東では、緑化と砂漠化が数千年周期で交互にやって来る。今から何周期前かの緑化時代にはユダヤ人の遠い祖先の一人となったアダムとイブが果物を主食にして暮らしていたのだろう(妄想)。そんな時代のある日、二人のDNA(=蛇)は囁いた。「ここはもうすぐ雨が減って環境が激変する。今のうちにもっと知能を進化させて激変を生き延びろ」
蛇の囁きは、二人の命が既に野生のカンで砂漠化の予兆をどこかに感じ取っていた結果かもしれない。
蛇に促された二人は知能を進化させて間もなく、彼らの住む土地は今までのように多彩な果物が豊かに実る「楽園」ではなくなった。人々はかつてのような地母神とのつながりを感じられなくなり、地母神から見捨てられたと勘違いしたかもしれない。「見捨てられたのは、何か悪い事をしたからだ」と思ったかもしれない。
「楽園追放」の物語は、知能進化と砂漠化が必然的に同期したことで、「楽園に住めなくなったのは知能を身に着けたことで神の怒りを買ったことが原因だ」という錯誤が発生した記録でもあるのかもしれない。
当然ながら中東の砂漠化は人間が知能を進化させた罰として発生したわけではない。あれは周期的に発生する自然現象だ。それを知らない人類は、自然現象を「楽園から追放された(原罪)」=「幸せに生きる資格を失った(地母神から見捨てられた)」と勘違いした。本当は、蛇(DNA)を使って知能進化を促し砂漠化を生き延び新しい幸せ(新しい楽園)を実現する道へと導かれていた(地母神はその道を支援する)ことにも気が付かず・・・
(中東が砂漠化した時代は中東に限らず世界の各地で気候の激変が起きて人類は『知能進化と同時に楽園から追放された感』を地球規模で味わっていたのかもしれない)

せっかく身に着けた知能に罪悪感を持ってしまえば、知能を使う時に葛藤が生まれて知能を可能な限り効率的・効果的にスマートに活用する妨げとなったりどこか歪んだ使い方になったりして、「幸せな使い方を許さない方向」に進んでしまう。これでは開運できない。邪魔な葛藤を抱えながら危機に追い立てられ死に物狂いで知恵を絞り砂漠化を生き延びねばならなかった苦労はどれほどのものか。時には知恵を使って生き延びる度に「楽園追放(罪悪感)」という勘違いのトラウマが痛んだかもしれない。知恵を使って生きる以上、「生きる事は罪」と極端に思い詰めることだってあっただろうか。
人間がたまたま「危機」をきっかけにして進化の道を歩み始めた代償は大きかったかもしれない。危機を引き金に始まった進化は、さながら「パンドラの箱」を開けてしまったような有様になった?

◆苦しみで脅す力ずくの進化・発展
地球規模で起きた環境激変という危機と苦しみを逃れるため、文字通り死に物狂いで知恵を絞って人類は生き延びた。死の恐怖や飢えといった「苦しみ」が知能を使う動機となり進化を一層刺激しただろう。
人類はそれ以来、進化や発展の動機と原動力を危機や飢えの恐怖・死の恐怖といった「苦しみ」に依存するようになってしまい、己の進化を刺激するためには常に苦しみを手元に置かなければならなくなったことで自らの歴史を苦しいものにしてしまってきた可能性を感じた。「罪悪感が知能の幸せな使い方を許さない」という自罰傾向もそれに拍車をかけたか。個人的には不幸な知恵の使い方にこそ「禁断の知恵」感を覚えるが。

死や苦しみに依存した進化。我々が日々恩恵を得ている科学や医学を最も進歩させたものは戦争だし、人類の経済システムは飢えの恐怖(=死の恐怖の一種)を原動力に依存し発展してきたため、飢え(欲望とハングリー精神の源)を捨てることが出来ない。その経済システムを続ける限り、地母神の封印を解くことが出来ない。
より良く生きるための進化が、生きる意欲や可能性を奪う苦しみ無しには促進できないという皮肉。進化の発展が時に死や苦しみも発展させしてしまう(例:原子力)という皮肉な人類史・・・
まるで「子供の幸せを思いもっと勉強させようとして暴力を使って無理やりガリ勉させてたら子供が勉強嫌いになった(最悪の場合、子供が自殺した)」とか「習い事を上達させようとして暴力を使ったら選手が精神疾患になった・指導死した」とかいった教育虐待にありがちなパターン(加害者本人は本当にそれが子供のためになると信じて疑わず虐待の自覚が全くないケースも)と似ている。能力向上が幸せに結びつかない・・・

とまれ、生物学的に見ても「危機(苦しみ)を脱するための死に物狂い(アドレナリン過剰分泌)」という状態は長く続かない。危機を感じると大量分泌されるアドレナリンという燃料だっていつか燃え尽きるし枯渇する。それを利用したシステムや物事の寿命は短い。文明だって同じこと。文明は人間の生き方を反映する。文明の崩壊はその生き方の破綻でもある。
他の動物から一足早く進化し知能を身に着けたものの、肝心の知能の使い方(動機・原動力・視野・発想)は狭くて動物的なまま。これじゃ本質的には動物と大差ない生き方になる。凝った形で未だに共食いをするのもわかる。

◆進化の本当の原動力
生命進化の動機や原動力、および進化を刺激・促進するものは「苦しみ・危機」だけではない。でも、人類は苦しみや危機(あるいはそれらへの漠然とした不安感)以外を基礎にして進化を歩んだ経験が少ない・浅いような気がしなくもない。昔から災害の多かった日本も例外ではない(妄想)。古代インドにあった「苦行によってのみレベルアップできる」的な発想もまた、そんな経験不足による錯誤が背景にあるのだろうか?
苦しみや危機のみを進化の推進力に依存していたら、その種族はいつまでも危機に瀕し続け地母神の封印を続け共食い(弱肉強食)を続け苦しみ続けなければならない。進化のために死の恐怖へ依存し執着し続けなければならない。死の恐怖を超えられない。危機をきっかけにした飛躍的な進歩・進化の記憶は、危機に進化を依存し支配されてしまう癖を作ってしまったとしたら、まさにそれこそ「種族の危機」だ。
この危機は、アドレナリンを使って解決できない。大量のアドレナリンを用いた「パワー」ではなく、タロットの「力(ストレンス)」に象徴される能力で解決されるものだ。このストレンス、苦しみや危機や「パワー」以上に進化にとって重要である。
力のカードに描かれた貴婦人が持つ能力「ストレンス」は、アドレナリンの過剰分泌(ライオン)を鎮め、命本来の自然なあり方に基づく最も効率的・効果的でスマートな調和のとれた思考や動作や反応を実現するモードであり、真に健康な生命が持つありのままの姿・状態を体現するモードともいえるものだ。インド風に言えば「サットヴァ(純性)」、ユング風に言えば「全体性」か。このモードになれる選手は心身ともに優れたパフォーマンスをはじき出せるだろう。

このストレンスモード、命本来の自然なあり方を見失うと保てなくなる。周期的な地球環境の変化やそれに呼応した知能進化という命本来の自然な変化を「自然界の変化は知能獲得という罪ゆえに楽園から追放された結果」と勘違いするのは命本来の自然なあり方を見失った証だし、そこから始まった苦しみや危機に依存した進化もまた命本来の自然なあり方を見失っていると言える。すると知能を命本来の自然なあり方で使えない。

種族の危機を救うストレンス(サットヴァ)・・・それが発動する動機と原動力は何だろう?
そもそも、命が「進化」する目的は「危機(死の恐怖・苦しみ)を逃れるため」ではない。進化というものには、生存効率をUPさせる以外にもいろんな使い道や可能性が無限大にある。ワクワクするほど多彩・多様な無限の可能性が。だからこそ、そんな多様な「可能性への好奇心(interesting)」が生命本来の進化の動機で、「可能性への好奇心を満たす喜び」が生命本来の進化の原動力ではないだろうか。両者は生命の持つ根源的かつ高次なる本能にして、多分魂(ユング心理学ならセルフ)の思いだ。生命の持つありのままの姿の一つかもしれない(妄想)。
「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」・・・太古に生命誕生の動機となり、また生命進化の原動力ともなった、全生命共通ゆえに全生命を包括する視野を持った根源的本能(魂の思い)。そこにストレンス(サットヴァ)発動の動機と原動力もある。

この本能を進化の動機と原動力に用いれば、人類は危機に依存しなくても、地母神が封じられた状態を常に選ばなくても、飢えと奪い合いに耽らなくても、「楽園」を失わなくても進化することが出来る。命本来の自然なあり方であるストレンス(サットヴァ)のもとに知恵をつけて活用し、可能性を広げ、「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」を動機と原動力にした進化の歴史を歩めるだろう。内なる地母神(魂の環境インフラ)はそんな生き方のために支援を惜しまない。まさにそれこそ「楽園」だ。仏教風に言うと「弥勒」か? これは、全ての命に潜むもの。「楽園」とは、そういう生き方のことだ。

人類は、危機をきっかけにした「火事場の馬鹿力的進化」の経験から、生命本来が持つ進化の目的や原動力を見誤り取り違えていなかっただろうか? 己に宿る命が発する進化の本当の目的や原動力となる大切なあの本能を封印・抑圧し無自覚にしてはいなかったか? 抑圧されたその本能は無意識の欲求不満となり、歪んだ形で表面化し暴走するような(例えばその本能を満たす代償行為に執着するといった)症状を呈したことはなかっただろうか? 多分それが内なる鬼や悪魔の正体かもしれない。『モアナと伝説の海』ならテ・カァがそれだ。
生きているのが辛いんじゃない。そんな生き方が辛いだけ。生き方を後悔できるのは、自分でその生き方を変えられる証。
人類は楽園を追放されてなどいない自ら「楽園」をやめちゃっただけ
自分を含めた全生命に宿る「楽園本能」を思いだして楽園を再開すればいい。罪とかいうのは妄想なので許される必要もなかった。

◆楽園が甦るとき
楽園は、我々の中にこそ存在し、甦る。楽園は死なない。楽園を作る命の本能も死なない。命(魂)ってのは、死なないからだ。あの死なない本能を使って何万年も何十万年も進化を続けているのだ。人類という命があの本能を使った進化を再開し始め文明を創り変えていく時、人類は死の恐怖を超え楽園は甦るだろう。可能性への好奇心、それは旅人ような探求心でもある。モアナとその先祖を外洋航海へと突き動かす力でもある。本能的な「旅」への愛と情熱でもある。可能性への好奇心を満たす旅路は、生きる喜びの旅路だ。
(『モアナと伝説の海』という作品もまた、南国の楽園が病から甦る話である。女神テフティは楽園を支援する地母神である。女神の心は楽園本能だ。その本能が隠されて封じられ、欲求不満が蓄積し鬱屈した時、テフティは溶岩の魔物テ・カァになる。それでモアナは失われた女神のハートを元に戻す。楽園本能は甦り、南国の楽園は甦る)

死の恐怖から生の喜びへ・・・
人類は、少しずつ進化の原動力を今までのネガティブなものから上記のポジティブなものへとシフトチェンジしている。自分の命(魂)とズレていたチューニングを合わせつつある。
自分の命と波長を合わせ、己の命(魂)にとって本当に大切なもの(真の望み)を自覚したとき、今まで「大切だ」と思い込んで依存し支配され囚われて来た余計な執着(ズレた波長)はみんな吹き飛んでいく(羽生選手を含め、平昌五輪の選手達にもある程度似たようなことが起きているのを感じる)。
これがある程度進むと世界各地で大きな運気変動を引き起こす。「楽園」は、既に甦ろうとしている。実際、かつて「楽園」が存在していた地域である中東は、ここ数年乾いた大地が妙に降水量を増やしている。数千年単位で砂漠化と湿潤化のサイクルを繰り返すあの地が、楽園の存在していた湿潤期を迎えようとしている。内なる楽園が甦る時、外なる楽園の姿も甦る。これはシンクロニシティーだ。「イブのお墓」と言い伝えられているサウジアラビアはジッダの乾燥地帯で数年前に大雨による洪水が発生()したことは、象徴的な予兆と言える。

今度「楽園」が甦ったら一度は忘れた生命本来の進化の動機と原動力を忘れないで覚えておこう。そうすれば、次に外界で砂漠化が来た時も「楽園」の生き方を続けていける。それは、アダム(ヘブライ語で人間の意)が食べていなかった「生命の実」を食べることにもつながる。楽園が我々の中にある以上、生命の木とその実は我々の中にある。心理学的に「食べる」は自覚と統合の象徴だ。

◆小さな命と大きな命は同じ本能で共鳴する
個を超えた種族単位の命が高次の本能に基づいて人類を創り、人類一人一人に宿り人生に取り組んでいる。これを数十万年続けている。それが我々に宿る命の正体でもあるのだろうか。こういう命って死ぬんだろうか? 例え死んでも(人類絶滅しても)、今まで生きて来た(進化してきた)経験は新たな種族に受け継がれ、かつて人類をやっていた種族単位の命は新種族の命に統合されて生き続けるので不滅だ。いわば人類が新種族の前世みたいなものの一つになるわけだ(人類もまた他種族の経験を生かして作られた種族であるため、胎内で生物進化の記憶を再現してから生まれる。あの姿は人類種族から見ると前世みたいなものだ)。

種族を超えた根源的な生命(多分ユング心理学で言うセルフの正体で神のモデルで我々生命の正体で宇宙)は、今日も我々含む無数の自分に対して己の心を伝えている。
死を恐れるために生きるな 可能性への好奇心を満たす喜びに生きよ
種族単位の命も、個体単位の命も、同じことを言っている(同じものだから)。これが高次元の本能「楽園本能」だ。全員の本能が満たせるようにと、やはり高次本能に基づいて開発された「本人が真に望む生き方(その人の楽園)を実現するのに適した運勢を創るインフラ機能」が昔書いた「地母神」だ。地母神は楽園本能の現れだ。これが「和(スタンドプレーから生まれるチームワーク)」を実現するカギにもなっている。
我々という命は、かの存在から見ると「自分(=自らを分けたもの)」なのだろう。そいつは、己が持つ可能性への好奇心を満たすべく展開している「宇宙(生命活動)」を楽園だと思ってるらしい。
てことは、同じ本能を持つ我々も無意識のどこかでそう思ってる。世代が進むにつれ、これを自覚する(命のチューニングが整う)個体は増えていくと思われる。これを自覚すると、多分「不滅の生命(魂)」を自覚・統合する(=生命の実を食べる)ことになる。カバラもそれが目的で「生命の木」を重視する。
そんな個体が増えていけば、やがて人類に「101匹目の猿現象」が発動するかもしれない。
(『101匹目のペンギン』でもいいけど)

【余談】
現代日本もまた、「敗戦でボロボロ」という苦しい危機を原動力にした高度経済成長という『火事場の馬鹿力』でしか国を発展させる術を知らない気がしなくもない。既に経済成長し飢えの恐怖を脱出した日本は、かつての原動力を失って失速した。この解決には、原動力を補充するためにかつての危機や苦しみを再現したり新たな危機や苦しみを選んだりするのではなく、過去とは本質的に異なる全く新しい原動力が要る。危機でも苦しみでもなく、ワクワクするような『可能性への好奇心』という生物本来の進化動機(ストレンス発動の動機と原動力)とそれを満たそうとする本能はその新しい原動力探しのキーワードになりそうだ。

2018年2月 2日 (金)

鬼と節分と蔵王で妄想

※以下に書いたことは全て個人の妄想です

先日の草津白根山の噴火、実は当日に変な夢を見た(詳細)。普段こういう夢を見る体質ではないので、個人的にかなりショックだった。
修験道の聖地でもある草津白根山の噴火直後から、日本の(そして前触れなく噴火した草津白根や御嶽山の)鬼門に位置する東北の蔵王山がなぜか火山性微動を始めた。まるで草津白根の変動に蔵王が呼応してるみたいだ。
この蔵王山、「蔵王権現」という修験道の本尊を勧請した山である。これが今回のキーワード。

話変わって草津白根といえば、indeep様の記事(詳細)に興味深い話を発見した。
(レイラインでつながっている)御嶽山と富士山、そして草津白根を結んだ三角形の中心に八ヶ岳がある。この八ヶ岳と御嶽山と富士山と八ヶ岳は共に「クニトコタチ(古語で『国の大地が立ち上がる』の意)」という日本の古い神様と縁深い。御嶽に関しては以前このブログでも少し触れた(過去記事)。
で、この「クニトコタチ(国常立命)」という神様、修験道の世界では先述の蔵王権現と同一視されているのだ。
しかもこのクニトコタチという存在は、一部では「はるか昔、神々の勢力争いに敗れ『鬼』として日本の鬼門エリアに封印された『丑寅の金神』」であるとも言われている。
即ち、「クニトコタチ=蔵王権現=丑寅の金神(鬼)」という図式になる。そう。草津白根噴火直後から火山性微動し始めた蔵王もまた例の三角形を形成する山々とクニトコタチの縁でつながっているわけだ。

日本の鬼門エリアで発生した311含め、数年前から日本の龍脈は動き続けている。御嶽と草津白根という、共に「何の前触れもなく、かつ有史以来初めての噴火」という現象が引き金となって、「クニトコタチ(鬼)」の因縁を帯びた変動現象が一層進んでいるような気がする。
しかも、今年は節分シーズンのタイミングでそれが起きているのが意味深だ。
蔵王権現信仰の総本山、金峯山寺では今年の2月3日に「節分会」をやる。ここの節分の儀式は巷の豆まきとは一風変わった掛け声を出す。「福は内 鬼も内」だ。

蔵王山が変動を始めているこのタイミングで蔵王山の神である蔵王権現の総本山が呪術を・・・蔵王(権現)がクニトコタチであるならば、それ即ち日本の鬼門に封印された丑寅の金神であり、鬼でもある。
そんな存在を祭る総本山で行われる寒波真っ最中の節分呪術で唱えられる呪文が「福は内 鬼も内」・・・この言葉は、鬼を封印・抑圧せず、受け入れている。 まるで、鬼門の封印を解く呪文のようだ。
「鬼」という存在は、抑圧され本来の姿を歪められた「神」なのだろう。 だから、鬼を鬼として排除・封印するのではなく、鬼のありのままの姿を受け入れる。鬼を神の姿に蘇らせた時、鬼(=神)の封印が解けるのだろう。

修験道において蔵王権現は「万物を司る不滅の王」という設定だ。それが鬼(=丑寅の金神、クニトコタチ)の真の姿なのだとすれば、その存在は即ち、「宇宙」だ。万物を生み出し万物として営みをする一つの巨大な生き物にして、我々でもある存在・・・(過去記事参照)。ユング心理学で言えば「セルフ」だ。ユング心理学だとセルフは人類の心の中で最も抑圧されがちな元型の筆頭格である。そのセルフを象徴するイメージの一つが修験道でも縁深い「マンダラ」である。
人類が抑圧しがちな己のセルフを抑圧から解放し、自分自身(=セルフ)としてそのありのままの姿を受け入れ自覚・統合を進めていく流れは、仏陀の時代から既に始まっていると言われているが、その進み方は非常に遅い。
21世紀以降に始まったスマトラ沖地震や311を含む惑星規模の龍脈変動は、その遅い流れを加速させる効果があるのだろうか?

・・・昨日そんな妄想をしていたら、雛形論で見ると「例の三角形」の中心に位置する八ヶ岳と照応する場所でM6.1の地震が発生した。ちょっとシンクロニシティーを感じたスーパーブラッドムーンの夜。
そしてこの記事を書いている今日、すなわち節分前日。鬼門エリアの青森では節分で鬼除けに使用されるイワシが大量死し、蔵王山では再び火山性微動が観測された(詳細)。
節分会以降はどうなっていくのだろうか?

このブログが2011年あたりから冗談半分で語ってきたテーマ()は、未だに続いているってことなのか・・・

2018年1月 3日 (水)

「君の名は。」で妄想

地上波で放送された「君の名は。」を鑑賞し終えた。以下は第一印象に基づく妄想。

まず、彗星の名前「ティアマト」はシュメール神話の混沌(破壊と創造の源泉)を司る女神から来る。
彗星が落ちたことで糸守湖はひょうたん型になった。ひょうたんは五行だと金。豊かさの象徴でもある。新クレーターに水が溜まってひょうたん型の湖になった様は五行思想で言う「金生水」か。さらにひょうたんは「貴重な種(データ)を入れる容器」として使われてきたものでもある。
また、作品で印象的に表れる「扉」。これは「新しい世界や異世界(世界線)との境界」という意味の他に、「自己発見」という心理的象徴がある。作品の扉が出てくるシーンにご注目。

ヒロインの名前「三葉」は、恐らく三つ葉のクローバーの花言葉「私を思い出して・約束」から来るのではないかと思った。主人公の名前である「瀧」は心理学的象徴として「健康的な感情の解放と表現」というのがあり、また二人が流す涙(無意識下に抑圧されてきた心の解放=心を思い出す様)でもあるだろうか。 いわば、無意識下に抑圧され無自覚な心を自覚させようとする働きの一種。

◆思い出すべきもの
次に、三葉は瀧のアニマ、瀧と三葉のアニムスという前提で解釈すると、二人は「思い出すべきもの(三葉)」と「思い出すべきものを思い出させる能力(瀧)」という対の存在になる。三葉にとっては「思い出す能力(瀧)」の存在を思い出すことが重要になる。それが彼女の中に眠っている可能性を象徴したアニムスなのだ。
(※アニマ・アニムス:理想の異性像。抑圧された自分の個性や可能性を象徴していることが多い)

では「思い出すべきもの(三葉)」とは何なのか。
それはおそらく、「日本人の集合無意識領域(=日本人のDNA=組み紐)に抑圧された精神性や感性(=形骸化し因習化した空虚で意味のない伝統ではなく、その伝統を創った意味や背景や動機に存在する心性)」じゃないかと思った。即ち、日本人がDNAの中に持つ歴史的な資産(=貴重なデータ・種)ともいえるもの。抑圧された日本人の個性であり、それを思い出すことは日本人(のDNAを持つ者)にとって「自己発見」と言える。
そんなDNAに記憶された精神的資産が「糸(個人単位のDNA)」や糸が合わさり集約された「組み紐(集団単位のDNA記憶=集合無意識の記憶)」で象徴されている気がした。作中で組み紐は時間(歴史)のシンボルとして扱われてきたが、糸をより集めたような二重らせん構造のDNAもまた命の時間と歴史を司るものだ。
「糸守」とはまさにその心性・精神性のデータが貯蔵されている場所であり、現状では外の世界から隔絶=封印・抑圧されたまま外界に広く生かされることなく、意味(及びそこに秘められた心性・精神性)を失い形骸化した因習に縛られるだけの閉塞感を抱えた状態でもある。その現状に幻滅し背を向けた結果、土建屋と癒着し腐敗した政(まつりごと)に耽る三葉の父の姿は現代日本の象徴か。

この閉塞感を打破するには、心性・精神性を「思い出す(集合無意識規模でDNA記憶がONになる)」ことが必要。その思い出す働きを担ったのが「瀧」であり「三葉」であるという・・・
そのDNAに記憶されている心性はおそらく東征時代末期の1200年前、彗星が最初に落ちた頃から既に抑圧が始まっており、江戸時代(糸守で大火のあった200年前)にも抑圧が発生した可能性がある。
そしておそらくは現代保守の祖となる近代東征時代(=明治時代)にも発生していたはずだ。我々が伝統的な文化や価値観、日本人の心性を代表するものだと思っていた物事の中には、明治時代になって人工的に作り上げられたものがかなりある()。 初詣だってその一つだし、「結婚しないことは恥」という古そうな価値観だってその一つだ(江戸時代の結婚率はそんなに高くないし人口の大多数を占める庶民の結婚は夫婦別姓・夫婦別財だったという)。

◆形ではなく中身
なお、近代東征末期に生まれたお祖母ちゃんの「一葉」という名前は一つ葉のクローバー花言葉「始まり」、
同じく二葉の花言葉は「(ヒロインを生み出すに至る)素敵な出会い」から来ているだろうか。妹の四葉は言うまでもなく「幸運・幸福」。
一葉の代から既に「思い出そうとする流れ」は始まっており(しかし1度目の挑戦は失敗)、次のチャンスは三葉の代に訪れる。いわば隔世遺伝のような感じ。
伝統の「形」を受け継ぎ保存するのではなく、形にこだわり囚われ縛られるのではなく、時代にマッチした形に魔改造されようが全然別の形になろうが決まった形が無くなろうが、そこ(=器=ひょうたん)に吹き込まれる「魂」となる精神性や心性・感性こそ大切に維持し運用・活用しうる資産であり豊かさであるということかもしれない(ひょうたんは豊かさの象徴でもある)。←江戸時代依頼の生前退位を決断した今上の心にも似た要素ありそう?

伝統に秘められた動機や意味や理由の源にある(魂・心性)が失われ形骸化した因習の支配する世界(タロットなら塔)から「思い出すべき魂(ラテン語でアニマ)」を救い出す(思い出す)という側面が「君の名は。」にはあるかもしれない。
我々の中に三葉と瀧はいて、今も夢の世界(無意識~集合無意識の世界)で奔走してるかもしれない(妄想)。それがこの作品が日本でヒットした(日本人の集合無意識が反応した)一因かどうかは定かではない。
もしも我々にしか思い出す(自覚・統合する)ことができず活用できない大切な資産が自らの無意識及びDNAに眠っているのだとしたらぜひともそれを目覚めさせてみたいものだ。311という龍脈大変動を経た今、それが実現する運気の可能性は集合無意識規模で上がっているのかもしれない。
そういえば監督の名前を「新海誠」というそうだが、心理学的に「海」は集合無意識のシンボルとされている。そのため、この作品の監督の名前を心理学的にオカルト解釈すると、偶然にも『新たなる集合無意識の偽らざる心』って意味になるわけだ。

・・・などと妄想し楽しかった。

2018年占ってみた

月と土星が非常に強いトライン
感受性と抑制の調和。一時的な感情に流されることなく、また冷淡ということもなく、程よい距離を置いて物事をしっかり見つめる。冷静にして柔軟。あまり目立たないが、内面的に調和のとれた美しい人。感覚はやや古風で奥ゆかしい。
(『きれいごとや謳い文句より現実性』という意識が世相へ自然に浸透していく? 流行や宣伝による消費誘発は効果が鈍いかも。)

水星と金星が非常に強い合
軽快な美的センスの持ち主。若々しいファッション、ポップアートなどに適性。生き生きとして魅力的な人が多い。軽やかな恋愛を好む。浮気っぽく、次々と違う人を好きになる。
(野党にそういうタイプの人が出てくる?)

太陽と火星が強いスクェア
エネルギッシュだが、野心と現実のあいだにギャップがある。短気で短絡的。荒々しい。長期的な展望に欠けるため、その場その場の思いつきで、情熱を間違った方向にそそぎがち。負けず嫌いで傲慢。わがまま。エネルギーを地道な努力と結びつけられれば吉。
(政府内のどこかが無茶による失敗を通して『日本的コミュ障』と呼ばれてる部分を治していく運気かも。メディアの誤報やフェイクニュース、国土交通省管轄の分野に注意。失言騒動あり?)

木星と冥王星が強いセクスタイル
平均3年に1回くらい生じる。極度の発展を暗示する世代的座相だが、それほど強い暗示ではなく、毎回実現するわけではない。
(何らかの失敗を受け入れることで精神的な成長と失敗を未来に生かし物事を路線変更したり改良・改善する運気。国会や地方自治の分野でそういう流れが生まれるかもしれない。冥王星がロシアの星座なので日露関係が変化していく可能性も。地方にとっては運気好転の兆しとなる動きあり?)

金星と冥王星がごく弱いスクェア
困難な愛情にとらわれて身動きが取れなくなり、自殺や心中まで考える。美に関する分野で潜在的に鋭い素質を持つ。
(景気回復の実感は薄い年かも)

水星と冥王星がごく弱いスクェア
意味は吉角と同様で非常に頭が鋭いが、それゆえに世間にすんなり溶け込めず、葛藤が生じる。
(国民世論には支持されがたい何かがあるかも)

火星と天王星がごく弱いトライン
情熱と独創性の調和。新しい分野を切り開くことのできる才能あるいは素質の持ち主。変革の指導者としての適性あり。ユニークな感性で成功。自分のやり方を貫き通す。
(過去に失敗した何かをやり直すような運気?)

※冥王星のサビアンは「敗北を優美に認める将軍(負けを認めることが成長につながる。失敗を未来に生かす)」
4室に天王星と月があるので、地殻変動やその他自然現象には注意。

2017年12月 3日 (日)

母性についての妄想メモ

【母性】
種族規模の本能。種族(種族魂)が己の分身で端末でもある各個体に宿らせ働きかける「己を生かす力と意志(生命力+生存本能)」の一種。
その「己生かす力と意志」を各個体に働きかける時、その作用の様子が個体から見て「自分以外の者を経由して自分に作用した(自分を経由して自分以外の者に作用させた)」と見える場合、母性とか慈悲・慈愛とかいった印象になる。
自然界や集合無意識、自分の魂、無意識・運勢などを経由してインフラ的に作用すると「地母神」的な印象になる。
自分自身の顕在意識を経由して作用すると己への母性となり、自分自身が生きる喜びを実感できるような生き方(真の望みに沿う生き方)をしたり、そうして得た生きる喜びの実感から自己肯定や自尊心、 「己を生きる意欲(己の人生を愛する心)」などになる。本当の意味で自分を幸せにする力にもなる。動物的な面では自己保存本能とも密接。

(真偽不明だが、母性には母性独自の周波数のようなものを持っている?)
ある個体が一定の条件下で自分に宿る母性と周波数が同調すると母性が発動する。その個体経由で母性発動する。個体によって同調条件は異なるが、母性発動には自分の同調条件を安定して満たせることがカギ。
ただし24時間365日常に種族本能である母性と同調し続けられる(=個体としてではなく種として生きられる)個体は存在しない(個と種のキャパシティが違いすぎる)。個人に対して常に母性を求めるのは相手の人格と人間性を無視し否定する行為。

自分が特定の誰か(個体)に「母性と同調し自分へ母性発動すること」を求めてもそれが実現しなかった場合、それはその誰かがたまたま個人的諸事情で母性の同調条件を満たしていなかっただけにすぎず、「母性が自分に発動しないのは、種族が自分自身に対して『己を生かす力と意志』の発動を拒んだ(=種族が自分を己の一員と見なさない=自分は種族の一員ではない=自分は人間ではなく種から生を望まれてない人間以下の存在)」という事など意味しないが、時々誤解してそういう解釈をしてしまう人がいる。
それは、母性の発動(同調)を求めた個体(母性の器)と母性そのものを混同・同一視したために発生することがある。種族と個体の混同・同一視は神とヨリマシ(神を降ろす巫女)を混同・同一視するようなものだ。

特定の個人経由で母性の作動が出来なかった場合、最も手っ取り早い対応は自分自身が自分に宿る母性と同調し母性の発動をしてみること。自分で直接、種族規模で存在する「己を生かす力と意志」に触れること。イメージすること。種族自身が自分のその端末(その端末になってる自分)をまだ地上に置いて活動したい場合は別の個体経由で母性が発動するか地母神が発動するか自分を器に「己に対する母性」が発動するかして何らかの形で運気(生命力の一種)を流し特定の個人を経由せずに「己を生かす力と意志」を可能な限り行使するだろう。 全力で死なない運勢を創ろうとする。それは時に奇跡を生む。
例えば、真冬のロシアに捨てられたとある赤ちゃんには、猫に助けられるという奇跡の運勢が発動。恐らく人類どころか高等哺乳類規模で自分の端末(端末になった自分)を生かそうとする母性が動いたか?

一人一人に宿る魂は、種族魂の分身だ。種族にとって一人一人はまさに「自分(自らを分けたもの)」だ。
そのため、種族と魂は「己を生かす力と意志」という一つの心を共有する。
種族と魂は今日も言っている。
『私はお前が(=自分が)健やかに喜びをもって生きていると嬉しい』
魂「私はお前を生きるのが大好きなんだ」
種族「私はお前を生きるのも大好きなんだ」

魂の環境インフラ

2017年11月13日 (月)

シン・ゴジラに隠された陰謀論?

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。作品の公式設定とは一切関係がありません。

昨日TVで「シン・ゴジラ」を見た。政府のお役所対応や手続きの回りくどさはリアリティを感じたが、ゴジラを倒す方法(在来線カミカゼ)にはリアリティを感じなかった。ゴジラによって千代田区の南部と東部は焼け野原になったが北部と西部、そして皇居が無傷なのは大人の事情によるもの。破壊活動に際してあらかじめの配慮をゴジラに根回しするのが日本国の伝統的鉄則だ。そんなことを考えていたら、またむくむくと妄想が湧いてきたので以下に記す。

◆ゴジラの背景に一極派と多極派の攻防?
ゴジラは人々に忖度して東京駅(風水的には富士龍脈終点&北龍バイパス終点)の線路上という丁度いい場所に居合わせてくれたのが良かった。お蔭でヤシオリ作戦が成功したのだから。
ゴジラを凍らせる(このブログ風に言うなら火気流失させる)のに電車(風水なら水龍=金運・経済の象徴)を活用するのはあまりリアリティを感じない作戦だが、この作品自体が陰謀論視点で見た世界情勢のメタファーになっているものとして妄想したら、結構面白いかもしれないと思った。
以下、シン・ゴジラを陰謀論の世界ではお馴染みの、「一極派と多極派」のメタファーとして妄想した結果。
まず、ゴジラが一極派(英米軍産複合体勢力。世界のパワーバランスを英と密接な米国一極覇権型に保ちたい)で、それに立ち向かう側の赤坂・里見やキヨコの上司達が多極派(英米軍産と利害対立する資本家勢力。世界のパワーバランスは米だけでなく有力な世界各国で担う方が商売上好都合)のメタファーと脳内想定した。
従来は劣勢だった多極派が強大な一極派に対してよくやる手口が「暴走させて自滅作戦」という。要するに米国を拠点とする好戦的な一極派を煽り米国を「世界の警察」にして各国のもめ事に介入させ戦争を起こし、しかも泥沼化させることで損害を生み出し癒着している政権の支持率を落として力を奪っていくというやり方である。ベトナム戦争やイラク戦争などでこの手口が使われたという噂。
作中ではその「暴走させて失敗作戦」のメタファーとして、「ゴジラ(一極派)を東京におびき寄せ大暴れさせることで邪魔者を一掃した後自滅に導く陰謀」が展開しているように見えた(幻覚)。

◆牧教授と里見・赤坂、キヨコの上司達はグル?
そもそもの話、ゴジラはわざわざ東京に現れて大暴れしなければ、倒されずに済んだのだ。あるいは自衛隊に狙われて一度海に逃げた時、それっきり戻らなければ死ななくて済んだ。けれど、まるで何かの意志によって誘導されたように東京(しかも東京駅)へ舞い戻って退治された(=自滅した)。
ゴジラ(=一極派)大暴れの仕掛人が日本の大学教授と言うところも意味深。あの教授はゴジラを意図的に暴走させ、また一方でゴジラを倒せる(火気流失させ機能停止させる効果のある)凝固剤(このブログ風に言うなら水気)づくりのヒントも残している。最終的には暴れるゴジラを倒せるように仕組んでいるのだ。
一極派(核兵器開発と日本における市街地実験の黒幕でもある)の暴挙によって被曝死した妻の仇を討つべく、牧教授は長年にわたり計画を練って一極派(=ゴジラ)を「暴走と自滅」に誘導する。その復讐心を利用し、ゴジラの上陸をあらかじめ知っていた米国内の多極派(カヨコの上司含む)や日本側の多極派(外遊で難を逃れた里見首相や赤坂)達、それに利用された主人公や巨災対の面々・・・
戦後はずっと一極派の傀儡だった日本政府もまた、「内閣総辞職ビーム」で崩壊する。

◆グレートリセットで「日本を取り戻す」?
ゴジラの大暴れが全て仕組まれたものだとすると、竹野内豊扮する赤坂秀樹(しかも元外務官僚)が主権の中枢にのし上がったラストシーンのセリフが印象的になる。
せっかく崩壊した首都と政府だ。まともに機能する形に作り変える」
「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる」
ゴジラが大暴れしてくれたお陰で邪魔者は全ていなくなり好都合だと言わんばかりのこのセリフ。
そう。この国のシステムは表に現れぬ本当の「中枢」(一部の官僚はその手下)を潰さなければ真に崩壊しない。それどころか、システム中枢が利益と判断すればこの国を意のままに破壊できるし、意のままに再生させることも出来るのだろう。「邪魔者を一掃するグレートリセット」のためなら東京にゴジラを放ち壊滅させたってかまわない。土建屋とその利権層は復興利権でガッツポーズし一層の忠誠を誓うだろう。
そのシステム中枢は、かつて英国(一極派)の傀儡になるのと引き換えに江戸幕府を解体し日本を近代化させ、第一次大戦による英国の息切れと日本近代化による産業革命に乗じて一極派の傀儡脱出&主導権奪取を試みるも(中枢部が英と癒着したやはり一極派の米政権により)こっぴどく叩きのめされて以来ずっと対米(対一極派)従属を続けており、「日本を取り戻す」ことができずにいた。その時転がり込んだ「ゴジラ計画(多極派による一極派の暴走と自滅が目的)」のオファーはグレートリセット(=日本を取り戻す=再度私物化する)のまたとない機会であっただろう(妄想)。
里見のパイプを使い核兵器投下の遅延に協力したフランスも、多極派の国である。そのことを考えるとゴジラを倒すために一極派の商売道具である核兵器(牧教授の憎悪対象でもある)を何としてでも使わせたくない理由は単に「被害が甚大だから」という点だけではない気がしてきてしまう(妄想)。
そして、とうとうゴジラ打倒に成功したヤシオリ作戦は、日本がアメリカに依存せず一人で自立して成し遂げる(=対米従属から対米自立への針路変更を意味)する必要があった。

そして「中枢」にとって、千代田区の南部や東京駅はスクラップにしてもいい場所だが、千代田区中心部(皇居)と北部・西部は決して傷つけてはいけない場所である(そこに作中でちょっと出た六芒星の窓を持つ科学技術館もある)。渋谷区や新宿区も同様に、無傷であるべき場所だ。
万が一ゴジラが皇居のシャチホコをむしって食べちゃったりしたらそれこそゴジラ計画担当者の責任間で責任のなすりつけ合いになってしまうにちがいない(電波)。
なお、ゴジラ計画による一般国民の損害に関しては特に配慮されてないことは言うまでもない。作戦に犠牲はつきものぐらいにしか思ってないだろう(陰謀脳)。

とまれ庵野監督は、意外と陰謀論がお好きなのかもしれない。などと妄想すると楽しかったw
いかなる形かは不明だが、この国で多極派と一極派の攻防による「ゴジラ計画(一極派を暴走と自滅に追いやる=日本を取り戻す)」が実行されるかもしれないが、それはきっと多くのビルや民家が瓦礫になる形のものではないと思う。作中のように「核が落ちる寸前」という危機感の演出はなされるかもしれないが・・・
もしもリアルでゴジラ作戦が行われた場合、崩壊するのは民家やビルではなく、経済的な何かの方かもしれない。というのも、ゴジラ打倒のカギとなった「鉄道」や「血流」というキーワードは、占いの世界だと金運(経済の流れ)の象徴になるものだからだ。わざと経済的な何かを崩壊させる作戦・・・まさに陰謀論w

陰謀論の世界では有名な一極派と多極派、どちらにしてもろくでもない似た者同士の波長を持っている。争いは同じレベルの者同士でしか発生しない(AA略)。彼らを支配し突き動かす弱肉強食とアドレナリンの鎖(敗北の恐怖・飢えの恐怖etc)から彼らが脱出し救われる日を願っている。

2017年10月22日 (日)

立憲民主党占ってみた

※以下は趣味で使っている占星術ソフト「アストロロギア」の鑑定結果です。特定の団体や人物を誹謗・中傷する意図はありません。あくまでもネタとしてお楽しみください。

火星と冥王星が非常に強いトライン
異常なまでの情熱の持ち主。揺るぎない勇気をもって、とことん頑張ることができる。肉体的な愛情関係において、官能的な強い喜びを得ることができる。

月と天王星が非常に強いセクスタイル
感受性と独創性の調和。ユニークな感性を発揮できる才能あるいは素質の持ち主。人とは違った独特の感覚を持っている。風変わりで、おもしろい人。進歩的、未来的。自由・平等・友愛の精神を尊ぶ。

木星と天王星が強い衝
発展と変革のあいだの緊張。この世代においては、急激な社会の変化によって矛盾や問題が生じやすい。個人的意味は、自分のやり方にどこまでも固執してしまうこと。その頑固さに、内省能力が加われば吉。

月と木星が強いトライン
柔軟で寛大な精神の持ち主。才能に恵まれ、全般的にツキがある。物の感じ方は鷹揚で品が良い。多感ゆえの脆さはなく、堂々とした貴婦人のごとし。芸術方面に適性。繊細というよりは、まろやかな性格。

金星と冥王星が強いトライン
いつくしみ深い性格。献身的な愛を限りなくそそぐ。美に関する分野で極端な才能ないし素質を持つ。

金星と火星が合
きらりと光る妖しい魅力があるが、気位が高く、押しつけがましい。「女王様」的な性格。周囲との摩擦が多い。しばしば官能的。

金星と海王星が衝
夢のような甘い話に弱く、結婚詐欺やインチキなセールスにひっかかりやすい。恋人を勝手に理想化して、結果的に幻滅しがち。既婚女性はよろめきやすい。将来に向けて美しい夢を思い描くが、おおかたは机上の空論。夢はあっても地道な努力が嫌い。そのため心の中に葛藤が生じやすい。快楽主義者。酒や麻薬におぼれる。夢想の能力を建設的に生かせれば吉。
(現実よりも理想を優先しがち?)

月と土星がごく弱いセクスタイル
感受性と抑制の調和。一時的な感情に流されることなく、また冷淡ということもなく、程よい距離を置いて物事をしっかり見つめる。冷静にして柔軟。あまり目立たないが、内面的に調和のとれた美しい人。感覚はやや古風で奥ゆかしい。

海王星と冥王星がごく弱いセクスタイル
信じられないような夢をもたらす世代。終戦直後の1940年代後半、および1960年代にもこの角度ができている。

土星と天王星がごく弱いトライン
平均すると十数年に1度の割合で生じる世代的座相。制限と変革の調和。堅実な変革、例えば無血革命を暗示する。

火星と海王星がごく弱い衝
実現不可能な非現実な夢に情熱を傾け、空回りする。不透明な分かりにくい性格なので、いさかいや摩擦が多い。たいした理由もないのに他人と争い、それがエスカレートしがち。原因不明の事故、不透明な性的関係といった意味もある。鋭いイマジネーションを持っているが、ビジョンが粗野で、独り善がり。大事な点を見落としやすい。妄想の世界に没頭する人もある。夢想の世界にかける情熱を建設的な方向へ生かせれば吉。
(完璧主義になりすぎると何一つ実行できなくなってしまう注意)

【余談】
実はは100年前のロシアにも「立憲民主党」と同名の政党が存在した。ロシア革命100周年でもある今年、枝野氏が自ら立ち上げた政党に100年前まで存在していたロシアの政党と同じ名前を付けたのはおそらく偶然じゃないだろう。今後(安倍政権以降?)の日ロ関係を見据えているような気がしなくもない。

2017年10月 3日 (火)

宇宙という生き物

※以下に書いたことは個人の妄想です。かなりイッちゃってます(いつものこと)。

人々の運勢や龍脈の動きや星々の動きというものを見ていて、ある日ふと思った。

「人間界の動き(運勢)と龍脈や星の動きが連動=龍脈や星の動きと人間界の動き(運勢)が連動している」ということは即ち、地球と人類は同じ一つの巨大な生き物である証なのかもしれない、と。
恐らくその「巨大な生き物」とは、哲学の世界で宇宙とか万物とか存在とか呼ばれてるもので、人間を含む様々な生き物に宿る魂(=生命)はその「宇宙(万物)」の一例であり、その生きざま(人生)は「宇宙(万物)」がやっている活動(取り組み)の一例なのだろう。ユングは一人一人に宿るそんな命(=宇宙)を「セルフ」と呼び、古今東西にある「神」の概念のモデルになったという。神・・・アレが「全知全能」な理由は、我々を含めこの世に偏在する「万物」自体が神だからかもしれない。「八百万の神」って言うしw
宇宙は私の人生に取り組み、あなたの人生に取り組み、彼の人生に取り組み、彼女の人生に取り組み、あの人の人生をやっている。今この瞬間も。我々の人生というものは、もしかしたらそのどれも全てが「宇宙規模の取り組み」なのかもしれない。今この瞬間も、宇宙は一人一人になって活動(取り組み)をしてるのかもしれない。
「宇宙」とは、かように壮大で巨大なプロジェクトの名前でもあるのだろうか。
みんな同じ一つの生き物ならば、誰かを見下しバカにするのも他人に劣等感を持つのもナンセンス。宇宙という生き物にしてみれば、見下す側も見下される側も全て自分だし、自分との間で優劣を競うのもナンセンスだ。他人と自分では、取り組んでいることが違う。宇宙はその人にならないと出来ない取り組みをしているのと同様、自分という人間にならなきゃ出来ない取り組みをしているに過ぎない。どっちも宇宙にとっては「やりたいこと」だ。自分のやりたいこと・やってることにいちいち優劣をつけて競うのはナンセンス。優越感にせよ劣等感にせよ、「自分で自分を自分を見下している(自己卑下している)」ことに変わりはない。どちらの感覚も、根っこは同じ「自己卑下」なのだろう。
・・・などと思っていたら、妄想電波が止まらなくなってしまった。

◆見えているものは氷山の一角
宇宙(万物)の全てをひとつにつなげているものは、我々が「集合無意識」と呼ぶもの。しかし我々は宇宙(万物)の大部分を見ることが出来ず認識もできていない。島のようにところどころしか見えてない。
そんな、我々がたまたま今のところ「見えなくて認識できていない宇宙(万物)の大部分」のことを、ユングは便宜的に集合意識と名付けたに過ぎないのだろう。あれは、我々が見えて認識できているもの(顕在領域)と同一のものだ。万物で宇宙だ。 あれを我々が認識できるようになれば「集合意識」に変わる。
我々を含めた宇宙(万物)が巨大な一つの生き物であるなら、集合無意識が関与して発生すると言われる「シンクロニシティー」が起きるのもごく自然なことだ。 多分、量子テレポーテーションとかいう現象だって不思議じゃない(文系オカルト脳)。

宇宙は今この瞬間も新しい何かを生み出し、また生み出したもの(どれも自分)を経験している。宇宙(万物)という生き物は己の好奇心と情熱によって自ら沸き立ち泡を生じさせ波打つ水に似ている。まるで海だ。
そして「海」もまた、心理学的には集合無意識(=宇宙・万物のうち、我々には見えてない大半の領域)の象徴とされることがある。集合無意識(海)もまた宇宙であり万物である。宇宙、万物、海・・・呼び名が異なろうと見える/見えないの差があろうと3者は本質的に同一だ。
海・・・ハワイ語なら『モアナ』という。
我々は宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物にしてその取り組みの一環だ。しかし我々はその全体の一部分しか見えてない。自分と全体をつなげている部分(宇宙の大半の領域)を見ることが出来ずにいる。見えていないお陰で自分達が宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物だと気付かずにいる。
(我々が『人は体が死んだら無になる』と思い込んでいるのも宇宙の大部分が見えてないせいかもしれない。無になるんじゃなくて単に肉眼で認識できなくなるだけだったりして)

◆「モアナと伝説の海」でオカルト妄想
「宇宙の一部分しか見えていないお陰で自分達が宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物だと気付かずにいる」・・・けれど、とある南洋の少女は気づいたのかもしれない。 自分の住む島から見える範囲の海(サンゴ礁の内側)だけではなく、今までは見ることが出来なかったサンゴ礁の向こうに広がる海を見ようとする視点を持っていたあの少女は。サンゴ礁を「宇宙の見える範囲」に、海を「宇宙」に、「サンゴ礁の向こうに広がる海」を集合無意識(=宇宙の見える範囲より向こうに広がる宇宙)に置き換えても同じことが言える。
そしてサンゴ礁を越えて海をどこまでも自由自在にあちこち移動し見て回ることが出来れば、やがて「海は一つにつながっている」ことを知るだろう。

つまりオカルト視点だと、「モアナと伝説の海」は哲学的・形而上学的な解釈すらできそうだ。
旅とか航海は時に「経験を積んでいくこと」を象徴することがある。船はさしずめ経験を積むためのツールか。
サンゴ礁(宇宙の見える範囲)を越えて「海(=宇宙・万物))」を自在に行き来出来た「祖先」が象徴するものとは、自らの好奇心と情熱により万物を創り万物となって(時に無数の多様な生命として)経験をし、宇宙全体の視野(万物を一つの生命とする視野)を持ちながら同時に個々の万物として活動していた記憶。つまり個~宇宙全体までの視点を(見えぬ場所なく)広く自由自在に行き来し個と全の視点を両立・統合させた上で無数の経験を積み重ねていった宇宙自身の記憶であり、その記憶は宇宙が行う活動の一例であるモアナの中にもあっておかしくはない。「生生流転」こそ経験を積む航海の旅。その記憶は宇宙の記憶・・・

その記憶(=祖先)に導かれ、モアナは滝の裏に隠されていた祖先の船(サンゴ礁=見える範囲を越えて航行する能力)を発見し、それに乗ってとうとうサンゴ礁を越える。見えなかった領域が見えるようになる。
宇宙という巨大な一つの生き物にして宇宙が行っている活動(取り組み)の一例でもある我々の中にもモアナと同じ記憶はある。我々はかつて、「サンゴ礁(見える範囲)の向こう側」を知っていたし、自在に行き来出来た。そしてサンゴ礁を超える視野で「自分」という存在を認識していた。自分が宇宙だと知っていた。
モアナは祖先同様にサンゴ礁の向こうを旅するにつれ、ある日自分もまた「モアナ(宇宙)」だということに気付いた。いや、気付いたのではない。自分(宇宙)の記憶を思い出したのだ。だから霊になったおばあちゃんの問いかけ「お前は誰か?」に答えることが出来た。

♪広い海旅した 祖先が私を呼ぶの 
 遠くへ旅をして分かって来た 私を呼ぶ声が聞こえる 

 心の声が呼んでいるの 波のように打ち寄せては 
 語りかけてくるその声が 教えてくれたの

 私はモアナ

そんなモアナの気付きは、世界から失われた「テフティ女神の姿とそのハート(=地母神)」を取り戻し、世界を「黒い病」から救うカギとなった。地母神とは、宇宙が己を(万物を)生かす(生きる・己の人生に取り組む)ための本能であり機能だ。そう、宇宙(モアナ・海)の本能だ。

◆生まれながらの冒険家
自らの好奇心により自ら沸き立ち泡立ち波打って万物を生み出し万物となって経験を積む。宇宙という生命体が行っているそんな活動には、まさに冒険家が自らの好奇心を実現すべく旅する過程で味わう精神的な喜びを秘めているように妄想した。その得も言われぬ無上の「経験する喜び(=好奇心を満たす喜び)」を愛し求める心こそ、旅への情熱になりテフティ女神のハート(経験のために万物を生み出し、宇宙が取り組む経験の旅路を支援する地母神の愛。時に実りや豊かさという形で支援をもたらす)になるのかもしれない。その心をスピリチュアル風に言えば、「宇宙の愛(無条件の愛)」ってやつか?
己の生命活動(人生の旅路)に取り組んでいる我々一人一人(全員宇宙)もまた、自分自身の中に宇宙が抱く冒険家のようなあの好奇心と経験への愛と情熱を宿している。それが単純に言えば「生きる喜び」ってやつなんだろう。
その心が我々の内なる地母神(その人が魂の底から望む生き方を支援するような運勢を創りだす魂の環境インフラ。過去記事参照)にもなるもので、それはまさに魂(=個々の人生に取り組む宇宙)の自己実現本能ともいえる。
宇宙(万物)の一例たる我々に宿りし魂の基本理念は、宇宙が持つ冒険家のような好奇心と経験への喜びに対する愛と情熱=生きる喜びなのかもしれない。そして喜びは愛を生む。宇宙にとって我々は「己の愛しい取り組み」というところか。魂(宇宙)が己という命(取り組み・経験・旅路)を生きる喜び・・・それは自己肯定の源。
(その取り組みの旅路全てが道中に迷いも抑圧も葛藤も困難もなく他や全体と調和してるかどうかはまた別の話。自分にとって本当に望む生き方=旅のし方を自覚し実現できてるかどうかも別の話)

宇宙が愛してやまないその旅路は、祖先の船(サンゴ礁を越える能力)を持つことで初めてできることだ。
もしも意識がサンゴ礁の内側に閉じ込められてその外を見ることが出来なくなったら、自分が何者かを見失い、かつてのようにサンゴ礁を越えて個~全を包括する視点と意識を駆使した「旅」は出来ない。新しい経験も出来なくなる。即ち「経験する喜び(生きる喜び)」が阻害されることを意味する。宇宙視点で旅(経験・取り組み)が実行出来なくなった場合、経験の旅路を支援する(喜びを促進する)地母神の愛も実行できなくなってしまう。即ちテフティ女神とそのハートは機能できなくなる。サンゴ礁の外が見えないと自分が分からず自分の心も深く把握できず本当に望む生き方(旅のし方)も見えてこない。
サンゴ礁内に監禁されて本能的な旅への愛と情熱が吐け口を失ったまま内圧を募らせることで発生する強いストレスは、やがて溶岩の魔物テ・カァとなっていつかどこかで目に見える形で噴火してしまう(封じられた情熱の炎は怒りの炎へと変質しやすい。怒りは情熱が抑圧されることで歪んだ姿だ)。噴火は破壊的な結果となり、自分や周囲を傷つけることもある。旅(宇宙として万物となり経験すること)が阻害されれば、経験のために生み出した万物の存在意義がなくなる。これが世界を消滅させる「黒い病」だ。

このような状態はモアナの世界(テフティ)だけではなく日本神話の世界(イザナミ)においても同じことが起きている。モアナの世界で起きたことと全く同じ課題が日本人の集合無意識領域にも存在するのだ。いや、日本どころか全人類の集合無意識にあるだろう。
日本のイザナミの場合、古代の軍需産業を象徴する製鉄の神を産んだ時に大火傷をして死ぬわけだが、溶けた鉄は溶岩とそっくりな点に注目。彼女は最終的に怒り狂ってテ・カァになる。製鉄神が生まれた時点で、古代日本の人々はサンゴ礁の外が見えず己を見失い本当に望む生き方も見えず実行できず、それを支援する内なる地母神の発動も阻害され、運勢が落ちて飢えて奪い合い争い戦いに明け暮れるようになってしまっていたのだろう。
似たようなことは、どこの国でも起きたことだ。

サンゴ礁を超えた広い視野を持つのと持たないのとでは、自己認識も生き方も運勢も経験も全然違ってくる。
「宇宙という生き物が(冒険家の如き好奇心をもって)行う愛しい取り組みにして宇宙自身の一例」たる我々は、その身に宇宙と同じ経験への喜びと情熱と好奇心(=生きる喜び)を本能的に宿していることを意識し、宇宙という生命体を起源とするあの喜びの心を忘れたり見失なったり抑圧しないようにすることが大切だ。万一忘れたり抑圧していたら思い出すこと・意識することが大切だ。放っておけば己の中に黒い病やテ・カァが発生してしまうが、「思い出す・取り戻す」という発想を常に心にとめておけば、やがて魂が本能的に取り戻す・思い出す方向へと運勢の舵を切り動き出す。モアナの物語が始まる。それ自体が新たなる経験の旅路となる。
我々の本性である不滅の魂は、広く自由な目と心で経験への喜びと情熱をたぎらせる偉大な旅人「宇宙」だ。
宇宙は言っている。「○○(自分の名前)を生きること(〇〇になって人生を旅すること)が好きだ」
(ここで宇宙からの妄想電波回線がクローズw)


【おまけ】
in deep様の記事←記事の題名は「太陽と人間と地球の間に存在する永遠のシンクロ :最近の研究でわかった『全ての人類の心臓のリズムが地球規模で同期している』と共に、『太陽と地球と全人類は常に磁場を介して同期している』こと」。
「同じ一つの生き物」という共通点のある存在同士が共鳴・共振し合うこともあるだろう。

「天空の城ラピュタ」のオカルト解釈
←ここで書いた「種族の視点」は個~宇宙全体の中間に存在するもの。シータとパズーは自分(個)と人類(全体)が同じ一つの生き物であるという視点を獲得することで死の恐怖を乗り越えた。種族の意識(視点)は我々が普段は見ることのない集合無意識領域にある。
「モアナと伝説の海」で妄想

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